エピソード 3ー4
アヴェリア教国の王女と密会した翌日、アルノルトが訪ねてきた。事前の知らせがない急な訪問だが、なにか理由があるのだろうと彼を部屋へと招き入れる。
「アルノルト殿下、兵站の準備はよろしいのですか?」
「実はそのことで、アリアドネ皇女殿下に相談があるのです」
「相談というと……上手くいってないのですか?」
アリアドネは回帰前の状況を思い返す。アヴェリア教国軍に苦戦した記憶はあるが、初動の兵站について苦労した記憶はない。
なにか見落としがあっただろうかと首を捻る。
「当てにしていた商会のいくつかに断られました。情勢的に物資の確保が難しい、と」
「情勢?」
「魔物の被害や疫病の影響で物流が滞っているとのことです」
それを聞いたアリアドネは即座におかしいと思った。
回帰後のいまも、魔物や疫病による被害が多少なりとも発生している。けれど、圧倒的に被害が大きかった回帰前ですら物流に滞りはなかった。
なのに、どうして……と考えを巡らしたアリアドネはすぐに一つの可能性に思い至る。
「第二王子派の妨害、かもしれませんね」
「……妨害、ですか? ですが、兵站が必要なのはジークベルトですよ? 兵站が届かなくて困るのはジークベルトなのに、第二王子派が妨害など……」
するはずがないと言いたげなアルノルトに向かって、アリアドネは首を横に振る。
「物資が届かなくて困るのはジークベルト殿下ですが、届けられなくて困るのはアルノルト殿下です。その点さえ分かっていれば、彼らはいかようにも妨害できます」
たとえば、アルノルトが兵站を滞らせたから、第二王子派が独自のルートで兵站をジークベルトの元へ届けた。
そういう筋書きなら、ダメージを受けるのはアルノルトだけだ。
「なるほど……では、ほかの商会を探す必要がありそうですね」
「ご安心を。すぐに協力してくれる商会を探しますわ」
アリアドネが微笑みかければ、アルノルトが相好を崩した。その甘い笑みに、アリアドネは少しだけ後ずさった。なんとなく、嫌な予感を覚えたから。
「な、なんですか?」
「いいえ、やはりアリアドネ皇女殿下に相談してよかったな、と」
「こ、婚約者としての役割を果たせたのならなによりですわ」
アリアドネがそう口にした瞬間、アルノルトが眉を寄せる。
「おや? 婚約者としての貴女の役割は、私を愛する努力をすること、ですよ?」
「うぐ……っ。それは、分かっています。ですが、未来の王太子の婚約者としては、その能力を証明することも必要ではありませんか……?」
アリアドネはちょっぴり逃げ腰で問いかける。
それに対し、アルノルトはクスリと笑った。
「つまり、私の婚約者としてふさわしくなれるようにがんばっている、と? 健気な姿がとても可愛らしいですね」
「あ、う……ぁ……っ。か、からかわないでください!」
紅くなって頬を手の甲で冷やす。そんな可愛らしい反応を見せるアリアドネに向かって、アルノルトは更に言葉を重ねた。
「おや、どの部分がからかっているように聞こえましたか? 貴女が愛らしい女性だと言うことですか? それとも貴女の能力が優れているという部分でしょうか? どちらも私の本音ですが?」
「もう、おだてたってなにも出ませんから!」
「そう言いつつ、とても可愛らしい照れ笑いを見せてくださるのですね」
「もうもうもうっ!」
アリアドネは照れ隠しで口調を荒げ、「兵站は私がなんとかしますから、アルノルト殿下は他の準備をなさってくださいっ!」と彼を部屋から追い出した。
「もぅ……なんなのよ……」
自分の知らない感情に振り回され、アリアドネは思わずその場にへたり込んだ。
その後、平常心を取り戻したアリアドネは兵站の問題を解決するべく、アルノルトが協力を要請した商会のリストを取り寄せた。
要請に応じなかった商会のリストには案の定、回帰前のアリアドネと――つまりは第二王子派と繋がっていた商会の名前が散見する。
すべてがそうかはともかく、少なくとも第二王子派の妨害はあるとみるべきだろう。そう判断したアリアドネは、第二王子派の影響下にない商会の名前を思い浮かべる。
けれど、それは言うほど簡単な作業ではない。
アリアドネとて、国内に存在するすべての商会を記憶している訳ではない。記憶しているのは、優秀な商会、あるいは寝返らせることが出来そうな商会くらいである。
しかし、短時間で寝返らせた商会を信じて用いるのは危険だ。
そうなると、選択肢はそう多くない。いくつかの手段の考察をしていたアリアドネは、ふと回帰前に重宝していた商会を思い出した。
元々は傭兵団の隊長だった男、ロランが経営する鋼の商会。レストゥール皇国との戦争が終わり、仕事が減った時代を乗り切るために、商会へと形態を変えた元傭兵団だ。
独自の護衛部隊を抱えているため、危険な辺境への輸送も請け負ってくれる。いまより少し未来に名が売れ始めた彼らを勧誘、直属の部下として重宝することになった。
(いまならどちらの陣営にも所属していないはずよ。すこし調べてみましょうか)
メイドを呼びつけ、鋼の商会について至急調査するようにと命じる。
それから数時間と待たずして、鋼の商会の情報はアリアドネの下に届けられた。その資料に目を通したアリアドネはなるほどねと頷いた。
「思ったよりも苦労しているみたいね」
端的に言ってしまえば、結構な赤字を叩き出している。色々と事情はありそうだが、回帰前と明らかに違うのは、カルラの掛けた関税によるダメージを負ったことだ。
しかも、その後の行動も変わっている。
赤字を取り戻すために受けた仕事の先で、商会のメンバーが疫病を発症したのだ。すでに治療済みではあるが、念のためにと王都への立ち入りを禁じられ、城門の外で野営させられているようだ。
アリアドネの行動によって歴史が変わり、被害を受けた人物の一人と言えるだろう。
ロランにとっては踏んだり蹴ったりの状況。だが、彼らが王都付近にいないという最悪を想定していたアリアドネにとっては朗報だった。
この機会を逃す手はないと即座に立ち上がった。
「アシュリー、外出の準備を」
「かしこまりました。ところで、今日は皇女殿下として外出ですか? それとも、いつものローブを纏い、正体不明のお姉さんとして外出ですか?」
唐突に問われ、アリアドネは小さく唸った。
「ちょっと、私が普段から変装して外出してる変な皇女みたいに言わないでくれる?」
「では、今日は公式の格好で外出なさるんですね?」
「……フード付きのローブを用意して」
「かしこまりました」
勝ち誇ったアシュリーに見つめられ、アリアドネはそっと視線をそらした。




