エピソード 3ー4
皇女宮の執務は、正式にアリアドネが引き継ぐことになった。
とはいえ、使える人間がいるのに使わないアリアドネではない。彼女は、自分が引き継いだ執務の多くをハイノに委任した。そうして面倒な工程を経たことで、アリアドネは最終的な決定権という、皇女宮における権力を手に入れた。
これで、回帰前の記憶を使った強引な手段が執れる。
(でも、この力は皇女宮の中でしか通用しない。レストゥール皇族はしょせん、グランヘイム国に生かされている存在よ。もっと、力を付けないと)
ジークベルトも馬鹿ではない。いまは回帰前の知識を使って手玉にとってはいるが、近い将来、アリアドネが敵対していると気付くだろう。
そのときに対抗する力がなければ、敗北するのはアリアドネの方だ。
つまり、早急に味方を増やす必要がある。そう考えたときに思い浮かぶのは、狩猟大会の日に殺される運命にある、アルノルトが擁する騎士団の団長の存在だ。
彼を助けることが出来れば、強力な味方になってくれるはずだ。
とはいえ、いまのアリアドネには、一人で襲撃者を撃退するほどの力はない。
ならばどうするか――
(取り敢えず、護衛騎士を選ぶところからかしら、ね)
皇女宮に封じられていたアリアドネに護衛騎士はいない。
もちろん、皇女宮を護る騎士はいる。多くがレストゥール国が滅びるまえより皇族に仕える騎士であるため、忠誠心という意味で問題はない。
ただし、それはアリアに対する忠誠心だ。
簡単な話、アリアドネが危険に首を突っ込もうとすれば止められる。これから暗躍するつもりなら、自分の命令を最優先にする専属の騎士が必要だ。
という訳で、アリアドネは皇女宮の中にある訓練場へと足を運んだ。
いつもなら、騎士達が訓練をおこなっている時間。けれど、今日は訓練がおこなわれていない。年配の騎士と、若い騎士が言い争っていた。
「なにを揉めているのですか?」
アリアドネが問い掛ければ、その声に気付いた騎士が振り向いて頭を下げた。それに続いて、他の騎士達も臣下の礼を取る。
そんな中、言い争っていた片割れ、年配の騎士が口を開いた。
「――これは、アリアドネ皇女殿下。このようなところにどういったご用でしょう?」
「少し用事があってね。でもそのまえに、なにを揉めていたのか教えなさい」
「それは……」
年配の騎士が言葉を濁すのを見たアリアドネは、彼と言い争っていた若い騎士にターゲットを移し「なにがあったのか話しなさい」と命じた。
「はっ。……実は、ハンス隊長は……その、責任を感じておりまして」
「……責任? あぁ、お母様の件ね」
「――うっ。その……申し訳ありません」
どうやら、アリアドネに襲撃事件を思い出させないようにと気遣っていたらしい。
「気遣いは不要よ。それより、彼はお母様に対する襲撃を未然に防げなかったことに対して責任を感じていると、そういうことかしら?」
「はい。大変痛ましい事件ではありますが、ハンス隊長にばかり責任がある訳ではありません。なのに隊長は、自分が責任を取って辞任すると言って……」
「よせ、ウォルフ。たとえどういう事情があろうとも、アリア皇女殿下をお護りできなかったのは、護衛騎士である俺の責任だ」
「……理解したわ」
(隊長が責任を取って辞任するしないで、堂々巡りをしていたという訳ね)
アリアドネは、ハンスという騎士隊長の名前を覚えていない。対して、ウォルフのことは、回帰前のアリアドネに仕えていた護衛騎士として覚えている。
察するに、回帰前のハンスは、主を護れなかった責任を取って辞任したのだろう。
「護衛騎士である貴方が責任を感じることは理解できるわ。けれど、貴方に罰を与えることが出来るのは貴方自身じゃない。アリアお母様だけよ」
「いいえ、アリア皇女殿下が意思を示せぬいま、俺を罰することの出来る人物がもう一人いらっしゃるはずです。……そうでありませんか、アリアドネ皇女殿下」
「そう。私が執務を引き継いだことを知っているのね」
「はい。アリアドネ皇女殿下。どうか、主を護れなかった愚かな騎士に罰をお与えください」
たしかに、いまのアリアドネにはその権限がある。それを知ったハンスは、主の娘であるアリアドネに罰せられることを望んだのだろう。
「……私の処断に従うというのね?」
「無論でございます」
「いいわ。ならば罰を与えます」
「――アリアドネ皇女殿下!」
ウォルフが止めようとする。それだけでなく、成り行きを見守っていた他の騎士達も、責任なら自分にもありますと詰め寄ってきた。
(ウォルフ達にここまで慕われるなんて、ハンスは部下に慕われているのね。……私はどうだったかしら? なんて、考えるまでもないわよね)
アリアドネが断罪されたとき、庇ってくれる人は一人もいなかった。自分がどんなふうに処刑されたのかは記憶に新しい。それが、悪逆皇女として名を轟かせたアリアドネの末路。
(今度は、そんな悲しい結末を迎えたりしない)
だから――
「静まりなさい。貴方達の気持ちもよく分かったわ。それに、複雑な事情があったことも理解している。だけど、ハンスがお母様を護りきれなかった事実には変わりがない。よって、ハンスはお母様の護衛騎士から解任します。……ハンス、異論はないわね?」
「はっ。もちろんでございます」
ハンスが頷き、他の者達は苦々しい顔で沈黙する。
「では、代わりの護衛は誰がいいかしら? ハンスの意見を聞かせなさい」
「俺の意見を聞いてくださるのなら、ウォルフを推挙いたします。まだ若い騎士ではありますが実力は折り紙付きです。必ずアリア皇女殿下を護り通すでしょう」
予想通りの答えだ。なにより、ウォルフの実力を知るアリアドネにとって、彼がアリアを護ってくれるのなら大丈夫――という信頼がある。
「いいでしょう。ならばウォルフ。貴方をアリア皇女殿下の護衛騎士に任命します」
「……俺は」
「頼む、ウォルフ。俺の代わりにアリア皇女殿下を護ってくれ」
「ハンス隊長……分かりました」
彼は決意を秘めた目で頷き、それからアリアドネに向かって跪いた。
「その任、謹んでお受けします」
「では、母に代わって任命式をおこないましょう。剣を貸しなさい」
「――はっ」
ウォルフはその場に膝を突いて、剣を鞘から抜いて差し出してきた。アリアドネはそれを受け取り、剣先をウォルフの首に添える。
「レストゥール皇族に仕えし騎士ウォルフよ。その誠実なる剣を持ち、我が母、アリア皇女殿下を護る盾となることを誓うか?」
「はい、誓います」
誓いの言葉を受け、首にトントンと刀身を当て、最後に剣を突き付ける。
「誓約はここに成された。そなたを我が母の護衛騎士と認めよう」
剣を返せば、任命式は終了だ。
それは本来であれば厳かで、そしてとても尊い儀式である。だが、騎士達の表情はどこか曇っている。その理由を知るアリアドネはハンスへと視線を向けた。
「さて、次は貴方に罰を与えましょう」
「……罰、ですか?」
「ええ。まさか、護衛騎士を解任しただけで許されると思っていないでしょうね?」
「いえ、滅相もありません」
ハンスは驚きこそすれ、アリアドネの決定に不満を抱いていないようだ。だが、他の騎士達の表情には明らかに不満が滲んでいる。
そのタイミング、アリアドネはイタズラっぽく笑みを浮かべた。
「ハンス、剣を貸しなさい」
「……かしこまりました。我が剣は今日を以て返上いたします」
ハンスは鞘に入ったままの剣を渡そうとする。
「違います。必要なのは剣だけですよ」
「……え? あぁ、失礼しました。ですが、剣で、なにを……?」
困惑しながらも、鞘から抜いた剣を差し出してくる。それを受け取ったアリアドネは、ハンスに向かって跪くように命じる。
そして、戸惑いながらも従うハンスの首に剣を添えた。
「レストゥール皇族に仕えし騎士ハンスよ。その愚直なる剣を持ち、我――アリアドネの敵を討ち滅ぼす剣となることを誓え」
アリアドネの言葉に騎士達がざわめき、ハンスが信じられないと顔を上げる。
「……ア、アリアドネ皇女殿下、これは?」
「知っての通り、お母様が毒に倒れました。よって、当分は私が当主としての執務を引き継ぎます。外に出ることも多くなるでしょう。……そして、命を狙われることも」
護衛騎士にとって、主を護れないという結果はとても不名誉なことになる。
「お、俺にアリアドネ皇女殿下の護衛騎士になれとおっしゃるのですか? しかし、俺は失態を晒した身なれば、そのような栄誉を受け取る訳にはまいりません!」
「たしかに、貴方は失態を犯しました。それによって私のお母様は死ぬところだった。それは騎士にとってあるまじき失態なのでしょう。ですが……」
そう言って、ハンスを心配そうに見つめる騎士達に視線を向ける。
「貴方はこんなにも部下に慕われている。それはきっと貴方が、よい騎士だったからでしょう。私はそんな貴方にもう一度チャンスを上げたい。それに――」
アリアドネは茶目っ気たっぷりに笑う。
「聞いていなかったのですか? 私の護衛は非常に困難です。私の護衛騎士を務める者は貧乏くじでしょうね。だからこそ、これは罰です。ハンス、私の護衛騎士となりなさい」
ハンスは目を見張り、それから身を震わせながら俯いた。
「――謹んで、お受けします」
ハンスが頷くのを受け、アリアドネが儀式を再開しようとする。
けれど、それより早くハンスが口を開いた。
「しかしながら、一つだけ、アリアドネ皇女殿下のお言葉を訂正する無礼をお許しください」
「許します」
「アリアドネ皇女殿下の護衛騎士になることが罰などとは断じて思いません。ゆえに、アリアドネ皇女殿下を守り抜くことで、我が汚名を雪ぐことを誓います」
「……いいでしょう。ここに誓約は成されました」
こうして任命式を終えると、騎士達がハンスのもとへと駆け寄った。
レストゥール家に仕えると言っても、その実態はアリアに仕える騎士だ。アリアの愛情を受けずに育ったアリアドネに対する忠誠心は高くない。
けれど、ハンスに慈悲を与えたアリアドネの優しさを、彼らは決して忘れないだろう。