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第6話「屋台通り計画——ダンジョン前は市場になる」

 朝礼の前に、俺は広場の土に白い粉で線を引いた。一本は入口からまっすぐ、一本は屋台の列の前を弧状に、もう一本は井戸へ。線の名は矢印の“根”。

 ミナが板を抱えて小走りで来る。「今日は市場の試運転ですね」

「待ち時間を浪費から投資に換える。市場は導線。導線は安全。安全は経済の基礎体温だ」


 掲示板に新しい紙を貼る。《屋台通り 基本規則 v0.8》。


・火器は風下のみ/蓋必須/炭は吊り台。

・足元広げ禁止(椅子は線の外)。

・ゴミは“矢印袋”へ(袋は無料、矢印柄)。

・声出しは二文まで(三文めから歌)。

・両替・賭博不可/似笛販売不可/光苔関係の土産は紙札のみ。

・一時預かり台で荷物を軽くしてから入洞。


 レンが「二文までってなんで?」と首を傾げる。

「短い言葉は流れる。長い言葉は滞る。滞りは詰まり、詰まりは事故」

「三文目から歌っていいの?」

「歌は流れるからな」


 一時預かり台は、古い荷車を改造した。上段は鍵付きの小箱、下段は紐で括るだけの軽い棚。重さ札を付け、戻す時に**“軽くなったかどうか”をわかるようにする。

 ミナが鍵を数え、レンが札に数字を書き込む。

「預けた荷が軽くなること、ある?」

「帰りに悩みが軽くなることがある。数字に出来ない荷だから、札でふわっと**測る」


 屋台は八軒。焼き穀、薄スープ、乾果、薬草茶、揚げ餅、笛紐、手拭い、矢印屋。

 矢印屋は旅芸人上がりの老夫婦で、布や紙に退避矢印を刷る。子どもは小さな布巾、大人は手拭い、鍛冶屋には床用の大判。

 老女が刷毛を持ち上げて笑う。「管理人さん、白→黄→赤の順で染めるのは難しいね」

「順番が手に入れば、目のない場面で役に立つ」

「目のない場面?」

「湯気とか、涙とか、夜とか」


 十時、通りが動き出す。

 焼き穀の匂いに人が寄り、井戸で水を汲む人が左右に広がり、楽隊の二人が退避線の外で短い曲。

 声出し二文は効く。「熱いよ、蓋あるよ」「笛紐、首にやさしい」。三文目から歌に変わるのが可笑しく、空気が軽い。

 俺は見張り台で時計と板を交互に見る。今日のKPIは平均待ち時間10分以下/講習参加率80%/屋台事故ゼロ/一時預かり利用率60%。


 最初の誤差は、揚げ餅屋から来た。

 油の温度が足りない。返しが遅れて列が滞る。

 俺は屋台の親父に温度札を渡す。

「矢印が薄くなる音がしたら、温度を上げて。——この札、青い側が『上げる』、白い側が『維持』だ。風向きで油の機嫌が変わる」

「機嫌、ねぇ。油は女房よりむずかしいぜ」

「女房は話せる。油は泡で話す」

 親父は笑って火を足し、列は三分で解けた。遅延ログには薄い赤線が一本残ったが、すぐ白に戻る。


 昼前、似笛がまた現れた。

 今度は首飾りに見せている。穴は正規位置よりひと穴多い。吹くと尾を引く音が出て、救護二本と紛れる。

 ミナが無音化箱を抱えて現場に入る。

「回収・補正・刻印。返金は屋台割に換算。——方言は禁止です」

 売り子の青年は悔しそうに顔を伏せるが、刻印済みを誇らしげに並べ直した。反骨は共闘に変わる。


 一時預かり台は想定以上に回った。

 旅商の女が大袋を二つ置いて、黄の札を受け取る。「黄は?」

「他人の手が要る重さ。帰りは白になるといい」

 女は笑って首を振った。「商売は白にならないのよ」

「なら、心の白を一本、持って帰ってください」

 女は黄札を手拭いの内側に仕舞い、顔を上げた。目が少し軽い。


 午後、安全演目を始める。

 楽隊のバス鼓の前に、レンが立つ。背には退避矢印の大判。

「二歩、二歩、三呼吸!」

 子どもたちがまねして二歩下がる。鼓がドン――トン――と鳴る。

 その横で俺は倒れ方を教える。肘を内に、顎を引く。

「倒れ方なんて、覚えるもん?」と父親。

「倒れ方を覚えておけば、起き上がり方も早い」

 演目は三分で終わる。長いと退く。短いと覚える。拍は手順のメトロノームだ。


 屋台通りの空気が整い始めたころ、風向きが変わった。対岸から、大声が橋を渡ってくる。

「スリルが薄いぞー!」「子どもだまし!」

 Bダンジョンの常連か、あるいはその手の商売人。

 広場の隅で古参のハンマー男が肩を回す。「追い払うか?」

「追わない。流す」

 俺は楽隊に指を立て、短い旋律を合図する。

 鼓が三回、笛が二回。演目が始まる。

「二歩、二歩、三呼吸!」

 通りの人の視線が一斉に演目へ移り、声の発信源が孤立した。

 孤立は攻撃の反対側だ。見せ場が移れば、見世物は腐る。

 男たちは毒づきを残して去った。風だけが残り、布の端を揺らした。


 午後二時、初の火器トラブル。

 薬草茶の壺が噴いた。

 風下の吊り台、蓋は閉まっているが、蒸気が布に触れて濡れ火になる。

 俺はA→B→C(冷やす→固定→知らせる)ではなく、F→Sの手順に切り替える。


F(Fire):布蓋を外して蒸気を逃がす/水はかけない(油ではないが温度差で割れる)

S(Space):退避線を二歩広げる/黄コーンを置く

 ミナが笛一本、レンが水桶ではなく砂を持つ。

 湯気が収まり、壺は割れず、誰も火傷しない。火器手順0.4が初めて現場で固まった。

 薬草茶屋の婆さんがしゅんとして言う。「迷惑かけたねぇ」

「迷惑の手順が出来ました。次は迷惑を減らす手順です」

 婆さんは笑って「次は湯気が歌うように穴を開けておくよ」と言った。


 夕方、雨。

 砂の上に針の音が立ち、矢印の白が半分隠れる。

 俺は矢印屋に駆け込む。「油紙の矢印、いけます?」

「いけるけど滑るよ」

「滑るなら置かない。上に旗を」

 矢印屋は旗矢印を三十本、竹に括って立てた。白旗は進行、黄旗は退避、赤旗は通行止め。

 雨の中、旗は歌う。道は上にも描ける。

 平均待ち時間は九→十一分に伸びたが、夜回の中止は回避した。


 雨脚が弱まる頃、影が傘も差さずに現れた。

「管理人、橋の向こう、賭けが始まった。『何分で走破』だ」

「雨で滑るのに?」

「滑るから賭けが盛り上がる」

「滑るから、人が減る」

 影は口元だけで笑う。「お前の歌、貸せ」

「貸す。——拍は同じだ」

 影は楽隊から鈴を借り、屋台通りの端で短く振った。ちりり。

 誰も走らない。誰も転ばない。

 鈴は挑発にも終止符にもなる。使い方が手順の反対側にあるだけだ。


 夜。

 屋台通りは灯を落とし、旗矢印だけが残る。

 光苔ルートの前に、俺は短く歌った。「二歩、二歩、三呼吸」。

 雨で濡れた石が青を深くする。

 少年が手拭いの矢印で口元を拭き、夫婦が黄旗の前で自然に二歩退いた。

 古参のハンマー男が星四つの紙を持って立っている。

「今日は四だ。雨でも退屈しなかった。ただ、揚げ餅はもう一息だ」

「温度札を緑に増やす」

「緑?」

「『上出来』の合図。うまい時にうまいと示す札が要る」


 終礼。数字を並べる。

 屋台事故ゼロ(火器噴き→手順化・負傷ゼロ)/一時預かり利用率 63%/講習参加率 83%/平均待ち時間 11分(雨で+2)/レビュー平均 4.81。

 手順書は0.95に。『火器F→S』『雨天旗矢印』『温度札(青/白/緑)』を追加。

 ミナが掲示板の端に小さく書き込む。「市場は導線。導線は安全。安全は経済」

 レンは今日の合言葉を**「旗は歌う」にした。講習で言えた客には矢印札**を一枚。


 見張り台で、笛を一本。

 雨上がりの音はよく通る。

 音が通る場所には、明日の商いが通る。


本日のKPI(結果)


事故ゼロ(連続6日)


平均待ち時間 11分(雨天+2分/目標≤15分)


三分講習参加率 83%


一時預かり利用率 63%(目標60%達成)


屋台関連インシデント 1件(薬草茶噴き)→負傷ゼロ/手順化


偽装笛 7本回収→正規化7本


レビュー平均 4.81


手順書 0.95(火器F→S/雨天旗矢印/温度札)


次回予告


第7話「事故ゼロ週間の終わり方」

——終わりの儀式は、次の始まりの手順。定期点検の見える化、スタッフ交代の“歌”、そしてやって来る最初の**“ゼロでない日”**に、どう立つか。

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