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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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73.子猫伯爵と細小波

パーティーは続き、ユージーンが遂にアマレット・ニール教授へと声をかけた。

「アマレット先生!僕に先生と踊る栄誉を与えてはもらえませんか?」

「あら、本当にお誘いにいらしてくださったのですね。良いでしょう。(わたくし)の教えたマナーが身に付いているか、チェックして差し上げますわ」

オレの父ラドフォードとそう変わらない、下手をしたらそれよりも上だろう彼女は大人の余裕で微笑んでいる。

そうして差し出された手を取って、ユージーンと共に中央へと移動した。

生徒を立てるためか、ニール教授のドレスは色もデザインもシンプルなもので一見すると地味なものだ。

しかし彼女自身の気品が、それすらも覆い隠すのだろう。

柔らかなドレスの裾を揺らさずに歩く姿は彫刻を思わせる美しさがあった。

だからといって教授と踊りたいとは思わないが、卒業を祝うこの場では他学年や教師を誘うのも一つの醍醐味(だいごみ)だった。

恩師との交友を深めたい一心だったり、パートナーを見つけられないが踊りたい人だったり、理由は様々に教師たちともダンスを繰り広げている。

(よく体力もつよな……)

顔を綻ばせるユージーンを呆れ半分に見つめる。

ニール教授を誘えたとあって嬉しいのは分かるが、ユージーンはもう相当な数を踊っているのだ。

キャンディスのパートーナーを務めた後も、代わる代わる見知った面々と踊り、テーブルに着いていた時間はほとんどなかっただろう。

パーティーというブーストがかかっているにしても凄いものだ。

(踊ってないのってオレとハンスと……レフもか)

アンナはユージーンと踊った後、1曲終えて戻ってきたジョンと共にダンスホールへと入っていった。

緊張が解けたのか、軽い足取りでステップを刻むアンナは綺麗なものだった。

凛々しくなったジョンも華やかそのもので、二人に送られる視線はいつもの冷たいものではなかった。

「僕とも踊ってくれませんか?」

「さっきイベット様と踊ってましたよね?私とも1曲お願いできますか?」

その後も妖艶(ようえん)な魔女に化けたアンナと、甘いマスクのジョンに見惚れた人たちが、二人を取り囲んでいった。

申し込みの全てを受けたわけではないが、アンナとジョンも十二分以上に引っ張りダコだった事だろう。

しかしながら、アンナがレフと踊る事は一度もなかった。

アンナが自ら声をかける事も、レフがアンナを誘う事もなかったのである。

「アンナと踊んなくて良いのか?」

「オレかー?授業でいっぱい踊ったし、今日までオレと踊る必要はないと思うぞ」

「それはそうだろうけど、レフだって楽しみにしてただろ。綺麗に着飾ったアンナと踊れる機会なんてそうそう来ないんだし、変に気遣ったりなんかすんなよ」

「うん……。けどいーんだ!ベレジュナーヤが楽しそうだから、オレはそれだけで嬉しいぞ!」

隣に腰かけたオレへと笑ってから、レフはホールで踊るアンナに視線を注ぐ。

卒業生にパートナーを頼まれたようで、人の目もあって断るに断れなかったといったところか。

レフの目は真面目な顔でゆったりと回るアンナを見つめている。

ひどく穏やかでありながら切なさすら感じさせる眼差しに、胸が締め付けられそうだった。

「………アンナに」

「言わなくていーぞ。ベレジュナーヤが秘密にしたがってる事を無理に知ろうとは思わないからな。まー、ベレジュナーヤはあれで隠せてるつもりなんだろうけどバレバレというか……うん!オレも付き合いが長いからな!ベレジュナーヤの事はだいたい分かるぞ!」

声を詰まらせるオレに、レフは眉を下げて笑う。

見た目も中身も子供っぽいと思っていたけれど、アンナを見守る姿はずっと大きく見えた。

「レフって思ってたより大人なんだな」

「なんかバカにされてる気がするぞ」

「馬鹿にしてるわけじゃないけど、その…アンナの事よく見てるんだなって思ってさ」

その言葉にレフは一瞬目を丸くして、次には笑みを浮かべた。

光のあたる中央に比べるといくらか薄暗いせいか、細められた目が怪しく光ったように感じられる。

「ベレジュナーヤの事だけ見てるんだよ」

囁くような声にオレの方がドキリとしてしまった。

初めて見る男の顔にオレの頭上には大量の〝(ビックリ)〟と〝(ハテナ)〟が湯水のように湧き出てくる。

普段の様子からあまりにかけ離れたレフの様相に、オレは面と向かってレフを見る事が出来なかった。

「や、うん、何か色々あんだな……は、はは」

そのまま変にドギマギした気分で席を立つ。

トイレに行くと告げ、一人会場の外へと歩いていった。

締め切られた会場の熱気のせいだろう。

(ひたい)にまで汗が(にじ)火照(ほて)りを、冷たい風で冷やしたい気分だった。



「――ユージーン」

裏返りそうになる声を押し込め、アンナはその名前を呼ぶ。

自分の事を冷静沈着だと思っていたが、ユージーンの前では無頓着(むとんちゃく)なだけの人間ではいられなかった。

「どうしたの?」

「もう一度、私と踊って欲しいの」

「うん、良いよ。けど疲れてない?ずっと踊ってるみたいだから少し休んでからでも――」

「大丈夫よ。それにずっと踊ってるのはユージーンの方でしょ?」

「あはは、そうだね。久々のパーティーだから楽しくなっちゃってさ」

優しく笑ってユージーンはアンナへと手を差し伸べる。

アマレットとのダンスを終えたユージーンの額にはかすかに汗が浮かんでいるが、疲労を感じさせるような顔はしなかった。

本当に平気なのか無理に笑っているのかは分からない。

分からないけれど、アンナは今度こそ固くならずにその腕をとった。

ハンスに比べれば細いとはいえ、すっかり背も高くなり体も大きくなった腕は太く逞しい。

いつまでも細いままの腕を絡め、アンナは息を整えるようにゆっくりとホールへと踏み出した。

背中を支えてくれる手は変わらず優しいままだ。

「ユージーン、私――」

音楽が始まり、最初のステップを踏む。

互いに前へ後ろへと足を踏み出しては引いてを繰り返し、身を寄せ合った。

世界に二人きり――なんて甘やかな空気はない。

他の生徒にぶつからないよう気を張りながら、円形のホールを縦横無尽に駆けていく。

「私、あなたの事が好き」

「アンナ……」

「聡明なところも、優しいところも、穏やかな声も好きよ。あなたといると毎日が楽しくて、ここに来て良かったって思えたの」

二人きりではないけれど、アンナはユージーンだけを見つめて囁いた。

そこに魔女を思わせる(あで)やかさはなく、ただ純朴な少女の笑みがユージーンに向けられている。

しかしユージーンの表情は浮かなかった。

笑みこそ崩さなかったが、眉は下がり、その目も苦悩によって細く歪んでいく。

「………ごめん」

演奏にかき消えてしまいそうな小さな声が告げた。

その言葉にアンナはただ優しく微笑み返す。

「私の方こそごめんなさい。最初から()()()()()を期待していたんだもの」

演奏が終わりへと向かい、ゆるやかだった曲調が熱を帯びていく。

「私、ズルい女ね。あなたに嫌な思いをさせて、自分の気持ちに整理を付けようとするなんて」

「そんな事ないよ。アンナはいつだって真っ直ぐで、僕にとっても目標のような人だ。応えられはしないけど、君の気持ちだって嬉しいんだ」

「ありがとうユージーン。あなたを好きになって良かった」

晴れやかに笑いアンナはユージーンから離れた。

そこで曲が終わり、数歩離れた場所にいるユージーンへとアンナは深く頭を下げる。

ドレスの(すそ)をつまみ上げる姿は優艶で、しかし顔に浮かぶのは強気な表情だ。

「これからも友達でいてね――なんて、図々しいかしら?」

「ううん、同じ事を言おうと思ってたところだよ」

悪戯(イタズラ)に笑うアンナの顔には妖艶な輝きが戻っている。

ユージーンはどこか救われたような気持ちで苦笑を漏らし、改めてアンナへと手を差し出した。

「これからもよろしくね、アンナ」

「ええ、望むところよ」

二人は握手を交わし――噴き出すように笑い合った。

戻るのは難しいなんて言ったりもするが、二人の間にあるのはこれまでと変わらない友愛だ。

この先もずっと共に勉学に励み、共に笑い合っていく事が出来るだろう。

こうしてアンナの恋は終わりを告げたのだった。

しかし、そこに悔やむようなものはない。

アンナは晴れ晴れとした気持ちで、戻るべき場所へと戻っていくのだった。

「――ベレジュナーヤ借りるぞ」

テーブルへと戻ってきたアンナをレフが問答無用で引きずっていく。

ユージーンは驚きながらも二人の背中を見送った。

その視線の先、レフ――テウルゲネフは自分の手を振りほどこうとするアンナを抱え上げる。

「テウルゲネフ…!急に何なのよ…!」

「良いから来い」

声を荒げたところで、誰かが間に入る事はない。

皆パーティーに夢中なのか、少し会場を離れると生徒の姿はどこにも見られなかった。

中には逢瀬(おうせ)に暮れる者もいるようだが、レフはそれらを無視して空いていた教室へと入り込む。

「ちょっと!話くらい聞きなさいよ!」

「すぐにカッとなるのは良くないぞ。ほら、足――むぅ、こっちの言葉は難しいな」

机の上へとアンナ――ベレジュナーヤを下ろし、レフは喉を唸らせる。

そのすぐあとに、唸り声にも似た奇怪(きっかい)な言葉を吐き出した。

『ほら、足を出せ。怪我をしてるのに無理をするんじゃない』

「……あなたには関係ないでしょ」

『お前が怪我をしているのに黙って見ていろというのが無理な話だ』

顔を(しか)めるベレュナーヤをよそに、テウルゲネフは窮屈(きゅうくつ)そうなヒールに包まれた足をとった。

ドレスと同じ海色の靴をはぎ取ると、ベレジュナーヤの白い足が現れる。

しかし踊りづめだったせいだろう。

靴が()れる部分は赤く染まり、少しだけだが血が(にじ)んでいた。

『楽しむのを止めはしないが、無茶をしちゃ元も子もないぞ』

ロングコートの内側を漁り、テウルゲネフは常備している塗り薬を取り出した。

軟膏(なんこう)状のそれを擦り傷へと塗りつけ、包帯を巻いていく。

その手つきは玄人のもので、ベレジュナーヤの両足はきっちりと包帯巻きにされていった。

『応急処置だからあとでシャルルに見てもらえ。傷が残って良い事はないからな』

手慣れたテウルゲネフの態度に苛立ちを覚えるが、手当をしてもらった手前、文句を言うわけにもいかない。

薬が染みるせいもあるが、ベレジュナーヤはズキズキと痛む足を見下ろしため息を()く。

『どうせ知ってたんでしょ?』

『……まあ、お前の事だからな』

『ほんと、あなたのそういうところ嫌いよ。人のこと何でも知った風な顔をして馬鹿みたい』

『風じゃなくて知ってるんだから良いだろ』

思わず喋り慣れた言葉に戻ったベレジュナーヤに、テウルゲネフは唇を尖らせる。

ベレジュナーヤがユージーンに想いを寄せている事は知っていた。

そしてそれが叶わないだろう事も。

(いさぎよ)いと褒めてやれば良いんだか、諦めが早いと怒れば良いんだか……』

『何度も言わせないで。あなたのそういうところが嫌いなのよ』

『オレはベレジュナーヤのこと好きだぞ』

『どれだけ馬鹿なのよ。好きってだけで何でも許すわけ?少しは怒りなさいよ…!!』

ベレジュナーヤはついに声を荒げた。

しかしテウルゲネフはどこ吹く風で、治療のために脱がせた靴をベレジュナーヤの前に揃えた。

『誰が何と言おうがお前はオレの伴侶(はんりょ)だ。その自覚があるからジンに振られようとしてたんだろ?それにオレはお前が誰かを好きになったくらいで(とが)めたりはしない。お前の意思を踏み(にじ)ったりはしない』

『……婚約者の間違いでしょ。そもそも私はあなたをこんなところまで連れ出した罪人なのよ。あなたがいくら主張したところで、私たちの関係はもうとっくに終わってるわ』

『それはオレを追い返したい口実か?それとも――責任を感じてるのか?』

目の前に揃えられた靴を見つめ、ベレジュナーヤはドレスの裾を握りしめる。

(私は……)

ユージーンへの気持ちは本当だった。

その裏でテウルゲネフを捨てられない自分がいる事にも気が付いていた。

それが責任からくるものか、罪悪感からくるものは分からない。

けれど、あまりに雄大なテウルゲネフの心を前に息が詰まりそうになってしまうのも事実だった。

『オレは自分の意思でここにいる。自分の意思でお前と一緒にいる事を選んだ。それはお前だって同じはずだ。それを今更後悔して何になる?』

『ごめんなさい、テウルゲネフ。私は……』

アメジストの瞳を揺らし、ベレジュナーヤはボロボロと涙を(こぼ)し始めた。

初めから分かっていたのだ。

ユージーンがどう答えようと、相容(あいい)れる事はないと最初から分かりきっていた。

しゃくり上げる小さな肩を抱きとめ、テウルゲネフはゆっくりと細い背中をさする。

テウルゲネフに与えられる温もりに縋ろうとして、けれどベレジュナーヤは(かたく)なにドレスを掴み続けた。

『本当に頑固だな』

『煩い。あなたが馬鹿なのがいけないのよ』

素直に感謝する事も謝る事も出来ずに悪態をつく。

しかしその優しさは離し(がた)く、テウルゲネフを突き飛ばす事だけは出来なかった。

ベレジュナーヤが泣き止むのを待って、テウルゲネフは手を差しのべる。

『オレと1曲お願いしても?』

『――ええ、喜んで』

ベレジュナーヤは懸命に笑ってその手を取った。

(ほんと……私、馬鹿ね)

テウルゲネフに甘えている自覚はある。

それでもテウルゲネフが許してくれるなら、この人の下へ帰ってこようと思えた。

恋が終わってしまったからこそ、愛が(つむ)げるようにと掴み慣れた腕をとる。

ベレジュナーヤは気持ちを新たに、戻るべき場所へと戻っていくのだった。

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