69.子猫伯爵と出陣
時は進み、春の第二月――。
オレの誕生日を目前にした今日この日、良くも悪くも待ち侘びたパーティーが開催される。
神学院が主催となって開かれるこの行事は、在学生への進級祝いであり、卒業生を激励するための祝賀会と言えるだろう。
普段の授業とは異なり、全学年の生徒が一度に会するまたとない機会にもなっている。
縁談の相手を見つけようとする者、政略的に手を組もうとする者、使用人の募集などなど、祝賀会の裏では様々な駆け引きが行われていくに違いない。
さして興味はないが、オレにも派閥だったり仕事だったりの勧誘をしてくる者が出ないとは限らない。
オレを聖人に仕立て上げたい連中もいる以上、気を引き締めようと思う。
とはいえ、大変喜ばしい事にカレン夫人の一件以降、特筆して語るような出来事は起きていない。
丸く収まった判決も含め、ほとんどが変わらなかったオレの生活や態度に、あらぬ噂も次第に消えていってくれた。
伴ってオレを聖人と呼ぶ動きも大人しくなり、最近ではチラチラと視線を送られるくらいだ。
今日のパーティーでも自分たちだけで楽しんでくれれば言う事なしだ。
「――はい、出来ましたよ」
そのパーティーのために着せ替え人形にされていたオレの髪からナサニエルが手を離す。
真っ赤な尻尾がふわりと下がり、着替えが終わった事を告げているようだった。
朝早くから叩き起こされたオレはあくびを一つ。
しぱしぱする眼をこすりながらもナサニエルを連れ添って談話室へと向かう。
「キャー!よく似合ってるわシャルル!」
「この色にして正解だったね!」
先に談話室で待っていた兄スコールと姉シルビアが黄色い声を上げる。
最推しのアイドルとの対談が叶ったかのように、キャーキャーと騒ぎ、赤褐色の目を輝かせていた。
それは父ラドフォードも同じで、ゆったりとソファに腰かけながらも、その瞳はひどく嬉しそうに細められている。
「本当によく似合っているよ、シャル」
「何着てもそう言うじゃん」
「嘘を吐く意味がないからだ。お前がどんな格好でも愛らしいのは当然だが、祝賀会のために用意したこの服は一段と立派に見える」
まだ父には届かないが、少しずつ体つきの変わってきたオレを慈しむように父は微笑んだ。
我が子の成長を喜ぶその姿に何とも照れ臭い気持ちになる。
クリスティアンとキッドマンまで実の子供の晴れ舞台のように、顔から一切の鋭さを消して微笑んでいるのだから、そんな気分にもなるだろう。
オレのすぐ傍で襟やリボンを直すナサニエルの表情も優しく、オレは恥ずかしさを隠すように唇を尖らせた。
「つーか三度目じゃん!!着る度に言わなくたって良いっての!!」
言葉の通り、このやり取りも今日で三度目だ。
仮縫いの時にもまったく同じように騒ぎ、服が仕上がった時にも変わらず騒ぎ、そして今また懲りずに騒いでいる真っ最中なのだ。
普段にも増して褒め殺しに合っているオレの心は良い意味で限界だった。
チョロいと思われるかもしれないが、人間褒められて嬉しくないなんて事はないのである。
家族が用意してくれた一張羅に身を包んだオレは頬が熱くなるのを感じていた。
「ふふ、真っ赤になっちゃって可愛い♪でも緊張しなくて大丈夫よ。生徒だけのパーティーなんだし、そう構える事はないわ」
「ん。分かってるよ。けどこういうの着るの久々だからさ……」
勉強しに行くのに派手な服を着る必要がないと思っているオレの普段は恰好はかなり簡素なものだ。
フリルが付いているし、生地も手触り抜群の上等なものだが、日頃の学院生活ではデザイン自体はシンプルなシャツの7着を着まわしている。
ズボンも革だったりリネンだったり素材は様々だが、どれも落ち着いた色のものだ。
靴も光沢を消したもので、リボンなど取り合わせの小物も極力目立たない色合いのものを選んでいる。
サマルあたりを筆頭に、ここは社交パーティーかと思わせる豪奢な衣服やドレスを着てくる連中もたくさんいるが、オレはおおよそハンスたちといても悪目立ちしないような着こなしだった。
前世での感覚が手伝っての事ではあるが、日常がそれだけに、いざ勝負服を着せられると自分でも戸惑ってしまう部分がある。
すぐ前に置かれた姿見に映る自分が別人のように見えてくるのだから怖いものだ。
「ほら、胸を張ってください。シャルル様がそんなんじゃ、ベレジュナーヤ嬢たちも困ってしまいますよ」
オレの背中を押したナサニエルが皮肉に笑う。
その言葉に背筋を正し、オレは今一度鏡に映った自分へと向き合った。
「変わるもんだよなぁ……」
思わず溢した視線の先に立っているのは貴族の息子だ。
自分で言うのも変かもしれないが、由緒正しい家門に生まれた伯爵令息の姿がそこにはあった。
首元を飾るのは落ち着いた金の装飾に彩られた真っ赤な宝石だ。
オレの髪を、そして父たちの髪と目を象っただろう大粒の石が黒いシャツの上に凛と佇んでいる。
シャツについたジャボも宝石に負けない大きさで、薄っぺらいオレの胸に華やかさを添えてくれていた。
白地のズボンはどうにも着慣れないが、落ち着いた色合いの上半身だけによく映えている。
主役とも言えるジャケットは宝石と同じ臙脂の赤で、前側が短く、後ろが長い、ロングコートながらスッキリとしたスタイルだ。
まさしくミオンを象徴する赤色に自然とオレの気持ちを引き締まっていく。
一方で前からだけ見える裏地には夜空のような濃紺が宿っていた。
黒から青へと移り変わる生地には星が舞い、何とも幻想的な美しさを放っている。
(………ハンスみたいだな)
赤色の中に咲いたその色にハンスの顔が思い浮かぶ。
こういった式典やパーティーでは家族や恋人といった近しい相手の色を取り入れる事が多いのだが、まるでハンスの色を纏っているようだと思ってしまう。
赤と青を取り合わせるなんて考えもしなかったオレは、不思議と馴染む二つの色合いに魅入ってしまいそうだった。
「シャルル様、こちらもどうぞ」
ナサニエルがオレの耳にイヤーカフをとり付けた。
穴を開けていないオレの耳にぴったり添う金のカフが赤い髪の毛の隙間から煌めきを主張する。
耳元で揺れる細長い宝石はオレの瞳と同じ金色だ。
「俺からのプレゼントです。フィブランの魔石を加工した魔具もどきみたいなものですが、護身用程度には役立つかと。これに神力を注げば突風が起きるようになっています」
「しれっと怖いもん渡すなよ」
「シャルル様のお傍について回れませんので念のため。相手を転ばせる程度の威力しか出ないので心配いりませんよ」
「使う事ないと思うけどな。フィブランってあれだろ、たしか頭に角が生えてるやつ」
「ええ、よく勉強されてますね。頭部に生えた5本の角が冠に見える事からファイブクラウン――縮めてフィブランと呼ばれるようになったんですよ」
オレは魔石だという耳飾りにそっと指を添える。
魔石はこの世界においての燃料の一つだ。
魔具の動力源であり、入手何度の高さも相まって宝石と同等の価値があると考えられている。
そんな魔石だが、魔具にしなければ力を発揮しないというわけではない。
効果が薄いため活用される事がないというだけで、魔石に直接神力を注ぐだけでも何かしらの効果を得る事が出来るのだ。
その効果はヨナの持つ特性に左右され、フィブランの場合は風を起こす事が可能だった。
魔具にする際にも本来の特性が重要視される傾向にあり、オレが世話になった音声記録の魔具に使われるのは音波を武器にするタイプのヨナの魔石になるらしい。
授業でやった事がしっかりと身に付いたららしく、ヨナや魔石に関するあれこれが瞬時に頭を巡っていく。
「あくまで念のためですからね。俺だって必要になる事はないと思ってますよ」
「ナサニエルが言うと嘘っぽいんだよなぁ…」
爆弾を取り付けられた気分になって、けれどいくらか緊張の解れたオレはにっと笑ってみせる。
差し出された手袋をはめ、父たちへと向き直した。
ともすればオレよりも緊張しているのではないかといった面持ちだ。
「気を付けるんだよ、シャルル」
「ナサニエルたちがいるからって油断しちゃ駄目よ。それとアンナ嬢によろしくね。応援してるって伝えて頂戴」
「改めて1年ご苦労だった。そして進級おめでとう。今日は思う存分楽しんできなさい」
「ん、ありがとう。父さんたちも気をつけて」
父が祝いの言葉と共にオレに抱擁を送ってくれる。
オレはそれに応え、兄と姉にも同じように抱擁を送ってもらった。
恥ずかしさしかないが今日は特別な日だ。
オレにとっては非常に大きな1年を支えてくれたクリスティアンにはオレから抱擁を送る。
「今日もよろしくな、クリスティアン」
「光栄でございます。このクリスティアン、シャルル様のために尽力致しましょう」
流れでキッドマンにも抱き着いておいた。
本人には悪いが柔らかなお肉の感触が心地いい。
「兄さんのこと頼むな」
「お任せください、坊ちゃま。本日はぜひ楽しんできてくださいね」
そして少し躊躇いながらナサニエルにも手を伸ばす。
悪態をつきそうになるのを我慢して、オレ同様めかし込んだ細い腰へと腕を回した。
「ん。ナサニエルもよろしくな」
「もちろんです。ではそろそろ出発しましょう。混み合う可能性がありますからね」
今日のパーティーはあくまで学院内の行事だ。
参加できるのは生徒のみで、仕事に向かう父たちとはエントランスまででお別れとなる。
最後にハンスに貰った腕輪を身に着け、オレは学院へと向かう馬車へと乗り込んだ。
どこからどう見ても金持ちの息子に見えるオレが心配なのか、今日に限ってはクリスティアンが御者を務めナサニエルが相席するという二段構えだ。
「それでは行って参ります」
見送る父たちに頭を下げ、クリスティアンが手綱を振る。
ハイヤッという威勢のいい掛け声と共に馬が走り出し、オレは学院に着くまでをナサニエルと共に過ごした。
ただの記念パーティーと分かっていても、気持ちだけは戦場に赴くようなそれだ。
空腹も睡魔もどこへやら、気を紛らわすようにナサニエルへとちょっかいをかけた。
「アンナたちどうなってるかな?」
「大丈夫だと思いますけどね。リサはあれで気が利きますし、学院に着く頃にはちゃんと仕上がってるはずですよ」
アンナたちの下へは事前にメイドのリサを送ってある。
オレとの面識はほとんどないが姉付の古株メイドだ。
姉の頼みともあって今回の無茶なお願いも快諾してくれたのだ。
昨夕のうちに、仕立て道具と化粧道具を持ったリサには学院寮へと入ってもらっていた。
今頃は皆の着替えを手伝い、アンナにもドレスにぴったりの化粧を施してくれている事だろう。
そんなアンナたちのドレスはというと、ナサニエルが仮縫いから本縫いまでを一人で捌ききってくれたのである。
「ほんとずるいよなぁ」
「ずるいって俺がですか?」
「他に誰がいんだよ。オレもナサニエルみたいな加護だったら良かったのに」
ナサニエルの加護は何でも出来る――らしい。
適当にはぐらかされた部分もあるが、何でもという事は万能ないしコピーや奪取といった能力なのだろう。
その力を使って皆に変身したナサニエルが試着と手直しを一手に引き受けてくれたのだ。
成り切るのが上手すぎて頭の中が混乱しかけたが、無事かつ秘密裏に衣装が完成したのはナサニエルが居てくれたからこそだろう。
ちなみにだがアンナのドレスだけは確認していない。
アンナに変身するナサニエルが見たくなかったのと、やはり本番に取っておきたい気持ちが強かったからだ。
今日初めて拝むアンナのドレス姿に、オレは今からドキドキを隠せずにいる。
ユージーンへのサプライズが成功する事を祈り、飛び出してしまいそうな心臓を押さえ付けた。
(にしても異世界チートって何なんだろうなぁ……)
相変わらずヘラヘラと調子の良いナサニエルにもどかしい感情が渦巻いていく。
今に満足していないわけではないが、憧れを消し切れるかと言われると難しいものがあるのだ。
ふとした瞬間にその感情が芽を出し、羨ましいと思ってしまう自分がいた。
(だってモブじゃん。オレでさえギリギリ名前が出てくる程度なのに、ナサニエルなんて存在すら出てこないモブなわけじゃん。それなのに何でも出来るとかずるいだろ)
主人公のハンスならまだしも、ナサニエルは『ラブデス』に登場しない人物だ。
それ上この世界で名を馳せる凄腕の冒険者や勇者などではなく、言ってしまえばただの使用人である。
万能な加護を持つ相手が傍に居てくれるというのは非常に心強い反面、ナサニエルという存在はオレのチートへの欲求をぶり返す悩みの種と化したのだった。
どう聞いてもチートな香りがプンプンするナサニエルの加護を羨むなという方が無理な話である。
「良い事ばっかじゃないですけどねぇ。それに何でも出来るってのも方便ですよ」
「うっそだぁ。そんだけ色々出来たら絶対楽しいじゃん」
「はは、どうでしょうね。俺はこんな紛い物みたいなものより、シャルル様のように誰かの救いになれる方がよほど凄いと思いますよ」
向かい側に座ったナサニエルが物憂げに微笑んだ。
その顔に一抹の不安が過る。
(……たまにどっかに消えちまいそうな顔するんだよな)
前世での話だ。
昔読んだ漫画に望んだ事が現実になるというあからさまにチートな能力があった。
その力には寿命を犠牲にするといったデメリットがあったのを覚えている。
この世界では疲弊以上の負荷について聞いた事がないが、オレが知らないだけでもっと深刻なデメリットがあるとすれば――そこまで考え頭を振った。
(大丈夫だよな。俺が信じてやんないで誰が信じてやるんだよ)
ナサニエルが勝手にいなくなるわけがない。
シャルルとしての記憶を漁ると、学院を卒業してすぐ飛び出したなんて出来事もあったわけだが、ナサニエルはミオンの屋敷へと帰って来たのだ。
ならばオレはこの後もずっと信じるだけだ。
オレにとって悪友のような、もう一人の兄のような男を信じ続けようと思う。
そうしてパーティーや加護についてを語らう内に、オレたちを乗せた馬車は学院の前へと辿り着いた。
今日は一等良い馬車を出したのだが、それは他の生徒も同じらしい。
見るからに豪華な馬車が並び、それだけでオレは気後れしそうになってしまう。
「ではシャルル様、よい時間をお過ごしください」
「見送りここまで?」
「馬車も混み合ってますし、これ以上は難しいでしょう。それとも会場までエスコートして欲しいんですか?」
「違ーし。じゃあ行ってくるな」
チラリと見つめた校庭に集まる生徒たちの出で立ちは見事なものだ。
男性陣の胸には一様に花が挿され、中には手に余る程の花束を抱える人もいる。
その光景に、懇意の相手に男なら花を、女ならハンカチを送るという風習がある事を今更ながら思い出した。
「どうせ忘れてたんでしょう?」
ナサニエルの手がオレの胸元へと伸び、数本の花をまとめた小さなブーケをポケットへと差し込んだ。
薄紫のカラーの周りに、白と紫が混ざったものや、赤茶、黒といった花が添えられている。
ブーケとしてはバランスが悪い気もするが、その色合いにオレの顔には自然と笑みが浮かんだ。
スミレたちが一緒に居てくれるようで何とも嬉しい気持ちになる。
「ありがとな、ナサニエル」
「いーえー。あ、そうだ。これウィルフレッド君に渡してもらえます?」
「良いけど、手紙?」
「着こなしで困る事があったらいけないと思いまして。伝えるのを忘れてましたからね」
ナサニエルから受け取った手紙をジャケットの裏ポケットにしまう。
最後にリボンやジャボの手直しをしてもらい、オレは単身、生徒で賑わう校庭へと歩き出した。
(ハンスは…まだ来てないのかな)
煌びやかな人だかりからハンスを探し、キョロキョロと辺りを見渡してみる。
その中にハンスの姿はなく、ユージーンたちでさえ見つける事は出来なかった。
自意識過剰かもしれないが集まる視線がいやに痛い。
その視線を掻い潜り、オレは少しばかり心細い気持ちで校庭の隅へと身を寄せるのだった。
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シャルルを見送ったナサニエルは小さく息を吐いた。
神学院の本館には神具による結界が張られており、ナサニエルはそれを忌々しげに睨みつける。
神具の結界は魔具のもたらすものとは段違いに強力で、今のナサニエルがその中に入る事は叶わない。
(生徒として登録されてる情報と今の俺とじゃ違い過ぎるからなぁ……)
学院に設けられた結界は魂の性質によって相手を判断するものだ。
魂の性質は人それぞれ異なり生涯変わる事もない。
そのため公的機関においては、魂の性質を利用した結界や本人証明などが広く用いられているのである。
学院でも同様、入学時の手続きで使用人までを含めて神具への登録が行われる形になっている。
家族や使用人に関しては卒業時に登録が消去されるそうだが、犯罪などの悪しき行いに手を染めない限り生徒の登録が消される事はなく、いつでも近況報告などに訪れる事が出来るようになっていた。
だがそれはあくまで普通の話である。
(俺はもう、ここへ入る事は出来ない)
存在とは謂わば魂そのものである。
『女神の呪い』によって蝕まれたナサニエルの魂は、もはや定まる事のない不安定なものと化していた。
最初に気が付いたのは、自身の記憶に異変を感じ王都に戻ってきた時の事だ。
銀行などの本人証明は結界と同等の魔具で行われており、魂の性質を元に認証を行っているのである。
それに引っ掛かってしまったのが始まりだ。
その時には何度目かの認証と筆跡で確認が取れたが、登録式の魔具に反応しない、あるいは成りすましとして検知されるようになってしまったのだった。
以降、認証の必要なものは全て解約したが、学院に残された記録だけはそのままになっている。
登録の解除をしない限り、再び学院に足を踏み入れる事は叶わないだろう。
かといって定まらない魂では新たに登録する事も無意味な話でしかない。
結界さえなければ押し通る事が出来ただろうが、神具を欺く事はいかにナサニエルであれ不可能だった。
(難儀な体になっちまったよなぁ)
自業自得と分かっていても、ふと悲しくなるものだ。
もし成りすましではない本人と認めて貰えても、神殿かどこかに監禁されるのは目に見えている。
珍獣のように調査などはされたくないと、ナサニエルは馬車に繋がれた馬の頭を撫でた。
ミオンの象徴があの赤毛であるように、今日引き連れてきた馬も赤味を帯びた栗毛の馬たちだ。
白い鬣は長く、労わる様に毛を梳いていく。
「ナサニエル、お前はどうする?」
「俺はここで待ちますよ。ここは結界もないんで、馬車にも一人くらい見張りが居ないと駄目でしょ」
「分かった。私は情報収集も兼ねワーカーハウスへ行ってくる」
「はいはい、どうぞご自由に」
馬車置き場のすぐ横には使用人たちのために用意された小屋がある。
キャリッジハウスまたはワーカーハウスと呼ばれるそこで、御者や同行を務めた使用人が主人が戻ってくるまでの時間を潰すのだ。
馬車の点検を終えたクリスティアンは、学院に比べれば遥かに小さいが、屋敷としては十二分以上の大きさがあるそこへ向かっていった。
残されたナサニエルは馬車の中へと戻り持参した本を開く。
シャルルが再熱している〝偉大な騎士のなり方〟と、カレン夫人の件で何となく気になったリードの短編集だ。
(よし、ここからでも向こうの話は聞こえるな)
結界の中となる学院は無理でも、聴覚の強化によってワーカーハウスの様子は伺える。
周囲に警戒を払う事だけは怠らず、ナサニエルは分厚い本のページを捲っていった。




