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陽の下、揺ぐ  作者: カナメ
二章 揺らぐ
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ユラグ

 

――森を歩き続けてどれほど経ったか、ミナトの足はすでに泥まみれで、呼吸は荒れていた。

 

木々の合間から洩れる光は少なく、ただ薄暗さだけが時間の経過を曖昧にする。

倒木にもたれて一息つこうとしたときだった。

微かに草を踏む音が、背後から聞こえた。


ミナトは反射的に身をすくめた。

何か、いる。

森の静けさを切り裂くように、足音が近づいてくる。


「…誰だ」

震える声で言うと、すぐに応えるように、柔らかく低い男の声が返ってきた。


「おい、そんなとこで何してる。…お前狩人じゃなさそうだな」

木々の隙間から現れたのは、背中に弓を背負った屈強な男だった。

皮を縫い合わせたような衣をまとい、腰には小ぶりな刃物を吊るしている。

年齢はミナトより一回り以上上に見えたが、目つきは穏やかだった。


「…迷った。気づいたら、この森にいた」

ミナトが正直にそう告げると、男は眉をひそめながらも、警戒はしなかった。

代わりに、一歩近づいてから質問を投げた。


「どこから来た?」

ミナトは少し迷ったが、正直に答えた。


「ヒノモトって島だ…知ってるか?」

男は一瞬ぽかんとした顔をし、それからふっと吹き出した。


「ヒノモトだって?…そりゃずいぶんと古い冗談だな」

ミナトは首を傾げる。

男は興味深そうにミナトの全身を見渡したあと、肩をすくめた。


「まあいい、話は村で聞く。お前、そんな格好でこの森を歩き回ってたら、獣の餌になるぞ」

そう言って、男は手を差し出した。

ミナトはためらいながらも、その手を取った。力強く、温かい手だった。


「村って、近いのか?」

「歩いて半刻ってとこだな。森の奥にひとつ、集落がある。お前の話、そこの誰かが聞けば面白がるかもな」

男はそう言って笑いながら、先を歩き出す。ミナトはその背中を追いながら、ふと安堵のような感覚を覚えた。

この世界がどこなのかも、自分がどうなったのかもわからない。

だがようやく、人に会えた。


森のざわめきは次第に遠ざかり、道なき道を進むたびに、木々の向こうに人の営みの気配が近づいてくる。

鳥の鳴き声が戻り、木漏れ日がわずかに差し込んできた。


それでも、ミナトの脳裏にはあの黒い異形の影が、まだ微かに残っていた。

それが何だったのか、なぜ自分が生き延びたのか。

答えは出ないまま、彼は森の中の集落へと足を踏み入れようとしていた。



二人はしばらく歩き、やがて森を抜けた瞬間、空がぱっと開けた。

木々のトンネルを抜けると、視界に飛び込んできたのは、素朴で静かな集落だった。


土と石を組み合わせた家々が緩やかな坂道に沿って点在している。

屋根は木の皮と藁で編まれ、ところどころに干された魚や薬草が吊るされていた。

家々のあいだを小川が流れ、水車がゆっくりと回っている。


「着いたぞ。ここがクスノサトだ」

狩人の男がふっと息をついて振り返った。

村の入り口に立つ木製の門には、何本もの藤の蔓が巻きつき、小さな紫の花が揺れていた。


「クスノサト…」

ミナトはその名を口の中で転がすように繰り返した。


「おい、誰か来てくれ。よそ者を拾ったぞ」

男が声を張り上げると、数人の村人が家から顔を出し、やがてゆっくりと近づいてきた。

みな質素な衣をまとい、年配の女、鍬を持った若い男、背中に子を背負った母親。その表情には警戒よりも、どこか好奇心が滲んでいた。


「なんだい、また森で熊でも追ってたのかと思ったら、珍しいもん連れてきたねえ」

年配の女がミナトの顔を覗き込みながら言った。


「この子、どこから来たんだい?」


ミナトは少し戸惑いながら答えた。


「…ヒノモトっていう島だ」

すると、その場の空気が一瞬だけ沈黙に包まれた。

だがすぐに、若い男が声を上げて笑った。


「ヒノモト?ああ、そりゃ神の住まう島だろ?こいつ、面白いこと言うじゃないか」

「夢でも見てたんじゃないのかい?」

年配の女も笑いながら言った。

ミナトは苦笑するしかなかったが、どこか温かい空気に包まれていることを感じた。


「まあまあ、疲れてるだろうから、まずは休ませてやりなよ。名前は?」

「…ミナト」

「そっかい。ミナト、よくここまで来たねぇ」

女はそう言って、優しくミナトの背中を叩いた。


「なあ、ここって…どこなんだ?」

ミナトが改めて訊ねると、先ほどの狩人が小さく笑って答えた。


「ここは『ユラグ』。この大地の名だ。世界の名でもある」

「ユラグ……」

ミナトはその音を心の中でゆっくりと反芻した。

どこか懐かしい響きにも感じられたが、まったく聞いたことのない名前だった。


見上げた空は高く澄み、遠くで鳥の声が響いている。

けれど、ここがヒノモトではないという事実だけは、はっきりと胸に落ちていた。


※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。


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