第9話 観測したら魔力がバグっていた
「ここから先が、大森林」
「エルフの森です」
ルナシールドは、目の前にひろがる大森林を見つめながら静かに言った。
リーデン村を出て半日。
街道はやがて細い獣道に変わり、空を覆うほどの高い木々。
森に入った瞬間、空気がわずかに重くなった。
何かが流れている。
「水の音がしない?」
森の中を進む魔車の上で、ターニャが周りを見渡す。
「確かこのあたりに川がありますね」
「少し休憩していかない?」
獣道がひらけ、小さな広場のような場所が見えてくる。
さらにその先には滝。
岩肌を滑り落ちた水が、大きな滝つぼを作っている。
グラムベルクが腕を組む。
「ここなら作業ができそうだな」
「魔車も停めやすい」
アリソンは頷いた。
「ここで観測器を組み立てよう」
早速、荷台から道具をおろし、男たちは準備にとりかかる。
グラムベルクは金属製の箱を開いた。
中には透明な石柱状の石。
「これが感知結晶だ」
「魔力に反応する、貴重な鉱石だ」
アリソンは父からもらった懐中時計をとりだす。
蓋を開く。
「Tick、Tick、Tick、Tick…」
秒針はいつも正確に時を刻む。
グラムベルクが不思議そうに眺める。
「その時計、そんなに重要か?」
アリソンは頷いた。
「魔力の揺らぎを測るには時間が必要だ」
「正確な時間が」
グラムベルクが笑う。
「目に見えない魔力を測る装置とはな!」
二人は作業を始める。
感知結晶。
魔法術式布。
振動針。
これらで簡易的な魔力測定器を作る。
振動針の動きで魔力を見える化する装置だ。
その間―― 女性達は暇だった。
ターニャがすぐ傍の滝を見る。
「ねえ」
「水浴びできそうじゃない?」
ミレイアが肩をすくめる。
「そうね、しばらく体も洗えてない」
ルナシールドも頷く。
「森の水は清らかです」
三人は滝つぼへ向かった。
思ったより滝の水は冷たい。
ターニャが叫ぶ。
「ひー、冷たい!」
ミレイアが笑う。
「森の水だから」
ルナシールドは大きな岩のうえに座り、静かに水を浴びる。
森の光の中で、その濡れた銀髪が背中を流れる。
その姿はまるで絵画のようだった。
ミレイアがそれを見る。
「さすがエルフね」
「絵になるわ」
ルナシールドが微笑む。
「あなたも十分美しいですよ」
金の髪が水を弾く。
ミレイアは軽く笑った。
その横で、ターニャは肩まで水に浸かる。
「……」
ちらりと広場の方を見る。
アリソンの姿が見えた。
「ずっと作業ばっかり。全然こっち見てない…」
ミレイアが言う。
「あなた、何を気にしてるの?」
「何も気にしてない!」
ターニャが水を跳ねる。
その水がミレイアにかかった。
「きゃっ」
三人の笑い声が滝に響いた。
その時だった。
滝つぼの水面が揺れた。
荒々しい波紋。
次の瞬間。
水の中から黒い影が飛び出した。
「何?」
ルナシールドが叫ぶ。
長い首に馬のような頭。
黒い体、ケルピーだった。
水棲魔獣。
ミレイアが叫ぶ。
「魔獣よ!」
だが三人は武器も杖も離れた岩場に置いたままだ。
ケルピーが水を蹴る。
巨大な体が跳ねる。
――そして一直線に
ミレイアへ飛びかかった。
「危ない!」
とっさにルナシールドが引き寄せる。
水が大きく跳ねる。
ケルピーが旋回する。
次の瞬間。
今度はルナシールドへ。
「っ!」
エルフが身をかわす。
水面が激しく揺れた。
ターニャが叫ぶ。
「アリソン!」
滝の上。
アリソンが顔を上げた。
叫び声に振り向く。
「……!」
水辺に魔獣。
女性三人。
状況は一瞬で理解できた。
今度はケルピーに向かって叫ぶ。
「こっちよ!」
ターニャが両手で水を叩く。
大きな水しぶきにケルピーが振り向く。
しかし次の瞬間。
ケルピーは明らかに距離を取った。
ターニャが眉をひそめる。
「……?」
ケルピーは低く唸る。
鼻先を水面に近づけ、すぐに顔を背けた。
そして再び方向を変え、ミレイアへ突進。
「なんで、また私!?」
ミレイアが水を蹴って逃げる。
ルナシールドが呟いた。
「おかしい……」
ケルピーは二人ばかりを狙い、ターニャには近づこうとしない。
ターニャがさらに叫ぶ。
「こっち来なさいよ!」
水を叩く。
ケルピーが再び振り向く。
しかし――
また少し距離を取った。
まるで何かを嗅ぎ分けているように。
ターニャが戸惑う。
「なんでなの?」
そこへアリソンが駆け付け、手に持った術式布に魔力を込める。
「風術式、起動」
布を投げる。
魔法陣が空中で広がった瞬間。
突風。
ドーン!
風の衝撃がケルピーを水面へ叩きつけた。
ケルピーは大きく鳴き、滝つぼの奥へ逃げていった。
水面が静かになる。
アリソンは滝つぼを見ていた。
ケルピーはミレイアとルナシールドばかりを狙っていた。
そして―― ターニャだけ避けた。
(……偶然?)
(いや違うな)
アリソンは少し考えた。
だが今はそれどころではないことに気づく。
次の瞬間。
ターニャが振り向いた。
アリソンは素早く後ろを向く。
数秒の沈黙。
ターニャの顔が赤くなっていく。
「……」
「……見た?」
アリソンは冷静に答える。
「状況確認しただけだ」
ターニャが水を叩く。
「見るなぁ!!」
盛大な水しぶき。
「プー、くすくす……」
ミレイアが吹き出す。
森に笑い声が響いた。
その夜。
一行は滝のそばで夜営した。
静かに燃える焚き火。
それを見つめながら皆くつろいでいる。
グラムベルクが肉を焼きながら呟く。
「今日はここまでだな」
ルナシールドは森を見つめる。
「明日から森の奥へ進みます。魔石はもう目の前です」
アリソンは組みあがった魔力測定器を確認している。
感知結晶は淡い光を放つ。
振動針は揺れている。
「Tick、Tick、Tick、Tick…」
そして時計の秒針をもとに観測する。
「やっぱりだ…」
グラムベルクが顔を向ける。
「何かわかったか?」
アリソンは森の奥を見る。
「魔力が落ちるときがある」
「不自然だ」
ルナシールドの表情が曇る。
アリソンは静かに言う。
「観測できるなら原因もわかる」
そして、
「原因を見つければ、直せる」
夜の森は異様なほど静かだった。
だが今も、巨大な魔石が眠る場所で――
魔力の流れは、確実に乱れ始めていた。




