プロローグ
回帰した悪逆皇女は黒歴史を塗り替える
一巻がホビー書籍編集部(KADOKAWA)より12月28日発売!
ということで、本日より連載を再開、二章が終わるまで毎日投稿を予定しています。
一点だけ注意点がありまして、二章より一部のキャラの名前が書籍版に合わせて下記のように変更になります。とはいえ、作中の描写には気を付けているので、たぶん覚えなくても分かりますが。
アリア>マリアンヌ
アリアドネのお母様で、亡国の皇女。
現在、毒によって眠っている。
アメリア>イザベル
アルノルトのお母様で、前王妃。
前国王が亡くなった後も、アルノルトの地位を守るために動いている。
アニス>ソニア
ウィルフィード侯爵に復讐を誓う没落貴族の娘。
闇ギルドの一員で、いまはアリアドネのメイドとして働いている。
変更はこの三人。
*アリアドネ、アルノルト、アシュリーはそのままです。
「どうして、こんなことに……」
虚空に向かって呟いたのはアリアドネだ。
かつて信じていた兄に裏切られ、稀代の悪逆皇女として処刑されたアリアドネは、けれど神の気まぐれによって回帰し、二度目の人生を歩み始めた。彼女は自らを虐げた悪辣な人々には復讐を果たし、自らが虐げた善良な人々には贖罪をすると誓う。
だから、回帰後の彼女は腹違いの兄であるジークベルトに背を向けて、第一王子であるアルノルトに歩み寄った。
ジークベルトとの後継者争いに勝利させるために。
その結果、彼女はアルノルトと婚約することになった。しかし、アルノルトは回帰前の彼女が毒殺した相手だ。そんな相手との婚約にわだかまりがないといえば嘘になる。
とはいえ、婚約を望んだのはアルノルトだ。アリアドネが政治利用するために婚約を持ちかけた訳ではない。だから、わだかまりはあっても問題はない。
問題なのは、いまこの瞬間、アルノルトにお姫様抱っこされていることである。
ここは、エルミオン大陸の少し西部にあるグランヘイム国。その王都の城にあるパーティー会場では、盛大に婚約式が行われている。
パーティーのヒロインはアリアドネだ。
青み掛かったプラチナブロンドに、アメシストのごとき輝きを放つ宝石眼の持ち主。宝石を散りばめた深紅のドレスを纏う彼女は、アルノルトにお姫様抱っこされている。
衆人環視の中で、である。
「いいかげんに下ろしてください……っ」
頬を赤く染めたアリアドネが苦情を口にする。
アルノルトが望んだ婚約とはいえ、政治的な意味はある。むしろ、周囲から見れば、政略結婚としか考えられない。それくらい、政治的な意味合いが強い関係だ。
アリアドネの持つ宝石眼が真の王族の証であるという事実は秘されているが、それを除いたとしても、アリアドネが第一王子と婚約する意味は大きい。
第二王子派が送り込んだスパイだとか、現国王が第一王子に後を継がせる意思を示したとか、アルノルトとジークベルトが和解したなんて話がまことしやかに囁かれている。
参列客の多くは、その真相をたしかめようと目を光らせている。そうして目にしたのが、アリアドネをお姫様抱っこして会場に現れたアルノルトだ。
前代未聞の婚約式。
アルノルトはもちろん、顔を赤く染めたアリアドネもまんざらではない様子。この婚約に政略的な意図はなく、恋愛による結婚――‘愛の結婚’だと考えた者も少なくない。
少なくとも、参列客にそう思わせるだけのインパクトはあった。
しかし、すべての者がそう油断したわけではない。
どのような理由で結ばれたのだとしても、政略的な意味が消えるわけではない。これからの勢力図がどのように塗り替えられるのか、見識のある者は即座に探りを入れ始めた。
その標的になるのは当事者だ。
婚約式を終えた直後、並んで話をする二人の元へと参列客が集まってくる。
言うまでもないことだが、集まるのは好意的な者達ばかりではない。迂遠な言い回しの奥に秘められた牽制やイヤミや、悪意ある誘導尋問も投げかけられる。
若い二人には荷の重い状況。
けれど、回帰前は紅い薔薇として社交界に君臨したアリアドネは無論のこと、王子として厳しく育てられたアルノルトも負けてはいない。
二人は巧みな話術で質問の答えをはぐらかし、逆に相手の情報を引き出してく。そうして何十人目かの参列客とのやり取りを終えた直後、ある男が近づいてきた。
中肉中背で油断のならない物腰の男。
四十代も半ばに差し掛かった彼の青い瞳は、己の欲を隠し切れていない。
(ウィルフィード侯爵……っ)
アリアドネはその男の名を強く意識した。
ウィルフィードは第二王子派の有力貴族だ。回帰前のアリアドネにとっては同陣営の人間であったが、野心的でやっかいな存在でもあった。
ゆえに、復讐するべき相手ではなく、贖罪するべき相手でもない。
けれど、彼は根っからの悪人だ。アリアドネやジークベルトのように大義のために悪を成すのではなく、おのれの欲望のために生きている。
キースとソニアの実家を潰した理由がまさにそれだ。彼はソニアを愛妾に召し上げようとして、断られた腹いせにカント男爵家を潰した。
だから、アリアドネはウィルフィードの首を取ると決めている。回帰前に自らが虐げたソニアとキースに復讐の手伝いをすると誓ったからだ。
贖罪を果たすという信念に従って、彼を討ち滅ぼさなくてはいけない。
それに、彼が第二王子派の一員であることには変わりない。
いままでの彼は派閥内での権力争いに興じていたが、それは第二王子の即位が濃厚だったからだ。今回の婚約で第一王子派が即位に近づいたと知れば、ジークベルトと協力して第一王子派に攻撃を仕掛けてくるだろう。
つまり――
(次に討つべき敵は貴方よ)
「ウィルフィード侯爵、お目に掛かるのは初めてですね」
アリアドネは殺意を心の奥に隠し、優雅なカーテシーで出迎える。
アリアドネの青み掛かったプラチナブロンドが肩口から胸元へと零れ落ち、それを目にしたウィルフィードが好色そうな笑みを浮かべた。
「これはこれは、噂に違わぬ美しさですな。まさかジークベルト殿下の妹君であられる貴女が、アルノルト殿下の婚約者になるとは思いませんでしたが」
上から下まで舐るような視線が向けられるが、アリアドネはアメシストの宝石眼を細めてその視線を受け止めた。だが、その視線を遮るようにアルノルトが割って入り、アリアドネの姿はアルノルトの陰に紛れる。
「私の婚約者にあまり情熱的な視線を向けないでいただけますか?」
「……どなたかと思えば、アルノルト殿下でしたか」
アルノルトに視線を向けるなり敵意をむき出しにした。だがそれも無理はないだろう。ジークベルトを擁立するウィルフィードにとって、アルノルトは敵そのものだから。
もっとも、そういう意味では、アルノルトの婚約者となったアリアドネもまた敵であるはずなのだが、その辺りが好色なウィルフィードたるゆえんだ。
彼はなおもアルノルトの陰に立つアリアドネに好色な視線を向ける。その視線を受けたアリアドネはアルノルトの背後から横へと進み出た。
アルノルトがなにか言いたげな顔をするが、アリアドネは笑顔でそれを受け流す。そうして、ウィルフィードに妖しく微笑みかけた。
「ウィルフィード侯爵、アストール伯爵のことは残念でしたね」
「――っ」
ウィルフィードがカッと目を見開き、それからアリアドネを睨み付ける。だが、彼はすぐにその怒りを瞳の奥に隠してしまった。
「……なにをおっしゃっているのやら。もしや、アリアドネ皇女殿下は、アストール伯爵家が第一王子派であることをご存じないのでしょうか?」
「ええ、もちろん知っていますわ。いまのアストール伯爵が第一王子派であることは」
禁止されている奴隷売買を行った罪で、先代のアストール伯爵はその地位を追われている。いまのアストール伯爵は後任となった親戚筋の者だ。
そして、その後任の伯爵は第一王子派に属している。
しかし、先代の伯爵は第一王子派に属した振りをしながら、ウィルフィードに情報を流すスパイだった。それを知っていると、アリアドネはほのめかしたのだ。
「まさか、ジークベルト殿下が動いたのは……」
おまえの差し金かと、彼の瞳が問いかけてくる。けれどアリアドネは答えない。なにも答えずに微笑むことで、ウィルフィードが誤解するように思考を誘導する。
ほどなく、彼はその青い瞳に怒りを滲ませた。
「……そういう、ことか。だが、この程度で勝ったとは思わぬことだな」
ウィルフィードはそう吐き捨てると、踵を返して去っていった。その後ろ姿を見送っていると、アルノルトに袖を引かれた。
「……なぜ、彼を挑発するような真似を?」
「申し訳ありません、アルノルト殿下」
「アリアドネ皇女殿下、分かっているでしょう? 私は怒っている訳でも、謝罪を求めている訳でもありません。あなたが心配だから、理由を聞いているのです」
アリアドネが誤魔化そうとしたことをアルノルトは即座に見破る。思惑を見透かされたアリアドネは苦笑した。
「アルノルト殿下にはかないませんね。ですが、彼を挑発したと気付いていらっしゃるのなら、その理由も分かっていらっしゃるのではありませんか?」
「それは――」
彼は言葉を飲み込んだ。新たな客が挨拶にやってきたからだ。
会話を中断した二人は笑顔を浮かべ、参列客の対応を再開する。それから何人かの客を相手にしていると噂の君、代替わりしたアストールがやってきた。
アルノルトとアリアドネは新たな伯爵と挨拶を交わす。
ほどなく、アストールが「アルノルト殿下――」と言葉を濁した。
おおっぴらには話せないことがあるのだろう。即座にそう判断したアリアドネは、「私は少し夜風に当たって参りますわ」と気を利かせた。
しかし、一歩を踏み出そうとしたところでアルノルトに腕を捕まれる。
「アリアドネ皇女殿下、私の護衛を連れて行ってください」
「お気遣いには感謝いたしますが、必要ありませんわ」
「しかし、城内とはいえ、なにがあるか分かりません。ですから――」
「――アルノルト殿下」
凛とした声で遮る。
アリアドネがある種の意思を込めた瞳で見上げれば、彼はその整った顔を曇らせた。だが、一度きゅっと目を瞑り、「護衛は必要ないのですね?」と確認する。
「ええ、必要はありません」
「分かりました。では、気を付けていってください。ですが……後で話があります」
真剣な眼差しを向けられる。後でお説教かとアリアドネは身を固くするが、すぐに後という言葉に込められた意味に気付いて相好を崩した。
「ええ、必ず、後でお話いたしますわ」
無邪気に微笑んで、ドレスの裾を翻した。
アリアドネは悠然とパーティー会場から目的地へと向かって歩き始める。そのあいだに考えるのは、これからのことだ。
アリアドネはジークベルトに復讐し、多くの人々に贖罪するつもりでいる。いままでは、回帰前の記憶を有効活用することでそれを成し遂げてきた。
けれど――
(アルノルト殿下と婚約したことで、既に歴史は塗り替えられた)
いままでのように、回帰前と同じタイミングに同じ事件が起きるとは限らない。
とはいえ、事件の起因がなくなった訳でもない。
例えば、アリアドネがアルノルト側に寝返ったからといって、ジークベルトは王になることを諦めたりはしない。あの手この手で、自分が王になろうとするだろう。
回帰前と同じ歴史を辿らずとも、人々は回帰前と同じ目的のために行動する。そこから推測を重ねれば、いましばらくは未来を予測することが出来る。
それに、歴史改変による影響を受けにくい事象も数多く存在する。
たとえば、災害に属するあれこれだ。
蝶の羽ばたきが遠い国で嵐を起こすように、いつかはアリアドネの行動が自然にすら影響を及ぼすかもしれないけれど、それはもっと未来の話。
当面は回帰前と同じように災害が発生するだろう。
そして、回帰前の歴史と照らし合わせれば、もうすぐ魔物の襲来がある。
魔物による直接的な被害に加え、魔物の死骸による疫病が発生し、王都周辺で猛威を振るう未曾有の災害へと繋がる痛ましい事件。
しかも、その混乱の最中にアヴェリア教国が攻めてくる。グランヘイム軍の指揮を執ったのはジークベルトで、アリアドネはその補佐を務めた。
しかし、当時のアリアドネやジークベルトはまだ未熟だった。グランヘイム軍が疫病による傷から立ち直っていなかったこともあり、自軍に大きな被害を出すことになる。
最終的には勝利して、立役者であるジークベルトの派閥は勢力を増すことに成功するが、グランヘイムの国力低下は免れなかった。
互いの国に爪痕を残すひどい戦争だった。
(それに――)
アリアドネが思い浮かべたのは、戦争の最中に自身が虐げた善良な人々のこと。ささやかな願いを口にする聖女の胸に、容赦なく剣を突き立てたことすらあった。
自らの信条にのっとり、アリアドネが絶対に回避しなければならない未来だ。
けれど、戦争を止めることは難しい。
その理由は、隣国の王が病に倒れたことに起因する。
王が倒れたことで実権を握った第一王子は、レストゥール皇国を併合して大きくなった、グランヘイムが更なる力を蓄えるまえに戦争を仕掛けるべきだと主張した。
だが彼の真の目的は戦争で手柄を立て、国内での実権を握ることだ。神ならざるアリアドネに隣国の王の病気を治すすべはなく、隣国の王子の野望を抑えるすべもない。
(つまり私に出来るのは、疫病と戦争による被害を最小限に抑えることだけ。なんだけど、それですら簡単なこととは言えないわね)
疫病の蔓延と戦争の勃発が因果関係にある。つまり、疫病の被害を抑えれば、アヴェリア教国が戦争を仕掛けてくるタイミングが変わってしまうのだ。
しかし、アリアドネは今後、第二王子派との権力争いに備えなければならない。下手なタイミングでアヴェリア教国に攻められれば、思わぬ痛手を被ることになる。
それを回避するには、アヴェリア教国が攻めてくるタイミングを調整する必要がある。
(疫病の被害を抑え、隣国の王子の野心をコントロールする必要があるわね)
回帰前の未来を知る。
それはアリアドネにとって最大のアドバンテージだ。第二王子派と戦う上で、自らのアドバンテージを手放すことは出来ない。つまり、自分が未来を知ると周囲に知らさぬまま、様々な事象をコントロールしなければならない、ということだ。
それも、第二王子派との派閥争いを続けながら。
(疫病の被害を抑え、聖女を救い、戦争を早期に終結させる。いくつかの策はあるけれど、すべてを成し遂げるにはどうしても一手足りないわ)
どうするのが正解か、そんな風に考え事をしながら会場を歩いていると、侍女のアシュリーが「お供します」と並び掛けてきた。
グラニス伯爵家の令嬢。
彼女はオリヴィアによって送り込まれてきた第一王子派の連絡役にして、アリアドネの動向を確認するための監視役でもある。
いまはアリアドネを魔術の師匠と慕い、忠実な侍女として仕えてくれているが、アリアドネが第一王子派に敵対するような行動を取れば敵に回ることになるだろう。
「アリアドネ皇女殿下、どちらへ向かっているのですか?」
「中庭でちょっとしたイベントがあるの。でも、貴女はついてこなくてもいいわよ」
「あら、私は貴女の侍女ですよ?」
ついて行くと、澄んだ緑色の瞳で訴えかけてくる。監視の意味も零ではないだろうが、おそらくは好意から来る言葉だろう。
そんな彼女を煙に巻くのは難しいと思ったから、アリアドネはふわりと微笑んだ。
「いいわ、私と一緒に踊りましょう」
「踊る……ですか?」
小首を傾げるアシュリーの問いには答えず、そのまま中庭へと足を運んだ。
目前に広がるのは咲き誇る花が植えられた花壇。
今日は会場の範囲に入っておらず、ライトアップもされていない。月明かりと遠くの明かりに照らされた幻想的な光景が広がっている。
その隙間を縫って歩みを進めていると、隣を歩くアシュリーが弾んだ声を零した。
「さきほどの婚約式、とても素敵でした」
「……あの入場を見たうえで言っているの?」
お姫様抱っこを思い出して嫌な顔をする。
「あら、そんな風におっしゃって。幸せそうに見えましたわよ?」
「そうかしら……?」
分からないと、アリアドネは少しだけ困った顔をする。家族愛に飢え、兄のためにその身を捧げた。そういう過去を持つアリアドネは恋愛感情を持て余していた。
そうした反応から、アリアドネが本気で困惑していると気付いたのだろう。アシュリーは「そういえば――」と話題を変えた。
「これで安心ですね」
「安心?」
「ええ。これで貴女は名実ともにアルノルト殿下の婚約者です。大きな後ろ盾を得たいま、暗殺者に命を狙われることもないではありませんか」
「素直で可愛い子ね」
クスクスと笑い、無垢で無邪気な妹に向けるような顔をする。
グランヘイムに楯突いて滅びた国の皇女と、現国王の間に生まれた婚外子。グランヘイムを名乗ることは許されておらず、ずっと腫れ物のように扱われていた。
それがアリアドネ・レストゥール。
一ヶ月前の彼女が暗殺されたとしても、人々はすぐに忘れ去ってしまっただろう。
だが、いまの彼女はそうじゃない。アルノルトの婚約者になり、安易には手を出すことが出来ない存在になった。いまの彼女が殺されれば騒ぎになるだろう。
だけど、だからこそ、現国王の血を引くアリアドネが、アルノルトと婚約した意味は大きい。その事実を、第二王子派は放っておくことが出来ない。
なにより、アリアドネの宝石眼は、グランヘイム国が失った真の王族の証だ。彼女が産んだ子供こそが、真の王族の証を持つ王族となる。
だから――と、アリアドネはおもむろにアシュリーを引き寄せた。
「アリアドネ皇女殿下?」
「言ったでしょ、一緒に踊りましょう――って」
アリアドネは笑って、周囲に魔術の結界を展開した。
直後、鈍色に輝く刃が飛来し、アリアドネが展開した結界に弾かれる。花壇の陰から飛び出してくるのは、顔を隠した黒ずくめの者達だ。
「月の綺麗な夜に無粋な連中ね」
婚約式を終えたアリアドネは安易には手を出せない存在になり――そして、どんな手段を使っても、必ず排除しなくてはならない第二王子派の敵となった。
あらためまして、本日より連載再開、二章のラストまで毎日投稿するのでよろしくお願いします。
それと、一巻が28日に発売なのでXのリポストなど、宣伝にご協力いただけると嬉しいです。
書籍情報の詳細は活動報告に載せておきます。




