第30話 ついに戦争は始まった
アルディオン王国 王都。
王城の大広間には、重い沈黙が満ちていた。
玉座の前に立つ王国軍総司令官バルドランが、低い声で言う。
「陛下。南方補給隊との衝突は、もはや偶発では済みません」
広間の壁には王国の紋章旗が並び、廷臣や将軍たちが整列している。
「帝国側はすでに軍を動かしています。今この時も、大森林南端では兵力が集結しているとの報告があります」
バルドランは一歩前へ出た。
「このままでは、南方の森はすべて帝国に奪われるでしょう」
沈黙。
国王はしばらく目を閉じていた。
やがて静かに言う。
「……避けられぬのか」
誰も答えない。
代わりにバルドランが跪いた。
「陛下。王国の民と土地を守るため、帝国への宣戦を進言いたします」
その言葉は、広間の空気を決定的に変えた。
数秒の沈黙の後――
国王はゆっくりと頷いた。
「よかろう」
その声は静かだったが、確かな重みを持っていた。
「王国はザルカーン帝国に宣戦を布告する」
廷臣たちがざわめく。
「ただちに南方軍を進めよ」
国王は続けた。
「アル・ザハル砦を包囲し、帝国の北進を止めるのだ」
バルドランが深く頭を下げる。
「御意」
王国の戦争は、こうして始まった。
――西の大森林南端。
夜明け前の空は鈍い灰色だった。
丘陵の上に築かれた石造りの砦――アル・ザハル砦。
その周囲を取り囲むように、王国軍の陣が広がっている。
王国軍の旗が朝風に揺れていた。
やがて、号令が響く。
「魔導砲、第一列。装填!」
魔法工兵隊が魔石の炉に手をかざす。
砲身に刻まれた魔法陣が赤く輝く。
「撃て!」
轟音。
炎の砲弾が空を裂き、砦の外壁へ叩きつけられる。
爆炎。
石壁が崩れ、煙が立ち上る。
砦の上から怒号が飛ぶ。
「防壁を張れ!」
帝国兵が魔法陣を展開する。
半透明の防御壁が砦を包む。
しかし王国軍の砲撃は止まらない。
次々と火球が降り注ぐ。
丘の下では王国歩兵隊が前進していた。
盾を掲げ、ゆっくりと城門へ近づいていく。
「前進!」
指揮官の声。
砲撃の間隙を縫い、兵たちは距離を詰める。
その時――
砦の城門が開いた。
砂が渦を巻き、巨大な人型を形作る。
三体の巨体が砦の前へ歩み出た。
「ゴーレムだ!」
王国兵の列がざわめく。
ゴーレムの拳が振り下ろされ、地面が砕けた。
前列の兵が吹き飛ぶ。
しかし次の瞬間。
丘の上から別の号令。
「魔導砲、第二列。撃て!」
再び轟音。
火炎弾が直撃する。
ゴーレムの胸部が爆発し、砂が四方へ散った。
――その頃。
ザルカーン帝国、帝都。
皇宮の議事堂には、帝国貴族たちが集まっていた。
「アル・ザハル砦が包囲された!」
報告の声が響く。
ざわめき。
「王国が宣戦しただと?」
「愚かな人間どもめ!」
怒号が飛び交う。
やがて、玉座の前に立つ男が口を開いた。
ザルカーン帝国皇帝。
静かな声だった。
「戦況は」
報告官が答える。
「王国軍三個軍団。魔法工兵隊も確認されています」
貴族たちが騒ぐ。
「ならば竜を出すべきだ!」
「竜騎兵を送れば砦など一日で解放できる!」
その時。
低い声が響いた。
「それは愚策です」
発言したのは一人の男。
黒い外套を纏った帝国の知将。
カリウス・ノクス。
議場が静まる。
カリウスは続けた。
「竜は最後の兵器です」
「王国との戦争が本格化する前に切る札ではない」
しかしすぐに別の声が上がった。
「臆病風か、カリウス」
年老いた貴族が吐き捨てる。
カリウスは冷静に答えた。
「砦は持ちます」
「魔獣大隊がすでに出発している」
「数日で到着するでしょう」
議場は再びざわめく。
しかし貴族たちの不満は消えない。
その時だった。
静かな声が議場に響いた。
「竜を出すべきでしょう」
全員の視線が一斉に向く。
玉座の横に立つ、一人の女性。
長い黒髪を背に流し、黒い軍装を纏っている。
帝国皇族。
イリス・ザルメディア。
彼女は現皇帝の腹違いの妹である。
幼い頃から竜の使役に卓越した才能を持ち、まだ若き日に竜騎兵団を率いて各地の魔族勢力を制圧した。
当時、魔族の世界は群雄割拠だった。
魔獣使役の部族、魔砂都市、地下水国家。
それらを武力によって統一し、現在のザルカーン帝国を築いた立役者――それがイリスだった。
だが、彼女は皇帝にはならなかった。
歴代皇帝は「黒竜を従える者」である。
しかしイリスは、どれほど強大な竜であろうと使役できたにもかかわらず、ただ一体――黒竜だけは従わせることができなかった。
さらに彼女は女だった。
そのため皇帝の座は兄へ渡り、イリスは軍へ身を置くことになった。
現在、彼女は帝国竜騎兵隊の頂点に立つ。
そして実質的には――帝国軍の総司令官だった。
イリスはゆっくりと議場を見渡した。
「アル・ザハル砦は帝国北方の盾」
「これを失えば北は崩れます」
貴族たちが頷く。
イリスは続けた。
「竜騎兵が出れば、この戦いはすぐ終わる」
その声には確信があった。
カリウスが静かに言う。
「早計です、殿下」
イリスは彼を見た。
冷たい瞳。
「早計ではない」
「戦争とは速度です」
そして玉座の皇帝へ視線を向けた。
「兄上」
「竜を出すべきです」
議場は静まり返る。
皇帝はしばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開く。
「……まだだ」
短い言葉だった。
しかし、それは明確な拒否だった。
議場がざわめく。
イリスは何も言わない。
ただ静かに皇帝を見つめた。
その瞳の奥で、何かが揺れていた。
西の大森林南端。
アル・ザハル砦。
王国軍の魔導砲が再び火を噴いた。
砦の防壁が揺らぐ。
城門へ向かう歩兵隊が距離を詰める。
戦争は、すでに始まっていた。
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