セミプロローグ
忘れられた皇女と蔑まれていたアリアドネ。彼女は一夜にしてラファエルの娘として認められ、アルノルトには求婚されることとなった。
そんな時の人であるアリアドネだが、決して手放しに喜ばれる状況にはない。ラファエルから明かされた宝石眼の秘密により、将来ジークベルトから命を狙われることが確実だからだ。
(でも、それは望むところよ)
力を付けるために敵対することを避けてきたが、復讐の気持ちを忘れたことはない。アリアドネにとって、ジークベルトは最初から復讐するべき対象だ。
とまあそんな訳で、アルノルトからの提案に応じることにしたアリアドネは、詳細について話すべく、アルノルトとアメリアが暮らす離宮へと向かった。
アルノルトに求婚されたことは既に伝わっているのだろう。建国記念式典の翌日、事前の連絡もなく訪ねたというのに、すぐに最高ランクの応接室へと通された。
そうしてほどなく、アルノルトが部屋に現れた。
「アルノルト殿下、事前連絡のない訪問になって申し訳ありません。先日の件について、出来るだけ早く話し合っておきたかったものですから」
「アリアドネ皇女殿下であれば遠慮はいりません。それで、話の内容というのはその……私の求婚を受け入れてくださる、ということでよろしいのでしょうか?」
「はい。アルノルト殿下が提案してくださった、契約結婚を受けたいと思います」
アルノルトの表情がピシリと固まった。
「……すみません。もう一度言っていただけますか?」
「え? ああ、失礼しました。私はまだ未成年ですので、ただしくは契約婚約ですね」
「……いえ、それはいいのですが……契約、ですか」
アルノルトが思わず頭を抱えた。
「なにか問題がありましたでしょうか?」
「問題……いえ、契約でもなんでも、結婚には変わりありませんよね」
彼はそう言ってこめかみを揉みほぐすと、話を続けて欲しいと促してきた。
「では、まずは私が望むことから。今後、私の命を狙ってくるであろう第二王子派の攻撃から、私を守っていただくことが望みです」
「……守るのは当然ですが、命を狙ってくる、とは?」
「え?」
アリアドネはここに来て違和感を抱く。
「貴女を第二王子派に引き入れようと、ジークベルト殿下が動いているのは知っていますが、それを失敗したからと言って、彼が貴女の命を狙うでしょうか?」
アリアドネの違和感が確信へと変わった。
宝石眼の秘密を知っていれば、アルノルトと婚約したアリアドネを、ジークベルトが殺そうとするのは必然だと分かるはずだ。
なのに、アルノルトはその答えにたどり着いていない。
(もしや、アルノルト殿下は宝石眼の秘密を知らなかった?)
回帰前、アリアドネすら知らなかった事実。であれば、アルノルトが知らないことも十分にあり得る。
(でも待って。それなら、アルノルト殿下が私に求婚したのは何故?)
宝石眼を自分の子供に引き継がせたいからだと思っていた。真の王族の証を手に入れるためならば、第二王子派からアリアドネを守る価値は十分にある。
だからこその、契約結婚だと。
だけど、アルノルトは宝石眼の秘密を知らなかった。
ましてや、アリアドネが未来の記憶を持つことは知るはずがない。アリアドネが彼やその母親を救った実績もあるが、人はお礼で求婚したりしない。
(アルノルト殿下は私に好意を寄せている?)
その答えに行き着いた瞬間、アリアドネは胸を押さえた。
回帰前は敵だったとはいえ、アルノルトを嫌っていた訳ではない。敵ながらとても優秀な人間として評価していた。
だけど――
(私は彼を殺したのよ)
回帰によってなかったことになった未来。だけど、アリアドネは覚えている。
その彼に罪滅ぼしをするつもりはあるし、取引をすることにはなんの抵抗もない。だけど、彼の純粋な好意を利用することには抵抗があった。
「アルノルト殿下、大変申し訳ありません。実は――」
契約結婚だと思い込んでいた。
そう口にしようとした瞬間、アルノルトが首を横に振った。
「アリアドネ皇女殿下、その続きは言わなくて結構です」
「ですが、私は契約結婚だと勘違いしていて、だから……」
「契約結婚ですよ、これは」
アルノルトが微笑んだ。
「……嘘です。アルノルト殿下は、私の秘密をご存じないではありませんか」
「関係ありません。私が望むのは、貴女が私の伴侶となることです。そしてその対価に、私は貴女を守り続ける。これを契約結婚と言わず、なんというのですか?」
「それ、は……」
アリアドネの気持ちが伴わないことを知ってなお彼がそれを望むのなら、たしかに契約は成り立っている。それを、アリアドネが飲み込めるかどうかは別として。
(でも、実際の問題として、私には彼の力が必要よ。そして彼もまた私を必要としている。それが恋ではなく取り引きだというのなら、断る理由はない……はずよね?)
よく分からないというのがアリアドネの素直な感想だ。そもそも、アリアドネは恋愛感情に疎い。回帰前の彼女は、家族愛を得ることにすべてを費やしたから。
「……アルノルト殿下はそれでよろしいのですか?」
「いいもなにも、申し出をしたのは私ですよ?」
そこまで言うのなら――と、アリアドネは覚悟を決めた。
「分かりました。では契約いたしましょう」
「お受けくださってありがとうございます。では、さっそく契約内容について話し合いましょう。私はあらゆる苦難から貴女を守ります。貴女はその対価になにをしてくださいますか?」
(あれ? 結婚をすること自体が対価だったんじゃないの? まあ私としては、ちゃんと宝石眼のことを話した上で、それを対価にした方が気持ちは楽だけど)
どうせ必要だからと、ここで宝石眼の秘密を明かすことにする。
「護っていただけるなら、貴方に正当なる王族の証を授けます」
「……正当なる、王族の証、ですか?」
アルノルトが目を見開いた。
「ラファエル陛下から話を伺いました。レストゥールの皇族はかつて、政変で国を追われたグランヘイムの王族だった、と」
「その噂は知っています。ですが、それと、王族の証になんの関係が……っ」
アルノルトは息を呑んだ。
アリアドネが、自らの瞳を指差したから。
「まさか、真の王族は……」
「そのまさかである可能性があるそうです」
宝石眼を持つレストゥールの皇族こそが、グランヘイムの王族の末裔。そして、いまのグランヘイムの王族は、政変によって王位を簒奪した者の血族で、王家の血を引いていない。
――かもしれないという事実。
「……これは、予想外でした」
「後悔なさったのなら、私との契約を破棄していただいてかまいませんよ」
「まさか、そのようなつもりはありません。ですが、そういった事情があるのなら、たしかにジークベルト殿下は、なにがなんでも貴女を奪うか殺そうかするでしょうね」
アリアドネは神妙な顔で頷いた。回帰前のジークベルトがアリアドネを身内に引き込んだ後、殺す選択をしたのはそれが理由に違いない。
「はい。婚約式を経ればある程度の安全は確保できると思います。ですが、それだけでは足りません。もしよろしければ、オリヴィア王女殿下を紹介していただけないでしょうか?」
「……私の妹を?」
「はい。彼女の力を借りたいのです」
オリヴィアは聖女のごとき求心力がある。回帰前は、大きな弱点を抱えていてもなお、アリアドネに対抗するだけの力があった。
彼女なら、心強い味方になってくれるだろう。
なにより、回帰を経たアリアドネは、彼女の弱点を取り除く方法を知っている。
「分かりました。では、妹に話を伝えておきましょう」
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