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陽の下、揺ぐ  作者: カナメ
二章 揺らぐ
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出会い

 

――翌朝、ミナトは村の井戸のそばで水を汲んでいた。

冷たい水に手を浸すと、昨日の疲れが少しだけ洗い流されるような気がした。

陽はまだ低く、クスノサトの家々からはかまどの煙が静かに昇っている。

鳥のさえずりと、遠くで子どもたちが笑い合う声が聞こえてくる。

どこか懐かしく、けれど明らかに異なる匂いがする。

 

「おう、おはよう、ミナト」

振り向くと、昨日ミナトを助けてくれた狩人の男が立っていた。

肩に弓をかけ、今日も山に入るところらしい。


「おはよう。よく眠れたよ、ありがとう」

「そいつはよかった。しかし俺たちは昨日から大忙しだぞ」

「ん?どういうこと?」

狩人はニヤリと笑って、井戸の石縁に腰を下ろした。


「逝導様が来てるんだ。昨日の夕方、ちょうどお前が寝ちまったあとに村に来られてな」

「ゆきしるべ…?」

聞き慣れない言葉に、ミナトは首を傾げる。

狩人は小さく笑いながら、少し声を潜めて続けた。


「逝導様ってのはな、ユラグに古くから伝わる“闇と死を導く者”だよ。煌が現れてからは特に、その存在が神聖視されてる」

「闇と死を導く?」

「おう。でも勘違いすんなよ。災いをもたらすんじゃねえ。むしろ逆だ。煌の浄化のために選ばれたお方なんだ」

 

煌の浄化という言葉にミナトは驚く。

 

「黒い衣を纏った、若い女性だ。まだ二十歳そこそこだって話だが、目の奥がまるで炎みたいに静かで…いや、氷かもな。とにかく、普通の人間とは違う気配がある」

「なあ、その人…どこにいるんだ?」

「村の北の祠だ。何か、大事な祈りを捧げてるらしい」

狩人はそう言うと、立ち上がって背中の弓を直しながら笑った。

 

「なんだ気になるのか?まあ、行くのは構わんが、くれぐれも邪魔だけはするなよ」

「…わかった」

ミナトは小さく頷いた。

なぜだかわからないが、その“逝導様”とやらに、会わなければならないような気がしていた。


水汲みの桶を戻し、祠のある北の方角へと視線を向けた。

そこには、村を包む緑とは少し違う、ひんやりとした空気の流れがあるように思えた。



クスノサトの村を囲む森は、朝の陽を浴びてほのかに金色に染まっていた。

けれど、村の北に向かうにつれて、空気はしだいに静まり返り、肌に触れる風までもが違う色を帯びているようだった。


北の祠へと続く細道は苔むしており、踏みしめるたびにしっとりとした音を立てる。

木々の隙間から差し込む光はやわらかく、まるで祠へと歩む者の足元を導くように照らしている。

鳥も鳴かない。風も止まったようだった。

 

やがて、視界がひらけた。

小さな祠が、木立の中にひっそりと佇んでいる。

時の流れに擦り減った石段と、苔むした屋根。だが、その空間だけは不思議と澄んでいて、空気が静謐そのものだった。


その祠の前に、ひとりの女性が立っていた。

長い黒衣の裾が、まるで夜の帳のようにその身体を包んでいた。

黒く長い髪は煤のように滑らかで、背筋をまっすぐに伸ばして祈っているその姿は、どこか神像のようでもあった。


ミナトは言葉を失ったまま、足を止めていた。


やがて、彼女がゆっくりと振り返った。


その瞬間、風が静かに揺れた。

木々がわずかにざわめき、光が一筋、祠の屋根から差し込む。


光に透ける黒髪がふわりと舞い、頬にかかる。

肌は雪のように白く、そしてなにより、その瞳が、ミナトの息を奪った。


その瞳は、まるで深い湖面に揺れる、冬の月のような静けさを持っていた。

けれど、その奥底には、確かに燃えるものがある。

ゆらぎもしない青い焔が、音もなく燃えていた。

氷と炎が同居するような、不思議な矛盾がそこにあった。

冷たいのに温かい。遠いのに近い。

まるで、誰かの記憶の奥に棲んでいたような、不思議な瞳だった。


彼女は何も言わず、ただ、ミナトを見つめている。

そのまなざしは、問いかけでも、拒絶でもなかった。

ただそこに在り、見つめているというだけで、ミナトの胸に何かが差し込んでくる。


何を話せばいいのかもわからず、ミナトはただ、彼女の存在を受け止めることしかできなかった。


再び風が吹いた。

黒衣の裾が揺れ、彼女の髪が頬をかすめる。


その風に乗って、どこからともなく香るのは、冷たい夜明けの匂い。

まだ誰にも触れられていない、新しい朝の気配。


ミナトは知らず知らずのうちに、両手をぎゅっと握っていた。

 

祠の前で対峙した二人を、木漏れ日だけがそっと見守っていた。

 

※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。


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