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エピソード 3ー3

(最近、アリアドネ皇女殿下が変わられた)


 ハイノは廊下を歩きながら心の中で呟いた。その手には、アリアドネがサインをした書類の束が握られている。受け取った書類を持って、執務室へ戻るところである。


 ハイノの知るアリアドネは幼少期から優秀だった。

 彼女が物心がついてすぐの頃、アリアの指示で家庭教師が付けられた。最初は算数や文字の読み書き程度だったが、アリアドネはあっという間に身に付けてしまった。

 そして、6歳になった頃には様々な分野の家庭教師が付けられた。


 いくら皇族とはいえ厳しすぎると思ったほどだ。

 実際、そこらの令嬢なら耐えられなかっただろう。

 だが、幸か不幸か、アリアドネは母親の愛に飢えていた。ろくに名前を呼んでもらうこともなく育った彼女は、母親に振り向いてもらうために必死だった。

 その結果、アリアドネはあらゆる分野において優秀な成績を修めた。

 だが――


(反面、自尊心が低く、人の顔色をうかがうような性格になってしまわれた)


 母親の気を惹こうとばかりしていたからだろう。いくら優秀であっても、自尊心が低ければ他人に取り込まれてしまいかねない。

 ――否。優秀であるからこそ、悪意ある誰かに付け込まれる可能性は高い。


 とはいえ、アリアドネの立場は微妙だ。

 高貴な生まれでありながら、自分の身を守る力がない。もしも優秀な彼女が野心を抱けば、周囲の人間は即座に彼女を始末するだろう。

 だが、彼女は人に依存しやすい性格をしている。優秀な人間なら、彼女を殺そうとするのではなく、取り込もうとするはずだ。

 そういう意味で、彼女の性格はこの環境下で生存するに向いていた。

 けれど、アリアが毒を受けて倒れたあの日、アリアドネは変わった。


 優秀ではあっても、その能力の使い方を知らないでいる。そんなふうに不器用だったはずの娘が暗殺者を退けて、小瓶の残留物から毒の種類を特定し、適切な処置をおこなうことで母親の命を救った。

 いままでからは考えられない行動力だ。


 しかも、彼女はそれからも変わった行動を取り続けた。

 前王妃が主催する夜会に出席すると言いだしたかと思えば、そこで前王妃の信頼を勝ち取って、第二王子派による皇女宮への介入を牽制させるという一手を打った。

 それ自体は、奇縁に恵まれただけと言うことも出来る。

 だが、彼女は続けて、第二王子に通じていた侍女を排除した。


(あのときのアリアドネ皇女殿下は本当に恐ろしかった)


 調査により、デリラとルイーゼが暗殺者を招き入れたことは明白だった。二人がジークベルトの密偵であるのなら、黒幕もジークベルトということになる。


 もちろん、二人の証言を得た程度では、第二王子を断罪することは不可能だ。それどころか、訴えれば、妙な疑いを掛けたとしてレストゥール家がダメージを負うことになる。

 それでも、真実を知りたいと思うのが人の情だ。

 なのに、アリアドネは追及すらせず、デリラとルイーゼをあっさりと追放した。その結果、二人がジークベルトに殺されるであろうことを知りながら、である。


 たがが外れている――とでも言えばいいのだろうか? 普通の人間は、たとえ相手が罪人であろうとも、手を下すことに躊躇するものだ。

 あるいは、被害を受けたのが身内であれば、感情的に罰しようとするかもしれない。


 だが、アリアドネはそのどちらでもなかった。表向きはデリラとルイーゼを寛容に許し、けれど淡々と、第二王子派が彼女達を始末するように仕向けた。


 実際、デリラとルイーゼは数日を待たずして行方不明となっている。

 本来であれば、レストゥール皇族に疑いの目が向いてもおかしくないタイミング。けれど、両家はこちらを疑うどころか、娘が行方不明になった事実を隠蔽している。


 聞くところによれば、療養のために避暑地に送ったと証言しているそうだ。

 騒ぎ立てれば、娘が横領の罪で解雇されたことが噂になる。しかも、その直後に巻き込まれたとなれば、よほど怪しいことに首を突っ込んでいたのでは? と、噂されるだろう。

 彼らの親はそれを避けたかったようだ。


 アリアドネがどこまで計算していたのか、ハイノには分からない。

 だが、二人の行方が分からなくなったという報告を聞いた彼女の言葉は『手間が省けたわね』であり、『後のことは心配しなくて平気よ』であった。


(まるで、若かりし頃のアリア皇女殿下のようでしたな)


 祖国がグランヘイム国に戦を仕掛けて滅んだ。本来であれば皆殺しになるはずだった皇族の中で、唯一生き残ることが出来た亡国の皇女。

 それは決して、彼女の運がよかったからではない。彼女が宝石眼の秘密を持ち出し、王族にある取引を持ちかけたからだ。


 いまのアリアドネは、その頃のアリアを見ているようだ。死と隣り合わせの状況にありながら、着実に力を付け始めている。もしこの先も生き残ることが出来たのなら、自由をその手で勝ち取るほどに成長するかもしれない。

 とはいえ――


(アリアドネ皇女殿下はまだ幼い。政治について習っていても、まだ執務経験がありませんからな)


 執務を任せるのはまだ早い。まずは自分が代行をして、そのあいだに少しずつ経験を積んでもらおう――というのがハイノの計画であった。

 しかし、執務室に戻って書類に目を通していたハイノはそれを見つけてしまった。サインをするだけでよかったはずの束の中に紛れた、要調査の文字を。


「……これは、なぜ?」


 アリアドネに渡したのは、ハイノがサインをして問題ないと確認した書類だけだった。にもかかわらず、その一枚には要調査と書かれている。


(気負ったアリアドネ皇女殿下の暴走、といったところでしょうか)


 ハイノが直接目を通している上に、その収支報告書は一年前とほぼ同じ内容である。


(例年通りなのだから、問題があるはずも……いえ、待ってください。たしか、昨年は災害によって取引価格が高騰していたはず。なのに、そのときと同じ金額、ですと?)


 去年と同じだったのだから――という落とし穴。すぐに市場価格を調べたハイノは、その収支報告書が、巧妙に改竄されたものであることを理解した。


「これは……また。さすがアリア皇女殿下の娘と言うべきでしょうか。いえ、たった一度で評価するのは早計ですな。念のために、もう少し試させていただくとしましょう」


 そうして、再びサインをするだけでいい書類の束を用意した。

 その中に一枚だけ、偽造した予算申請書を紛れ込ませる。数ヶ月まえに予算が下りている案件の書類をもとに、金額は二割増し程度に調整した偽の書類である。


(もしもこれにお気付きになったのなら、アリアドネ皇女殿下の執務能力は本物ということになるでしょうね。であれば、彼女に多くを任せても問題ないかもしれませんね)


 そのための最終試験。

 けれど、それから数日後。アリアドネのもとから返ってきた書類の束には、すべてサインがされていた。ハイノが作った偽の予算申請書にも許可が下りている。


「……前回は偶然だったのかもしれませんな。もちろん、優秀であることには変わりないのでしょうが、多くを任せるには時期尚早と言ったところでしょうか」


 とはいえ、アリアドネはまだ若い。これから少しずつ学んでもらえばいいのだと考えながら、偽の予算申請書を破り捨てた。

 直後――


「安心したわ」


 背後から、アリアドネの声が響いた。



「ア、アリアドネ皇女殿下!? い、いつからそこに……」

「魔術でちょっとね。それより、答え合わせをしましょう」


 アリアドネはそう言って、破り捨てられた予算申請書に視線を向ける。


「答え合わせ? もしや、アリアドネ皇女殿下は、この予算申請書の金額がおかしいことに気付いていらっしゃったのですか?」

「おかしいのは金額だけじゃないでしょう? その予算、既に下りているはずよ」

「――なぜそれを!? アリアドネ皇女殿下はご覧になっていないはずです」


 アリアドネが処理した書類はまだ少ない。ハイノが偽造した書類のもととなった予算申請書は、それよりまえに処理されたものだ。アリアドネが知るはずはない。


「たしかに私は見ていないわ。でも、その取引相手は平民でしょ? 平民は資金繰りが大変だから、その時期の予算申請をいまごろになって送ってくるはずがないのよ」


 もちろん、横暴な貴族なら処理を遅らせることもあるだろう。

 だが、他の書類は素早く処理が為されていた。アリアが倒れて執務が止まっているとはいえ、処理しなければならない書類はすべて最近のものばかりだ。

 つまり、その一枚だけが浮いている。

 しかも、アリアドネに渡す書類は、ハイノが一度目を通しているはずなのだ。なのに、明らかにおかしい申請書が紛れ込んでいたとなると、第一容疑者はハイノ自身だ。


「そ、そこまで分かっていたのなら、なぜサインを……?」

「分からない?」


 アリアドネは凪いだ目でハイノを見つめた。


「……ど、どういうことでしょう?」

「簡単よ。貴方が私を疑ったように、私もまた貴方を疑ったの。偽の予算申請書を作った貴方が、通った予算を横領する可能性を、ね。だから、あえて申請を通したのよ」


 最初から指摘していたら、アリアドネを試すための試験だった――と言い逃れすることも出来る。だからこそ、予算を通した後のハイノの行動を注視した、という意味。


「そのようなことはあり得ません。私は古くからレストゥール皇族にお仕えする身。主を裏切るような真似は決していたしません」

「そうなのかも知れないわね。だけど、それをどうやって私に証明するつもりだったの?」


 これがアリアの指示であれば問題はない。だが、代行でしかないハイノが独断でおこなうには越権が過ぎる。少なくとも、いまのアリアドネに、彼に対するそこまでの信頼はない。


「それは……あ、あぁ……私は、なんてことを」


 ハイノがくずおれる。


「アリアドネ皇女殿下、大変申し訳ございません。私は貴女の信頼を損ねた責任を取って辞職いたします」


 どこまでも愚直だ。そして、回帰前の彼もそうだった。悪事に手を染めるアリアドネを最後まで諫めようとした。アリアドネが、邪魔になった彼を排除するまで。

 だから――


(いまの私と彼のあいだに信頼関係はないけれど、私は回帰前の彼を知っている。本来なら、彼の忠義を確認する必要はなかった。だけど――)


 彼に実力を証明する必要はあった。

 それも、相手の予想を上回る形で。

 だから――


「馬鹿を言わないで。この状況で、執務内容を把握している優秀な存在を手放すはずがないでしょう? これからもレストゥール家のために働いてもらうわよ」

「しかし、私は貴女の信頼を損ねました」

「申請書を破り捨てるのを確認したことで、貴方の信頼は回復しているわ。それに、レストゥール家の未来を思うなら、私の能力は確認して然るべきね。だから、今回のことは不問にしましょう」


 執務能力に加え、過ちを犯した配下への対応力を見せつけることで自らの能力を証明する。


「よろしいの、ですか?」

「ええ。そしてこれからも私を疑い、もしも私が間違った道に進んだら止めなさい」

「――仰せのままに」

 

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