エピソード 5ー2
戦争を止める猶予は、ジークベルトが落雷の魔術への対抗手段を得るまで。
つまり、猶予はおよそ数週間程度――と、アリアドネは予測を立てた。しかし、アヴェリア教国から和平を望ませるには、隣国とやりとりをする必要がある。
その往復時間を考えれば猶予はないに等しい。
アリアドネは即座に動くべく、自室にルチアを呼び出した。
程なくして、メイド姿のルチアがやってきた。
「アリアドネ皇女殿下、お呼びとうかがいましたが」
「ええ、そこに掛けなさい。少し話があるの」
向かいのソファを示して、自分もソファに腰を下ろす。そうして青み掛かったプラチナブロンドを掻き上げたアリアドネは、そっとルチアへと視線を向けた。
ソファに腰掛ける彼女の拳は太ももの上できゅっと握られている。
「ルチア、ここでの暮らしはどうかしら?」
「おかげさまで、不自由なく暮らさせていただいています。それで……あの、私をここに呼んだ理由はなんでしょう? 私、またなにかやってしまいましたか?」
「……また? あぁいいえ、そうじゃないわ」
以前、彼女がノックを忘れたことで、レオノーラとあわやという場面があった。アリアドネは気にとめていなかったが、アシュリー辺りからお叱りを受けたのかもしれない。
彼女が緊張している理由を理解して、アリアドネは大丈夫だと笑う。
「今日貴女を呼んだのは、少し話をしたかったからよ。それと……ありがとう」
アリアドネがお礼を口にした直後、ルチアはキョトンとした顔になった。
「なんのお礼、ですか?」
「報告を受けているわ。さっき、私のお母様に治癒魔術を使ってくれたのでしょう?」
「あ……はい。アリアドネ皇女殿下に受けた恩を、少しでも返したいと思って……」
「そう。気持ちは嬉しいけれど、そんなに気負う必要はないのよ」
聖女の力は特別だ。
しかし、それは特別珍しいという意味であり、特別に強力という意味ではない。
アリアドネはルチアの気持ちを嬉しく思っているが、治癒の効果が出なければルチアが傷付くことになるかもしれない。
それはアリアドネにとっても望まぬ未来だ。
なにより――
(私は……)
そっと自らの右手に視線を向ける。
その瞬間、自らの腕が血に染まっている様子を幻視した。回帰前の出来事とはいえ、ルチアの胸を剣で刺し貫いた感覚はいまも忘れていない。
それなのに、ルチアはアリアドネに恩を返そうと頑張っている。その罪悪感を抱え、アリアドネはそっと自分の胸を押さえた。
(……私は恥知らずね。でも、そんな日々もこれで終わりよ)
「ルチア、貴女のご両親の手がかりを得たわ」
「……え? ほ、本当ですか!?」
日の光を浴びたような鮮やかな金髪を乱し、弾かれるように顔を上げた。そんなルチアに向かって、アリアドネはネックレスを差し出す。
「貴女のでしょう?」
「え? あ、それは……失ったと思ってたネックレス!」
「院長の娘が持っていたのを回収したの」
彼女が嫌な過去を思い出さないよう、奴隷商から院長の手に渡った経緯は伏せて告げる。続けてアリアドネは身を乗り出し、自らルチアにネックレスを手渡した。
「……お母様からもらった大切なネックレス。……ありがとうございます」
「お礼は必要ないわ。それより、貴女はアヴェリア教国の出身だったでしょう? だから、そのネックレスに刻まれた紋章がアヴェリア教国にないか調べたの」
「紋章、ですか?」
「裏を見てご覧なさい」
言われたルチアがネックレスを裏返す。宝石の台座には紋章が刻まれていた。
「スノーホワイト。聞き覚えはないかしら?」
「……分かりません。でも、どこか懐かしい感じはします」
「アヴェリア教国にある男爵家よ。そして、貴女の実家でもあるわ」
「――っ。それは、本当なのですか!?」
身を乗り出して詰め寄ってくる。
そんなルチアに対し、アリアドネは優しく微笑みかけた。
「ええ、裏付けも取れたわ。貴女が攫われた時期に、その家の子供も攫われている。両親はずっと、ルチアという娘を――貴女を、探しているそうよ」
「私を……探してる。お父様とお母様、私を、探して……くれてたんだ……っ」
「……そのネックレスの宝石ピンクアメシストというのだけど、アヴェリア教国でしか産出されない宝石で、かの国では恋人や家族の幸せを願って贈るのだそうよ」
アリアドネの言葉を切っ掛けに、ルチアの青い瞳から一筋の涙が零れ落ちた。それから堰を切ったように嗚咽を漏らし、彼女は声を殺して泣きじゃくる。
(これは……私への罰ね)
こんなにも家族との再会を渇望していた。
回帰前の自分が、そんな彼女を殺めたのだという罪悪感。それでもアリアドネは拳をぎゅっと握り、彼女が泣き止むのを静かに待ち続けた。
ほどなく、指で涙を拭ったルチアが顔を上げる。
「アリアドネ皇女殿下、お願いがあります。どうか、両親に手紙を書かせてください」
「かまわないわ。けど、手紙じゃなくて、貴女自身が両親の元へ帰るべきよ」
アリアドネの言葉にルチアは目を見張った。
「帰らせて……くださるんですか?」
「約束したでしょう? 貴女を両親に会わせてあげるって」
回帰前のアリアドネは彼女の願いを踏みにじった。
だからこそ、交わした約束は翻さない。
「ありがとう、ございます。でも、その……可能、なのですか? アヴェリア教国の軍が、グランヘイム国へ攻め込んできたんですよね?」
ルチアが表情を曇らせる。
「そうね。グランヘイム国はアヴェリア教国へ反撃を開始する予定よ。このままなら、両国の間で大きな戦争が始まるでしょうね。だから――」
アリアドネはそこで一度口を閉じた。
アリアドネの謀略は、ルチアの帰還こそが要だ。彼女をコントロールできなければ、アリアドネの計画は大きな軌道修正を余儀なくされる。
それでも――
「不安なら、戦争が終わるまでこの屋敷に滞在していてもかまわないわ」
アリアドネはルチアの意思を尊重する選択をした。
(当然よ。だって、ルチアへの贖罪を放棄したら、私は前に進めなくなるもの)
自らを虐げた悪辣な人々には復讐を果たし、自らが虐げた善良な人々には贖罪を果たす。それがアリアドネの信条だ。もし回帰前の自分が犯した罪の贖罪を放棄したならば、回帰前の恨みを晴らす資格はなくなると思っている。
彼女への贖罪は、自らの復讐を果たす上で必要なプロセスだ。
もちろん、それで自らの計画が瓦解したら意味がない。けれど、アリアドネはそうならない確信があった。
なぜなら――
「アリアドネ皇女殿下は、そうするべきだと思いますか?」
ルチアの問いに対して、アリアドネは首を横に振った。
「スノーホワイト男爵領は地理的に戦争に巻き込まれる可能性が高いわ。たしかにいまから帰ることに危険はあるけれど……いまを逃せば、二度と会えない可能性もあるわ」
可能性として伝えたが、もしも戦争が始まれば、スノーホワイト男爵領は消滅する。回帰を経たアリアドネはその事実を知っている。
「実家が、戦火に見舞われる?」
「この戦争が続けば、ね」
「続けば? それは、止められるということですか?」
「止められるわ。貴女が、止めようと思えば」
アリアドネはそのために必要なことを彼女に伝える。それを聞いたルチアは一度目を瞑り、それからまっすぐにアリアドネを見つめた。
「やります。その役目、私にやらせてください」
「……いいの? それなりに危険なことよ?」
「それでも、私はお父様とお母様を助けたい。それに、私を救ってくれた貴女のことも」
恩を返すというルチアに対し、アリアドネは拳を握り、それでも静かに微笑んだ。
「……いいわ。なら、準備して待っていなさい。貴女を、必ず両親の元に届けてあげる」




