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第10話「“外部審査の日”——基準は誰の歌か」

 朝礼の板に、白い行が一本増えた。

 《外部審査 v0.9》——指摘の順番/反論の手順/基準の翻訳。

 巡検官ではない。今日は正式査察団だ。王都ギルド標準局から三名、対岸ダンジョン連合から一名が“オブザーバー”として付くと通達にある。

 オブザーバーの肩書きは、たいてい炎か氷を連れてくる。


 俺は最初に順番を置いた。


指摘の順番(相手用)

① 事実(現場で確認できる)

② 基準(条項・数値)

③ 乖離(差分の向き)

④ 危険(発生確率/影響度)

⑤ 提案(一次対応/二次対応)


反論の手順(こちら用)

a 合意(①②に乗る)

b 補足(現場ログの提示)

c 翻訳(歌→規格、現場語→条項語)

d 代替(同等以上の安全機能)

e 期限(即時/近日/次期)


 ミナが「翻訳って何を?」と指で示す。

「歌→規格だ。二歩、二歩、三呼吸を“最短退避距離=二歩/群集密度0.9未満/呼吸再整三拍”に置き換える。拍を数値にする」

 レンがうれしそうに頷く。「歌に字幕をつけるんだね」


 正午前、査察団が来た。

 標準局の女官、狭衣さごろも主任。端正で、語尾が切れる。

 書記役の青年、測距を背負った技官、そして対岸連合のオブザーバー、薄衣うすぎぬ。黒衣の笑顔、刃の内側に柔らかい布。


「査察開始」狭衣主任の声は短い鐘の音みたいだ。「本日の目的は実地基準適合性の確認。まず笛運用から」

 俺は公開整備窓に案内する。半本の弱音笛、二本の救護、一本の注意。

 主任の条文が滑る。「騒音規定 第18条——“音号の運用は段階的かつ一貫であること”。貴所の“歌”が一貫性を阻害している可能性」

 来た。

 俺は手順どおりに返す。

「a 合意:段階性・一貫性は守るべき。

 b 補足:昨日時刻19:37、光苔前で救護二本→退避成功。19:39、半本で注意喚起→退避速度が5%向上。

 c 翻訳:半本=-10dB/短音最大0.6秒。二本との差は音圧と持続で規定。段階性は数値で担保。

 d 代替:半本を**“0.5番音号”として規格番号化、刻印を丸で明確化。

 e 期限:本日終礼まで掲示更新」

 技官の青年が耳を赤くして頷く。「数値があると通る……」

 主任は短く「記録提出」と言い、板に「▲了承(当日処置)」**と赤鉛筆を入れた。


 次は旗台。

 主任が旗の根元に手を当て、角度を見て言う。「旗矢印 付帯規定 6-3——『陰影による誤認を招く塗装の禁止』。影矢印は誤認惹起の恐れ」

 薄衣が口角を上げる。「夜の客は影に怯えますからね」

 俺は短く息を吸い、反論の手順をそのままなぞる。

「a 合意:誤認を招く陰影は避けるべき。

 b 補足:昨17:10、雨上がりの二層膨らみ前、影矢印追加で転倒率0→0維持。導線視認率は+12%(点検ラリー聞き取り)。

 c 翻訳:影矢印は陰影描写ではなく**“二面表示”——床面矢印+視線高旗に対する補助視認子**。誤認抑止のため影色は#111(反射率8%)で固定、長さ=本矢印の0.7で“従属表示”。

d 代替:誤認防止札を追加(“影は補助”)。雨天時のみ有効にする可変札運用。

e 期限:三日以内に運用基準を掲示、試験運用→7日目評価」

 主任は少しだけ眉を上げ、「条件付存置」。薄衣は肩をすくめる。「影は残るか」

「残る。ただし影の長さは歌の長さより短くする」

「歌?」薄衣が笑う。

「二歩、二歩、三呼吸。影は二歩までだ」


 周回導線へ。

 薄衣がやっと本音を出す。「鈴タグは暗殺訓練に向かない。音は失敗」

 主任が条文で追撃する。「特例導線 第12条——異用途訓練には専用施設を推奨」

 俺は頷く。「a 合意:異用途訓練は別導線で。

 b 補足:訓練申請 直近3日で5件、交差ゼロ、観覧との干渉ゼロ。

 c 翻訳:鈴は可聴可視化子。群集予測モデルで接近予告0.8秒を確保(鈴音到達時差)。

 d 代替:鈴“可変”化——無音モードを青導線内のみ許可。無音※“青の中だけ歌を変える”。

 e 期限:一週間の試行→事故指標 0維持で恒久化」

 狭衣主任は「試行許可」と書き、薄衣は僅かに目を細めた。「青の中だけ歌を変える、か。影の弟分だな」

「影は歌の外側、青は歌の内側です」


 小屋へ戻る途中、屋台通りで薄い炎が立った。

 揚げ餅屋の油面に白い泡。温度は緑札だが、風が変わった。

 主任が即座に指を立てる。「火器手順!」

 俺はF→Sを半拍で切る。布蓋解放/空間拡張。ミナが笛一本、レンが砂。

 泡は二十秒で消え、壺は割れず、負傷ゼロ。

 技官が時計を見てつぶやく。「20秒/0負傷……基準値内」

 主任の赤鉛筆が**「◎即応」と走る。薄衣は肩を竦める。「歌は……速いな」

「手順が歌になると、速さに温度**が付く」


 救護棚。

 主任は手順書1.00を捲り、「“離す”の図が良い」。

 同時に眉を寄せる。「搬送タグの色定義が口頭」

「a 合意:色定義は掲示で固定すべき。

 b 補足:実運用では緑=自歩可/黄=介助/赤=担架。

 c 翻訳:ISO色域に合わせ緑#0A4/黄#FB0/赤#C12、角を破く行為は状態変化ログ。

 d 代替:ポケット版を作り、首から下げる。

 e 期限:本日中に暫定掲示→三日でポケット版配布」

「▲了承(当日処置)」鉛筆の音が心地よい。


 午後、公開ログの前で薄衣が足を止めた。

「なぜ比較図を出す。対岸が嫌がる」

「比較は喧嘩ではなく透明度です。公開=殴られるを公開=守られるに翻訳する見本が要る」

 狭衣主任が珍しく微笑む。「標準局の理念に近い」

 薄衣は肩を竦め、やや退いた姿勢で言う。「理念は飯になるか?」

「なる。レビュー平均4.8↑、屋台売上1.3倍、事故ゼロ週間も**—で受け止めた」

 薄衣は口を閉じた。言葉が過去形**になった。


 終盤、最大の指摘が来た。

 主任が三分講習の板を指さす。「“詩は夜の回まで取っておく。昼は手順が韻だ”——詩的表現は規格文に馴染まない」

 俺は短く笑って、最後の翻訳を置く。

「a 合意:規格文は詩を要しない。

 b 補足:詩的記述は動機づけと記憶保持に効き、昼→夜で文体を切替。

 c 翻訳:昼=命令文型(手順)/夜=同等効力の“合図句”。『二歩、二歩、三呼吸』=“退避二歩→二歩→呼吸三拍”。

 d 代替:板の見出しに規格文、下段に合図句を併記。

e 期限:明日までに全板併記」

 主任はペンを置いた。

「併記承認。——歌は規格に、規格は歌に。翻訳が整えば混ざらない」


 査察は夕刻に終わった。

 講評は簡潔だった。

 「適合:多数」/「条件付存置:影矢印」/「試行許可:青導線無音」/「即応良:火器F→S」/「併記要:講習板」。

 狭衣主任は最後に二文だけ置いて帰った。

「歌を嫌いではない。ただ、歌は歌詞が要る」

「歌詞=規格で韻を踏みます」

 薄衣は橋の向こうに消える前に振り返り、「影は夜に、鈴は青に」とだけ言って去った。

 言葉が約束の形になっていた。


 終礼。

 ミナが掲示を当日処置に変え、レンがポケット版タグの版下を描く。

 俺は板に翻訳表を貼った。


歌 ⇄ 規格 対照表 v1.0

・二歩、二歩、三呼吸 ⇄ 退避距離=0.8m×2/群集密度≤0.9/整呼吸3拍

・半本 ⇄ 注意音号0.5:-10dB/≤0.6s

・鈴 ⇄ 可聴可視化子:接近予告0.8s確保

・影矢印 ⇄ 補助視認子:反射率8%/長さ比0.7/雨天可


 広場に「字幕」が生まれ、歌と規格が混ざらず並んだ。

 古参のハンマー男が星を四つ半にして置く。


★★★★☆+ 歌に字幕。読める歌は、耳の悪い日に役立つ。飯はうまい。

「半は対岸の分だ」と笑う。

「半分は明日の余白だろ」

「そうそう」


 数字は安定して高い。

 平均待ち時間 9分/講習参加率 86%/回転率 147%/屋台・火器インシデント0/レビュー平均 4.88。

 指摘 5件→了承2/条件付1/試行1/併記1。

 手順書は1.08へ。

 音号0.5規定/影矢印条件付存置/青導線無音試行/講習板併記/タグ色域規定/ポケット版タグを追記。

 合言葉はレンが決めた。「歌に字幕」。講習で言えた客にはポケット版タグを先行配布。


 笛を一本。

 終わりの音が、条文の角を丸くした。

 歌は今日から字幕付きで流れる。拍はそのまま、数値は読みやすく。


本日のKPI(結果)


平均待ち時間 9分(目標≤15分)


三分講習参加率 86%


回転率 147%


屋台・火器インシデント 0(F→S即応20秒)


レビュー平均 4.88


査察指摘 5件 → 了承2/条件付存置1(影矢印)/試行1(青導線無音)/併記1(講習板)


手順書 1.08(音号0.5/影矢印条件/青無音試行/併記/色域/ポケット版タグ)


次回予告


第11話「“青の中の無音”——速度と沈黙の境界」

——周回導線限定の無音試行が始まる。目のない速度は秩序を崩すか、字幕は沈黙に追いつくか。可視化の新道具、境界違反の処し方、そして影が置いていく“青い約束”。

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