エピソード 2ー1
自分を陥れたジークベルトに復讐を誓った矢先、その彼から手紙が届いた。
回帰前と少しだけ変わっているがおおむねは同じ内容。皇女宮の管理状態に懸念があるため、侍女の人事権を預けて欲しい――という申し出だった。
回帰前のアリアドネに頼るべき人は他になく、ジークベルトの申し出が唯一の希望のように思えてならなかった。だから回帰前は、その申し出に二つ返事で飛びついた。
「……いま考えると、これも黒歴史の一つよね」
自室のソファに身を預けていた彼女は、テーブルの上に手紙を放り投げた。
今回の襲撃事件の黒幕はほぼ間違いなくジークベルト。少なくともその関係者だ。そんな彼に皇女宮の人事権を与えるなど、どうぞ殺してくださいと言っているようなものだ。
もっとも、回帰前の結末を考えれば、彼の目的がアリアドネの殺害でないことは分かる。
回帰前。問題を抱えるたびに、都合よく現れて優しい声を掛けてくれる。そんなジークベルトに傾倒したアリアドネは、その身を投げ打って彼のために尽くした。
彼の目的は皇女宮を支配し、アリアドネの情報を手に入れること。そうしてアリアドネを孤立させ、使い勝手のいいコマにするつもりなのだ。
(絶対、そんな恥ずかしい歴史は繰り返さない)
そう意気込むけれど、現実はままならない。ジークベルトの申し出はあくまで提案。だが、その提案を断れば、今度こそ敵に回すことになる。
手駒に出来ないと見限れば、殺しに掛かってくる可能性が高い。
(早急に、彼に対抗しうる後ろ盾を手に入れる必要があるわ)
たとえば、第一王子派を味方に付ける、とか。
簡単なことではない。けれど、アリアドネは社交界の頂点に立った紅の薔薇にして、この世を騒がせた希代の悪逆皇女だ。かつては敵として徹底的に弱点を調べ上げたこともあり、第一王子派のことはよく知っている。
(たしか、明後日は……)
日付を確認して、アリアドネは口の端に小さな笑みを浮かべる。そうして、ベルを鳴らして侍女を呼び出した。ほどなく、お付きの若い侍女シビラが姿を現す。
「お呼びですか、アリアドネ皇女殿下」
「ええ。貴方にいくつかお願いがあるの」
「なんでしょう?」
「明後日の夜会に出席するから、ドレスの用意をお願い」
「や、夜会ですか?」
「ええ、お願いね」
よけいな質問は許さず、必要なことをするようにと促した。
それから母の部屋に立ち寄って母を見舞い、そこにいた医師にあるものを要求する。そうして準備をすませたアリアドネは、最後に執事長であるハイノのもとへと向かった。
執務室を訪ねると、彼は執務室で書類を整理していた。
「これはアリアドネ皇女殿下、なにかご用ですか?」
ハイノはペンを置いて席を立つと、アリアドネのまえまでやってきた。
「貴方に一つお願いがあってきたの」
「お願い、ですか? 一体どのようなお願いでしょう?」
「母の元に、明後日の夜会の招待状が届いているでしょう? 私が代行として出席するから、夜会の招待状を渡して欲しいのよ」
ハイノは瞬いて、それからテーブルの上に視線を送ると、再びアリアドネを見つめた。
「……アリアドネ皇女殿下。お母様のためになにかしたいという気持ちは痛いほどよく分かります。ですが、アリアドネ皇女殿下の外出を、アリア皇女殿下は認めていらっしゃいません」
「そうね。でも、いまそのお母様に、判断能力は残っていると言えるかしら?」
「それは、どういう……?」
「当主の判断能力が欠如したと認められた場合には、暫定的な措置として、その後継者が業務を引き継ぐことになる。貴方は知っているはずよ」
回帰前もそうだった。暫定的な措置でアリアドネがすぐに業務を引き継いだ。それも、執事統括の地位にあるハイノから言いだしたことだ。
回帰前と違ってアリアは生きているが、執務をこなせない、という意味では変わらない。
「……たしかに、皇女殿下のおっしゃることはごもっともです。ですが、明後日の夜会というと、前王妃が主催するパーティーではありませんか。一応、招待状は届いておりますが……」
「形だけの招待で、参加の予定はなかったのでしょう?」
「……ご存じでしたか」
小さく頷くことで応じた。
アリアは第二王子派のトップとも言える現国王のお手つきだ。そんな彼女が、第一王子派のパーティーに出席するはずがないことは火を見るより明らかだ。
だけど――
「ハイノ。貴方は、アリアお母様に暗殺者を差し向けたのは誰だと思う?」
「アリアドネ皇女殿下っ!」
ハイノが慌てて周囲を見回す。
「心配せずとも、これ以上は口にしないわ。でも、私はそこに疑問を抱いたの」
ハイノをまっすぐに見つめる。
初老に至る執事の彼は、回帰を経たアリアドネよりも様々な経験をしているのだろう。清濁併せ持つ彼の瞳が、すべてを見透かすようにアリアドネの視線を受け止めた。
「……かしこまりました。どうぞ、御心のままに」
こうして、招待状を手に入れたアリアドネはすぐに夜会の準備を始める。そして当日。アリアドネは自分が持っている唯一のドレスを纏い、夜会の会場へと足を運んだ。
彼女が会場に姿を見せれば、周囲の者達が注目を始める。
「まだ幼いけれど、とても美しいお嬢さんね。どこのご令嬢かしら?」
「待て……あれは宝石眼ではないか?」
「宝石眼? まさかそれは……」
「ああ。レストゥール皇族の象徴だ」
「なら、あの娘は……っ」
周囲のざわめきが大きくなる。
レストゥールの皇族は、かつてグランヘイムを追放された王族の末裔だと言われている。にもかかわらず、愚かにもグランヘイム国に戦争を仕掛けて返り討ちに遭った。
首謀者である皇族が見せしめに殺される中、唯一グランヘイムの離宮で生きることを許された皇族のアリア。その話だけでもタブーに近いのに、アリアドネはそのアリアと現国王のあいだに生まれた婚外子だ。
第一王子派にとって、彼女は招かざる客でしかない。
それでも、アリアドネは悠然と会場を歩く。自分にはなに一つやましいことなどないというアリアドネの毅然とした振る舞いに、周囲の声は己を恥じるように小さくなっていった。
そんな中、アリアドネが探すのは前王妃であるアメリアの姿だ。しかし、彼女がアメリアを見つけるより早く、第一王子派の貴族令嬢が立ちはだかった。
「貴方、忘れられた皇女様よね、どうしてこんなところにいるのかしら?」
ピンクゴールドのツインテールはウェーブが掛かっていて、緑色の瞳は強気な輝きを放っている。扇子を片手に腕を組む彼女はアシュリー、グラニス伯爵家のご令嬢だ。
回帰前にも、彼女にはなにかとやりあった記憶がある。
「貴方、私のファンかなにかなの?」
「は、はあ!? そんなはずないでしょ!?」
「あら、そう? だけど、忘れられた皇女であるはずの私をしっかり覚えてるのよね? そんな奇特な人、私のファンでもなければあり得ないと思わない?」
私が戯けてみせると、周囲からも失笑が零れた。自分が笑われていると感じたのか、アシュリーの顔が真っ赤に染まる。
(悪い子ではないんだけど、ちょっと直情的すぎるのよね)
「そ、そんな訳ないでしょ! その瞳よ、皇族の証じゃない!」
「あぁ、なるほど。つまり、私が皇族だって確信しながら、高貴なるグラニス伯爵家のご令嬢ともあろう貴方が、そんなふうに礼儀を欠いた態度を取っている、という訳ね?」
「なっ!? そ、それはその……」
たしかに、伯爵よりも皇族の方が上位になる。だが、アリアドネに対して礼を失した態度を取ったとしても、レストゥール家にそれを咎める力はない。
けれど、それを他の貴族達の前で指摘されたことで反論できないでいる。
回帰前からそうだったけれど、彼女は単純で扱いやすい。敵にはあたりが強いけれど、決して悪人にはなれないタイプだ。
「……というか、私のことを知っているの?」
「もちろん、貴方のことはよく知っているわよ。グラニス伯爵家のアシュリーといえば、魔術アカデミーで優秀な成績を修める、可憐なお嬢様として有名だもの」
「そ、そんな風に噂されているの?」
「ええ。そして、本人は噂よりも綺麗だったと感心しているところよ。同じくらい、皇女に突っ掛かる考えなしでもあるんだなぁとも、感心しているけれど」
「あ、貴方ね。褒めるか貶すかどっちかにしなさいよっ」
「事実を口にしているだけよ」
アリアドネが微笑めば、アシュリーは拳を握り締めて悔しげに震えた。
「未来ある令嬢を弄るのはそれくらいにしておいてくれませんか、アリアドネ皇女殿下」
不意に声を掛けてきたのはアルノルトだ。サラサラの金髪に縁取られるのは、利発で優しそうな顔。エメラルドのように澄んだ瞳を持つ、この国の第一王子だ。
彼が微笑めば、多くの令嬢が心を奪われるだろう。
アリアドネは即座にカーテシーで応じ、本来よりも少しだけ深く頭を下げた。
回帰前に彼を毒殺した、その罪悪感を隠すためだ。
「アルノルト殿下、お初にお目に掛かります」
気持ちを切り替えたアリアドネが微笑みかければ、アルノルトはほうっと息を吐いた。
「……なるほど、貴女がアリアドネ皇女殿下ですか」
「アルノルト殿下は私をご存じなのですか?」
「そういう貴方も。っと……そのまえに、アシュリー嬢、お母様がキミを探していましたよ」
「え? あ、あぁ。わざわざありがとうございます」
アシュリーはお礼を言って立ち去っていった。
「逃がしてあげるなんて優しいんですね」
母親が探しているというのは方便で、目的はアリアドネと引き離すことだろう。そう指摘すれば、アルノルトはふっと笑みを零した。
「最初は貴女を助ける予定だったのですが」
「それは……申し訳ありません?」
「いえ、ちょうどよかったです。貴女とは一度、二人で話してみたいと思っていましたので」
茶目っ気たっぷりに笑う。回帰前のアリアドネなら、この微笑みにやられていたかもしれない。だけど、アリアドネは悠然と微笑みを返した。
「あら、アルノルト殿下と二人で、ですか? それは大変に魅力的なお誘いですわね。ですが私は、アメリア前王妃とお話したいと思っているのですが」
「母上に会いに来られたのですか?」
アリアドネの返しは予想外だったのか、アルノルトは驚いた顔をする。
「……なるほど。それで夜会に。……いいでしょう。目的は分かりませんが、あなたが望むのなら母上を紹介いたしましょう。ただし、私が同席することが条件です」
「その好奇心が強いところ、変わりませんわね」
「……え?」
「いいえ、独り言ですわ。それでは、エスコートしてくださいますか?」
「ええ。お手をどうぞ、アリアドネ皇女殿下」
アルノルトの腕を取って、夜会の会場を進む。
美男子と美少女という組み合わせ。それも、対立派閥に属する王子と皇女。そんな組み合わせに周囲の視線が集まるが、二人は気にせずに会場を進んだ。
だが、そんな会場の空気を女性の悲鳴が切り裂いた。
「――っ。まさか、こんな早くにっ!?」
「え、アリアドネ皇女殿下? ――っ。どこへ行かれるおつもりですか!」
悲鳴の出処を目指して全力で駈け出す。夜会に出席する招待客の隙間を駆け抜ければ、絨毯の上に倒れ伏すアメリア前王妃の姿が目に入った。美しいドレスを身に纏っているが、その顔色は酷く青ざめて苦しそうだ。
人混みを押しのけてアメリアの前に膝を突き、側にいる侍女に向かって叫ぶ。
「――そこの貴女、なにがあったのか説明なさい!」
「え、あ、貴女は?」
「いいから、状況の説明!」
「は、はい! 談笑なさっていたアメリア前王妃が突然倒れられて……」
「――談笑? そのとき、なにか口にしていなかった?」
「あ、そう言えば、ワインを――」
視線の先、絨毯の上に落ちたワイングラス。アリアドネはそのグラスに残っている、ワインの雫を手のひらに落として口に含んだ。
わずかだが、フェルモアの毒特有の味がする。それを確認したアリアドネは口に含んだワインをハンカチに吐き出し、続けてドレスの胸元に手を差し入れて対象の解毒剤を選び取った。
「解毒薬です、飲んでください!」
苦しむアメリアの頭を抱き上げて、その口元に蓋を開けた薬瓶を近付ける。アメリアは苦しそうな表情を浮かべながらも、アリアドネの顔をじっと見つめる。
「アメリア前王妃、貴方が飲んだワインにはフェルモアの毒特有の甘味が感じられました。そして、この薬瓶の中身はその解毒剤です。私を信じて解毒剤を飲むか、医師が薬を持ってくるのを待つか……どうか、ご決断を」
アメリアが弱々しく頷く。それを見て再び薬瓶を口元に寄せると、アメリアはその中身を飲み干した。ほどなくして、アメリアの表情が少し穏やかになる。
そこへ騎士達が現れ、アリアドネを取り囲んだ。
「アリアドネ皇女殿下、我々に同行していただけますね?」
「もちろん。私は逃げも隠れもいたしませんわ」
騎士達に包囲されてもなお悠然と微笑む。
アリアドネは会場にいる他の誰よりも美しかった。