第37話 それでも竜が来た
ザルカーン帝国 宮廷。
重い扉が開き伝令が駆け込んできた。
「アル・ザハル砦より報告!」
宮廷に集まっていた貴族たちがざわめく。
伝令は息を整え声を張り上げた。
「帝国軍全体に緊急事態が発生!」
「すべての魔法が突然停止しました!」
広間が一瞬静まり返る。
そしてすぐに騒然となった。
「どういうことだ!?」
「王国の新兵器か!」
貴族の一人が怒鳴る。
「だから竜を出すべきだったのだ!」
「いや、竜騎兵ならまだ挽回できるはずだ!」
皇帝は玉座から静かに言った。
「皆の者、落ち着け!」
その時。
広間の扉がゆっくり開いた。
黒い軍装に長槍。
堂々とした足取りで現れたのは一人の女性だった。
宮廷の空気が変わる。
「……イリス殿下」
竜騎兵隊の長にして帝国軍の実質的な司令官。
イリス・ザルメディア。
彼女は無言のまま、玉座の前まで歩み出る。
貴族たちはすがるように訴える。
「殿下、王国の新兵器です!」
「このままでは前線が危ういです!」
イリスは戦場報告書を手に取った。
そして短く目を通す。
「……」
彼女は静かに確認する。
「魔法が止まったとは、どういう事だ?」
貴族の一人が報告する。
「王国による何らかの攻撃かと」
イリスは答えた。
「であれば問題ない」
「いかなる攻撃も空までは届くまい」
広間が静まり返る。
「空と炎で戦場を制圧できる」
貴族たちの顔が明るくなる。
「その通りです! 殿下」
皇帝はしばらく沈黙していた。
そして静かに言う。
「カリウスはどう考える?」
宮廷の端に立っていた男が一歩前に出た。
カリウス・ノクス。
「現象の正体は不明です」
「通常戦力が無効となった今、竜騎兵の投入が唯一の策」
カリウスはイリスを見る。
「ただし――」
「深追いは禁物です」
「砦周辺の制圧に留めるべきかと」
イリスが言った。
「私が行こう」
皇帝はゆっくり頷いた。
「許可する」
イリスは振り返る。
「至急、竜騎兵隊を準備せよ!」
その場の兵士が走り出した。
こうして――
竜騎兵の出撃が決まった。
一夜明け、アル・ザハル砦前線。
王国軍の指揮所では、朝霧の中で戦場を見下ろしていた。
副官が言う。
「魔法は通常通り使えます」
「敵のゴーレムも動き出したようです」
指揮官は頷く。
「昨夜の現象はなんだったのだ?」
「未だ不明です」
指揮官は砦を見つめる。
「このままでは動けんな…」
その時だった。
空が暗くなった。
副官が顔を上げる。
「……鳥?」
次の瞬間。
巨大な影が雲を裂いて現れた。
翼。
一頭ではない。
二頭、三頭。
十頭近い竜が、突然、砦の上空に現れた。
王国軍の兵士たちが叫ぶ。
「竜だ! 敵の竜騎兵!」
「奇襲に備えよ!」
先頭の竜の背には一人の騎士が立っていた。
黒い軍装に長槍。
赤竜の背に立つその姿は圧倒的な威圧感を放っていた。
砦側の帝国兵士が歓声を上げる。
「イリス殿下!」
「竜騎兵隊が来てくれたぞ!」
イリスは竜の背から戦場を見下ろした。
王国軍の陣地。
砲撃陣地。
撤退線。
すべてを一目で把握する。
そして通る声で言った。
「前線は私が預かる!」
竜騎兵たちが槍を掲げる。
そしてイリスは命じた。
「竜騎兵隊」
一瞬の静寂。
「敵を蹂躙せよ!」
次の瞬間。
竜が一斉に動いた。
巨大な翼が空気を叩き戦場へ急降下する。
王国軍の陣地で兵士が叫ぶ。
「迎撃!」
「弓兵、放て!」
矢が空へ放たれる。
だが竜は止まらない。
その口を開かれた、次の瞬間――
炎の息吹。
ーーブルァーッ!
竜炎が一体の地面を焼き尽くす。
王国軍の前線が一瞬で火の海と化す。
砲撃陣地が爆発とともに吹き飛ぶ。
背に火のついた兵士たちが叫びながら逃げ出す。
副官が叫んだ。
「指揮官」
「竜の奇襲です!」
指揮官は歯を食いしばる。
「見れば分かる!」
竜が再び急降下する。
炎と爆発の連鎖。
「魔導砲は何をしている! 早く撃ち落とせ!」
「竜の動きが速すぎて、当てられません!」
王国軍には竜に対抗する手段がなかった。
竜は空から何度も急降下し炎を吐き続ける。
戦場の空は完全に帝国に支配されていた。
副官が叫ぶ。
「もう、もちません!」
「前線が崩れます!」
指揮官は決断した。
「……撤退だ」
副官が驚く。
「指揮官!?」
「全軍後退!」
伝令が走る。
「撤退! 西の森まで撤退せよ!」
王国軍の陣地は一瞬で崩れた。
兵士たちは統制を失い、森へ逃げ込む。
イリスは竜の背からそれを見下ろしていた。
「追撃せよ!」
竜騎兵がさらに北進する。
王国軍は森へと押し込まれていく。
西の大森林南端。
竜は上空を旋回している。
そこが新しい防衛線となった。
イリスが声をあげる。
「戦線を押し上げる」
竜が森へ向かって飛び始めた。
その様子を少し離れた丘から見ている男がいた。
カリウスだった。
副官が言う。
「竜騎兵が戦場を制圧しました」
カリウスは森を見ていた。
その奥。
額から汗が流れ落ちる。
そして呟く。
「あの森は……まずい」
副官が首を傾げる。
「何がです?」
空では竜が森へ向かっていた。
カリウスは静かに言った。
「言ったはずだ…」
「深追いはするなと」
だが、もう遅かった。
竜騎兵隊は、西の大森林の上空へ入ろうとしていた。
その森の奥で――
1000年前を知る存在が、
静かに目を覚まそうとしていた。




