逝導
沈黙を破ったのは、ミナトだった。
自分でも、なぜその言葉を口にしたのかはわからなかった。けれど、何かを言わなければならない気がした。
「…あんたが、逝導様ってやつか?」
声が出た瞬間、祠の空気がわずかに揺れたような気がした。
けれど彼女は特に驚いた様子もなく、ただ静かに瞬きをした。
「…そう呼ばれてる」
その声は、風が擦れるように淡く、けれど芯のある音色だった。
冷たくも、暖かくもない。
ただ、そこに在ることを許された声だった。
「俺はミナト。ヒノモトって島から来た」
そう言うと、彼女はほんの少しだけ、首を傾げた。
それが興味なのか疑念なのかは読み取れなかったが、彼女の表情はまるで波のない湖面のように静かだった。
「…ヒノモト」
彼女はその言葉を、喉の奥で一度だけ転がすように呟いた。
そして再び、ミナトの目をまっすぐ見た。
「そこからどうやってここへ?」
ミナトは答えようとして、言葉を探した。
けれど、すぐには見つからなかった。
「…海で釣りしてたら、でかい黒いやつに襲われて…気づいたら、森ん中にいた」
彼女の目が、わずかに細められた。
それはまるで、ミナトの中にある言葉にできないものを、直接探ろうとするような眼差しだった。
「それ、多分、煌」
「やっぱ、あれ…あんたも知ってるんだな」
ミナトは目を伏せ、拳を握った。
あの黒くて巨大な龍のような異形。
名前すら知らなかったその存在に、自分たちの暮らしが一瞬で壊された。
「煌に出会って、生きてる人間なんて…ほとんどいない。普通なら、魂ごと焼かれる」
「でも、俺は生きてる」
「…そう。だから今、こうして私と話してる」
その言葉には、驚きでも賞賛でもなく、ただ受け入れるという重みがあった。
彼女はミナトの目をじっと見ていた。
「あんたは…逝導ってのは…いったいなんなんだよ」
彼女は少しだけ視線を外し、祠の奥を見やった。
「私はシズク。逝導は…そうだね…煌を浄化する者…かな」
その一言が落ちると、森の中に風が吹いた。
どこか遠くで鳥が鳴き、葉が擦れ合った。
「なんだよそれ…」
「逝導の役目は煌を完全に浄化すること」
「煌の浄化なんて…出来んのかよ」
「きっと出来る」
シズクは真っ直ぐミナトに視線を向けて言った。
その言葉の重さにミナトは黙っていた。
まだ自分が理解していないことに、どこか悔しさのような感情を覚えながら。
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。