「とりあえず婚約してみた」__これ、任務に入りますか?
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重たく閉ざされた扉の向こう、団長室の中にはふたりきりの静けさが満ちていた。
机に肘をついたまま、リネアは思い切り溜息を吐く。
「……ほんと、何なのよあの魔術師」
「婚約を押し通すために、各方面に根回ししてるみたいです。魔術省の推薦まで……」
「しつこいって嫌われるって、教えてこなかったのかしら。面倒くさ……」
「それは……存じ上げております」
リュシアンの苦笑は、どこか哀愁を帯びていた。
リネアの好みも、嫌いなことも、苛立つタイミングも、全部知っている。
それでも、気づいてもらえない恋心は、何年経っても“片想い”のままだ。
「騎士団にも影響出ます。団長が今さら後ろに退くなんて、誰も納得しませんよ」
「分かってるわよ。でもね、あたしが結婚してるイメージ湧く? エプロンとか似合うと思う?」
「……剣を磨いてる姿しか浮かびません」
「でしょ?よって、今回も却下!」
そう言ってリネアは胸を張る。
堂々たる「非モテの誇り」だった。
「だったら、こういうのはどうですか」
「こういうのって何よ。筋トレ?」
「……俺と、“偽の婚約”を」
「はぁ!?」
椅子から転げ落ちそうになる勢いで、リネアが睨む。
リュシアンは微動だにしない。内心は冷や汗どころではなかったが。
「それ、あんたに何の得があるのよ」
「……ありますよ」
「……は?」
「あなたの隣に立てる。それだけで、充分です」
言った──ついに言ってしまった。
言葉にしたら終わるかもしれない、と分かっていながら。
だが。
「……あ、なるほど! それで出世とか、功績とか、そういうの狙ってんのね?」
まさかの解釈だった。
「……いえ、そうではなく……」
「でもまあ、確かに効果はありそうね。ちょっと考えてみようかな。ありがと、リュシアン」
まったくもって、勘違いされたまま話が進んでいく。
「ただし、本当に“偽”だからね。下心持ったら、即・訓練場送りよ?」
「……はい。肋骨が折れない範囲でお願いします」
そんなやりとりの最中、リネアはまったく気づいていない。
──これが、副団長の“ガチプロポーズ”だったことに。
そしてその夜、リュシアンは机に突っ伏しながら、静かに天を仰いだ。
「……この婚約、いつになったら“進展”するんですかね」
願わくば、いつか本物になってほしい。
いや、せめて気づいてください、団長──!