エピソード 2ー7
回帰した悪逆皇女は黒歴史を塗り替える 一巻 好評発売中!
ローズウッドの周辺にある町を封鎖して、治癒魔術師が患者の治療に当たる。同時に王都に救援を求め、アリアドネは残った騎士を率いてローズウッドの町へと向かった。
翌日。たどり着いたローズウッドは、前回来たときとはすっかり様変わりしていた。住民は暗い顔をして、黙々と魔物の死骸を片付けている。
「話を聞いたところ、兵士達の命令で町の住人が魔物の死骸を片付けているそうですな。それほど兵士の手が足りていないのでしょうか?」
先行していた騎士達の報告を聞き、ハンスがいぶかしげに呟いた。
癒着と横領が蔓延した結果だと知れば、正義感の強い彼はどんな顔をするだろう? そんなふうに考えたアリアドネは「さぁね」と視線をそらす。
だが、現実から目をそらすことは出来ない。
「半数は死骸の片付けを。そして――ハンス、疫病が他の町へ広がっていることを踏まえて、すぐにこの町を封鎖して、感染者を隔離する必要があるわ」
「町の住人が言うことを聞くでしょうか?」
「私の名の下に、町長に協力をさせなさい」
「仰せのままに」
騎士達がせわしなく動き始める。
それを見送り、アリアドネはアシュリーの元へと足を運んだ。彼女はすでに使用人達に指示を飛ばし、炊き出しの準備を始めている。
「アリアドネ皇女殿下、例の品はどういたしましょう?」
「どこか人の目に入らないところに保管しておいて」
アリアドネの言葉に、アシュリーはかしこまりましたと頷きながらも、そのしばらくというのがどれくらいかと問いかけてくる。
(出来ればこの子には重荷を背負わせたくないんだけど……でも、情報が足りなければ、重要なところで思わぬ独断に走る可能性もあるわよね)
そう判断したアリアドネは周囲を見回して、少しだけ声のトーンを落とした。
「この町に疫病が発生した事実と、私たちがこの町に支援に訪れたという噂が届けば、すぐにでもウィルフィード侯爵の手勢が救援に駆けつけるはずよ」
「なぜです? ここは王家の直轄領だったはずです」
「そう、なんだけどね」
この町は王都近郊にあり、王家が所有する領地の一部である。
けれど、その代官に任命されているのはウィルフィードの親戚だ。しかも、代官は役割を果たさず利益だけを甘受して、責務は町長に押しつけている。
だから、この町で疫病が発生し、なおかつアリアドネが事態を収拾したとなれば、ウィルフィードの名誉は大きく損なわれる。ウィルフィードにとってはこの上ない屈辱だ。
だからこの事態を知れば、彼は必ず救援を送り込んでくる。
アリアドネがその背景を説明すれば、アシュリーは考えに耽ってしまった。
(やっぱり考えてしまうわよね。私が浄化のポーションを用意した理由)
アリアドネが一体なにを企んでいるのか? いつも側にいるアシュリーなら、その答えにたどり着くかもしれない。
だけどそれは、彼女の負担を増やすだけだ。
「アシュリー、いまは自分がすべきことをしなさい」
「……失礼いたしました」
アシュリーは自分の考えを霧散させ、すぐに炊き出しの準備を始めた。こうして、アリアドネが引き連れた騎士団は人道支援を開始する。
人道支援――と言ったが、これは最大幸福数を保つ行為だ。
分け隔てなく炊き出しをおこなう反面、患者の隔離も分け隔てなく実行する。たとえそれが、元気な親と、瘴気に侵された子供を引き離す行為だろうと。
批判が出ないはずがない。いくら多くの人々を救うためだとしても、被害を受けた者達が傷付いていることに変わりはないのだから。
騎士団の働きで疫病の拡散は抑えられるが、それと反比例するように、アリアドネが率いる騎士団に対する人々の悪感情は膨れ上がっていく。
そうして三日が過ぎた頃。
町の住人と騎士団の関係はこの上なく悪化していた。もしも炊き出しを行っていなければ、とっくに小競り合いへと発展していただろう。
そんな状況に陥り、さすがのアリアドネも焦れていた。
隔離区域の外にある、空き家の一つを貸し切りにした滞在場所。昼食を終えたアリアドネは、隔離区域の状況を聞いて唇を噛む。
浄化のポーションは、備蓄していても不自然でない量をとっくに放出している。これ以上はアリアドネの謀略が破綻する。その寸前までの量を治療に使用している。
だけど、それでも、隔離された区域では死人が発生していた。
ますます騎士団への風当たりが強くなるだろう。そうなれば、思わぬ事態を引き起こすかもしれない。それは、アリアドネにとって、もっとも避けたい事態だ。
「アリアドネ皇女殿下、まだ、使われないのですか?」
焦れたアシュリーが問いかけてくる。唯一、浄化のポーションを大量に保持していると知っている彼女にとって、この時間は耐えがたい苦痛なのだろう。
「まだよ、もう少しだけ耐えなさい」
(ウィルフィード侯爵、貴方はそこまで無能じゃないでしょう?)
伝達時間と、騎士を派遣するまでの期間。
諸々を考えれば、すでに彼の手勢が到着していてもおかしくない。あとは、彼が決断に掛かった時間の分だけ、到着が遅れることになる。
だから早く来なさい――と、アリアドネは心の中で念じる。そこにノックがあり、伝令が部屋に入ってきた。アリアドネはわずかに期待を抱くが――
「町の住人が、隔離区域にいる者に会わせろと詰めかけてきました」
告げられた言葉は期待したのとは真逆、もっとも聞きたくない報告だった。
(突き放せば、確実に騎士団と衝突することになるわ。でも要求を受け入れて病が広がれば、私が用意した浄化のポーションでも抑えきれなくなる)
それを理解してなお彼らの要求を受け入れる。それはつまり、疫病を町中に蔓延させるのと同じことだ。最悪は、この町を住民ごと焼き払うことになるだろう。
ならばどうするのが正解か――と、思いを巡らせたアリアドネはふっと笑う。
(……まさか、ウィルフィード侯爵を信じる日が来るとはね)
「その者達との話し合いの場を設けなさい。ただし要求を呑むのではなく、出来るだけ交渉して時間を引き延ばすのよ」
時間稼ぎの案。むろん、それで稼げる時間はそう多くないが、時間を稼ぐのはウィルフィードの手勢が到着するまでだ。
つまりアリアドネは、敵であるウィルフィードの能力を信じたのだ。彼は間違いなく、今日明日にでも、自分の手勢を送り込んでくる――と。
そして――
「報告いたします! ウィルフィード侯爵の騎士団がこの町に到着いたしました!」
新たな伝令が飛び込んできた。それこそ、アリアドネが待ち望んでいた報告だ。けれど、それを告げた伝令の表情は暗い。
「なにか、続きがありそうね」
「実は、それが――」
「――これはこれは、アリアドネ皇女殿下、ご機嫌麗しゅう」
伝令の後に、見知らぬ騎士が立ち入ってきた。
「何者だ!」
護衛がその行く手を遮ろうとするが、アリアドネは手振りで護衛を下がらせた。
「ウィルフィード侯爵の騎士ね。私になんの用かしら?」
「いえ、なに、アリアドネ皇女殿下がこの町で流行している疫病を抑える協力をしてくださったと聞き、そのご挨拶と――引き継ぎのお願いにまいりました」
騎士の言葉に、ハンスがピクリと眉を動かした。
「今更のこのこと現れて、この場を譲れというのか? 我らはラファエル王の許可を得て、この地の人道支援に当たっているのだぞ!」
「譲るもなにも、この地の管理はウィルフィード侯爵の縁者に任されております。ご協力には感謝いたしますが、このあとの処理は任せていただきたい」
ウィルフィードの騎士は一歩も引かない。
業を煮やしたハンスがアリアドネへと視線を向けた。
「アリアドネ皇女殿下、このような申し出を受ける必要はありません。ここで引けば、我らは貧乏くじですぞ!」
ハンスが憤るのも当然だ。
アリアドネの騎士団は疫病を抑え込むために悪役を買って出た。
ここで交代した彼らが事態を収拾すれば、アリアドネの騎士団は悪役で、ウィルフィードの騎士団が救い主、という流れになってしまう。
だけど――
「すぐに引き継ぎの準備をなさい」
「アリアドネ皇女殿下!?」
ハンスがなぜと言いたげに声を荒らげる。直後、アリアドネはウィルフィードの騎士に背を向け、ハンス達へと向き直った。
「後の始末はウィルフィード侯爵の騎士達にお願いしましょう。それで町の住人が救われるのなら、かまわないじゃない。――ねぇ、そうでしょう?」
自分の騎士達に微笑みかける。
本来であれば、なぜそのようなことを言うのか――と、ハンス達は怒るところだ。だが、彼らは一様にして沈黙した。
アリアドネが、とてもとても悪い顔で笑っていたから。
しかし、アリアドネの背中しか見えないウィルフィードの騎士はそれに気付かない。
「つまり、引き継ぎをしてくださる、ということですかな?」
「ええ、もちろん」
アリアドネは表情を取り繕い、ウィルフィードの騎士へと向き直った。それから引き継ぎの許可を出し、具体的な指示をハンスに告げる。
そうしてウィルフィードの騎士が退出するのを見届けたアリアドネは、次にアシュリーへと視線を向けた。
「例のあれを使うわよ」
「かしこまりました。しかし、アリアドネ皇女殿下。このタイミングでということは。やはり……そういうことなのですか?」
「ええ。彼らにはせいぜい、束の間の英雄を気取ってもらいましょう」
ウィルフィードの末路を思い浮かべ、アリアドネは妖しい笑みをこぼした。




