エピソード 4ー2
「これはラファエル陛下」
アリアドネはもちろん、アルノルトやジークベルト、その場にいたすべての者が臣下の礼を取った。そんな中、ラファエルが厳かに「楽にせよ。ここは祝いの席だ」と告げた。
アリアドネはラファエルに視線を向ける。
(私の父親。でも、家名を名乗ることは許してくれなかった。そんなラファエル陛下とは、回帰前もあまり言葉を交わしたことがないのよね)
アリア以上に交流がない。ひとまず大人しくしていようとかしこまっていると、ラファエルが「それで、なんの騒ぎなのだ?」と口にした。
「申し訳ありません、ラファエル陛下。実はアリアドネ皇女殿下と踊る権利を掛けて、ジークベルト殿下と口論になっておりました」
(ア、アルノルト殿下、なに言っちゃってるの!?)
第二王子派と決別する覚悟はあった。でも、決別するのと喧嘩を売るのは違う。ましてや、ジークベルトやラファエルをまえにして、真正面から喧嘩を売る予定なんて欠片もなかった。
この状況はいくらなんでも予想外だと心の内で悲鳴を上げる。
(あぁもう、どうしてこんな大事に。これからどうしたらいいの!?)
予想外の状況に周囲の者達も息を呑み、固唾を呑んで成り行きを見守っている。そんな中、考える素振りを見せていたラファエルがジークベルトに視線を向ける。
「……ふむ。ジークベルトよ。いくらおまえが妹を溺愛しているからと言って、妹の恋路にまで口を出しては嫌われるぞ?」
アリアドネが目を見張り、周囲が大きくどよめいた。
アリアドネは婚外子で、グランヘイムの家名を名乗ることも許されていない。それなのに、その言葉を口にした本人が、ジークベルトに向かってアリアドネはおまえの妹だと言った。
これで驚く人がいなければ嘘だ。
ジークベルトも信じられないと口を開く。
「父上、それは――」
「なんだ? アリアドネがわしの娘であるのは事実だろう? アリアドネには王位継承権を与えておらぬが、娘であることを否定した覚えはない」
再び観衆がどよめいた。だが、回帰前を含めても、アリアドネがそんな言葉を聞くのは初めてだ。彼の言葉はとてもじゃないけれど信じられなかった。
(つまり、このタイミングでそんなことを口にする理由があるはずよ)
「それで、ジークベルト。おまえは妹の恋路の邪魔をするのか?」
「父上、俺は別に、そんなつもりは……」
「ならば、アリアドネを妹として見ていない、と?」
ラファエルが目を細める。
ジークベルトが否定すれば、兄として妹の恋愛に口を挟んでいると認めることになる。だが肯定すれば、異性としてアリアドネを取り合っていると認めるに等しい。
その二択を迫られたジークベルトは、苦々しい顔で首を横に振った。
「申し訳ありません、父上。少し戯れが過ぎたようです」
「ふむ。妹を可愛がる気持ちは理解できるが、ほどほどにするように」
「かしこまりました」
こうして、その場は収められた。
(……って、待って。なに? どういうこと? ラファエル陛下が私を護ろうとしている?)
あり得ないことだけど、状況からはそんなふうにしか思えない。そうして困惑していると、ラファエルの視線がアリアドネを捉えた。
「さて、アリアドネよ。こうして直接話すのは初めてだな。いつかそなたと話してみたいと思っていたのだ」
「……光栄です、陛下」
(さすがにお父様、とは呼べないわよね)
試されている可能性も大いにあり得る。
だが、ラファエルは少し寂しそうな顔をした。
「ラファエル陛下?」
「いや。少しテラスで風に当たりたい。付き合ってくれるか?」
「かしこまりました、ラファエル陛下」
断れるはずもなく、アリアドネは即座に頷いた。
「父上、俺も同行させてください」
「ジークベルト、妹離れしろと言ったばかりであろう?」
「……失礼いたしました」
ジークベルトが引き下がる。
それを確認したラファエルは、続けてアルノルトに視線を向けた。
「アルノルト、そなたのパートナーをしばし借りてもかまわぬか?」
アルノルトの視線が向けられる。
その意図を汲み取ったアリアドネは即座に小さく頷いた。
「かしこまりました」
――という訳で、アリアドネはテラスで陛下と二人っきりだ。城内と言うことで護衛すら付いていないこの状況に、アリアドネは戸惑いを隠しきれない。
(……どういうこと? と言うか、どうしてこんなに無防備なのよ? 回帰前の私がラファエル陛下を暗殺しようとして、どれだけ苦労したと思ってるの?)
第二王子派の一員として動いていたときですら、ろくに会う機会がなかった。なのに、いまは、二人っきりで会うことに成功している。
なにかボタンを掛け違っているような感覚だ。
「アリアドネ、大きくなったな」
「……陛下は、私の小さい頃をご存じなのですか?」
「ああ、知っている。数えるほどしか見たことはないが、その光景は決して忘れていない」
(どういうことなの? まるで会うことを楽しみにしていたみたいじゃない)
「アリアドネ、アリアが毒に倒れたと聞いた。……容態はどうだ?」
「……はい。少しずつでありますが、改善の兆しは見えています」
「そうか……アリアの回復を心より願っている。そして、見舞いに行けぬこの身を許して欲しい。わしにできることは限られておるのでな」
「……陛下?」
(なに、これ? なんなの?)
アリアドネの知るラファエルと違う。
「さて、もっとゆっくりと語りたいところだが、あまり時間もないことだし本題に入ろう」
「拝聴いたします」
ラファエルの表情が変わったことに気付いて姿勢を正す。
「レストゥールの皇族がかつて、グランヘイムの王族だったことは知っているか?」
「はい。数百年前、政戦に負けて追放された王族だったと聞いたことがあります。そしていまのグランヘイムの王族は、政戦に勝った王子の末裔であると」
だからこそ、レストゥールの皇帝はかつての都を取り戻そうとした。それが、レストゥール皇国が、愚かにもグランヘイム国に戦争を仕掛けた理由である。
「そう語られているな」
「……語られている? なにか、疑惑がある、と言うことでしょうか?」
「疑惑の原因はアリアドネ、そなただ」
「……私、ですか?」
話が見えてこないと首を傾げた。
「正確には、そなたの宝石眼が原因だ。レストゥールの皇族は宝石眼を持って生まれる。そして、レストゥールの皇族は元々、グランヘイムの王族だった」
「……まさか、政変まえのグランヘイムの王族には、宝石眼があったのですか?」
「その通りだ。後の王族の手によって歴史から葬られた事実であるが、王だけが読むことを許された資料には、その事実がたしかに示されている」
(そう……そういうこと)
宝石眼は絶対に子孫に引き継がれる、という訳ではない。
だけど、レストゥールの皇族の多くが宝石眼を持って生まれ、グランヘイムの王族にはただ一人として宝石眼を持って生まれる者がいない。
つまり――
(いまのグランヘイムの王族はただの簒奪者。王族の血を引いて……いない?)
あくまで可能性の問題だが、そう考えるのが自然だ。
それに気付き、アリアドネの顔から血の気が引いた。
「やはりそなたは賢いな。その事実は秘せられているが、自らその答えにたどり着いた者もいる。たとえば、ジークベルトのように、な」
(あぁ……そうか。だからジークベルト殿下は、私を……)
宝石眼を持つアリアドネこそが正統な王の血を引く娘。アリアドネを自分の伴侶とすることが出来るなら、その子供は真の王族の証を持つ王族となる。
だが取り込むのが不可能なら……殺してしまえばいい。
宝石眼を持つのはアリアとアリアドネのみだ。その二人をこの世から消し去れば、真の王族の証なんて話は関係なくなる。
「ところで、アリアドネはアルノルトに付いたのだな」
「――っ」
油断したところに、いきなり切り込まれた。もしもさきほどまでの会話が、アリアドネの油断を誘うための話術なら大成功だ。
アリアドネはみっともなくうろたえて、答えあぐねてしまう。
「……わ、私は」
「そなたが警戒していることは分かっている。だが、わしはそなたの幸せを願っている」
理解できない。
理解できるはずがなかった。
回帰前のアリアドネは彼を父と慕うことを諦め、最後にはその命を奪おうとした。父が自分の幸せを願っていたなどと、理解する訳にはいかなかった。
だけど、アリアドネは理解してしまう。
真の王族の証を持つアリアドネに王位継承権があれば、他の王族から真っ先に命を狙われる。王族と認めないことこそが、彼女の命を守る唯一の手段だったのだ――と。
「ラファエル陛下、私は……」
「……いいのだ。そろそろ戻ろう。あまり長居してはアルノルトが心配するだろう」
会場に戻ろうと身を翻す。
寸前、ラファエルが小さな声で呟いた。
「アリアドネ、そなたにグランヘイムを名乗らせるつもりはない。だから……思うままに生きるがよい。そなたの選んだ未来を、わしは陰ながら見守っている」