エピソード 2ー8
回帰した悪逆皇女は黒歴史を塗り替える 一巻 好評発売中!
身分を隠して滞在先の家を抜け出したアリアドネは、気配を殺して目的の場所へ向かう。その後ろに続くのは、メイドに変装したアシュリーだ。
「アリアドネ皇女殿下、どこへ行かれるのですか?」
「この町にある孤児院よ。それと私のことはいまからリンディと呼びなさい」
いたずらっぽく告げて孤児院へと向かう。そうして到着した扉を叩いた。最初のノックでは反応がない。だが続けてノックをすると、扉の向こうから誰何の声が聞こえてきた。
「リンディよ。院長に話があるわ」
扉越しに名乗りを上げるが返事は返ってこない。
「感染はしていないわ。それどころか、貴方たちを救いに来たのよ」
アリアドネが扉越しに告げると、程なくして扉が開かれた。
そこに立っていたのは院長で、彼はアリアドネの姿を確認、続けてその後ろにいるアシュリーを確認すると、アリアドネ達を孤児院へと招き入れた。
案内された応接間。
院長と向かい合ってソファに座る。前回と違い、彼女の娘は同席しておらず、代わりに変装したソニアが同席している。それを見たアリアドネはほくそ笑んだ。
変装をしたソニアが、ヴィクトリアとよく似ていたからだ。
無論、並べてみればその違いは明らかだろう。だが、特徴だけを挙げれば同じになるだろう。そんな変装の仕方だ。
それを確認したアリアドネは院長へと視線を向けた。彼は警戒した面持ちで「どのようなご用件ですか?」と問い掛けてくる。
「ずいぶんと警戒しているようね」
「このような状況で警戒するなとおっしゃるのですか?」
「それもそうね。なら用件に入りましょう。言うまでもないことだけど、この地域が隔離されたことは知っているわね?」
アリアドネの問いかけに、彼は劇的な反応を見せた。
「当然です! そのせいで、私たちは孤児院から出ることが出来なくなったのです! 感染なんてしていなかったのに、疑わしいという理由だけで、ですよ!」
「それは酷いわね」
同情するそぶりを見せるアリアドネだが、隔離区域に孤児院を含め、孤児院の者達を無条件に隔離しろと命令を下したのもまたアリアドネである。
だが、それを知らぬ院長は憤る。
「全くもって、あの皇女は許せません! 他所から来てなにも知らないくせに、やれおまえ達のためだなどと我らを隔離して!」
ソニアとアシュリーがピクリと身を震わせた。だがアリアドネは平然と「まったくその通りよね」と同情する振りを続ける。そうして寄り添われた院長は怒りを収めるが、今度は不安になったのか、不意にその顔を苦悩に歪ませた。
「我々はどうなるのでしょう……?」
「心配せずとも大丈夫よ。さっき、ウィルフィード侯爵の騎士団が到着したから」
「期待できませんね。どうせ、騎士団はどこも同じではないのですか?」
「あら、一緒にされたくはないわね」
少しだけ不快そうな素振りを見せる。院長には、アリアドネがウィルフィードの批判をされて怒ったように見えたはずだ。
「リンディ様はもしや……?」
院長がアリアドネの所属に想像を巡らす。それを確認したアリアドネは「話がそれたわね」と軌道を修正する。
「私の主はこの状態に酷く心を痛めているの。だから、その対策を立てるようにと私に命じられた。貴方にはその手伝いをして欲しいのよ」
「我々に? 一体なにをしろというのですか?」
「貴方の娘、治癒魔術を使えるそうね?」
院長が視線を彷徨わせた。瘴気が原因で発生した疫病には治癒魔術が有効である。その事実を知りながら、ヴィクトリアが治癒魔術を使えることを隠しているのだろう。
「ヴィクトリアに疫病の治療を手伝って欲しいのよ。その様子だと貴方は知っているのでしょ? この疫病に治癒魔術が有効だってこと」
「……いえ、その……はい。ですが、ヴィクトリアは疫病を治すほどの腕前では……」
(そうよね。他の人を救うためにヴィクトリアを差し出して、自分の保険がなくなるのは困るものね。その考え方は間違ってないわ。だけど――)
だからこそ、そこにつけいる隙がある。
アリアドネはその内心を隠し、困った表情を作りながら合図を送る。それに応じたソニアが「その役目、私に任せてください」と声を上げた。
アリアドネは驚いた振りをしながら「貴女は?」と変装をするソニアに問いかける。
「私は最近、孤児院の先生として雇っていただいたヴィオリナと言います」
「そう。ではヴィオリナ、貴女は治癒魔術が使えるの?」
「少しですが使えます。治癒魔術が疫病に有効だとは知りませんでしたが……もしこの力で一人でも苦しんでいる人を救えるなら、ぜひ協力させてください」
アリアドネが望んだ模範のような解答。なんて、事前に打ち合わせた通りの答えなのだから、文字通りの模範解答なのだけれど。
その答えに、アリアドネは満足そうに頷いてみせた。
「素晴らしいわね。なら、疫病で苦しんでいる人々の救済を手伝いなさい。それと、治療場所にはこの孤児院を使わせてもらうわ」
「お、お待ちください、リンディ様。この孤児院を使われては困ります」
「心配しなくても使用料は払うわ」
アシュリーが革袋の中から金貨を取り出し、それをテーブルの上に積み上げた。それを見た院長の目の色が変わるが、すぐに我に返ったように首を横に振る。
「いくらお金を積まれても、私が……いえ、子供達が疫病にかかるリスクを冒す訳には参りません。ですから、どうかご再考を」
院長の言葉にはおのれの保身が透けている。ソニアとアシュリーが侮蔑の視線を向ける。だけどアリアドネは微笑んで、パチンと指を鳴らした。
その合図に従い、アシュリーがテーブルの上にポーションをずらりと並べた。
「これを持っておきなさい」
「これは……?」
「浄化のポーションよ。これを使えば、疫病はすぐに治るわ。数もたくさんあるから、貴方達が疫病に罹る心配をする必要はないわ」
「は? では、なぜこんなことを……?」
意味が分からないと、院長が困惑する。
「いくら十分な数があると言っても、町の住人すべてに行き渡らせるほどの数はないの。だから、治癒魔術で治していると見せかける必要があるのよ」
(彼は私の言葉を信じるかしら……?)
素直に信じるかどうかは五分五分だろう。もしかしたら、裏があることには気付いたかもしれない。けれど、裏の裏があることまでは気付けない。
そのために必要なピースを彼には与えていないから。
それに、強欲な彼は浄化のポーションの横に積み上げられた金貨を意識せずにはいられない。自分たちの安全は確保されていて、余計な詮索をしなければその金貨が手に入る。
その甘美な果実の味を知っている彼は、アリアドネの提案を断れない。
「分かりました。では、疫病で苦しむ人々のためにこの孤児院をお貸ししましょう」
彼はいそいそと金貨と浄化のポーションを回収していく。アリアドネはそれを横目に、ソニアへと視線を向けた。
「という訳だけど、手伝ってくれるかしら?」
「もちろんです。どのような形でも、苦しんでいる人々を救えるのなら喜んで」
「そう。素敵ね。まるで――聖女みたい」
アリアドネは楽しげにその言葉を口にした。
こうして、ソニアが孤児院で患者の受け入れを始めた。表向きは彼女の治癒魔術で――その実は、飲み物に混ぜた浄化のポーションを使っての治療。
ソニアは次々に重篤な患者を救っていく。
町の孤児院で暮らす女性――ブロンドの髪に、青い瞳を持つ女性が、自分が感染する危険も顧みず、疫病に苦しむ人々を治癒魔術で癒やしているという噂が広がっていく。
そして時を同じくしてウィルフィードの手勢も行動を開始する。
手持ちの浄化ポーションで重篤な患者の救済を始め、隔離された患者に面会を求める住民の要望にも応じていく。
アリアドネの騎士団が患者を隔離して、必死に伝染病の蔓延を抑えたからこそいまがある。だが、人々の感謝は孤児院の娘とウィルフィードの手勢へ向けられる。
アリアドネの騎士団は自分たちを苦しめただけだ。
孤児院の娘が居たから、我々は命を救われた。ウィルフィードの手勢が決断してくれたから、我々は家族に再会することが出来た。
そんな風に人々は噂する。
――否、アリアドネ自身が、率先してその噂を吹聴させた。
ローズウッドの町には孤児院の娘やウィルフィードの騎士を称える声が溢れていて、逆にアリアドネの率いる騎士達には憎しみだけが向けられる。
それが、いまの世論のすべてである。
「まったく、忌々しい。アリアドネ皇女殿下が、どのような想いで皆を隔離したと思っているのだ。それなのに、我らを悪人呼ばわりとは……」
撤収の準備をする中、ティボーが悪態を吐いた。他の騎士達も言葉には出さないが、誰もが住民の態度には不満を抱いているようだ。
アリアドネは「皆が救われたのなら、それでいいじゃない」と聖女のような言葉をのたまっているが……その横に控えるアシュリーは、物凄くなにか言いたげな顔をしていた。
アリアドネはアシュリーを手招きし、ほかの者達に聞こえないように声を潜める。
「この町に聖女が現れたという噂を流しなさい。そして、その噂が神殿に流れるようにするの。そうしたら……」
アリアドネは隠し持っていたポーションを取り出す。
「これは……?」
「ルチアが作った浄化のポーションよ」
アシュリーがピクリと眉を跳ねさせた。
ルチアが聖女かもしれないと言うことをアシュリーは知っている。そして、聖女が作ったポーションには、聖女が持つ特有の魔力の痕跡が残ることも。
「このポーションをどうしろとおっしゃるのですか?」
「神殿に流しなさい。ただし、匿名で、入手経路も明かす必要はないわ」
アリアドネがそう告げると、アシュリーが大きく目を見張った。それから信じられないとばかりに身を震わせ、恐怖を滲ませた顔でアリアドネを見つめた。
「まさか、ウィルフィード侯爵の騎士団が到着するのを待ったのは……それが理由ですか? 彼を、すべての黒幕に……」
アリアドネが無言で微笑めば、アシュリーは瞳を大きく揺らした。
「貴女は……貴女は、なんて恐ろしいことを考えるんですか……っ!」
アリアドネはこの目を知っている。回帰前、紅の薔薇として君臨していた彼女が、人々から最も多く向けられた視線だから。
「アシュリー、貴女は私のことが恐ろしい?」
「それは……」
アシュリーは再び深緑の瞳を揺らす。
けれどきゅっと拳を握りしめると、まっすぐにアリアドネを見つめた。
「……恐ろしくないと言えば嘘になります。でも、いまは味方ですから。どちらかというと、アリアドネ皇女殿下を敵に回した第二王子派に同情します」
アリアドネは軽く目を見張って、それからふっと小さな笑みを零す。
「そうね。私を敵に回した第二王子派には目にものをみせてあげないとね。でも、今回の敵は第二王子派だけじゃないのよ」
「……第二王子派だけじゃ……ない?」
「アヴェリア教国で怪しい動きがあるわ」
隣国が攻めてくるのは確定した未来といっても過言ではない。ゆえに問題なのは、疫病の蔓延を抑えたことで、隣国の攻めてくるタイミングが分からなくなることだった。
だが、アリアドネはオスカーを保護し、ギャレットの野望を打ち砕いた。ギャレットの目には、グランへイム国がオスカーに手を貸したように見えたことだろう。
最初からグランヘイム国を警戒し、攻め込むタイミングをうかがっていた彼がどう思うかは火を見るより明らかだ。
結果――新たな伝令が部屋に駆け込んでくる。
「報告いたします! 隣国との国境付近に、アヴェリア教国の騎士団が集結中。アリアドネ皇女殿下は、すぐに王都へと帰還するようにとの王命です!」
青天の霹靂とも言える報告に、アシュリーはもちろん、少し離れていた場所で作業をしていた騎士達も息を呑む。
開戦の足音が近づいてくる中、アリアドネだけが不敵に微笑んでいた。




