エピソード 2ー4
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回帰した悪逆皇女は黒歴史を塗り替える 一巻 好評発売中!
王都近郊にあるローズウッドという町には、国からの支援金で運営される孤児院がある。身寄りのない子供達を集めるそこは、院長先生が支配する小さな王国だった。
これ見よがしに横領が行われている訳じゃないし、目を覆いたくなるような虐待が行われている訳でもない。それでも、その孤児院が、院長先生とその娘のために存在していることだけは間違いがなかった。
「――痛っ! ちょっと、ルチア! 髪を梳くのもまともに出来ないの!?」
声を荒らげた娘が、振り返り様に幼い娘を突き飛ばす。
そうして床に倒れ込み、青い瞳をそっと伏せた娘の名はルチア。幼い頃にこの孤児院に保護された、今年で14歳になる娘である。
対して、ブロンドの髪を掻き上げ、ルチアをまるで召使いのように見下している娘の名はヴィクトリア。今年で18歳になる院長の娘である。
「ルチア、なにか言うことはないの?」
「……申し訳ありません、ヴィクトリアお嬢様」
ルチアはスカートをぎゅっと抱きしめて謝罪する。
幼き日に保護されて以来、ルチアはずっとこんな扱いを受けている。
彼女にとってはこれが日常だ。
他の孤児達も状況は知っているが、どのみちヴィクトリアの暴挙は止められない。であるならば、その対象は自分以外がいい――と、彼らは生け贄にルチアを選んだのだ。
「ふんっ。ほんと、使えないわね。……もういいわ。部屋に戻ってなさい。今日は大事なお客様が来るから、応接間に出てくるんじゃないわよ!」
上質な生地を使った服を身につけたヴィクトリアが部屋を後にする。それを見送った後、ルチアは大部屋にある自分のスペースに戻ると、ベットの上に倒れ込んだ。
本人は気がついていないが、その顔は紅くほてっている。疲労の蓄積で風邪を引いているのだ。そのことにすら気付かないほどに、彼女の心身は弱り果てていた。
ルチアは、幼い頃に人さらいに攫われ、非合法の奴隷商に売られた。だが、その奴隷商が摘発され、奴隷の身から解放される運びとなった。
本来ならそのまま親元に帰されるはずだったが、身寄りを確認することが出来ず、この孤児院に預けられた。それ以来ずっと、このような暮らしを強いられている。
「……お父様、お母様」
ルチアには、攫われるまえの記憶が残っている。名前はおぼろげだけど、自分を大切にしてくれた両親の姿は目に焼き付いている。
だから、ルチアはいつも家族に会いたいと願っていた。けれど、他の孤児達は、そんなルチアを疎ましく思っている。
自分達には家族の記憶なんてないのに、おまえだけズルい――と。
孤児達の嫉妬は仕方のないものだ。だが、もしも心の内を見ることの出来る子供がいたのなら、むしろルチアに同情したことだろう。
幸せな日々を知らない方が、苦しまずにいられることもあるのだ――と。
「お父様、お母様、私は、ここにいます。だから、だからどうか……」
いつか、両親が迎えに来てくれることを信じて、ぎゅっと掛け布団を抱きしめる。そこで疲労が限界になったのか、ルチアの意識が遠くなっていく。
「ダメ……お洗濯をしないと、また怒られちゃう……っ」
意識をつなぎ止めようと抗うが、疲労が蓄積したその身体は言うことを聞いてくれない。そのまま意識を手放したルチアは、ある夢を見た。
――それは、未来の記録。
あるいは、失われた歴史の一ページ。
疫病から人々を救ったルチアは神殿で儀式を受け、新たな聖女に認定された。
そして――彼女は騙された。両親を見つけてやるという、ある男の甘言に乗せられ、気付けばこの国の王子と婚約することになっていた。
その男は、ルチアの両親なんて探していなかったのに。
そして、更なる悲劇がルチアに襲いかかる。
馬車で移動中のある日、その一行が賊に襲撃されたのだ。
当然護衛は多くいた。それでも守り切れないほどの数。ルチアはこのまま、尊厳もなにもかも奪われるのだと思っていた。
けれど――
「貴女がルチアね」
戦闘の音が途切れてほどなく、ルチア達の立てこもる馬車の扉が開かれた。その向こうにいたのは、宝石のような紫色の瞳を持つ女性。
顔立ちはもちろん、その所作までもが美しい女性だった。
「貴様、何者だ!」
ルチアのお付きのメイド――という名目で、ルチアが逃げないように見張っていた女騎士が声を荒らげる。同時に隠し持っていた短剣を引き抜くが、次の瞬間、女騎士はその身を切り裂かれて事切れた。
紫色の瞳を持つ女性が、その手に提げていた細身の剣を振るったのだ。
自分も殺される――と、ルチアは目を瞑った。
けれど、予想していたような痛みは襲いかかってこない。ルチアが恐る恐る目を開けると、女性は静かにルチアを見下ろしていた。
「ルチア、なにか最期に言い残すことはあるかしら?」
さいごという響きに、自分の死が逃れられない運命だと理解する。ルチアは泣きそうな顔になり、それでも、自分のただ一つの願いを口にした。
「一度でいいから……お父様やお母様に会わせて」
それ以外にはなにも望まない、と。
それを聞いた女性は、そのアメシストの瞳を悲しげに揺らした。
冷酷で、だけど、何処か悲しげ。なにかを我慢して、どうにも出来ないことを諦めてしまったような、孤児院に保護されたばかりの子供が浮かべるような表情。
(どうして、そんな顔をするの?)
ルチアがその質問をする機会は永遠に訪れない。いつの間にか、女性の持つ剣に胸を貫かれていたからだ。
それを意識するのと同時、ルチアの意識は静に闇へと沈んでいった。
◆◆◆
レストゥールの皇族が暮らす離宮の一室。部屋の主であるアリアドネは鏡台の前に座り、髪の手入れを侍女のシビラに任せていた。
シビラが櫛で梳くと、青みがかったプラチナブロンドがサラサラと揺れる。その奉仕に身を任せながら、アリアドネは鏡越しにシビラの顔を見上げた。
「ヴィオラの容態はどうかしら?」
ヴィオラというのは、病床に伏せっていたシビラの妹のことだ。
シビラはその妹を救おうとして、一度はアリアドネのことを裏切っている。けれど、彼女はアリアドネに許され、妹もまたアリアドネに保護された。
そうして妹を救われたシビラは、アリアドネの忠実なメイドとなった。
「おかげさまで、病気も快復に向かっています。最近は、元気になったらアリアドネ皇女殿下の侍女になるんだって言って聞かなくて。そんな簡単になれる職業じゃないのに」
困ったことと言いたげなセリフ。
けれど、鏡越しに写るシビラの顔には妹に対する愛情が溢れている。きっと、自分と同じ道を目指そうとする妹が可愛くて仕方がないのだろう。
「いいじゃない。貴女が教えてあげれば――痛っ」
櫛がアリアドネの髪に引っかかった。
「――申し訳ございません」
シビラは己の失態を恥じるように頭を下げた。
だが、アリアドネはそのアメシストの瞳を瞬かせる。
「ん? 昨日、髪を纏めずにうたた寝をしてしまったから、そのときに絡まったのね」
「うたた寝、ですか?」
「ええ。淑女として恥ずかしいわ。だから、さっきのはここだけの話にしておいてね」
アリアドネは悪戯っぽく笑った。
だが、アリアドネが他人にそのような隙を見せたことはない。それを知っているシビラは困った顔をして、だけどさきほどよりも丁寧に髪を梳き始めた。
その後、外出の用意を終えたアリアドネは馬車へと乗り込む。そうして向かうのは、王都の郊外にあるローズウッドの孤児院だ。
道中で一泊して、そこで身分を偽るために変装をする。平民でも手に入るような馬車に乗り換えて、身分を隠していますと言わんばかりのフード付きのローブで身を包んだ。
到着した孤児院の前、先に馬車を降りたメイドが手を差し出した。彼女の正体はソニアだが、アリアドネ以上に変装し、その顔を他人のように変えている。
「アリアドネ皇女殿下、どうぞ」
「ありがとう」
ソニアのエスコートで馬車から降り立ち、おもむろに「ここでは私をリンディと、呼びなさい」と言い放つ。それを聞いたソニアが不思議そうな顔をする。
「聞いたことのない名前ですが、いま考えられたのですか?」
「いいえ、ウィルフィード侯爵が抱える秘密部隊の一人が使っているコードネームよ」
アリアドネは茶目っ気たっぷりに微笑むが、ソニアは「冗談がお上手ですね。それでは、いまから貴女をリンディと呼ばせていただきます」と信じなかった。
もっとも、秘密部隊のメンバーのコードネームなんて、普通であれば外部に漏れるはずもない。ソニアが冗談と思うのも無理はないことだ。
アリアドネが回帰前の記憶を使っているなんて夢にも思わない。
「さて、目的は分かっているわね?」
「もちろんです」
一つ目は、ソニアがこの孤児院へ潜入するための下準備。
二つ目は聖女の確保。
二つ目はアリアドネだけが把握している任務だが、表向きの理由も用意してある。
キースに集めさせた情報の中に、町で怪我をしている人を治療する孤児院の子供の話があったので、その有能な子供を確保する、という名目だ。
それらの任務を確認していると、すぐに院長先生達が迎えにやってきた。
彼らの案内に従って、孤児院にある応接間へと足を運ぶ。
(建物の管理は……行き届いているわね)
廊下を歩きながら周囲を観察する。
回帰前と同じように、建物の手入れは行き届いている。ただし、子供達のためではなく、自分たちが暮らす建物だから、という理由だろう。
それゆえに、子供達には必要のない調度品などにもお金が使われている。
不快ではあるが、ひとまずは捨て置くしかないだろうと、アリアドネはその問題を意識の隅へと追いやった。そのまま案内に従い、到着した応接間のソファに座る。
向かいにはこの孤児院の院長。それに、その娘が同席している。
院長の名前はリチャード。
ブラウンの髪にブラウンの瞳。今年で40になる彼は院長という地位を上手く使い、この孤児院を私物化している小悪党である。
続けて、娘の名はヴィクトリア。
ブロンドの髪に青い瞳。ややもすれば裕福な家の娘に見える彼女はもまた、孤児院の子供を自分の召使いのように考える我が儘なお嬢様だ。
「それで……その、貴女は?」
「私のことはリンディと呼びなさい」
「リンディ……様、ですか?」
リチャードは探るような面持ちを向けてくる。素性に秘密があると感づいているのだ。だが、事前に対処を決めていたアリアドネは慌てず、ソニアへ向けて顎をしゃくった。
ソニアは懐から取り出した革袋の中身をローテーブルの上にぶちまける。それは光を受けてキラキラと金色に煌めく硬貨。その数に、院長とその娘は揃って息を呑んだ。
「孤児を一人、身請けしたいのだけど」
「孤児を一人、ですか?」
「ええ。なにか……問題があるかしら?」
文句があるなら、この話はなしよ――という、アリアドネの言外の圧力は正しく伝わったのだろう。院長は慌てて「なにも問題ありません!」と応じた。
「そ、それで、リンディ様はどのような子供をご所望でしょう?」
その質問にアリアドネは少しだけ考える。ルチアが目的と知られないように、相手が自然とルチアを勧めるように誘導する必要があるからだ。
「そうね……よく気の利く十代の少女がいいわ。旦那様の娘の遊び相手をさせたいの」
「世話……ですか? 良家の娘の遊び相手なら、孤児を当たらずとも、いくらでもなり手はいるのではありませんか?」
いぶかしむ表情。
たしかに院長の考えは正しい。もしも本当にそういう子供を探すのなら、信頼の置ける家臣の子供から探すのが当たり前だ。
平民、それも孤児を当たるなどあり得ない。
だからこそ、アリアドネはローブの奥でふっと笑い声を零した。
「分かるでしょう? 訳ありなのよ」
聞くな――と、牽制を入れる。院長は息を呑み、それから部屋の外に控えていた別の先生に指示を出した。ほどなく、順番に連れられてくる少女達。
だが、アリアドネの目当てであるルチアは連れてこられなかった。気立てのよい娘だから、出し惜しみをしているのだろう。
「いまの娘が最後でございます」
院長がいけしゃあしゃあと言い放つ。だが、ルチアがこの孤児院で保護されていることは事前の調査でも確認済みだ。アリアドネは仕方がないとため息を吐いた。
「片付けなさい」
「かしこまりました」
ソニアがテーブルの上にぶちまけられた金貨を片付け始める。それに慌てたのは院長だ。彼はソファを蹴って立ち上がった。
「お、お待ちください!」
「……まだなにか?」
「いえ、その……孤児を身請けするつもりだったのでは?」
いま紹介した子供の中から選んでくれないのかと、彼の目が訴えている。だがアリアドネはこれ見よがしにため息を吐いた。
「気に入った子がいないから仕方ないわ。次の孤児院に期待しましょう」
アリアドネはそう言って立ち上がる。続けて踵を返せば、「お、お待ちください! 実はもう一人、娘がいるのです!」と院長が声を上げた。
(掛かったわね)
アリアドネはほくそ笑み、けれどめんどくさそうな面持ちで振り返った。
「さっき、これで最後だと聞いたけど?」
「いえ、それは、その……」
院長が言葉を濁す。
ヴィクトリアがそんな院長に向かって「お父さん!? あの子は私のメイドなのよ!?」なんて抗議をするが、院長は「黙りなさいっ」と慌てて遮った。
「それで、他に紹介する子供はいるの? それともいないの?」
「すぐに連れて参ります!」
院長先生は慌てた様子で走って行く。それを面白くなさそうに見送ったヴィクトリアが、挑戦的な瞳をアリアドネに向ける。
「ねぇ、貴女。貴族に仕える使用人かなにかなのよね?」
アリアドネは身分を偽っているが、立ち居振る舞いは使用人ではなく家臣のそれだ。少なくとも、ヴィクトリアに見下されるような立場ではない。それを理解していないヴィクトリアに、ソニアが批判的な視線を向ける。
だけどアリアドネはそれを手で制して、「だとしたらなにかしら?」と尋ねた。
「私、治癒の魔術が使えるの。あんな子より、私を引き取った方がいいと思わない?」
アリアドネの眉がピクリと跳ねた。
回帰前の記憶を持つアリアドネは、ヴィクトリアが野心家であることも、未熟ながらも治癒魔術の使い手であることも知っている。
なぜなら回帰前の彼女はルチアを差し置いて、自分こそが聖女だと名乗りを上げたのだ。それを孤児院ぐるみで認めたため、アリアドネの部下はルチアと誤認してしまった。
結果、ルチアを――真の聖女をウィルフィードに奪われることとなった。
そんな彼女には役割がある。だから、ここで彼女を連れて行くことは出来ない。そのために、身請けする子供の行く末が不安になるようなことを言ったのだが、迂遠な言い回しは彼女には通じていなかったようだ。
少し考えたアリアドネは、ここで罠をしかけることにした。
「そうね……残念だけど無理よ」
「どうしてよ!」
「そこにある金貨程度じゃ、貴女の価値に見合わないからよ」
さも当然のように言い放てば、彼女はその青い瞳をまん丸に見開いた。
「なにを、言っているの?」
「治癒魔術を使えると言ったでしょう? そういう人物は、国でとても重宝されることになるわ。だから残念だけど、手持ちのお金で貴女を買うことは出来ないの」
もちろん、誇張した表現だ。
だが、それを信じたヴィクトリアは、それなら仕方ないわねと引き下がった。
自分はこんなところにいるべきではない――と。彼女の心の中にぽつんと浮かんだ感情は、黒いインクのように滲んでいくことになるだろう。
それを満足げに眺めていると、程なくして院長がルチアを連れて戻ってきた。
いや、連れてきたという言葉には語弊がある。部屋に戻ってきた院長は、ルチアをまるでずた袋のように小脇に抱えていて、そのままソファの上に投げ落とした。
「申し訳ありません、彼女は風邪を引いてしまったようで……ほら、ルチア、起きてご挨拶をしろ。おまえを身請けしてくれるかもしれないご主人様だぞ」
ルチアを乱暴にたたき起こそうとするのを、ソニアに視線を送って止めさせる。アリアドネは彼女の前で屈み込むと、その弱々しくも整った顔を覗き込んだ。
彼女の瞳が、ぼんやりとアリアドネを捕らえる。
熱に浮かされているのだろう。顔はほてり、瞳の焦点は合っていない。けれど、その瞳の奥には、確固たる意志が滲んでいる。
それを目にしたアリアドネの脳裏によぎったのは、失われた歴史の一ページだ。
『一度でいいから……お父様やお母様に会わせて』
回帰前のアリアドネはその願いに対し、胸を剣で貫くことで答えた。
(ルチアはかつての私が虐げた善良な存在。その償いはしなくっちゃね)
「ルチア、貴女はどうしたい?」
「私は……」
ルチアはアリアドネを見上げ、少しだけ不思議そうな顔をした。その理由は分からなかったけれど、アリアドネは辛抱強くルチアの反応を待つ。
やがて彼女は顔を上げ、かつてと同じようにこう呟いた。
「私は……お父様やお母様に会いたい」
「いいわ。私がその願い――叶えてあげる」
今度こそとは心の中で呟いて、ルチアを丁重に運ぶように命じる。ソニアは頷き、ルチアの体をそっと抱き上げた。
それを見届けたアリアドネは、院長に向かって意味深な視線を向ける。
その瞬間、彼はびくりと身を震わせた。さきほどのやりとりと合わせて、『両親には天国で会わせてあげる』という意味に誤解したのだろう。
アリアドネはその誤解を加速させるべく、懐から金貨の入った革袋を取り出し、それを院長に向かって放り投げた。それを受け取った彼は中身を目にして息を呑む。
「こ、これは、まさか、口止め……っ」
院長は思わずといった感じで呟き、慌てて口を押さえる。
「あら、私に口止め料を払う理由があるとでも?」
「い、いいえ、滅相もありません!」
なにも知らないとばかりに、彼は大きく首を横に振った。
「さっき言ってたでしょう? ルチアをメイドとして働かせていたって。そのお詫びみたいなものよ。そのお金で、ちゃんとした使用人を雇いなさい」
「そ、それなら……」
院長の瞳に欲が滲んだ。
別の孤児をメイドに仕立て上げ、そのお金を着服しようというのだろう。だからその瞬間、アリアドネは見透かしたように付け加える。
「孤児を不当に扱うのは犯罪よ?」
怪しく笑う。
院長は心の中で「おまえが言うな!」と叫んだだろう。だが、表向きはなにも言わず、分かりましたとばかりに何度も頷いた。
それを確認したアリアドネは「また来るわ。そのときは、ちゃんとした使用人に応対をさせなさい」と布石を打って部屋を後にする。
孤児院を後にしたアリアドネは、ルチアを抱いたソニアとともに馬車に乗る。それから馬車が走り出すのを待ってローブを脱ぎ、チラリとソニアに視線を向けた。
「ルチアの様子はどう?」
「いまは眠っているようです」
それを聞いたアリアドネは少しだけ優しげに微笑んだ。
だけどそれは一瞬で、すぐに表情を引き締める。
「ソニア、院長の娘の顔は確認したわね?」
「はい。あの顔なら、変装で寄せることが出来ると思います」
「いいわ。彼らがメイドを募集するのに合わせて、孤児院に潜り込みなさい。ただし、失敗すれば貴女の命は保証できないわ。その覚悟は……あるわね?」
これは誇張でもなんでもない。アリアドネの作戦の要。この任務が失敗すれば、アリアドネの計画はソニアの命とともに潰えることになる。
その覚悟はあるのかと問うアリアドネに対し、ソニアは凄味のある笑みを浮かべた。
「それがウィルフィード侯爵への復讐になるなら喜んで」




