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墓場

作者: 橿原岩麿
掲載日:2026/05/03

 母がどちどちとした感じで歩いている。私は車道側を歩こうとしたが、母はずっと車道側にいて、私は中年になってもまだ歩道側を歩いている。よくよく考えれば、付け焼刃の礼儀が子を思う親の愛にかなうはずもなかった。私はまだ守られていた。


 二月中旬の寒い微風の吹く中、私の祖父母の眠る東大阪の市営墓地に向かっている。今日が月命日というわけでもないが、たまたま全員の都合があった日なので、この日になった。かといって全員揃ったわけもない。父は単身赴任で遠方におり、私の子供たちは古都で成人したのち新都に引っ越していて、平日に挟まれた祝日にわざわざ帰ってくることもない。妻は仕事を休めないとのことだった。私の弟は叔母と合流して先に着いている。まるで子供のころのような面々となった。私と弟はよく叔母に預かってもらったものだった。


 母は墓に供える花を買うと電車の中で言っていた。墓地への道中で買えるはずだと。しかし、まさかコンビニに入るとは思っていなかった。店内に入ると母はぐるっと見回し、店員に「お墓用の花はありますか」と聞いて、「すみません。取扱いしておりません」と返答されていた。当然のことだ。私は子供のころから、母が店員にすぐ質問するのが恥ずかしかった。店内を見て、商品がないのだから、どう考えてもないだろう。懐かしさを感じながら、私は店員に向かって浅くお辞儀をした。申し訳ありませんと心から謝った。母は何一つ気にせぬ顔で店を出て、「じゃあどうしよう。どこで買おうか」と言っていた。 


 一度来た道を戻って、大型スーパーに行くべきかもしれない。そこならあるだろう。そんな会話をした。私の携帯に弟から連絡が来ていた。墓用の花はもう買ってある、とのことだった。それならばと、そのまま墓地に向かうことにした。五分程度で着く。近くのコンビニにいると返信した。よく考えれば、この立地で仏花を売っていないのは確かに変かもしれない。間違っていたのは子供時代の私かもしれないと思った。


 叔母と弟と合流した。二人も着いたばかりらしい。叔母は親戚の墓をまわると言って、母に花を渡し、どこかへ行った。私と弟と母だけになった。父の帰りを待つ、小学生のあの頃のようであった。三人で先に墓を掃除するので、私と弟は供えられた古い花を取り換えて、墓に水をかけて、軽く掃除した。墓のくぼみに注ぐ水が足りなくなったので、私は水を汲みに、花立てと湯呑を持って洗い場へ向かった母のもとへ歩いていった。


 母は花立てと湯呑を丁寧に洗っていた。昔、母の手は洗い物をしてあかぎれしていた。長めのゴム手袋をして洗い物をすると荒れないとテレビで見て、それを教えてあげた。今はどうしても手が乾燥するらしいので、娘が使っているクリームを教えてもらって、母にあげた。使っているのかは不明だ。


 私はすぐに水を汲んでバケツをいっぱいにして、墓の前まで運んだ。弟が墓のくぼみに水を注いで、こんなに水はいらなかったなと言った。そうだなぁ、と思いながら、母が戻ってくるのを待っていた。


 母はきれいになった花立てにいっぱいに水を入れて戻ってきた。仏花を差し込んで墓の飾りは整った。三人ともが線香に火をつけるために、入り口にある大きな仏像のところに行った。この仏像の端に、寄付されたマッチと線香とろうそくがある。母や叔母が毎度新しい線香を子供のころからくれるので、ここにある線香は使ったことがない。ろうそく立ては、私が初めて来た小学生のころから変わっていない。前の人が使って、まだ残っているろうそくに、私は火をつけた。一年に数度しかしないけれど、積み重なった年月は私に線香のつけ方を体に覚えさせた。


 線香の束に火をつけて、弟に半分渡した。私は先に祖父母の骨が半分入っている大きな墓のようなものに線香をあげに行った。墓に入りきらない骨をここに入れるらしい。私は忠魂碑や小さな地蔵が集まっているところにも手を合わせに行く。誰の顔も浮かばないが、なんだか守ってくれているような気がするからだ。顔もおぼろげとなったこぶしほどの大きさのお地蔵さんに線香をあげると優しい気持ちになる。優しくあろうと決心させる。仕事を始めたばかりの若者の頃は、なぜ大人はこんな連中ばかりなのかと思っていたが、優しくいることがこんなに難しいことだとは思わなかった。この線香はもはや、感謝ではなく、誓いに似ていた。


 私は祖父母の墓に線香をあげに行った。墓の前で、母がしゃがんで小さく丸くなって手を合わせていた。これは母の両親の墓だ。両親が眠る場所とはどんな意義とどれ程の重みを持つものだろうか。私はそれを知らずにいる幸せを享受している。私は声をかけられなかった。何度も見ている光景であるけれど、もしかすると私や、あるいは母に忍び寄り始めているその死の気配を感じ始めているからかもしれなかった。概念や他人事であったはずのものがゆっくりと確実に形になり始めていたのかもしれない。


 この母の祈りと同じように、父の祈りの姿が好きだった。元々祖父母の家であった叔母の家に、仏壇がある。そこに私の祖父母はいる。新年や連休に叔母の家に行くたびに、私たちは鈴を鳴らして拝む。私は小さいころから線香をつけるのが好きだった。火遊びの好きな悪童であった。しかし、何でも燃やして遊ぶほどの阿呆ではなかったので、火をつけられる機会は限られていた。線香をつけるのが小学生の私にとっては唯一の機会であった。叔母の家でマッチに慣れていたから理科の授業でマッチをつけるのがうまく、褒められたのを覚えている。


 私と弟にまず、おばあさんとおじいさんに挨拶しなさいと母が言うので、叔母の家に着いてすぐ拝んでいた。そして次に父が拝んでいた。自分が拝んでいるときは何だか恥ずかしかった。あまり意味が分かっておらず、その重みを理解できていないので、変な格好をしていると感じていたのかもしれない。今となれば、父はその重みを感じていたのだろう。祈る向こうに笑顔で止まった遺影だけではなく、命を宿して生きていたその姿が見えていた。人間が見えていた。


 墓の前で静かに祈る母には、全ての思い出が今胸の内を駆け巡っているのだろう。過ぎ去った怒りとあらん限りの感謝と、ささやかな願いとともに、祈りがどこかへ届けられている。神も仏もあるだろう。死が消えることがないのなら、この悲しみが消えることがないから。


 少年期の私には横暴と支配にしか見えなかったその説教の数々が、今は母の優しさとして見える。それは確かに私の中に受け継がれている。私は強くなろうとしていた。しかし、強さそのもののことはあまり考えなかった。無感覚に無自覚であるだけか偶然だとしか思えなかった。それゆえに強くあろうとする弱さについて考え続けていた。嫌なことをしないことを望むだけで、心から好きなものはないような私だが、そういうことを考えるのは好きだった。それは私自身が強くあろうとする弱い者だったからだろう。結局私は自分のことを考えているだけだった。


 そして、私がもらってきたすべての愛情と友情の中に、もう答えはあった。優しさとして発現したその弱さの深奥に、対極にあるはずのもの、ささやかな、しかし揺るぎない信念を持った力があった。痩せ始めた母の静かな祈りに、私はそれを見た。風邪で学校を休み、寝ている私のおなかをさする、あの優しさの中に私はそれを見た。


 母はこちらを見て立ち上がった。「お母さんは他のお墓に線香あげてくるから」と言って、どこかへ行ってしまった。私も祖父母の墓の前にしゃがみ、びっしりと詰められた線香立てに一本だけ無理に差し込んで、祈った。どうか私たちを守ってください。


 手のひらにすくい上げられた命が、しばしの時を運命の手のひらで過ごし、またさらさらと流れ落ち命の大河の中に帰ってゆく。無茶苦茶な世であるけれども、どうかもう少しだけ長く、どうか少しでも納得のいく去り際でありますように。


 その祈りは彼が幼いころに見た、彼の父と同じように、確かに何かを背負っている祈りであった。


 線香が余ってしまったので、どうしようかと思っていると、叔母が来た。余ったなら、この墓に線香をあげるといいと教えてくれた。この墓地に来ると、おばあさんが拝んでいたお墓らしい。しかし、もはやだれにもその理由はわからないらしい。もう知ることができないのにその行為だけが受け継がれているのが美しいと思った。


 線香をあげ終えたので、私たちは全員入り口近くの大きな仏像の前に集まって、帰る前に一拝し、そばにある線香に火をつけるためのろうそくを消した。使い古された金色の火消しを一瞬眺めた。


 私は帰りの電車の時刻でも調べようかと思って、携帯を見た。すると、妻と子供から連絡が来ている。妻から「今回墓参りに行けず申し訳ない。次回は必ず参加させていただくと母にも伝えていただきたい」との連絡で、子供たちからは午後六時頃なら電話に出られるので、時間があればかけてくれという連絡だった。顔をあげると、他の三人はもう出口近くにいた。もう帰路に就こうとする三人を小走りで追いかけた。


 中年は老年の母に守られ、歩道側を歩きながら、孫たちが電話をかけようとしていると母に伝えた。母はスーパーに寄ってお菓子を買うから、孫たちが帰省した時に渡してくれと言った。中年は出勤するときよりも、もたもたとゆっくり歩いて母の速度に合わせていた。


 幸福、というものはあるらしい。

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