エピソード 2ー2
王城の広大な敷地内にある、アメリア前王妃とその家族が暮らす離宮。
その中にある客間に軟禁されたアリアドネは物思いに耽っていた。もしもアメリアになにかあれば、自分は厄介な立場に立たされることになるだろう、と。
だがフェルモアの毒は、ワインに混ぜられた程度の摂取量で死に至ることはない。事実、回帰前のアメリアも一ヶ月ほどで復帰している。
今回の事件は脅しのようなものだ。
なにより――
(今回はすぐに解毒剤を投与した。大事には至ることはないわ)
もちろん、世の中に絶対はない。それでも、アリアドネは凜とした態度を崩すことなく、軟禁された部屋の中で、静かに時が来るのを待っていた。
ほどなく、部屋に現れたのはアルノルトだった。そして彼は護衛の騎士を連れていない。賭けに勝ったことを確信したアリアドネは立ち上がり、優雅にカーテシーをする。
「お待ちしておりましたわ、アルノルト殿下」
「……申し訳ありません。ことがことだけに、念のための処置が必要だったんです」
「あら、拘束されたことを揶揄した言葉ではありませんわ。アルノルト殿下が自ら訪ねてきたと言うことは、アメリア前王妃はご無事で、私の容疑は晴れた、ということでしょう?」
「ああ、これは失礼を。貴女の言葉を取り違えていたようです」
「気にしませんわ。それに、アメリア前王妃が毒を盛られた以上、関係者を拘束するのは当然のこと。なにより、私を保護する必要もあったのでしょう?」
アメリアが毒に倒れ、その直後に接触した唯一の皇女。
(私が黒幕なら、そんな機会は見逃さないわ)
アリアドネを自殺に見せ掛けて殺し、アメリアに毒を盛ったことを告白する遺書を残す。そうやって事件を闇に葬りつつ、邪魔なアリアドネを排除する。
(でも、ジークベルト殿下なら別の手を使いそうね)
アリアドネを容疑者に仕立て上げ、裁判を開いて精神的に追い詰める。そうして最後には真犯人を告発して、何食わぬ顔でアリアドネに恩を売りつけるのだ。
「……貴女は15歳、でしたよね?」
不審の目を向けられ、アリアドネは可憐に微笑んでみせた。
アルノルトから見れば二つ年下だ。本来であれば大きな隔たりがある年頃だが、回帰前の人生を経た彼女の笑みは、同世代の少女には出せない色気がある。
その証拠に、アルノルトの顔が赤く染まった。
(ふふっ、照れちゃって。この頃のアルノルト殿下は可愛いなぁ)
この皇女、完全にお姉さん目線である。
「それで、私は無罪放免なのですか?」
「ええ、もちろんです。ですが、そのまえに――」
「――わたくしからもぜひ、お礼を言わせていただけるかしら?」
後から現れたのはアメリアだった。
アリアドネは膝を曲げ、最上位のカーテシーで迎える。
「さきほどはご挨拶も出来ず、申し訳ありません」
「非常事態だったのだから気にする必要はないわ。それよりも、わたくしの命を救ってくれたことに感謝しなくてはね。それに、貴女には聞きたいこともあるのよ」
「なんなりとお聞きください」
かしこまれば、落ち着ける場所で話しましょうと移動を促される。そうして案内されたのは応接間。それも、重要な人物と会うときに使うであろう最高グレードの部屋だ。
足が埋もれそうなほど深い絨毯が敷かれ、その真ん中に大理石のローテーブルが置かれている。それを挟むように設置された、これまた身体が埋まりそうな柔らかいソファに腰掛ける。
アリアドネの向かいにはアメリアが座り、斜め向かいにはアルノルトが同席している。
「まずは、お礼を言わせていただくわ。アリアドネ皇女殿下、貴女の迅速な処置のおかげで、わたくしは一命を取り留めることが出来た。この恩は決して忘れないわ」
前国王亡き後、たった一人で現国王から自らの地位を守り続けた女傑。そんなアメリアから直接お礼を言われるほど名誉なことは滅多にない。
回帰前のアリアドネなら浮かれていただろう。
だから――
「アメリア前王妃にそう言っていただけるなんて、とても光栄ですわ!」
胸のまえで両手を合わせて、ぱーっと顔を輝かせてみせた。
「……あら、そのように光栄に思ってくれるのね。たしか、貴女のお父様はラファエル国王陛下だったと思うのだけど」
「はい。でも、お父様とは会ったことがありませんから」
貴女は第二王子派なのでは? という探りに対して、そんなの知らないよと答える。まるで幼い子供のような振る舞いをするアリアドネをまえに、アメリアはわずかに目を細めた。
「そういえば、貴女はレストゥールを名乗っているのだったわね。じゃあ、もう一つの質問をしてもいいかしら?」
「なんでしょう?」
「貴女はワインを口に含んで、すぐにフェルモアの毒だと気付いたわね? それに、解毒剤も持ち歩いていた。それは一体どうしてかしら?」
アメリアの表情が鋭くなった。間違いなく、彼女の本題はこれだ。アリアドネが都合よく解毒剤を持って現れたことを疑っているのだろう。
だが、その質問はアリアドネにとっても想定通りだ。
だから、その答えも用意してある。
「……実は、お母様も同じ毒を盛られたんです」
「――っ。アリア皇女殿下が? たしかにレストゥールの皇女宮に慌ただしい動きがあったことは摑んでいたけれど……まさか、そんなことがあったなんて」
どうやら、そちらの件は知らなかったようだ。
(情報網の問題ではなく、レストゥールの皇族に興味がなかったのでしょうね)
彼女にとって、自分は重要人物じゃない、ということ。だが、それでは困る。もう少し、彼女達の興味を引く必要がある――と、そんな風に考えていると、アルノルトが口を開いた。
「アリア皇女殿下はご無事なのですか?」
「はい。なんとか一命は取り留めました。ただ、後遺症が酷くて回復するかどうかは……」
「そ、それは、なんと言えばいいか……」
アリアドネが寂しげに笑えば、よけいなことを聞いてしまったとばかりにアルノルトが項垂れる。それを見ていたアメリアが、閉じた扇を手に当ててパチンと音を鳴らした。
「息子が失礼したわね」
「いいえ、アメリア前王妃が気になさる必要はありませんわ。とにかく、そんなことがあった後なので、解毒剤を持ち歩いていたんです」
胸元から複数の薬瓶を取りだせば、アルノルトが全力で顔を背けた。
それを横目に、アメリアが苦笑する。
「解毒剤を持ち歩いていた理由は理解したわ。だけど、そのようなことがあったにもかかわらず、わたくしの夜会に出席することにしたのは何故かしら」
アメリアがこの夜会で毒を盛られることを知っていたから――などと言えるはずがない。
ましてや、ジークベルトに狙われているから、恩を売って第一王子派に護ってもらおうと思って――などとは口が裂けても言えない。
アリアドネはあらかじめ用意していた言い訳を口にする。
「……実は、お母様がいつも言っていたんです。もし自分になにかあれば、アメリア前王妃のもとを訪ねなさい――と」
「アリア皇女殿下がそのようなことを?」
「はい。理由までは教えてくれませんでしたけど……」
ここでよけいな言い訳を口にする必要はない。
女傑と名高いアメリアならば必ず、アリアが第二王子派を警戒していた――という、アリアドネが用意した答えにたどり着くはずだから。
「……そう。事情は分かったわ。そして、貴女のお母様には感謝しなくてはね。その言葉のおかげで、わたくしは命を救われたのだもの。もちろん、その言葉に従った貴女にもね」
アメリアは穏やかな瞳をアリアドネに向けた。
(どうやら、私が用意した答えにたどり着いてくれたようね。それに私のことも、母に命じられたことをしっかりとこなす程度には優秀――という印象を持ってくれたかしら?)
アリアドネがあれこれ画策したと知られれば、色々と疑われることになる。けれど、命じられたことを的確にこなす程度という認識ならば、アリアドネ自身が疑われることはない。
次に疑いが向くのはアリアだが、そのアリアは床に伏せっているので警戒はされない。
これこそ、アリアドネが望んだ状況だった。
「さて、アリアドネ皇女殿下。なにかわたくしにして欲しいことはないかしら?」
「して欲しいこと、ですか?」
願いは最初から決まっているが、アリアドネは分からない振りをする。
「息子のお嫁さんにして欲しい、とかでもかまわないわよ」
アルノルトがひゅっと喉を鳴らした。
「は、母上!? なにをおっしゃるのですか! と、突然そんなことを言って、アリアドネ皇女殿下に迷惑ではありませんか!」
「アルノルト、落ち着きなさい。冗談に決まっているでしょう?」
「え、冗談? あ、あぁ、そうですよね。冗談……そうですか」
「もっとも、貴女はまんざらでもなさそうね?」
アリアドネに視線を戻したアメリアが目を細めた。
「……実のところ、そういう契約を考えていたのは事実です」
「――ア、アリアドネ皇女殿下!?」
アルノルトが動揺する。だがアメリアはその落ち着いた態度を崩さなかった。そうして、続けなさいと、無言で促してくる。
「さきほど申しましたが、お母様が伏せっております。その隙を狙うように、第二王子派からの介入がありました。その介入を阻止して欲しいのです」
「それはつまり、結婚による取引を望む、ということかしら?」
アリアドネはゆっくりと首を横に振った。
「理想ではありますが、さすがにそこまで恥知らずなお願いをするつもりはありません。いまの私ではアルノルト殿下の婚約者に相応しくありませんから」
「……まあ、そうかもしれないわね」
「はい。なので、介入の阻止だけでもお願いできれば、と」
当初の予定では、もう少し上手く交渉をするはずだったのだ。だが、いきなりアメリアが倒れたせいで、ろくに交渉をすることも出来なかった。
アリアドネが提案しているのは、当初の予定とは違う次善策だ。
「介入の阻止、ね。でも、わたくしがそのようなことをすれば、貴女は第一王子派に所属したと思われるでしょうね。その場合、かえって自分の首を絞めることになるはずよ?」
「いずれはアルノルト殿下に付く覚悟はあります。ですが、いまはまだそのときではありません。それゆえ、とても自分勝手な願いで、とても心苦しいのですが……」
「あぁ、そういうこと。貴女はあくまで中立というスタンスを貫くけど、命を救われたわたくしが貴女を気に入ったという体で、勝手に第二王子派を牽制すればいいのね」
この上なく自分勝手なお願いだ。はいと口にするほど不遜な態度は取れない。けれど、そうではないと否定することもない。アリアドネは無言で、アメリアの視線を受け止めた。
「……一つ聞かせてくれるかしら。本心では、第二王子のことをどう思っているの?」
その問いに、アリアドネは自らの感情を乗せて微笑んだ。ひと目見ただけならば普通の笑顔。だが、見る者が見れば、その奥に秘められた憎悪に気付いたことだろう。
それを見たアメリアは目を見張って、それから扇で口元を隠して笑い声を上げる。
「そう、そうなのね。いいわ。貴女を影ながら支援しましょう」
「ありがとう存じます」
古い言い回しを使って最上級の感謝を告げる。
「これはお礼なのだから、貴方がお礼を言う必要はないわ。それより、どのような介入をされているのか、具体的な内容を聞かせなさい」
「はい。現在、ジークベルト殿下から、皇女宮の運営状況に懸念があるとして、侍女の任命権の委譲を求められています」
「なんて恥知らずな。侍女の任命権は、主人にとっての生命線よ。それを預けろだなんて、ずいぶんなことを口にするのね」
「牽制をお願いできますか?」
「いいでしょう。ただし、連絡役として侍女を一人、貴女に受け入れてもらうわ」
連絡役と言っているが、密偵みたいなものだろう。第二王子とやっていることはほぼ同じだが、想定通りでもある。なにより、彼女の密偵なら馬鹿な真似をすることもないだろう。
敵意がないと証明する意味でも悪い提案ではなかった。
「問題ありません」
「交渉成立ね。後のことは任せておきなさい」
感謝の言葉を残し、アリアドネが退席していく。
その後ろ姿を見送った後、アルノルトが母のアメリアに視線を向けた。
「母上、よろしいのですか? あのような条件でアリアドネ皇女殿下を支援すれば、レストゥール皇族を強引に取り込もうとしている――と、周囲に思われかねませんが」
「だからこそ、恩返しになるのではありませんか。それに……」
アメリアは言葉を濁し、アリアドネとのやりとりを思い返す。
アリアドネは大人びた言動の中に時折、子供っぽい言動を滲ませていた。普通であれば、大人ぶる少女が、思わず素の姿を見せてしまった結果と考える。
けれど、それが事実ならばアメリアが毒に倒れたとき、あのように冷静に振る舞えるはずがない。大人ぶった子供だったなら、不測の事態に取り乱したはずだ。
なのに、アリアドネは誰よりも冷静だった。
(あれが本当の彼女。なら、大人びた子供を演じて周囲の油断を誘うほど、成熟した精神を持つ少女、ということになるわね。普通に考えれば、あり得ないことだけど……)
只者でないことだけはたしかだ。それに、ジークベルトをどう思っているのかと聞いたとき、彼女が滲ませた憎悪は本物だった。
アリアが暗殺者に襲撃されたことを考えれば、つまりはそういうことなのだろう。なぜ、彼女達が第二王子派に狙われているのかは分からない。
けれど――
「彼女に手を貸しておいて損はないはずよ。場合によっては本当に、彼女との結婚を考えてもいいでしょう。だから、貴方も出来るだけ仲良くしておきなさい。……なんて、わざわざ言うまでもないことのようね?」
「な、なんのことか分かりかねます」
分かりやすいくらいに動揺する息子の横顔を眺め、アメリアは小さく笑った。