エピソード 5ー6
ジークベルトが反転攻勢の準備を終えた。その報告とともに、進軍を始めるまえの最後の作戦会議が告知された。その席にアリアドネは再び出席することになる。
城内にある会議室には、王であるラファエル。そしてアルノルトを筆頭にした第一王子派の重鎮と、ジークベルトを筆頭にした第二王子派の重鎮が集まっている。
アリアドネが会議室へ足を踏み入れると、第二王子派の面々から勝ち誇った視線を向けられる。けれどアリアドネはそれらの視線を黙殺しアルノルトの元へと向かった。
彼は自分が不利な状況に陥りながらも、その顔に笑みを湛えていた。
「アリアドネ皇女殿下、マリアンヌ皇女殿下が目覚めたとうかがいました。その後の容態はいかがですか?」
「おかげさまで、少しずつですが体力が回復しています」
あれからおよそ一ヶ月。幸いなことにマリアンヌは快復に向かっている。最初は衰えていた筋力も多少は戻り、いまでは立ち上がる訓練を始めるに至った。
けれど――と、アリアドネは首を傾げた。気遣ってくれるのはありがたいけれど、いまのアルノルトにはもっと他に確認するべきことがあるはずだと思ったからだ。
そして、アルノルトはすぐにアリアドネの仕草の意味を察した。
「私はアリアドネ皇女殿下を信じていますから」
「あら、アルノルト殿下ともあろうお方が、私の行動に自らの運命を委ねるのですか?」
信じてくれて嬉しい――などと頬を赤らめるアリアドネではない。それでも次期国王の座を狙う王子かと、少し責めるような視線を向ける。
それに対し、アルノルトは破顔した。
「貴女ならそう言うと思っていました」
「それは、つまり?」
「ええ。私もただ貴女に運命を委ねた訳ではありません」
アルノルトはそこで一度言葉を切ると、意味深に微笑んだ。
それだけでアリアドネは理解する。彼はアリアドネが戦争を終わらせることを信じると同時に、アリアドネの謀略が不発に終わった場合の計画も立てている。
アリアドネは思わずといった仕草で破顔した。
「アルノルト殿下が頼もしくて安心いたしましたわ」
「認めていただけたようでなによりです」
会話の内容に色気はないけれど、仲睦まじく微笑み合う。そこにジークベルトが近づいてきた。アリアドネが向き直ると、周囲の者達の視線が集中する。
「どうやら、今回ばかりはおまえの知謀も及ばなかったようだな」
彼が勝ち誇った瞬間、第二王子派が同調するように笑った。しかし、アリアドネはうろたえることなく、悠然と肩口に零れ落ちた髪を払い除ける。
「ジークベルト殿下、魔術師部隊への対策はなさいましたか?」
「ふんっ、言われるまでもない。たしかに高威力なのはやっかいだが、種が割れてしまえば対処法はいくらでもある。そのための準備は万全だ」
「でしょうね。対策の準備に時間をしっかり割いていらしたようですし」
「……なに?」
他の者なら負け惜しみと思っただろう。
けれど、ジークベルトは過去の経験から警戒心を露わにした。そうしてが口を開こうとするが、それより早く周囲がにわかに騒がしくなった。
何人かの従者が会議室にやってきて、それぞれの主に耳打ちを始める。ジークベルトの元にも従者が駆け寄ってくるが、その報告を聞いた彼はアリアドネを睨み付けた。
「アリアドネ、貴様……なにをした?」
「あら、言ったではありませんか、アヴェリア教国は和平交渉を望むはずだ、と」
アリアドネがそう口にした直後、ラファエルが口を開いた。
「皆の者、いまアヴェリア教国より使者が参った。かの国は我がグランヘイム国との和平を望んでいるようだ」
情報を得ていなかった者達が一斉に驚きの声を漏らした。特に動揺しているのは、この戦争で自分たちの地位を盤石な物にしようと考えていた第二王子派の面々だ。
「陛下、それは罠かなにかではありませんか? ……好戦的な性格のギャレット王子が和平を望むなどとはとても思えないのですが……」
「ギャレット王子は国王に毒を盛った罪で捕らえられたそうだ。よって、和平を申し込んできたのはギャレット王子ではなく、オスカー王子だ」
「ギャレット王子が捕らえられた、ですか?」
なぜそのようなことにと、彼らは疑問を口にする。
「ここからは未確認の情報だが、かの国で聖女が誕生したそうだ。そして聖女の後ろ盾は第二王子だ。つまり、アヴェリア教が第二王子についた、ということであろう」
その説明で、この場にいる者達は等しく理解する。アヴェリア教が聖女の後ろ盾である第二王子を擁立するために、邪魔な第一王子を排除したのだ、と。
ギャレットが実際に毒殺を試みたかどうかはもはや重要ではない。
「で、では、本当にアヴェリア教国は和平を望んでいる、と?」
「その点は間違いない。既にアヴェリア教国から使者が到着しておる」
決定的な一言に再び会議室がざわめきに包まれた。
「父上、その和平交渉の代表は俺にお任せください!」
皆が動揺する中、ジークベルトが真っ先に口を開いた。事前に従者から報告を受けていたこともあるのだろうが、ここで即座に動けるのは優秀だからだ。
彼もまた、アリアドネを敵に回すことで大きく成長している。
しかし、アリアドネにとってはそれも想定のうちだ。
「ラファエル王。和平を望んでいたのはアルノルト殿下です。和平交渉をするならば、その代表はアルノルト殿下にお任せください」
戦争を望んでいたジークベルトはふさわしくないと指摘する。事前に布石を打っていたこともあり、アリアドネはこの交渉に勝つつもりでいた。
けれど、ラファエルは「否」と口にした。
「アヴェリア教国は、グランヘイム国側の和平交渉の代表としてアリアドネ皇女殿下、そなたのことを指名している」
「――っ」
思わず間の抜けた声を零しそうになり、寸前のところで飲み込んだ。
周囲から「なぜアリアドネ皇女殿下が?」といった声が聞こえてくるが、その答えを知りたいのはアリアドネも同じだ。
(なんのためにオリヴィア王女殿下を使者に選んだと思っているの?)
彼女をあいだに入れ、アルノルトを交渉役にするためだ。
なのに、なぜ自分が指名されるのかと、アリアドネは首をひねった。しかし、だからと言ってこの機を逃す手はないと、ラファエルに視線を向けた。
「陛下、和平交渉に応じてくださるのですね?」
「そういう約束だったからな。ただし、最終的に和平に至るかは交渉の内容次第だ。アリアドネ、そなたが代表となり、見事和平を実現させてみせよ」
「その役目、たしかに拝命いたしました」
こうして、グランヘイムとアヴェリアの間での和平交渉が始まる。そこに、アヴェリア教国を滅ぼすべきと主張していた第二王子派の出る幕はない。




