エピソード 1ー4
「アリアドネ皇女殿下、見てください!」
それから数日が過ぎたある日の昼下がり。アリアドネが中庭でお茶をしていると、駆け寄ってきたアシュリーがそんなことを口にする。水色のドレスを身に纏う彼女は、ピンクゴールドの髪をツインテールにしていた。
「今日もツインテールがビシッと決まっていて可愛らしいわよ」
「あ、ありがとうございます……じゃなくて! 私が見て欲しいのはこっちです!」
そういって両手に持った魔導具を差し出してくる。まるで好きな人にプレゼントを差し出す乙女のような仕草。相変わらず可愛らしいと、アリアドネは笑う。
「完成したのね」
アシュリーから魔導具を受け取り、そこに軽く魔力を流し込む。魔導具に刻まれた魔力回路に魔力が流れ、噴き出した水がアシュリーをずぶ濡れにした。
「……なんかごめん」
「い、いえ、私こそ、注意せずに渡してしまってすみません」
ずぶ濡れになりつつも、アシュリーは無邪気に笑っている。魔導具が正常に稼働したことが嬉しいからだろう。
(思ったよりも早く完成させたわね)
魔導具は以前から存在する。だがアリアドネがアシュリーに教えた魔導具の作り方は、回帰前にアリアドネが研究した技術の粋を詰め込んだ最新版だ。
具体的に言うと、魔力のコスパが非常に高い。
従来のような高級志向ではなく、気軽に使える量産品だ。
「クズ魔石でも起動できるわね?」
「はい、もちろんです。稼働テストをしましたが、十分な起動を確認できました」
「よくやったわ。さすが魔術アカデミーで優秀な成績を修めた魔術師ね」
「アリアドネ皇女殿下のおかげですわ!」
アシュリーが無邪気に笑う。
(回帰前は、彼女とこんなふうに話すなんて思っても見なかったわね)
確実に関係性が変わっている。
未来を変えられることに満足しつつも、アリアドネはコホンと咳払いをした。
「ところで、着替えてきた方がいいわよ?」
「……え、どうしてですか?」
「下着、透けてるわよ?」
「……え? ~~~っ」
アシュリーは着替えてきますと声だけ残し、物凄い勢いで走り去っていった。それを見送ったアリアドネは苦笑して、それからアニスに視線を向ける。
「機は熟したわ。出掛ける準備を」
「かしこまりました」
着替えているあいだに置いて行かれそうになったアシュリーが突っ掛かってくるといったハプニングはあったが、アリアドネの一行は無事に皇女宮を後にした。
そうしてオリヴィアと合流し、ホフマン伯爵の屋敷を訪ねた。
「すぐに父がまいりますので、少しだけお待ちいただけますでしょうか?」
通された応接室にて、娘のリネットが持て成してくれる。
ちょうどいい――と、アリアドネはソファに座った。
「リネット。あなたに聞きたいことがあったのだけど」
「……なんでしょう?」
実家にいても、オリヴィアの侍女として振る舞っている。リネットは席に座ることなく、アリアドネの正面に立って話に応じる。
「ホフマン伯爵家の当主は、貴女の亡くなったお母様。貴女のお父様であるカリードは、当主代理としてこの領地を治めていて、後妻とのあいだに息子をもうけた。それが貴女の弟ね?」
「はい、その通りでございます」
答えるリネットの瞳がわずかに揺れる。アリアドネはそれを見逃さなかった。
「カリードはジークベルト殿下の側近の娘を息子の嫁として、息子に当主の座を継がせるつもりでしょうね。それに対して不満はないのかしら?」
「ありません」
リネットが静かな口調で答えた。
その答えの真意を測るように、アリアドネは彼女の顔を見つめる。
「王家に正当性を訴えれば、後継者の座を奪い返すことも可能よ?」
「ありがとうございます。ですが、興味はありません。血は半分しか繋がっていないけれど、あの子が私の弟であることに変わりはありませんから」
「……そう。余計なことを言ったわね」
彼女が望まないのなら――と、アリアドネはひとまずその意見を引っ込める。
「ならもう一つだけ質問させてちょうだい。オリヴィア王女殿下は、貴女を手放したくないと言っていたわ。貴女はどうなのかしら?」
「それはもちろん、これからも侍女でありたいと心から願っています。だからこそ、第二王子派に付かずに済む方法があるという、貴女の話を父に伝えたのですから」
「そう、質問に答えてくれてありがとう」
(これなら、計画に変更の必要はなさそうね。これ以上は、だけど)
少しだけ目を伏せて、リネットが出来るだけ悲しまずに済むように願った。
ほどなく、ホフマン伯爵家のカリードが現れる。
「お初にお目にかかります。私はホフマン伯爵家の当主、カリードと申します」
我が物顔で当主を名乗るカリードの言葉に、侍女達の何人かが眉をひそめる。だが、アリアドネは眉一つ動かさず、笑顔を浮かべてそれに応じた。
「お会いできて光栄ですわ」
「こちらこそ、アリアドネ皇女殿下のお噂はかねがね。なんでも、我が領地にとってよいお話があると、リネットから聞いたのですが……?」
アリアドネは小さく頷く。
それから、アシュリーに作らせた魔導具の一つを取り出す。
「こちらは、クズ魔石で起動することが出来る魔導具です」
「なんと、クズ魔石で起動できる魔導具ですか!?」
カリードが目を見張った。
それもそのはず。魔導具はコストパフォーマンスが悪く、質のいい魔石を使わなければ使えないというのが常識である。ゆえに、魔導具に使えない魔石をクズ魔石と呼んでいる。
もしもそのクズ魔石に価値が生まれるのなら、市場が一変することになる。
「……アリアドネ皇女殿下」
オリヴィアがなにか言いたげな顔をした。
「オリヴィア王女殿下、今回の交渉は私に任せてくださるはずです」
「……分かりました」
それでもなにか言いたげな面持ちで引き下がる。
それを横目に、アリアドネは正面へと視線を戻した。
「いかがですか?」
「……これは、量産できるのですか?」
カリードが魔導具に触れようとするが、アリアドネはそれより先に魔導具を手に取った。
「従来品よりもずっと安価に量産が可能です。効果も風の護りのような特殊なものではなく、生活に使用できるような効果の魔導具を販売する予定ですわ」
この魔導具が流通すれば、クズ魔石がクズ魔石ではなくなる。ホフマン伯爵領に存在するクズ魔石の鉱山の価値も上昇することになる。もちろん、すぐに儲かる話ではないが、この話になら投資する者はいくらでも存在するはずだ。
「これならば、第二王子派の甘言に乗る必要もないでしょう?」
「……たしかに、アリアドネ皇女殿下のおっしゃるとおりですな」
「では、関税も?」
「もちろん」
カリードはそう言って手を差し出してきた。アリアドネはその手を取って握手を交わす。
「……交渉、成立ですわね」
そのやりとりをまえに、オリヴィアがなにか言いたげな顔をする。けれどアリアドネはかまわずに席を立ち、退席の挨拶を残して部屋を後にした。
それから一週間が過ぎた。
いまも変わらずオリヴィアの侍女を務めるリネットは、いまだに父がアリアドネと約束したはずの関税を下げていないことを聞いて父の部屋へと押しかけた。
「お父様、いまだに関税を撤廃していないのは何故ですか!」
「ああ、そのことか。あれなら考え直すことにした。魔導具ならどうせ、旧レストゥール帝都で販売することになるだろう。であれば、関税を上げたままでも儲かるからな」
こともなげに言い放つ。
父の言葉に、リネットは信じられないと目を見張った。
「お父様、ご自分がなにをおっしゃっているのか分かっているのですか? アリアドネ皇女殿下と取り引きしたんですよ?」
「おまえこそなにを言っている。提案はされたが、取り引きはしていない。現に契約書の一つも交わしていないではないか」
「お父様!」
たしかに契約書を交わしていないアリアドネにも責任はある。だが、仲立ちをしてくれたオリヴィアの顔に泥を塗ることになるし、いくらなんでも不義理というものだ。
「お父様は、一体どうなさるおつもりですか?」
「むろん、当初の予定通り、カルラ王妃殿下の提案を呑む」
「――お父様!?」
リネットは今度こそ声を荒らげた。
「お母様が、私をオリヴィア王女殿下の侍女にしたことをお忘れですか!?」
「いまの当主は私だ。そして次期当主は息子だ。おまえではない」
リネットの母、つまりはホフマン女伯爵は、第一王子派に付く決断を下していたのだ。
なのに、代理に過ぎないカリードが、第二王子派に付くという選択を下した。借金のためという事情があるならともかく、いまのその選択は許せなかった。
「……その話は、弟も了承済みなのですか?」
「当然だ。あの子はおまえと違って、誰に付くべきかを理解しているからな。今回の縁談は渡りに船だったが、以前から第二王子派から嫁を見つけるつもりだった」
「……そうですか。お父様達は最初から、お母様を裏切る気で。……分かりました。お父様がその気なら、私が好きにさせません! 私がホフマン伯爵家の当主になります!」
「……ふっ。なにを言い出すかと思えば。どうやって当主になるつもりだ?」
カリードが馬鹿にするように笑った。
リネットは視線を泳がせ、すぐにアリアドネの言葉を思い出した。
「陛下に陳情いたします!」
「はっ。無駄なことは止めておけ。そもそも、関税の話を持って来たのはカルラ王妃殿下だぞ? ラファエル陛下に陳情しても無駄に決まっているだろう」
「~~~っ」
リネットは悔しげな顔で俯く。
「おまえが第二王子派に恭順するなら、政略結婚にでも使ってやろうと思っていたが、どうやら無駄なようだな。今日このときをもって、おまえをホフマン家より勘当する」
「――大変申し訳ありません!」
ホフマン伯爵家を追い出されたリネットは、オリヴィアにすべてを打ち明けて懺悔した。主の顔に泥を塗るも同然の行為に叱責は免れない。そう思っていたのに、オリヴィアから向けられたのは同情の視線だった。
「話は聞いているわ」
(……え? 誰から?)
リネットが首を傾げるが、オリヴィアはかまわずに続けた。
「貴女に確認するように言われているのだけど、当主になる気はあるのかしら? あるいは、貴女が婿養子を迎えて、その婿養子を当主にする覚悟、でもかまわないけど」
「……可能なら、そうしたいと思っています」
そう答えるが、リネットの表情は苦々しいものだった。
既に、それは不可能なことだと諦めているからだ。
「可能なら、ね。なら、もし可能なら、覚悟を決めるのね?」
「方法があるのですか!?」
「……ええ。でもそのまえに、さきほどの質問に答えなさい」
オリヴィアに促され、リネットは「覚悟はあります」と力強く頷いた。
「理由を訊いてもいい? 復讐がしたいだけ、じゃないわよね?」
「母の遺志を無視する父に、ホフマン伯爵を名乗る資格はありません。それに、母は義を重んじる人でした。手を差し伸べてくださったアリアドネ皇女殿下に報いるべきです」
「たしかに、口約束とはいえ、約束を違えるのはいただけないわね」
「はい。それに、アリアドネ皇女殿下が口約束しかしなかったのは、ホフマン伯爵家を信じてくださったからだと思うんです。なのに、こんな……あんまりです!」
リネットの言葉に、周囲から同情の視線が向けられる。
「……あの、なにか?」
「いえ、その……アリアドネ皇女殿下だけど、どうやら、カリードが裏切ることを予想していたみたいよ。どうせ裏切られるなら、早い方が対処も楽でしょう……って」
「……はい?」
「そのうえで、貴女の覚悟を確認させて欲しいと言われたのよ。貴女に、父と道を違え、第一王子派に属する覚悟はあるか、と」
「確認させて欲しい、ですか?」
リネットの問いに対し、オリヴィアが溜め息交じりに視線を横に向ける。その先には、見覚えのある――アリアドネが連れていたメイド――アニスがたたずんでいた。
「リネット様の覚悟、たしかに確認させていただきました。アリアドネ皇女殿下の名において、貴女に当主の座をお約束いたします。どうか、安心してお待ちください」
「ど、どういうこと……?」
「すべて、アリアドネ皇女殿下の想定通り、ということです。ですから、その……リネット様のことは、信用なさっておいででしたよ?」
カリードのことはまったく信用していなかったけど――と言っているも同然だ。それを理解した周囲の者達から、再びリネットに同情の視線が向けられた。




