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山に囲まれた田舎で手に入れたのは溺愛夫と素敵な家族でした  作者: 竹中八重


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03. アレックス出逢った運命と様変わりした生き方

 その日、俺は女神に出逢った。


「選びなさい。このまま変わらず堕落な生活を続けて朽ちていくか、めちゃくちゃしんどいけど健康的な未来を取り戻すか」


 シャンシャンティーという名の俺だけの女神。

 ティーの言葉は信じられた。いいことも悪いことも、すべて言葉と態度で示してくれた。

 耳障りのいい言葉で誤魔化すことは一度もなかった。

 わからない知らないことはきちんとそう言った上でだから一緒に調べようと言ってくれた。

 絶対に見離さない。


「大丈夫。変わりたいと思っているなら変われる。その一歩を踏み出した自分を褒めてあげて」


 俺を思っての言葉と確信できたから、信じることができた。





 アレクサンダー・イザート。イザート公爵家の長男にして後継。

 歴史を紐解けば王家に嫁入りしたり、はたまた婿をもらったりと国と切っても切れない位置にある貴族の一つだ。当然のことながら政の中枢にも食い込み、国の担い手も務めているため感覚的にではあるが序列は高い。有事の際に第一報がもたらされる家の一つと言えるだろう。

 そんな家の一人息子が私だった。

 両親が結婚してほどなく誕生した男児。そのため生まれたときは王子が生まれたものと変わらないほどお祭り騒ぎだったと聞く。まだ20歳にもなっていなかった母の安堵は大きかったことだろう。貴族夫人としての重大任務の一つを早々に達成できたと。

 まさか、その息子がとんでもないぽんこつだったなんて想像もしなかったにちがいない。


 結論から言うと私はとんでもない癇癪持ちのブタになった。

 …この言い方はブタに失礼だな。ブタはよく見るとかわいい生き物だ。ちゃんと世話をすれば応えてくれるし懐きもする。大切に大切に育てられたというのに誰の言うことも聞かない我儘を振り回す小さな化け物になってしまえば周囲が失望するのも仕方ない。

 難しいことはわからずとも失望や悪意は感じ取ることができる。昇華できない感情がますます激しい癇癪となり親はもちろん教育係や使用人さえも私に近寄らなくなった。そのことが気に入らずますます怒声を上げる、と悪循環に陥る。

 寂しさと苦しさと悔しさ…、その他さまざまな感情を持て余すしかなかった。

 常に己を蝕んでくるそれらを忘れるため私はひたすらに食べた。出てくるものを一緒に飲み込むつもりで、時々吐きながらもずっと食べた。食べ物の味なんてほとんどわかっていなかったけれど甘いものや味の濃いものによく手が伸びたからか徐々にそれらだけが並ぶようになる。後で知ったがその頃には舌がおかしくなっていて薄味のものでは味がしなくなっていたらしい。無味のものを食べてもむなしいだけだから無意識に味の濃いものを選んでいたのだろうと。

 悪循環はどこまでも続いていた。

 人間じゃなくなるのにそれほど時間はかからなかった。

 よくぞまあここまで膨らむことができるものだと逆に感心すらするほどに。


 5歳の頃だっただろうか。貴族としての責務だからと婚約が決まった。同格の家の娘だったと思われる。だが、顔合わせ直後に破談になった。

 良くも悪くも子どもは素直で残酷だ。美しいものに囲まれて大切に育てられた令嬢は私という異形を受け入れられなかった。

 めげずに両親は次の縁談を進めたが結果は同じ。

 叫び声をあげる者、泣き喚く者、嫌悪をそのままぶつけてくる者。卒倒する者が出てからは社交界でも私の話は知れ渡り、顔合わせにすら持ち込むことが難しくなった。

 陰だけでなく正面からも嘲笑を浴びていたのだろう。この頃の両親の仲も非常に悪かった。公爵夫婦という堅苦しい立場でなかったら別れていたに違いない。

 そんな状況にも関わらず、私の――というか次期公爵の相手探しは続けられていた。一人息子なのだ。養子を取るにしても相応しい者がいない。血を血で洗う争奪戦が繰り広げられることが予想され、そんな事態になるくらいならと私は後継の座に居続けることになる。

 もちろん難航した。

 どんどんと相手の身分を下げていっているにも関わらず、我こそはという者すら出てこない。野心家の身内を持っていたらもしかしたらという考えも打ち砕かれた。この頃には根も葉もない悪意に満ちた噂が広がっていた。真偽を見極められない身分の低い者たちは危ない橋を渡るよりはとはじめから断りを入れるようになったようだ。

 貴族社会とはなんと面倒なことなのだろう。いっそのこと消えてしまえばすべてが解決するのではと思ったが、それを実行できるはずもなく。

 国中の貴族に断られること数年。

 ついにとある子爵家にたどり着く。ひっそりと、しかし堅実に生きるチョムリー子爵家。


 私は7歳になっていた。

 常に不機嫌で扱いづらい子どもであることは変わっていない。何がきっかけで爆発するのかがわからないのでやはり周囲から遠巻きにされていた。呼ばない限り使用人すら近寄ることはない。

 独りだった。

 チョムリー子爵の長男夫婦の次女が同じ年で今回の見合い相手だとだけ聞かされ、いつも通り準備して向かった。公爵家が子爵家に向かうこの屈辱。


「お、お会いできたことこうえいにございます。ティティリアナです。リナとお呼びください」


 精一杯身なりを整えたと分かる女児――リナの様子に少しだけ驚いた。あまた目にしてきた同じ爵位の子どもたちに比べはるかに仕上がった仕草だったからだ。

 私を見て明らかに顔を歪ませたが、それをこちらにぶつけてくることはなかった。

 後に知ったことだがこのときの表情は決して私の美醜に対して嫌悪感を募らせたわけではなく面倒事を持ってきやがってという苛立ちと、好きな人がいるのにという不満からくるものだったらしい。

 そうだよな。

 相手にだって抱えるものはあるというのにこのときの私はただただ己の不幸しか目に入っていなかった。申し訳ないと心から思う。

 ただ両親にとってはリナのその態度だけで十分だったのだろう。これまでがあまりにもひどかったから余計に。嬉々として話を進めていった。相手は子爵家。身分を思えば断れる話ではない。当事者である私の意見も求められていない。

 ぜえぜえ言いながら息苦しいこの世界を生きていくしかないんだ。


 ―――いやだ


 そう考えたらふと心が訴えてきた。


 ―――そんな、そんなの…。それくらいならいっそ


 静かに、だが確実にその心を蝕まれていた。

 味方がいない中、たった独りで立つには幼過ぎたし、世界は広過ぎた。突

 発的に何をしてもおかしくない状態だった。それこそナイフで首を切ることだって…。

 あと数秒遅かったら突発的にナイフを握りしめていたことだろう。

 だが、それより先に現れたんだ。

 『俺』は、女神に、出逢ったんだ。


「こんにちは、初めまして。わたしはシャンシャンティー。ティーと呼ばれるわ」


 いくつも年の離れた少女が目の前にいた。膝を床に着いて目線を合わせてくれている。

 作り物でないと子どもでもわかる笑顔を向けてくれていた。

 こんな風に笑顔を――顔を向けてもらえたのはいつ以来だろう。驚きに目を瞬かせながらも私はしっかりと、ティーを見た。


「…ティー?」

「ええ、ティー。祖母の母国に縁のある言葉なの。変わってるでしょう?」


 その通りだと思ったので頷く。するとティーは声を立てて笑った。


「ありがとう。でも気に入ってるの。無二の名前だもの。あなたの名前を教えてくれる?」

「…アレックス」

「アレックス。素敵ね。古の王様と一緒ね。悲しみも苦しみもつらさも、すべてすべて抱えてそれでも歩き続けた偉大なる統治者、だったかしら」


 歴史はダメなのよねとティーはやはり笑う。

 ここで反感が生まれた。


「ぜんぜん、いっしょじゃない」


 なぜ、そんなことを口にしたのか。

 だが私は知っていた。歴史に名を残す同じ名前の王のことを。

 公爵家という身分の高さから諸々の教育はすでに始まっていた。私がいかに醜かろうが勉強には関係ないらしい。ただ、この頃にはその時間のほとんどは癇癪で終わっていたが。

 だから心ないおべっかや皮肉からの発言なのだと思った。

 ティーはまっすぐに『俺』を見ている。


「どうして?」


「王はたくさんの人と一緒にいた。私はそうじゃない」

「なるほど。わたしが思うにそれは王様が頑張ったからだと思わない? そばにいてほしいと頼んだからだと」

「…たのむ?」

「ええ、そう」


 ティーはわずかに笑みを浮かべた真剣な眼差しで私の目を見つめ続ける。


「このままでいいと思ってる? それともなんとかしたい?」


 意味がわからなかった。

 けれど、その視線が外れることはない。そのココア色の瞳には迷子がひとり映っていて、今にも泣きだしそうだ。


「選びなさい」


 そして俺は、その手を取った。

 人生で初めて自分のために何かを選択した瞬間だった。





 その日からすべてが変わった。

 比喩でなく全部。住む場所も暮らす人も全部ぜんぶ…。

 両家の間でどういった話し合いがなされたのか俺は知らない。そもそも話し合いがあったことすら長い間知らなかった。


「アレク兄――!! 見て見て、これ! 花丸もらったー!」

「アレク兄アレク兄! ちょうちょ! たぬき! こっち!」


 待って待って。俺は一人しかいないんだ。同時に言われても動けない。てかたぬきって何?


 チョムリー家は子だくさんで俺より年下の子どもが3人もいた。

 突然家族の輪に入ってきた俺を疑うことも邪険にすることもなくあっさりと受け入れてくれた。こんな俺を取り合うことすらする。兄さま兄さまと常に誰かが引っ付いていてくれた。


「あたしよりできるからっていい気にならないでよ! 絶対追いついてやるんだから! で、ちょっとここ教えてほしいんだけど」

「こんないい教育受けれるとか、アレックス来てくれて感謝しかない。この問題なんだけどさ」

「むっきーー! なんで同じ間違いするかな、あたし! ありがと、アレックス」


 元々の婚約者候補だったリナとそのすぐ上の兄であるレオンは何これと構ってくれた。弟が一人増えたという感覚らしい。レオンはともかくリナは同じ年だというのに。

 …いや、よく考えたら俺をダシにしていちゃこらやってただけだな、こいつらは。この頃からすでに互いを想うい合う関係だった。


 公爵家の嫡男でありながら俺はそのままチョムリー家で過ごすことになった。

 複雑なしがらみから逃れない王都やどうしても貴族として、次期当主として求められる領地よりはのどかでゆったりとした時間が流れるこちらにいた方が少なくとも精神面は改善される。心の健康が確保されれば身体の健康も取り戻すことができる。本当に子どものことを大切に、愛しているのなら手放せ。今、大人たちのしていることは虐待だ。虐待がわからない? 殺人未遂ってこと。その気はなくとも子どもを殺そうとしているんだよ、あなたたちは。

 言葉は選んでいたと聞くが、そういった内容をたたきつけたらしい、ティーが。14歳の少女が雲の上の存在とも言える公爵夫妻に。

 思うことはたくさんあったに違いない。だが両親は小娘の戯言と切り捨てず受け入れた。受け入れざるをえなかったのだろう。すでに手は尽くしていたから。大切な我が子だからと許容するにはすでに疲れきっていた。両親だけが王都へと戻っていったのはこの地を訪れてから10日後だ。

 不思議と捨てられたとは思わなかった。年に一度は会っていたからかもしれない。その手配をしたのもティーだったという。

 離れたことで見えてくるものがある。




 ティーは優しかった。だが甘くはなかった。



「ぐっすり寝てしっかり食べていっぱい遊ぶ。はい、それだけ!」


 ティーの弟妹たちと一緒にひたすら駆け回らされた。

 犬猫はじめ羊、山羊、牛など家畜とも一緒に山を駆け回った。当然ながら最初は十歩も進めなかった。ここで呆れたり笑ったりしないのがティーの弟妹たちだ。もう無理だと弱音を吐いたら「よし、じゃあ転がろう!」と地面を転がり出した。目が点になった。なぜそうなる。家畜が放牧されている山だぞ。いろいろと問題しかないだろう。そもそも末端とはいえ貴族に名を連ねる者たちが地面を転がるとかする?! 驚いている間に俺は転がされた。特に下りはよく転がると好評だった。嬉しくない。

 泥まみれ草まみれ、時には頭すら真っ黒にして駆け回った。

 最初は驚くこともやがては普通のことと認識が変わっていく。…慣れって怖い。

 寝るときは大きめの部屋に子どもたちが放り込まれて皆で横になった。朝になったら位置が変わっているなんておかしなことではない。知らない痣ができていたときは夜中に喧嘩でもしたんだろで完結する――寝相が悪いと言いたいらしい。

 常に誰かが傍にいる。息遣いが聞こえるほど近くに。手を伸ばしたら握り返してくれる小さな温もりだ。

 疲れ切って熟睡していることもあるだろうが、気づけば常日頃感じていた息苦しさや言い表せない不安、漠然としたイライラはなくなっていた。




「バカでも生きていけるけどできることは限られる。他人と世間と将来にバカにされたくなければ学ぶべし!」


 ティーの言うことを疑うわけがない俺は学んだ。これまた皆で学んだ。

 俺がいるのでこの国屈指、最上級の講師陣が公爵家から派遣されるため環境は整っていた。このことに関しては特にレオンから頻繁に感謝された。力になりうるものはなんでも手に入れておきたいからと。もうすでに将来を決めていたからこそなんだろう。知識は武器だ。

 それに感化されたわけではないが学ぶことに意義を見出した俺は勉強に対する姿勢が変わった。真面目に積極的に、わからないことを認め素直に教えを請うと講師陣はびっくりするくらい親切かつ熱心に教えてくれた。癇癪を起こしていた頃はただただ嫌な顔をされるだけだったというのに。他人は自分を映す鏡とはこういうことか。

 ちなみにこの講師陣を最も歓迎したのはティーだ。俺たちとは別に、けれど誰よりも熱心にかつ大量に学んでいたようでどの講師も笑顔で太鼓判を押したと聞く。まさかその知で学園入学免除をつかみ取るとは思わなかった。平民が叙爵されるくらいに難しいことなんだが。ティーが本当にすごい。




「ティーはなんで俺を助けてくれたんだ」


 ある日ふとティーに聞いた。単純に不思議だったから。

 冬場に差し掛かる季節だったが山の冬の訪れは早い。暖を取るのも兼ねておやつにやきいもを作ろうと火を囲んでいるときだった。もちろん他の弟妹も一緒だ。なんだったらスカイは俺に後ろから抱き着いていた。

 こういう場でする話ではないかもしれないが誰もバカにしたり嘲笑したりしないとわかっていたから素直に言葉がこぼれた。


「目の前にいたから」


 はっきりと返ってきた言葉に目を瞬く。


「このままだと不幸になることがわかっている運命を見なかったことにする非道にはなれなかったのよねぇ」


 うまくいってるから感謝されているけど逆にもっと悪くなっていたら非難されるだけじゃ済まない事態になっていた。それをわかった上で了承してくれた家族には感謝するしかない。本当に偶々すべてがうまく転がっただけで、首を括らずに済んでよかったと。あからさまにほっとして語る。

 けれど。


「ティーは負ける賭けはしないだろー」

「未来予想図、物理で実現できるもんね」

「だよな。俺もそう思う」


 親友兼悪友になるティーのすぐ下の弟妹、レオンとリナと一緒に事あるごとに頷き合うことになる。

 ティーの手の上で踊らされているのかもしれないが全く嫌な気がしなかった。俺自身を見てくれてるから。

 驚きが信頼に、慕情が恋情に変わるのは当然の帰結だった。





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