エピソード 2ー5
回帰した悪逆皇女は黒歴史を塗り替える 一巻 好評発売中!
孤児院から離宮へと戻った翌日。
アリアドネは人払いをした部屋にアシュリーを招き入れた。執務机の向かい、大きな椅子に座ったアリアドネが静かにアシュリーを見つめる。
「アリアドネ皇女殿下、お呼びとうかがいましたが……?」
アリアドネは徹底して信頼できる者達で周囲を固めている。にもかかわらず人払いがなされている。そこから、それだけ重要な話があると気付いたのだろう。
アシュリーのツインテールが不安げに揺れている。
「貴女が予想しているとおり、ここに呼んだのは大事な話があるからよ。でもその前に一つだけ確認させてちょうだい」
「はい、なんなりとご確認ください」
アシュリーがきゅっと唇を結んだ。
その瞬間、アリアドネは静かな口調で問いかける。
「貴女はイザベル前王妃に秘密を作ることは出来るかしら?」
「それは、どういう……」
「言葉通りの意味よ。私がいまから貴女に頼むことを第一王子派の誰にも知らせず、秘密裏に実行するの。それが出来るかと聞いているの」
アシュリーは第一王子派に属するグラニス伯爵家の娘で、イザベルの命令によってアリアドネの侍女を務めている。
言うなれば、彼女はイザベルの目と耳の役目を果たしている。そんな彼女に、その目と耳を閉ざせと言っているのだ。
驚いた彼女は、その緑色の瞳を大きく揺らした。
「わ、私は、イザベル前王妃殿下の命令に従っています。アリアドネ皇女殿下は私の師であり、尊敬すべき主ではありますが……だから、その……」
彼女の視線がせわしなく揺れる。その様子からも、彼女が本当に答えに窮しているのが分かった。だからこそ、アリアドネは少しだけ笑みを零す。
「ごめんなさい、少し聞き方が意地悪だったわね」
「……アリアドネ皇女殿下?」
「私はなにもイザベル前王妃を裏切れと言っている訳じゃないのよ。ただ、イザベル前王妃やアルノルト殿下のために、その目と耳を閉ざせるかと、聞いているの」
アリアドネが張り巡らせているのは謀略だ。
敵を罠に掛け、味方に利益をもたらす。敵味方が入れ替わっただけで、その行動原理は悪逆皇女として処刑されるまえと変わっていない。
だからこそ、この計画の要をイザベルやアルノルトの耳に入れる訳にはいかない。そうしなければ、失敗したとき、彼女たちを巻き込んでしまう可能性があるから。
それを正しく理解したのだろう。
アシュリーが目を見張り、続けて神妙な顔になった。
「アリアドネ皇女殿下、今度は一体なにをするつもりですか?」
「ウィルフィード侯爵を排除して、第二王子派の勢力を削ぎ落とすのよ。貴女には、その重要な役割の一つを担ってもらいたいの」
謀略の共犯になりなさいと、アシュリーを見つめる。その宝石眼に捕らわれたアシュリーはゴクリと喉を鳴らした。
「……それが第一王子派のためになるのならば、私は目を瞑り、耳を閉ざしましょう」
「いい覚悟ね。最初に会ったときはキャンキャン吠える子犬にしか見えなかったのに」
「私のことをなんだと思っているんですか……っ」
「とても優秀で頼りになる部下よ。いまは、ね?」
素で答えれば、アシュリーの顔が赤く染まった。
「こ、この人たらし……っ」
「知っているわ」
恋愛感情には疎いアリアドネだが、人心掌握はお手の物だ。涼しい顔で答えるアリアドネに対し、アシュリーは「~~~っ」と悔しげな顔をした。
けれど不意に溜め息をつき、次の瞬間には真面目な顔をする。
「……それで、私はなにをすればいいんですか?」
「貴女のそういうところ、とても素敵だと思うわ」
「茶化さないでください」
もうからかわせてくれない。アリアドネは少しだけ残念そうな素振りを見せると、「浄化のポーションを量産して欲しいの」と口にした。
浄化のポーション。
一般的に、魔物の瘴気を浄化することに使われる。だが、そのポーションの使い道はそれだけじゃない。瘴気を受けて発症した病に対する特効薬でもある。
「それなら作れますが、数はどれくらいお入り用でしょう?」
小首をかしげるアシュリーに向かって、アリアドネはぴっと人差し指を立てた。
「最低でも三千本は用意しておいてくれるかしら? 期限はおよそ……一ヶ月」
「さ、最低で三千本ですか? 一ヶ月あればなんとか間に合うと思いますが……あのポーションは保存が効かないため、二、三ヶ月も経てば効果がなくなってしまいますよ?」
「それで問題ないわ」
アリアドネが静かに微笑むと、アシュリーがその身を震わせた。
「まさか……アリアドネ皇女殿下は……」
アリアドネは答えない。
これこそが、未来を伝えることなく、事前に災害対策をするための策。事前に対策をすることで自作自演を疑われるのなら――それを事実にしてしまえばいい。
「アリアドネ皇女殿下、自作自演の誹りを受けますよ?」
「私がその程度の対策をしていないとでも?」
「……確認するまでもありませんでしたね。分かりました。浄化のポーションを三千本、必ず期日までに用意してご覧に入れます」
アシュリーにあれこれ命じた後、アリアドネは中庭の散策をしていた。そこでシビラに連れられたルチアと出くわす。彼女はアリアドネに気付くと、シビラの背後に隠れた。
年齢的にはアリアドネの一つ下の14歳だが、見た目的にはもう少し幼く見える。
「ルチアさん――」
シビラが咎めようとするが、アリアドネがそれを手で制した。
「こんにちは、ルチア」
声を掛けると、シビラの陰に見えているルチアの体がピクリと跳ねた。それから、おっかなびっくりという感じで、上半身を覗き込ませてくる。
「その声は……あのときのお姉さん?」
「ん? あぁ、あのときはフードを被っていたものね。そうよ。私はアリアドネ。貴女をご両親に会わせてあげると約束した、あのお姉さんだよ」
お姉さんだよと口にした瞬間、シビラがふっと顔を背けたがそれはともかく。
「なにか、困っていることはない?」
「はい。凄く良くしてもらっています。ほんとに、びっくりするくらい……というか、ここはどこなんでしょう? ものすごく立派なお屋敷、ですよね」
それを聞いたアリアドネは、シビラに「説明は?」と視線で問いかけた。
「昨夜はすぐに眠ってしまったので、これから説明する予定でした」
「あぁ、そうだったのね」
保護されたときのルチアは風邪をこじらせており、馬車での移動中はずっと眠っていた。風邪はもう治ったようだけど、朝は旅の汚れを落としたりと忙しかったのだろう。
彼女の可愛らしい服装からそう判断を下す。
「ここはレストゥール皇族が暮らす離宮よ」
「こ、皇族ですか? じゃあ、その方に挨拶をしないと、ですね」
「そうね。こんにちは、ルチア。私はアリアドネよ」
「……? お姉さんの名前はさきほど聞きましたよ?」
目の前のお姉さんが皇女だとは夢にも思わないルチアは首をかしげる。
アリアドネがクスクスと笑っていると、シビラが「お人が悪いですよ、アリアドネ皇女殿下」と口にした。その言葉にルチアはぱちくりと瞬く。
「アリアドネ……皇女殿下? ……え? お姉さんが皇女殿下なのですか!?」
「ふふ、名乗るのが遅くなってごめんなさいね」
皇族と平民のやりとりと考えれば無礼にもほどがある。相手が相手なら首が飛んでもおかしくない状況に直面したルチアは慌てふためいている。
けれどアリアドネは気にした風もなく、少しお茶にしましょうと微笑んだ。
それから場所を移動して、中庭にある木漏れ日の下にお茶会の席を用意する。その席で向き合ってお茶をするけれど、ルチアは借りてきた猫のようだ。
だが、その沈黙にも耐えかねたのだろう。程なくしてルチアが顔を上げた。
「あ、あの、さっきは失礼なことを言ってすみませんでした」
「いいえ、貴女が謝罪する必要はないわ」
たとえ、誰がなにを言っても――と心の中で呟いた。アリアドネの脳裏によぎったのは、自分の手にする剣が彼女の心臓を貫いたときの生々しい感触だ。
ルチアはあのときと同じようにただ不安げに、アリアドネの顔を見つめている。
「それで、その……私はどうしてここに連れてこられたんでしょう?」
「実は貴女の噂を聞いたのよ」
「噂、ですか?」
「そう。怪我をしている人を助けてあげたでしょう?」
「あ、それは、その……」
ルチアは視線を泳がせた。孤児院での扱いから予想できていたことだが、治癒を使えることを隠しているのだ。
「誰かに、秘密にするように言われた?」
まっすぐにルチアを見つめる。
彼女は視線を泳がせていたけれど、しばらくして観念するように頷いた。
「お父様とお母様に」
「……そう、そういうこと」
ここで明確にしておきたいのは、治癒魔術の使い手は珍しいけれど、皆無と言うほどではない、ということだ。
神殿に行けば何人も居るし、貴族なら一人くらいは抱えている。
だが、治癒魔術を使うには、相応の教育が必要になる。貴族でなくとも、そこそこ裕福な家の子供なら学ぶことが出来るが、それも十歳を超えてからが普通。
だが、彼女は物心がついた頃に攫われている。つまり、彼女が治癒魔術を使い、それを秘密にするようにと両親から言われたのは、物心がついた頃、ということだ。
本来であればあり得ない。
けれど、これに当てはまる事例が一つだけある。
聖女の降臨。神に祝福されて生まれた乙女は生まれながらに聖属性の魔力を操り、誰に学ぶことなく治癒の力を振るうことが出来る。
この大陸で暮らす者なら誰でも知る伝承だ。
その伝説を思い出したのだろう。背後に控えていたシビラの、息を呑む気配が伝わってくる。そしてその反応に対し、ルチアが不安げにその身を揺らした。
「あの……?」
「いいえ、なんでもないわ。ここに滞在している間のことは心配しなくてもいい。それと、治癒魔術が使えることは、しばらく秘密にしておきなさい」
「は、はい。分かりました」
ルチアが頷くのを見て、アリアドネはふっと笑みを零した。
「いい子ね。そうやっていい子にしていれば、いずれ両親に会わせてあげるわ」
「――本当ですか!?」
ルチアがテーブルに手をついて身を乗り出した。テーブルの上のティーカップがカチャリと揺れ、水面が小さく波打つ。
「ご、ごめんなさい」
ルチアが恥じ入るように席に座り直した。
それに対し、アリアドネは「大丈夫よ」と笑顔で応じる。
「まずは話を聞かせてちょうだい。貴女の素性は軽く調べさせてもらったけど、アヴェリア教国から連れてこられたのよね? 両親の名前は覚えているかしら?」
「それは……その……」
ルチアは顔を歪ませて唇を噛む。
彼女は幼い頃に拐かされたため、両親の名前を覚えていない。それを知っていて、だけど知らない振りをして尋ねたアリアドネもまたそっと視線を落とした。
「……そう。こちらで調べるから、後でシビラに分かることを話しておいてちょうだい。大丈夫よ。必ず、両親に会わせてあげるから」
「……はい、分かりました」
本当は、もっと聞きたいことがあるのだろう。だが、アリアドネが皇女だと知った彼女は気後れして質問することが出来ない。
それを知りながら、アリアドネはティーカップの中身を飲み干した。
そのまま席を立ち、メイドにルチアを部屋まで送らせる。その後ろ姿が見えなくなるのを見届けたアリアドネは、続けてシビラへと視線を向けた。
「分かっていると思うけど、さきほど聞いたことは他言無用よ」
「心得ています」
「いいわ。それじゃ、しばらくはあの子の面倒を見て。家庭教師を付けるから、必要最低限の教養と――治癒魔術を学ばせなさい」
適性がなければ治癒魔術を学ぶことは出来ないが、聖女である彼女は例外だ。すぐに従来の治癒魔術も使えるようになるだろう。
そうすれば、周囲の目を誤魔化しつつ、彼女の聖女としての力を伸ばすことが出来る。
「かしこまりました。すぐに手配します」
「ええ。目標はそうね……一ヶ月以内に、聖属性の魔力を込めた浄化のポーションを作れるようになること。出来たポーションは私の元に持ってきなさい」
「聖属性の魔力を込めた浄化のポーション、ですか? かしこまりました」
そう言って立ち去ろうとする、彼女の背中に声を掛ける。
「待ちなさい。もう一つ、スノーホワイト男爵家に渡りを付ける準備をしておいて」
「……スノーホワイト男爵家、ですか?」
「アヴェリア教国にあるルチアの実家よ」
「……ああ、なるほど。ルチアさんの……え? えぇっ!?」
シビラはとっさに両手で口を押さえた。それでも驚きは覚めやらぬようで「それは本当――というか、どうしてご存じなんですか?」と詰め寄ってくる。
「ヴィクトリア――院長の娘がネックレスをしていたの。そのネックレスの裏に刻まれた紋章が、スノーホワイト男爵家のものだったからよ」
もっともらしく語っているが、あのときのヴィクトリアはネックレスを付けていなかった。シビラがその場に居なかったからこそ言えるでまかせである。
だが、ルチアの実家がスノーホワイト男爵家であることも、そのネックレスをヴィクトリアが保持していることも事実である。
奴隷商を摘発したとき、騎士が押収したネックレスを本人に返還しようとした。それを院長が横領して、娘のヴィクトリアに横流しした、というのが真相だ。
アリアドネはその事実を回帰前に知った。
(回帰前は遺品しか届けられなかったけれど、今度は必ず……)
アリアドネはきゅっと拳を握り、自らが虐げた善良な少女への贖罪を誓った。




