エピソード 3ー6
狩猟大会の会場となる森の深部。
アルノルトの護衛、クラウスは馬を歩かせながら物思いに耽っていた。
彼は騎士団長である父、ヘンリックの背中に憧れて騎士になった。
その憧れの騎士であるヘンリックは元々、先代の王に仕える騎士だった。ゆえに、先代の王の息子、アルノルトの護衛騎士に選ばれたことをクラウスは名誉に思っている。
だが、だからこそ、中継ぎの王が約束を違え、先代王の息子ではなく、自分の息子に王位を継がせようとしていることが気にくわない。
(あの皇女はラファエル陛下の婚外子だ。冷遇されているなんて噂もあるが、しょせんは第二王子派の人間だろ。なにを企んでるか分からないし、アルノルト殿下に近付けてたまるか)
派閥が違うからといって、必ずしも敵という訳ではない。利害相反によって対立していても、心情的には気の合う存在もいたりする。
けれど、最近はきな臭いことが続いており、クラウスは神経を尖らせている。
だから、主に近付くなとアリアドネに警告した。もっとも、父であり、上司でもあるヘンリックに、おまえが口を出すことではないとお説教をされてしまったが。
(……まあ、アルノルト殿下に警告するならともかく、皇女に直接警告するな――って言うのは分かるんだよ。でも、アルノルト殿下はあの皇女のことを気に入ってる。実際、アメリア前王妃を助けてくれたのも事実なんだが……なんか嫌な感じがするんだよな)
会った回数は数えるほどしかなく、実際に言葉を交わしたのは今日が初めてだ。にもかかわらず、アリアドネには何度も辛酸をなめさせられたような錯覚に襲われる。
とにかく、アリアドネのことを警戒していた。
だから――だろう。
それに気付くのが遅れたのは。
「――クラウスっ!」
我に返った彼が目にしたのは、あいだに割り込んできたヘンリックの背中だった。続いてヘンリックの向こう側には黒尽くめの男が映り、金属音が森に響き渡った。
「アルノルト殿下をお護りしろ!」
ヘンリックの警告を受けて剣を抜く。それとほぼ同時、周囲から黒尽くめの男達が飛びだしてきた。そのうちの一人がクラウスに斬り掛かってくる。
「――っ」
一撃目を弾き、その隙に反撃を――と思った瞬間には追撃が放たれていた。クラウスはとっさに馬の手綱を引いてその一撃をやり過ごす。
(ちっ、短剣が相手だとやりにくいな!)
一撃一撃の重さがない代わりに、切り返し速度が尋常じゃない。ならば――と反撃に意識を切り替えようとした瞬間、寒気を覚えて上半身を仰け反らせる。
次の瞬間、目の前をなにかが通り過ぎたかと思えば、近くの幹に矢が刺さった。
「気を付けろ、遠距離攻撃の使い手がいるぞ!」
警告すれば、アルノルトが魔導具を使って風の結界を張る。飛来した矢が結界によって弾き飛ばされた。だが、クラウスの視界に映ったのは、呪文を詠唱する魔術師らしき男の姿。
風の結界では、魔術の攻撃を防げない。
「――させるかっ!」
腰から短剣を引き抜いて投げる。その一撃が魔術師の肩に吸い込まれた。魔術師は呻き声を上げて構築中の魔術を霧散させるが、すぐにでも体勢を立て直すだろう。
誰か対処をと周囲を見回すが、既にそこかしこで戦闘が始まっている。
「父上、このままここに留まるのは危険です!」
「分かっている! 俺達で突破口を開く。おまえはアルノルト殿下を連れて逃げろ」
「ああ、任せてくれ!」
「よし――行くぞ!」
掛け声の下、ヘンリック達が包囲網の一角に突撃を掛ける。命懸けで作った突破のチャンス。逃す訳にはいかないとクラウスは手綱を握り締めた。
「殿下、俺に付いてきてください!」
アルノルトが頷くのを見て突撃を開始する。逃すものかとばかりに立ち塞がろうとする敵は、ヘンリック達が壁となって防いだ。
矢も射かけられるが、それは風の結界が弾き散らす。そうして活路を切り開いたクラウスが先頭を駈ける。その後にアルノルトが続き、更に後ろには他の騎士が続く。
からくも包囲網を突破。馬を持たぬ敵を置き去りにするが、すぐに馬を駆る敵勢がどこからともなく現れて追い掛けてくる。
「クラウス、そっちは森の奥だ!」
後方で馬を駆るアルノルトが叫んだ。
「分かっています! ですが、ここで引き返せばさきほどの敵と合流される可能性があります。いまは足を止めず、敵部隊から距離を取るのが先決かと」
「分かった、おまえに任せる!」
(アルノルト殿下が決断力のある方で助かった)
もしも突破するときに二の足を踏んでいれば、あのまま包囲されて全滅していただろう。
アルノルトがためらわなかったおかげでひとまずの危機は乗り越えたが、それでも状況は厳しいままだ。なんとかしなければと必死に考える。
「なっ!?」
アルノルトの焦った声が背後から聞こえた。
振り返れば、虚空に投げ出されたアルノルトの姿が目に入る。足場の悪い森で馬がバランスを崩し、馬から投げ出されてしまったようだ。
クラウスはそれを、スローモーションのように知覚する。
(アルノルト殿下の腕を摑んで引き寄せるか? ――無理だ。この体勢からでは届かない。だとすれば――)
クラウスは馬から飛んで、虚空でアルノルトを庇って地面にダイブした。アルノルトを庇ったまま落ち葉の上を転がっていく。
ようやく止まったクラウスは、全身を襲う酷い痛みに顔を顰めながらも起き上がった。
「アルノルト殿下、ご無事ですか?」
「あ、あぁ、おまえが庇ってくれたおかげだ」
「そうですか、よかった……」
「クラウス、どこか怪我をしたのか!?」
痛みに歯を食いしばりながら、問題ありませんと答える。
そこに、後続の騎士達が馬を寄せてきた。
「アルノルト殿下、ご無事ですか!?」
「私は平気だ。それよりもクラウスが怪我をした!」
「俺は平気だ。アルノルト殿下を頼む!」
アルノルトを味方の騎士の方へと突き飛ばす。
「クラウス、おまえはこっちに乗れ」
他の騎士が腕を差し出してくれるが、クラウスは首を横に振った。負傷している自分が馬に乗せてもらっても、足を引っ張るだけだから――と。
「アルノルト殿下の安全を優先しろ! 俺はここで敵の追撃を食い止める!」
「なにを言っているんだ、クラウス! ここに残ることは許さないぞ!」
アルノルトが声を荒らげるが、クラウスに手を差し出していた騎士は悲痛な表情を浮かべた後、歯を食いしばって腕を引っ込めた。
「……クラウス、死ぬなよ!」
「待て! クラウスっ、クラウス――っ!」
騎士達が馬を駈け、アルノルトを連れて走り去っていった。
代わりに近付いてきたのは、黒尽くめの襲撃者だった。クラウスは剣の柄に手を掛けるも腕に力が入らず、剣を取り落としてしまった。
(……まいったな)
アルノルトを救ったことに悔いはない。
だが、まだ父のように立派な騎士団長になるという夢は叶っていない。ここで死ぬ訳にはいかないと、痛む身体に鞭を打って足元の剣を拾おうと手を伸ばす。
だが、今度はバランスを崩して無様に転んでしまった。黒尽くめの襲撃者が、クラウスを無言で見下ろしながら剣を振り上げる。
「くっ、ここまでか……」
――刹那、クラウスの意識が一瞬だけ途切れた。
次の瞬間、クラウスと襲撃者のあいだに割って入る騎士の姿があった。背中だけでも分かる。駆けつけたのはクラウスの父、ヘンリックである。
頼もしいと思い続けてきた背中。だが、その背中を見たクラウスは青ざめる。
父は全身が血塗れになっていたからだ。
「クラウス、アルノルト殿下はご無事か!」
「はい、仲間に託しました!」
「よくやった! ならば、俺はここで敵を足止めするとしよう!」
ヘンリックは獣のように咆哮し、黒尽くめの襲撃者に襲いかかる。全身傷を負いながら、それでも黒尽くめの襲撃者と互角の戦いを繰り広げる。
その勇姿を、クラウスは決して忘れないだろう。
だが、クラウスが父の勇姿を見るのはそれが最後だった。ヘンリックは最後の最後で暗殺者と差し違え――結果、クラウスだけが生き残ったからだ。
そして、身を挺してアルノルトを救ったクラウスは称えられ、亡きヘンリックの跡を継いで、若き騎士団長として就任することになる。
父を殺されたクラウスは、第二王子派に更なる敵意を抱くようになった。やがて、第二王子派の筆頭として暗躍を始めるアリアドネと戦うことになる。
そして、領地や家族を人質に取られた。
『大切な人をこれ以上失いたくなければ、私に逆らわないことね』
まるで魔女のように笑うアリアドネをまえに、クラウスは悲痛な叫び声を上げた。
――次の瞬間、クラウスはハッと我に返る。地面を這いつくばる彼の目の前に、黒尽くめの襲撃者が立ちはだかっていた。
(これは……現実? なら、さっきの光景は幻か?)
絶望的な状況から、絶体絶命の状況に戻されただけだ。
(でも……父上が死なないのなら、その方がマシかもな)
そうすれば、領地はヘンリックが護ってくれるだろう。あの悪夢のようにだけはならないはずだと、クラウスはこの状況から脱することを諦念する。
なのに――
「クラウスっ!」
さきほど見た幻のように、血塗れのヘンリックが助けに駆けつけた。
「ち、父上?」
「ぼうっとするな。アルノルト殿下はご無事なのか!」
「は、はい。仲間に託しました」
「そうか、よくやった! ならば、後はおまえを助けるだけだな!」
悪夢の焼き直しのように、ヘンリックが黒尽くめの襲撃者と戦闘を開始する。
「ダメだ、父上!」
このままではヘンリックが死んでしまう。あの悪夢が現実のものとなってしまう。それを止めようと剣を握るが、クラウスの身体はまるで言うことを聞かない。
そのあいだにも戦闘は続き、悪夢と同じようにヘンリックが最後の一撃を放とうとする。
「……くっ。誰か、誰でもいい! 父上を助けてくれ!」
切実なる願いを込めた絶叫。
「――その願い、私が叶えてあげる」
次の瞬間、クラウスの視界が真っ白に染まった。
――否。
それは馬上から飛び降りたことで広がった、アリアドネの髪だった。彼女はその髪が重力に従って纏まるより早く腕を敵に向け――パチンと指を鳴らした。
晴天を切り裂くように鳴り響く雷鳴。次の瞬間、ヘンリックと相対していた襲撃者が雷に打たれた。加えて、彼女の騎士が周囲を警戒しながら集まってくる。
「クラウス、これで借りは返したわよ」
彼女がクルリと振り返った。ふわりと広がる青みを帯びた銀髪。そして整った顔立ちは、あの悪夢の中にいた魔女と同じ――はずだった。
だが――
「……って、クラウス!? しっかりなさい、クラウス!」
傷だらけのクラウスを見た彼女は、見ている方が可哀想になるほどに取り乱していた。あの悪夢の中で見た、恐ろしい魔女とはまるで違う。
(はは、彼女が怪しいなんて、俺はなにを勘違いしてたんだ?)
もう大丈夫だという安心感を抱き、クラウスは晴れやかな気持ちで意識を手放した。