第3話「初心者講習と“逃げる導線”」
朝礼は三分で終わらせると決めた。長い説明は、人の耳から順番にこぼれていく。
小屋の前に新しいボードを立てる。
三分講習:覚えるのは三つだけ
① 笛——危険を見たら一回、助けが要れば二回。
② 足——地図より矢印。白→黄→赤の順に退く。
③ 手——“止める・知らせる・待つ”。倒しに行かない。
ミナが砂時計をひっくり返す。落ち切るまで一回ぶん。
「詩、要ります?」とミナ。
「詩は夜の回まで取っておく。昼は手順が韻だ」
三分講習は回転する。二十人を四つの小グループに分け、同じ内容を、立ち位置だけ変えて三回言う。見る場所を変えると、同じ言葉が違うふうに頭に入る。レンは笛の係、ミナは矢印の係、俺は“手”の係。
砂が尽きるころ、最後に全員で矢印に沿って三歩だけ下がる。本当に退けることが、いちばん大事だ。
講習の後、レンが得意げに胸を張る。
「三歩、みんな出来ました」
「三歩が出来れば、三十歩は走れる」
「じゃあ百歩は?」
「百歩は町まで戻る時にやる」
広場には、もう夜の回の札が出ている。《光苔ルート:定員十、所要二十五分》。
迷洞グレインの第二層、湿り壁に光苔が生える。昼はただの暗い壁だが、夜は薄い青に浮く。導線を塗り直し、白い矢印を蓄光にした。風抜き穴の周りには低い柵と灯。
夜は危険が増す。だが、危険を削った後に残るものは価値だ。価値は町を回す。
ミナがすこし心配そうに札を見上げる。「今夜、いけますかね」
「基準を一つ増やした。子どもは不可、笛は首から、二列は作らない。——歌は、俺が歌う」
「歌?」
「“詩”を夜に回すって言っただろ」
午前、通路の退避導線を整える。角に低い反射板、段差に夜光縄、監視穴のそばに合図灯。
レンが夜光縄を指で弾いて面白がる。
「ひかってる。すげぇ」
「触るな、つまずく」
「すみません」
「謝るな。触ってつまずいたって記録が残れば、次は触らない導線が足される。運営は失敗の再発明だ」
昼前、救護棚に手順書を置いた。《救護手順0.9》。
表紙の下に、三つの図。
A:冷やす
B:固定
C:知らせる
裏には搬送タグ。緑/黄/赤。緑は自力歩行可、黄は手を借りる、赤は担架。タグの角は破って戻せるようにしてある。現場で**“今”の情報だけを持ち帰るためだ。
ミナがページをぱらぱらめくる。「0.9なんですね」
「明日には0.91**になる。完璧は事故だ」
午後、三分講習の効き目が出た。
第二層入口で子どもが泣いた。腰の高さの影から、湿り蜘蛛がするりと出たらしい。泣き声は一回、笛は二回。矢印に沿って白へ下がる。父親が抱き上げ、母親が黄へ誘導。レンが前に立ち、俺が蜘蛛の前を塞ぐ。
蜘蛛は人影に怯んで戻る。
全員、三歩でいいからできた。目の端に、講習で見た矢印が残っていたから。
母親が泣き笑いで頭を下げる。「笛って、助けてって言葉なんですね」
「そう呼ぶことにした。言葉は決めだ。決めれば、届く」
その直後、最初の赤タグ。
第三層の手前で、年配の商人が脚をつった。同行者が黄で手を借りる判断をしかけたところで、商人本人が無理に歩き出して転倒。
俺はC→A→Bの順で入る。ミナが知らせる(通路を人で塞ぎ、合図灯を黄)、俺は冷やす(湿り布)、レンが固定(簡易包帯)。
人は痛みの前で、強がる。手順は強がりより強い。
搬送タグは黄。少し悔しそうな顔をした商人が、帰り際、タグを外して三角を破った。
「明日には緑で来ます」
「明日は夜だ。夜は黄のままでいい」
日が落ちる。光苔ルートの時間だ。
十人の隊列。俺は先頭、ミナがしんがり、レンは小屋で救護待機。広場の灯が遠ざかると、通路の壁が薄青に浮いた。
青いのは苔だけじゃない。矢印も、退避導線の点も、みな薄く光る。
俺は歩幅を小さくして、みんなの呼吸を揃える。
「三歩、練習したな。夜は二歩でいい。二歩で止まれば、後ろが助かる」
光は静かだ。
先頭の少年(昼に来て夜も申し込んだ)が、ぽつりと呟く。「こわくない」
「怖さは、知らないことの鏡像だ。知れば、半分になる」
光苔の前で立ち止まり、息を止めて、笛を一本。みんなの顔が少し笑う。
戻り道、通路の角で影が動いた。
静か、速い、単独。昼間の旅人とは違う、もっと薄い足音。
ミナが肩で合図する。逆走。
俺は合図灯を黄へ。しんがりのミナが隊を白へ戻す。
影は止まらない。細い体、黒い布、靴底に布巻き。無音周回の手だ。
俺は通路の緩い膨らみに入って、影との間に空気をつくる。正面から止めない。横で減速をかける。
「赤は退避。あなたは別導線だ」
影は返事をしない。
代わりに、足が答えた。布巻きの靴が、夜光縄の上を踏む。粘りのある反発で、わずかにバランスが崩れる。
俺は声を低く、一定に。
「夜の回は観覧枠。周回は明日、朝礼で申請。——手順を守れ」
影は壁際に滑り、手を挙げた。二本。降参の合図。
近づくと、若い。顔は布で隠しているが、目が揺れていない。
「……管理人、歌は」
「夜は俺が歌う」
「歌うなら、客を殺さないな」
「歌は呼吸だ。呼吸を殺したら、歌えない」
影は静かに退いた。通路の向こうで、気配が消える。
しんがりのミナが近寄ってくる。「闇ギルド?」
「名乗り方が丁寧すぎる。腕試しだ。明日、規約を上げる」
広場に戻ると、楽隊が静かに一曲だけ奏でた。終業の合図だ。
夜のレビューは短文が多い。
★★★★★ 光苔がきれい。退避矢印が安心。
★★★★☆ 夜でも怖くない。歌がいい。
★★★★★ 子ども不可、正解。
★★★☆☆ もっと長く見たい(規約だから仕方ない)
俺は板に白墨を走らせる。今日のKPI。事故ゼロ、講習参加率82%、夜回の遅延ゼロ、レビュー平均4.79。
レンが救護棚の手順書に、小さな字で0.91と書き足した。
「どこが変わった?」
「“冷やす”の前に“見る”を太字に。痛いって言う人ほど、見せないから」
「良い変更だ」
片づけのあと、ミナが空を仰ぐ。
「カイさん、三分の講習、覚えますね。詩みたいに」
「手順が詩になるなら、俺は何度でも短くする」
笛を一本。終わりを知らせる音。
終わり方が美しいと、次の始まりが楽になる。
本日のKPI(結果)
事故ゼロ(連続3日)
三分講習参加率 82%(目標:75%)
平均待ち時間 10分(目標:≤15分)
夜回(光苔ルート)遅延ゼロ/隊列維持100%
レビュー平均 4.79(目標:4.6↑)
救護手順書 0.91 に更新
次回予告
第4話「闇ギルドの“無音周回”と規約更新」
——“音を消す”相手に、音で守る運営を。行動記録の公開、夜回の定量枠、周回申請の別導線。規約は武器になるか、それとも火種か。