エピソード 3ー5
アリアドネはいつものローブ姿で、護衛のハンスだけを連れて王都の外に出た。王都を取り囲む城壁沿いには、疫病の検閲に引っかかって待機している者達がいる。
アリアドネはその一角にある、鋼の商会の野営地に足を運んだ。
商会に名を変えたとはいえ、メンバーの多くは元傭兵だ。
野営する彼らは自然体に見えて隙がない。アリアドネがハンスを連れて足を踏み入れると、すぐに見張りらしき男に声を掛けられた。
「嬢ちゃん、こんなところになんの用だ?」
「……どうして私が女性だと分かったの?」
声でバレることは珍しくないが、歩いているだけでバレたのは初めてだ。それが不思議で問い返すと、「そのシルエットで分からないと思っているのかよ?」と笑われた。
その態度にハンスが眉をひそめるが、アリアドネは気にしなくていいと合図を来る。ハンスはなにか言いたげな顔をしたが、彼はすぐに引き下がった。
「――しかも、護衛の忠誠心も悪くない。さては、いいところの嬢ちゃんだな?」
「……だとしたら?」
「帰んな。俺達は疫病の罹患者を出したせいでここに滞在させられてるんだ。俺たちに接触すると、嬢ちゃんまで王都には入れなくなっちまうぜ?」
「それなら心配ないわ」
アリアドネはハンスから受け取ったポーションを掲げて見せた。
「それは……浄化のポーションか?」
「ええ。必要なら、貴方たちの分を用意することも可能よ。その上で、鋼の商会に仕事を持ってきたのだけれど、商会長に取り次いでくれるかしら?」
「そういうことなら、ちょっと待ってな」
見張りの片割れが伝令に走る。
それから程なく、アリアドネは彼らの野営地の奥にある一番大きなテントに案内された。その幕を潜ると、正面に素朴ながらも大きな椅子とテーブルが設置してあった。
それを目にしたハンスが軽く目を見張った。
「まさか、彼らは普段から椅子とテーブルを持ち歩いているのでしょうか?」
「はっ、そんな訳あるかよ。ここに来てから取り寄せたに決まってるだろ」
テントの奥から精悍な男の声が響く。
姿を見せたのは、逆立った銀色の髪に、強い意志を秘めた紅い瞳を持つ精悍な男。アリアドネにとって懐かしい――より少し若いロランの姿だった。
(たしか……いまは二十七歳くらいよね? 思ったよりやつれている?)
そんなことを考えながら、アリアドネは「初めまして」とローブを脱ぎ捨て、アメシストの宝石眼をロランの視線に晒す。
彼はその宝石眼を前に大きく目を見開いた。
「自己紹介の必要はなさそうね?」
アリアドネがいたずらっぽく笑えば、彼ははっと我に返って肩をすくめる。続けてアリアドネに席を勧めると、自分はその向かいの席に腰掛けた。
「まさか、話題の皇女殿下がこんな隔離区域にまでやってくるなんてな。俺にどんな依頼があるって言うんだ?」
そう尋ねるロランの紅い瞳は爛々と輝いている。アリアドネはそれを、彼が商談の内容を予想し、その内容に期待している証拠だと判断した。
「噂くらいは聞いているでしょう? アヴェリア教国が国境沿いに集結しているの。その兵に対抗するために、グランヘイムも兵を出す。その補給の手伝いをして欲しいのよ」
「……なるほど、な」
ロランの食い付きが思ったよりも悪い。
それに気付いたアリアドネは言葉を重ねる。
「もちろん十分な報酬を支払うわよ? それに、鋼の商会が王都に入れるように、治癒魔術師も手配してあげる。決して、悪い話じゃないでしょう?」
「なるほど、それはたしかにありがたい提案だな」
彼はそう言いつつも乗ってこない。
いま抱えている問題を解決して、新しい仕事まで用意する。少なくとも、乗り気にはなってくれると思っていたアリアドネは、ロランの予想外の反応に困惑する。
「……なにを迷っているのか、聞かせてくれないかしら?」
「聞いてもつまらねぇ話だぜ?」
「つまらないかどうかは私が決めるわ」
アリアドネが不遜に言い放つ。それでもロランはしばらく迷う様子を見せていたが、程なくして小さく息を吐いた。
「……まあいい。聞きたいって言うなら話してやる。俺達が元々傭兵団だったことは?」
「知っているわ。その団長が銀獅子と呼ばれ、敵から恐れられていたこともね」
「皇女殿下に知っていただけてるとは光栄だな。……だが、鋼の商会のことはどのくらい知っている? 俺が商会長としてなにを成したか知っているか?」
ロランが質問を投げかけてくる。
もちろん、アリアドネはいまの鋼の商会の状況は知っている。だが、ロランが質問しているのはそういうことではないだろう。
少し考えたアリアドネは、程なくしてロランの質問の意図に気がついた。
「……まさか、商会長としての手腕に自信がないの?」
導き出される答えはそれだ。
傭兵団のときは名が売れていたのに、鋼の商会はくすぶっている。自分の商才に自信が持てない。そんなとき、再びこの国で戦争が始まろうとしている。
ならどうするべきか、というのが彼の悩み。
「傭兵として参加すれば、少なくともこの状況は脱却することが出来るはずだ。その後の戦況次第では、また大陸中に名を轟かすことだって出来るだろう」
「戦争が長く続くのなら、そうなるでしょうね」
望まぬことではあるが、アリアドネは彼の考えを否定しなかった。回帰前にも交流があったアリアドネは、彼らが優秀な傭兵だったことを理解している。
けれど、回帰前の彼は言っていた。金のために人を殺す、そんな生き方に疲れたと。彼が傭兵をやめた本当の理由はそれだったはずだ。
だから――
「でも、あなたは傭兵に向いていないわ」
「……は? 俺の実力を知っているんじゃなかったのか?」
「性格的な問題よ。あなたは優しすぎる」
「笑えない冗談だな」
ロランが不機嫌そうな顔をするが、アリアドネは言葉を撤回せず話を続ける。
「商会の活動記録を見せてもらったわ」
「はっ、酷いもんだろ?」
「たしかに経営状態は酷いものね。でもそれは、商会の規模に仕事内容が見合っていないからよ。むしろこれだけの商隊をよくこの程度の仕事で維持させていると感心するわ」
「それは……けなしてるのか?」
「褒めているのよ。あなたの経営手腕はたしかよ。ただ、いままでは活躍の場が与えられていなかっただけ。だから、その機会を私が用意してあげる」
「……いきなりそう言われて、信じると思うのか?」
ロランの瞳には警戒の色が滲んでいる。
たしかに、初対面でこんな風に言われても信じることは難しいだろう。アリアドネだって、立場が逆なら警戒したはずだ。
だから、アリアドネはある思い出を語る。
「昔、ある男が言っていたわ。傭兵になったのは、力ない人々を守りたいと思ったからだって。だけど、そんなこと、出来る訳ないじゃない。……ねえ?」
傭兵は報酬を支払う誰かのために戦う。場合によっては善良な、それこそ自分にとっても善良な相手を、依頼主の意志に従って殺すことになる。
アリアドネの知っている男は、そのことに思い悩んでいた。
「……あんた、何者なんだ……?」
「私はただの皇女よ。亡国の、ね」
アリアドネは静かに微笑む。
「……なら、その男はどうなったんだ?」
「さあ? その結果が出るのは未来の話だもの。でも、私は信じてるわ。彼は商会の長として名を轟かせ、いつか力ない人々を救うことになるって」
それは、処刑されたアリアドネには見届けることが出来なかった彼の未来。だが、ロランならきっと、その夢を叶えていただろうという確信がある。
なにより、アリアドネが未来を変えたせいで、彼が不幸になるなどあってはならない。
「ずいぶんと知った風な口を利くんだな。それに、ずいぶんと買ってくれているようだが、いつか俺があんたと道を違えるとは思わないのか?」
「それならそれでかまわないわ。だけど、いまの私には貴方が必要で、貴方には私が必要なはずよ。だから、この手を握りなさい」
アメシストの宝石眼を輝かせ、ロランに向かって右手を差し出す。それを見たロランは頬を指で掻き、それから小さなため息を吐く。
「……わぁったよ。あんたに口説かれてやる」
こうして、アリアドネの手を取った。彼はアリアドネのもとで多くの偉業を達成し、やがては多くの人々を救うことになるのだが、それはまた別の機会に語ろう。




