甘すぎる果実 ―奴隷客室乗務員外伝・涼子の場合―
「日本の果物は甘すぎるんですよ。ですから、そうですね……紅玉、むつあたりを組み合わせるとこのお菓子に合うんじゃないでしょうか」
―彼が意外なほどに物知りな事に驚く。
いや、もしかしたら今を見越して詰め込んで来ている可能性は捨てきれないが、その自然な語り口は知識を自分のものにしていると考えて間違いない。
そう思いながら、涼子は相手の顔を見つめかえした。
―こちらをまっすぐにみる表情に邪気はなく、真摯な雰囲気を漂わせる甘いマスクは、もし演技であれば将来は俳優だと言っても通るだろう。
母似なのか若干女寄りであり父親の影響を全く感じさせないその顔は、この場において涼子以外にもいる女性たちの視線と称賛を一手に浴び、それがまた誇らしくもある。
「涼子さん、涼子さん、この方……まさか」
「イケメンねぇ。紹介して下さらない?」
「あはは……そのまさか、と言いたいんですが実はこの子、息子なんですよ」
「息子さん!? え、でも……」
「正確には娘婿、ですよお義母さん。にしてももうばらしちゃいますか。もう少し秘密にしていても面白かったのに」
―周囲に笑顔を振りまきながらも意識は常に自分に向けてくるこの男は、私しか見ていない。
それがわかる。
誰と話そうともどのような会話であっても必ず私を間に入れてくれる。
出会ってそれほど時間が経っているわけでも無いのに、例えその感情が娘を通してのものであったとしても少しばかり優越感を感じてしまう。
(と。そこまでそこまで。彼は……)
涼子はそれ以上考えるのをやめた。
なぜなら、彼は彼女にとって娘の夫にあたる人物であったからだ。
正確には夫になる予定、ではあるが娘とこの男性の関係は良好。
また相手方の家柄、経済状況も申し分ない上に、このように性格も良い。
どこをどう見ても娘の夫として不足などあるはずがないのだ。
「お義母さん? どうしたんですか」
「い、いえ、何でもないのよ」
「……そうですか。ではどの様にデコレーションしましょうか」
「そうねぇ……」
(いけない、私また)
―見惚れていた。
涼子は頭を軽く振り、目の前にあるアップルタルトに注力する。
ここは数年前から通い出した料理教室、娘が独立した際に増やした趣味の場所だ。
青年はそんな彼女の趣味に興味を持ったのか、一緒に行きたいと言い出し、今に至る。
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「開花期はそう……4月から5月、丁度今くらいじゃないですかね」
「本当に物知りなのね」
「はは、……もしかして気付いてます? 実は付け焼刃なんです」
「そうかしら」
「そうですよ」
―料理教室での今日の課題、アップルタルトは予想以上に良い出来だった。
それを祝してちょっと飲んで帰りませんか? と彼が言うので帰っても特に誰か待っているわけでもないし、と彼と私は夕食も兼ねてホテルのラウンジで祝杯を挙げている。
都内の一等地に建つ一流ホテル。
窓際の席からは煌びやかな夜景と車の光跡が一望できる。
とてもじゃないが、ちょっとどころの場所じゃないわよね、と涼子は独り言ちる。
彼の目的は既に分かっている。
この後、彼女を抱きたいと言外に言っているのだ。
無論彼女はそんなに軽い女ではないし、娘の手前だってある。
だが夫を失って既に20年以上、後添えの依頼をすべて断り娘と共に過ごしたこの年つきは彼女にとって充分に長すぎる『孤独』であった。
「それにしても、手回しがいいわね。最初からそのつもりだったの?」
「正直に言えば……ええ、そのとおりです。……いけませんか」
「私は、あの子の母親よ?」
「でも、貴女は貴女だ。僕は貴女に魅力を感じました。そしてこれからも」
―出かけるときには互いにシャツにジーンズとラフな格好だった。
でも今は……スーツにドレスで向き合っている。
最初からそのつもりだったと隠すこともない。
そんな少年のような無邪気さと狡猾さに私はなぜかときめきを感じてしまう。
「あなた……もうあの子を抱いたの?」
「いえ、彼女の事は大事にしたいと思っています。ですから……まだ指一本触れていません」
「……いつから?」
「父の勧めでお嬢さんの写真を見せていただいたとき、隣で微笑む女性が気になって……そしてあの日、親族顔合わせの席で貴女の顔を見た時から、僕は貴女しかもう見えなくなった。例えこの関係が許されないものだとしても。……だから」
「……」
涼子は一旦彼から目をそらし、窓の外を眺める。
まだ電車の動く時間とはいえ夜のとばりの下りた街並みは既に家路を急ぐ人をかき消し、彼の父親が出資しているというこのホテルのラウンジの雰囲気もあって世界に二人しかいないような錯覚を彼女に与えていた。
加えて少々の緊張から思った以上にグラスの中身が減っている。
普段アルコールをそれほどたしなむことの無い彼女にとってそれは大胆な思考を巡らせるに至らせていた。
だがそれだけではない。
彼女の娘が急に決まった出張によって家を空けてから既に半月経っている。
その間に彼の彼女に対する行動は洗練かつ紳士的で、勿論家柄からお金目的などと言う事はあり得ない。
それもあってこのようにラウンジに付き合ったのだが。
(……ふぅ。こうやって一緒にのみに来ている時点で、人によっては越えていると言えなくもないのよね。なら)
「そう。……でも、一回だけよ? それ以上は、絶対、ダメ」
「嬉しいです……お義母さんっ」
「ふふ……でも今夜だけはお義母さんはやめてくれるかな」
「勿論です、涼子さん……後悔はさせません」
前のめりになって喜色を隠そうともしない、将来息子となる青年。
涼子はこの時、少しだけ上から目線で彼を見下ろす。
(そう。これは、そう……味見の様なものよ。ごめんね、玲香)
―浮かれている。そう、私は少しだけ、ほんの少しだけ浮かれている。
こんなかわいい子が、私を女として抱きたいと思っている。
ベッドの上で私の体を見てがっかりしないだろうか。
現実から覚めたような目で私を見たりしないだろうか。
そう思いながら緊張と興奮に包まれつつ、涼子は席を立った青年の腕に自らの腕を絡めるのであった。
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「それでですね、本国に帰ったそのオリンピック選手は、自国のリンゴがあまりにも酸っぱくて、結局日本に帰化したっていうエピソードがあるんですよ」
「本当に好きなのね、リンゴの話」
「はは、……リンゴ、好きなんですよ。と同時に海外から見たら日本人の異様ともいえる食への執着心にもね。日本人は、何でも甘く、美味しくしてしまう」
「確かに、そうかもしれないわね……」
「でしょう?」
ベッドの中で青年は、涼子の長く艶のある黒髪を梳くようにして手の中で遊ばせその感触を愉しんでいる。
結婚前の娘を持つ身でありながら、彼女の髪は白髪の一本も見当たらないほどに黒々としている。
勿論根元までを探せばそんなことは無いのだが、それが彼女を年齢以上に若いと言わしめる原因の一つとなっていた。
一方涼子も、上気した顔を何とか落ち着かせようと息を整えながら青年の胸に顔をうずめる。
先ほどまでの痴態を晒した顔を見られたくなかったからだ。
―杞憂だった。
彼は私の体を見て臆することなく挑んできた。
そして、私の体は充分に応えられたか不安だ。
本当に若いっていうのは、それだけで素晴らしい事なのよね……。
例によってホテルのスイートルームを押さえてあるという手際の良さ。
彼女にとってはそれこそ新婚旅行の時でさえ泊まったことの無いほどに豪華な室内。
そこで涼子は二十年来上げたことの無い声、喜悦の声を派手にあげ続けた。
いや、あげ続けさせられたと言った方が正しい。
病弱だった夫とは娘が出来てから殆ど情を交わすことは無く、むしろ情交の経験値としては青年の方が高いとわからせられた。
味見と称して軽い気持ちで彼に抱かれたことを後悔したのも最初の時だけで、あとは青年のなすがままに弄ばれ続けたのである。
―何年ぶりになるのかしら、本当にすごかった。
一回抱かれた後はもう、殆ど覚えていない。
夫の届かなかったところに彼のは届いて、もう、何度も何度も。
ゴムだっていつの間にか無くなってたし……。
どう言う風に彼がしたのかわからないくらい。
流石に……疲れ……。
「……何を考えているんです? 涼子さん」
「いや、もうこれ以上は」
「そうですか? やっと涼子さんと一つになれたんです。僕はまだまだ……でも、ほらこうしているとまた……。でも少し体力的に辛いなら」
「……いえ、それは、そんなことないんだけど」
「嬉しいです、涼子さん」
「んっ、ぐむぅぅ、急にっ、んむぅぅ」
既に何度も交わした濃厚なキス。
触られてない箇所が無いと思えるほどに今も青年の空いた手は彼女に快感を与えるために動き回る。
母子ほどの歳の差。
いや実際に母子になるわけだが、涼子は一瞬それを実感し、しかし現実に引き戻されるのを嫌がるかのようにそれを認めたくないと思ってしまった。
涼子の返事を了解と取った青年は再び彼女を責め始める。
休憩を挟んだとはいえ、青年は直ぐに最後までいくことはない。
その分今まで以上に全身を弄られ、位置、場所を変え、文字通り涼子は気を失うまで男に抱かれ続けたのである。
スイートルーム中に響き渡る涼子の感極まった声。
決して止むことの無いその声は実に太陽が中天に登るまで続いたのである。
(あっは……このホテルでは恥ずかしくってもう食事出来ないわね。何時間籠っていたんだって思われちゃう。……あ、そうだ、お昼はあの時作ったアップルタルトでいいかぁ……)
朦朧とする意識の中、涼子は気を失うまでそんなとりとめのない事を想うのであった。
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―一回だけって言ったのに。
今では私の方が求めてしまっている。
認めるのは嫌だけど、考えるだけで、ああ……私は。
嫌がっていない、むしろ愉しんでいる。
自宅のリビングで気だるげに涼子は明るい色の長髪をかき上げる。
青年が彼女の艶やかな黒髪を褒めた時に実は白髪が生えていると言ったら、なら染めませんか、といって少し離れた着物の着付けもできる高級美容院を紹介してくれたのである。
戸惑う彼女に支払いは既に済ませてます、と伝えたその青年はその代わりにと明るい髪色になることをおねだりしてきたのである。
美容院まで来てごねるのもなんだし、と彼女は鷹揚に頷くが心のどこかに見た目だけでも年齢を合わせようと思ったであろうことは否めない。
化粧も若干濃くなり、衣服も簡素なものから若々しいものに変わっていた。
料理教室の同世代の奥様方からも今やひそひそと噂されるほどに目立っている。
だが元々の素材がいいという事もあり、決して若作りには見えない。
むしろ本当に若返ったかのように今の彼女は輝いていた。
これらは青年とのデートで得たものだ。
支払いは全て青年が持ち、そのかわりに、とおねだりされたものを身に着けていたら自然とそうなってしまったのである。
ホテルでの一件以降、青年は彼女の家から会社に通っている。
女性が一人で暮らすのは物騒だから、娘さんが出張から戻るまでの間だけでもというのが彼の言い訳だが、涼子はそれを受け入れた。
むしろ彼女の方がこの疑似的な新婚生活を楽しむ様になってしまっている。
「最初は一ヶ月って聞いてたんだけど……また伸びるなんて」
「それだけ仕事に集中しているという事ではないんですか? 僕の方にもメール来てますけど、仕事が相当楽しいみたいです」
「なんだかごめんなさいね、式、また延期になるわね」
「とんでもない。……むしろ、僕は嬉しいんです」
スマートフォンに表示されたメールを前に涼子は年甲斐もなくふくれっ面をする。
最近の彼女にはこういう仕草が増えた。
涼子の娘は結婚を控えているというのに急な海外出張が決まり、既に数か月が経過している。
式次第の準備もいったん中止となっているがその分の費用は全て青年側で受け持っている為、特に金銭的問題も発生していない。
何故なら、彼女の娘の仕事は青年の会社から直々に発注されたものだからだ。
海外で随分と日焼けしたようにも見え、また涼子同様大胆に髪色も髪形も変わっているが元気そうな娘の写真もメールに添付されている。
また仕事内容も細かく描写されてほぼ毎日のように涼子の元に届くためそれほど心配もないと言えるし、今の彼女にとってそれは歓迎すべきことだ。
青年に言われるがままに仕事もやめてしまった涼子は、今や新しいマンションで毎日新妻の様に青年を出迎える生活を続けている。
セキュリティの観点から勧められた超のつく高級マンションである。
勿論ここも青年持ちであり、涼子は生活の全てを青年に依存するようになっていた。
―でも不満なんてない。
このデザートを食べたら、今日も彼と……ふふ。
この新しい家の中で彼に抱かれていない場所なんてない。
今日はどこで……イケるのかしら。
涼子は食後のデザートの最後のひとかけらを口に放り込むと、その様子を嬉しそうに見つめてくる青年に妖艶な微笑みを返す。
一瞬娘が帰宅してきたときの事を考えたが、それも急速に消え去っていく。
そして青年と抱き合い、もう回数を数えるのも億劫になる程繰り返した濃厚なキスで舌を絡めあわせる。
「……食べてたデザートの味がします」
「そう? アップルタルト、毎日食べても飽きないくらい好きになっちゃって……ふふ、どんな味がする?」
「甘い……そう、甘すぎるかな、だから日本の果物は」
―甘すぎるけど、嫌じゃない。
むしろそれがイイ。
涼子は口腔の快感に下半身を早くも疼かせながら、キスの最中目を開けた。
自分にとっての『甘すぎる果実』はあなたなのよ、と言いたげな目を青年に向けて。
甘すぎる果実 ―終わり―
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