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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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▽.ウォンテッド・ワークマン

俺はナサニエル・エインワーズ。

ミオン伯爵家に仕える使用人の一人で、末息子シャルル様の従者(ヴァレット)だ。

シャルル様の従者(ヴァレット)になる以前、俺は自分の才能に溺れ他人を馬鹿にして生きてきた。

仕えるべきはずの主人にも嘘を告げ、加護(アーク)を自分のためだけに使ったのだ。

当然と言えば当然だが、その愚かな行いが(たた)ったのだろう。

俺の存在は日増しにあやふやになっていった。

それが加護(アーク)による副作用であると気が付いた時にはもう遅く、俺は自分がナサニエルであるかどうかさえ、胸をはって証明する事が出来なくなっていたのだ。

(……もう加護(アーク)は使わない)

このまま加護(アーク)を使い続ければ俺は明日にも自分を見失うだろう。

そう思って加護(アーク)を使うのを辞めたにも関わらず、俺の存在は少しずつ薄れていった。

(このまま俺は消えていくのか?ジジイにもオヤジにも忘れられて、初めから存在しなかったみたいになっちまうのか?)

大志を抱いていたわけでもないが、あまりに虚しい結末だ。

俺はいつまで俺でいられるのかと、俺を保っていられるのかと、貼り付けた笑顔の裏で苦悩し続けた。

それも束の間、俺は人生を諦めた。

どうせいつかは死ぬのだから、それが少し早まっただけと思えば良い。

苦悩するだけ無駄だと、未来に期待せず、誰も信じず、何も求めず、笑顔の仮面だけを被り続ける道を選んだ。


馬鹿な俺を救ってくれたのはシャルル様だ。


シャルル様にとって俺はどこまでいっても俺だった。

ただの使用人でも、都合の良い誰かでも、次の瞬間には忘れてしまう何者かでもない俺自身だった。

あの日、シャルル様は躊躇いなく俺の名前を呼んだ。

あやふやなはずの俺に手を伸ばした。

その事実に気が付くのにいくらか時間が掛かったが、シャルル様はたしかに俺を見ていたのだ。

(この人が俺を俺たらしめてくれる)

俺はようやく自分のすべき事を理解した。

シャルル様がいれば俺は他の誰でもないナサニエル・エインワーズでいられる。

俺の名前を呼んでくれるから、俺を忘れないでいてくれるから、俺は俺を諦めずにいられる。

この時から俺はシャルル様のために生きようと誓った。

消えるのを待つだけだった身だ。

たとえこの身が消え去ろうとも、俺の全てを賭してシャルル様に仕えると決めたのだ。



「お茶をお持ちしますので少々お待ちください」

ソファでふんぞり返るカレン・マルキーノ子爵夫人にぺこぺこと頭を下げる。

育ちが良いと聞いてはいたが、その後の苦労が多かったせいか、彼女は媚び諂われる事に快感を覚える口になっているようだった。

俺としてはやりやすくて楽なものである。

下手に気を遣う相手より、ただ褒めているだけで事が進むというのは、非常に扱いやすいものだった。

(さて、どうしたものか)

夫人に占拠された談話室のドアを閉じ背中に背負う。

給仕は口実で、一人外に出た俺は忙しなく頭を働かせた。

(あのババアをほっとくわけにもいかないが、シャルル様の様子も見ておきたい。こんな時に限ってスコール様もクソオヤジもいねーし、ああもう!やっぱ俺が動くしかねーじゃんかよ!)

やりたい事が多すぎる。

カレン夫人を野放しにして問題を起こされても困るし、ミオン夫人を名乗ろうとする彼女の身辺調査もしておきたい。

シャルル様の様子を確認しない事には仕事に手がつかないし、万一を考えるなら諸々の下準備も必要だ。

クソジジイを引きずり出しても手が足りないだろう。

とはいえそれは普通ならの話だ。

(無理はしたくないんだけどなぁ……)

(そうも言ってられないだろ)

(じゃあ俺シャルル様のとこ行くから夫人はよろしく)

俺がシャルル様を探しに走り出す。

それと同時に俺が厨房へと向かい、一歩出遅れた俺は夫人の調査のために屋敷を飛び出した。

「それじゃ、始めるとしますか」

普通は無理でも俺には自由に使える()という手足がある。

三人に分かれた俺はそれぞれの役割をこなすために駆け出した。

その内の一人、身辺調査を担当する俺はマルキーノ子爵邸へと辿り着く。

馬車で10時間近くかかる道を3時間ちょっとで来たのだから上出来だ。

(情報処理はそっちで頼む)

(了解。夫人は今んとこ大丈夫そうだな。旦那様たちはまだ帰って来れそうにないみたいだけど)

頭の中で俺へと話し掛ける。

並列思考を行っているのもあるが、遠く離れていても俺との意識や記憶の共有は容易だった。

(俺が行った方が早かったか?)

(時間だけで言えばだろ。下準備を考えるとこれで良いと思う)

(夫人についてはクソジジイが語った通りだから。シャルル様も落ち着いてるし、そっち専念してどーぞ)

便宜上〝C〟としておこう。

その〝C〟の口からむかつく言葉が聞こえた気がするが結局は俺自身だ。

俺はクソジジイの語ったカレン夫人の像と照らし合わせるように、マルキーノ子爵に仕える使用人たちに話を聞いて回る。

「第二夫人の事でしょう?可哀そうに、旦那様に捨てられたのよ」

「悪い人ではなかったけどね。私たちのような使用人に興味を持つ人じゃなかっただけかもしれないけど」

俺の話術と薄ぼけた存在をもってすれば、彼らの懐に入るのは実に容易い事だ。

だが捨てられるようにマルキーノ子爵家を飛び出した夫人のその後の行方を知る者はいなかった。

彼女がどこからミオン邸に来たかを探るべく聞き込みを続けると、一つ面白い話へと辿り着く。

「カレン奥様は子供にピエールと名付けると仰っておりました。女の子だった場合にはピアにするとも仰っていた覚えがあります」

「ピエールにピアですか。ありがとうございます、おかげで何とかなりそうです」

ピエールにピアと言えば、作家ノートリアス・リードの作品に出てくる双子の主人公だ。

夫人はリードの書く恋物語が好きだとも言っていた。

恐らく自分の子供に、大好きな登場人物の名前を付けようとしていたのだろう。

マルキーノ子爵に捨てられたくらいで、リードへの敬愛までなくなるとは思えない。

情報収集の場を近隣の街へと移し、カレン夫人に加え、ピエールまたはピアという名の子供についてを聞き漁っていく。

そして遂に、夫人が身を寄せたというボナン男爵家へと行き着いた。

男爵邸でも使用人たちを誑かし、カレン夫人の人となりや経緯、ミオン伯爵家へ戻ってきた目的を精査していく。

そこから考えうる夫人の狙いは、ミオンにとって喜ばしくない事だろう。

(――というのが俺の見解だけど、どう思う?)

(俺に聞かれても(うん)としか言えないんだよな、結局は俺なわけだし。とりあえず情報はまとめておく。旦那様に渡せば良いよな?)

(あ、こっちシャルル様とスコール様が合流したんで。この調子だと旦那様ももうすぐ戻ってくる頃合いなんじゃないかな)

一番仕事をしていない――ある意味では一番仕事をしたとも言える〝C〟が声を上げる。

便宜上〝B〟がいち早くそれに反応した。

(そういう事なら俺はバロッド家に行ってくる。書類はリサに頼んでおくけど、旦那様かオヤジに渡ってなかったら確認しておいて)

(頼まれた。てか何でバロッド?)

(ババアの目的が乗っ取りかもしれないなら証拠がいるだろ。記録の魔具があるのは神殿とバロッドとヴェルヘルミナ。この中で一番融通が利くのはバロッドのはず……まあ、一番近いってのもあるけど)

(じゃあこっち切って良い?無駄なとこに労力割く必要ないよな?)

〝B〟は取り急ぎバロッド侯爵家に行くそうだ。

身辺調査も終えたし俺の役目はここまでと、便宜上〝A〟の座を〝B〟に譲って先に上がる事にする。

上がると言っても全員が俺である以上、休むもクソもないのだが。

(旦那様にそれとなく長引かせるよう言っといてくれ)

(それは良いけどバロッドって事はアレ使う気だろ。侯爵にやるのはもったいないって)

(欠片くらいで喚くなって。シャルル様の方が大事だろ)

一人分が消えた俺との話し合いを遮断し、引き出しの奥にしまっていた小箱を取り出す。

自室に籠り書類を作っていた俺は、それを包みにしまい立ち上がった。

完成したばかりの書類を持って部屋を飛び出し、エントランスで気まずそうにしながらも旦那様の帰りを待つメイドへと受け渡す。

「これオヤジに渡しておいて」

「キッドマン様にですね。ナサニエル様はどちらに行かれるのですか?」

「忘れ物したから部屋に。その後は食堂に行く予定だから、何かあったら食堂まで来て」

「かしこまりました」

予定通りにストレートヘアが綺麗な使用人リサに書類を渡す。

その後は適当にはぐらかし、別棟ではなくバロッド家へと駆け出した。

(やっぱクソジジイの加護(アーク)は便利だよなぁ)

馬車を軽く超える速度で走る足を見て思う。

祖父クリスティアンの加護(アーク)は、移動をする上では非常に便利なものだった。

厳密には走るというよりも、風に乗るといった感じで爽快感がある。

とはいえこれは今しがた言ったように俺の加護(アーク)ではない。

もちろん分裂も並列思考も俺本来の力ではない。


では何が俺の加護かと言うと――()()だ。


視覚で確認する、相手に触れるといった手順を踏む必要があるが、俺は他人の加護(アーク)を真似る事が出来る。

相手の性質そのものに変質する(たぐい)の力なのだろう。

地の加護所以(ゆえん)のものだけに、模倣出来るのは地の加護だけだったが、それでも困った事はない。

俺はいくつもの加護(アーク)をそれとなく模倣し、全てを自分のものへと変えてきた。

恐らくオリジナルよりもずっと俺の方が加護(アーク)の扱いは巧い事だろう。

何より俺はこうして無数の加護(アーク)を同時に展開出来る。

それが己の破滅をもたらしたものでもあるのだが、シャルル様のためとあらば些細な事だ。

(……っ……きつくなってきたな)

加護(アーク)は一人一つというように、本来同時に展開するようなものではない。

神力(しんりょく)がもたらす負荷も当然跳ね上がり、体中のあちこちがズキズキと傷んだ。

俺とて最初は模倣した内の一つしか使う事は出来なかった。

もっと言えば、祝福を受けてすぐの頃はその時限りの使い切りに近い事しか出来なかった。

それを俺は突き詰めていったのだ。

模倣した加護(アーク)を自分の中に留める(すべ)を覚え、それらを同時に展開する方法を編み出した。

今となっては恥ずかしい過去だが、この時の俺は自分の才能に(おぼ)れていた。

何でも出来ると思い上がり、誰も彼もを馬鹿にし、笑顔の裏で見下し続けた。


――だが俺は全てを失った。


加護(アーク)を使うには代償が必要だ。

一般的に神力のもたらす負荷として知られるものだ。

実際そこに間違いはないし、加護(アーク)を使えば疲弊状態に陥るのは常識だろう。

しかし力を引き出しすぎた加護(アーク)に限っては、()()()()()()()()を引き起こすのである。

俺はこれを『女神の呪い』と呼んでいる。

女神に頼り過ぎた罪か、あるいは女神に近づきすぎた罰か、その呪いは魂すらを(むしば)んだ。

学院時代世話になった教師の一人キース・ヴァン・トラスティーナ。

あの男が視力のほとんどを失ったのも同じ理屈である。

そして、この『女神の呪い』の最も恐ろしい点は、自らの加護(アーク)によって代償が異なってくるという所だ。

キース・ヴァン・トラスティーナの場合、視力に対してそのまま視力を支払った。

一方、俺の加護(アーク)は模倣だ。

俺は他人を真似る事で、()()()()()()()を失っていったのだ。

次第に誰にも認識されなくなり、自分でら自分の事が分からなくなり、誰からも忘れ去られるようになっていく(おぞ)ましさが分かるだろうか。

クソジジイやオヤジですら俺を忘れ、初めからいなかったものとして扱った。

目さえ合えば俺を思い出してくれたが、それも一時凌(いちじしの)ぎに過ぎない。

そのうち俺は自分を諦めた。

諦めさえすれば、これまで通り()()()()()()()()()()()()()で居られた。

けれど俺は死ぬ事が出来なかった。

諦めたつもりで、死だけは選ぶ事が出来なかったのだ。

俺はみっともなく生にしがみつき――シャルル様に救われた。

あの人にとっては何の気ない言葉に過ぎなかっただろうが、俺はあの日たしかにシャルル様に救われたのだ。

俺はもう誰かに存在を定義してもらえなければ個ではいられない。

血の繋がった家族でさえ分からなくなった俺を、シャルル様だけは正確に認識してくれるのだ。

俺を俺たらしめてくれる人が、俺の名前を正しく呼んでくれる人が、俺を見留てくれる人が、すぐそこにいる事にようやく気が付いた瞬間だった。

そして一度気づいてしまえば気づく前には戻れない。

俺は完全にシャルル様に(ほだ)されて――否、シャルル様なしには生きられない事を知ってしまった。

今更な事は分かってはいる。

分かってはいるけれど、俺はナサニエル・エインワーズとして生きたいと思ってしまった。

だから俺はシャルル様が俺をここに存在させてくれる限り、あの人に仕えるだけだ。

いかに『女神の呪い』に蝕まれようとも構わない。

シャルル様が俺を繋ぎ止めてくれるから惜しみなくこの力を使う事が出来る。

己を失う事を恐れずに進む事が出来る。

(あなたが名前を呼んでくれるなら、俺は必ずあなたの下へ戻りましょう)

どれだけ揺らごうとも、どれだけ消えかけようとも、俺はシャルル様の事だけは絶対に忘れない。

だからこそここまでの無茶を簡単にやろうと思えるわけだ。

(――おーい、旦那様帰って来ちまいそうだぞ)

(まじか。もうすぐバロッド邸に着くから時間稼ぎ頼む)

(この状態で?ガンガン加護(アーク)使ってるからこっちも維持するだけで手一杯なんだけどなぁ)

(キツイのはこっちも一緒だっての。とにかく何かあればすぐ報告してくれ)

(はいはい…。はぁ…明日大丈夫かな……)

バロッド邸を視界に捉えた頃、もう一人の俺の思考が頭に入り込む。

それを乱暴に押し切り、俺は眼前に見えてきたバロッド侯爵家の屋敷に滑り込んだ。

ミオン伯爵家の(つか)いだと言えば、ありがたい事に何の疑いもなく客間へと通してくれる。

「こちらでお待ちください。旦那様を呼んで参ります」

暗い顔のメイドを見送り、客間に通された俺はソファの脇で立ち止まった。

客人ではあるが、俺の身分はあくまでミオン伯爵家の使用人だ。

椅子には座らずに、バロッド侯爵家の当主ナレル・バロッドが来るのをじっと待つ。

(さっさと来いよ!!こっちは押してるんだっつーの!!)

顔ではにこにこしているが、なかなか現れない侯爵に苛立ちが(つの)っていく。

勝手に訪れたのは俺だし焦っているのも俺の都合だが、侯爵への怒りを膨らませていった。

「――遅れてすまない」

「いえ、こちらこそ(しら)せもなしに申し訳ございません。こうしてお話の場を設けて頂けただけで、これ以上ない幸運でございます」

数分が過ぎてようやく、今着替えてきたといった様子のナレル侯爵が現れた。

俺はにこやかに頭を下げ、侯爵が勧めてくれるを待ってソファに腰かける。

「本題に入らせて頂きますが、折り入ってお願いしたい事がございます。どうか話だけでも聞いては頂けないでしょうか?」

「ふん、またサマルが何かしでかしたとでも言う気か?」

滅相(めっそう)もございません。今日はあくまで個人的な用件で侯爵様の下に参りました」

笑みを絶やさずに侯爵と対峙(たいじ)する。

膝を組んだ侯爵は(いぶか)しげにしながらも(あご)をしゃくった。

話をしても良いという事だ。

「寛大な御心感謝致します。先程申し上げました通り、あくまで個人的に侯爵様が秘蔵されております記録の魔具をお貸し頂きたいのです」

「あの魔具を借りたいだと?使用人風情(ふぜい)が個人的に?」

「はい。言葉の通りでございます」

「それは出来ん。貴様が何を考えているかは知らんが、サマルの件はあれで終わった事になっているんだ。いや、サマルの件があったとしてもあの魔具を渡すなんて事は釣り合わない。悪いが――」

「エイスフィート」

(かたく)なに拒絶する侯爵の言葉を(さえぎ)ってぽつりと呟く。

その単語に侯爵のこめかみが微かに動いた。

「侯爵様も大変良いご趣味をお持ちなようですね」

「……何が言いたい?」

「ほんの数日お貸し頂ければ良いのです。その見返りに侯爵様の望むものが手に入ると思えば安いものではございませんか?」

余裕の笑みを崩さず、穏やかな口調で語り掛ける。

自信と確信に満ちた俺の表情に侯爵は(つば)を呑み込み、背もたれについていた体を乗り出した。

「まさか…本当に持っているのか…?あのエイスフィートだぞ…?」

目の色を変えた侯爵ににこりと微笑む。

(ふところ)から包みを取り出し、その中身を侯爵の前で広げて見せた。

「こちらエイスフィートの魔石片(ませきへん)でございます。1ct(カラット)にも満たない大きさではありますが、侯爵様ほどの魔石蒐集家(ませきコレクター)であれば、これがいかに希少なものかご理解頂ける事でしょう」

「ほ、本当にエイスフィートなのか!!?」

勢い良く立ち上がり、侯爵は木製の小箱に収められた魔石片に顔を寄せた。

硝子(がらす)ごしに嘗め回していたかと思えば、手袋とルーペを取り出し、手に取った欠片を凝視し始める。

コレクターだけあって普段から鑑定道具を持ち歩いているのだろう。

慣れた手つきで魔石片を鑑定する。

小箱の中に入っていたのは3㎜程の大きさの真っ白い塊だ。

石のようにも宝石のようにも見えるそれは、(いや)しき獣ヨナからのみ()れる魔石(ませき)である。

ここにあるのはその魔石をさらに砕いた魔石片ではあるが、その価値は下手な宝石を遥かに(しの)ぐ事だろう。

「お、おお!凄い…!3層分しかないが、噂に聞くエイスフィートの特徴と同じだ…!!」

ルーペから目を離した侯爵が興奮気味に声を(はず)ませる。

エイスフィートとはこの魔石の名であると同時、ヨナに付けられた識別名の事だ。

数年前に出現したそのヨナは、8本の触手を自在に操る超大型の怪物だった。

王国騎士団が討伐に(のぞ)むも触手1本を削るに終わり、取り逃がしてしまったとされている。

その後、冒険者が退治したなどの噂もあるが、真相は深い海の底だ。

「これを一体どこで…!?」

「さあ、私も譲り受けたものですので詳細については…。ですが侯爵様にならこの価値を正しくご理解して頂けると思っておりました」

すっと魔石片を取り上げ(ほが)らかに笑う。

本来ヨナの心臓に当たる魔石は討伐時にしか入手できないのだが、エイスフィートは極めて特殊な事に触手からも魔石の採取が可能だった。

当時、騎士団の持ち帰った魔石を求め、貴族たちが大金で殴り合っていた事は記憶にも新しい。

最終的には三公(さんこう)であるクロウリア公爵家の手に渡ったそうだが、魔石蒐集家(ませきコレクター)として名を()せるナレル侯爵にとっては辛酸(しんさん)を舐める出来事だっただろう。

だからこそ希少性を度外視しエイスフィートを持ち出したわけだが、この様子なら問題なく条件を呑んでくれそうだ。

侯爵は俺の手に握られたエイスフィートに手を伸ばしかけ――取り(つくろ)うように咳ばらいをした。

「……先程の話だが、良いだろう」

「そう仰って頂けると信じておりました」

「ゴホン…、イスフィートと引き換えならば安すぎるくらいだ。記録の魔具とは言っていたが、特別に他の魔具も貸してやる。保管庫に案内させるから好きなものを持って行くと良い。ただし1…いや2週だ。2週後には全て返却してもらう」

「感謝致します侯爵様。きっとそのように」

頭を下げ、ナレル侯爵の手に小箱に収まった魔石片を手渡す。

侯爵は満足気を通り越し、童心に返ったかのように喜びを浮かべ、手に入れたばかりのエイスフィートを無我夢中に見つめていた。

案内のためにやって来た執事について行き、客間を出る前に振り返る。

「侯爵様。今一度申し上げますが、あくまで個人的な取引という事でお願い致します。そちらのエイスフィートは初めから侯爵様のもの。私がお譲りした事はどうぞ内密に」

プライドの高い侯爵だけに口外はしないと思うが釘だけは刺しておく。

その後、バロッド家の魔具保管庫に足を踏み入れた俺は目的のものを手に取った。

(……この辺も借りておくか)

他にも何点か面白そうな魔具を取り、用事の済んだ邸宅を後にする。

(そっちどうだ?)

(旦那様が帰って来て書類のチェック中。そろそろまずいな)

(分かった。全速力で戻る)

(………まあ、そうなるよな。じゃあ俺上がるから最速でどーぞ)

言葉と共に便宜上〝C〟の気配が消える。

そうして一人に戻った俺は、クソジジイの俊足の加護(アーク)に、変身と肉体の強化、さらに肉体の硬質化を重ね合わせた。

拝借した魔具は邪魔にならないよう、獣の姿となった腹の中に収めておく。

マルキーノ子爵家に比べれば近いとはいえ、クソジジイの加護(アーク)を使っても二十分は掛かる距離だ。

一秒でも早く着くために姿勢を低くする。

そして(ひょう)を思わせる獣に変貌した両手両足にジジイの加護(アーク)を乗せ、大地を蹴り飛ばした。

空気が重く、何より痛い。

強化と硬質化を重ねなければ体が吹き飛んでしまうのが先だろう。

(きし)む手足を動かし、ものの十分でミオン邸へと戻ってきた俺は転がるように庭の隅へと滑り込む。

丁度そこにシャルル様の連れてきた親猫が子猫たちを連れ戻しに来ていたらしい。

猛スピードで庭へ突っ込んだ俺を見て、親子揃って一目散に逃げていった。

それには構わず獣の姿のまま腹にしまい込んだ魔具を吐き出す。

「おえ……っ」

毛玉を吐く習性とでも言うのか、腹の中に入っていた異物は簡単に取り出す事が出来た。

ふらつく体で記録の魔具を持ち、シャツの(そで)で拭いておく。

そのまま裏手から邸宅へ入った俺は急ぎ客間を目指した。

(こういう時は――透過じゃ駄目だな。こっちにしておくか)

客間の近くまできた俺は廊下に生じる影の中に身を投じる。

これは学院時代、1回か2回声を交わしただけの先輩から模倣した加護(アーク)だ。

影の中に身を(ひそ)めるだけの力だったが、俺の手にかかれば接地する影から影への移動など造作もない。

繋ぎ合わさった影を辿り、障害物も壁も気にせず旦那様たちが戦う客間の中への侵入する。

(何とか間に合ったみたいだな。えーと、魔具を起動させてっと……)

分体を切り捨てたからと疲労が回復するわけではない。

加護の使い過ぎで頭がクラクラするが、テーブルが作り出した影の中で記録の魔具を起動する。

(明日は絶対…休み……とってやる………)

魔具に神力を奪われるのでさえキツイ。

影の中に留まるのにも、魔具を使うのにも結局は神力が必要になる。

今はこの加護一つしか使っていないため神力の消耗のみで済んでいるが、その前がその前だ。

本格的に胃の中身を吐きそうになりながらも旦那様とカレン夫人のやり取りを記録に残していった。

「父上、駄目です…!」

「だが、それではお前が……」

頭上から降ってくる声は慌ただしいものだ。

話し合いは乱闘へと変わり、スコール様が人質に取られるという情けない絵面が広がっていた。

ギリギリまでそれらの音声を記録に残し、スコール様を絞め落とそうとする夫人の影へと移動する。

そして影の中から夫人の腕に向け、シャツからむしり取ったボタンを弾き飛ばした。

(やっべ)

肉体強化を重ね過ぎたのか、勢い余って夫人の腕を折ってしまったようだ。

そこまで気を遣う余裕はもはやないし、吹き飛ばなかっただけ良しとしておこう。

無事に解放されたスコール様を下から見送り、クソジジイに呼ばれるように俺は影から這い出ていった。

「お怪我がなくて何より。おかげでこっちは重労働ですけどねぇ。あとこれも――」

旦那様に魔具を放り投げると、俺の加護(アーク)を知る旦那様は驚く事もなく状況を飲み込んでくれる。

こういう時には助かる反応だが、だからといって俺を当てにしたような態度をとられるのはあまり嬉しくはない。

(――けどまぁ、シャルル様が無事なら良いか)

シャルル様まで同席すると言った時には焦ったが、外傷もなく精神的にも落ち着いているようだ。

元気そうな姿にほっとして、とりあえずいつものように軽口を叩いておいた。

「冗談じゃなく死ぬほど頑張ったんでご褒美くらいねだっても良いですよね?」

「………自分で言うのはどうかと思うぞ」

俺の加護(アーク)についてを知らないシャルル様はほんの少し辛辣(しんらつ)だ。

かといって〝俺が一番頑張ったんですよ〟なんて野暮(やぼ)な事を言うつもりもない。

シャルル様が生きて笑ってくれているだけで俺は良いのだ。

この人がこの人らしくあるからこそ、俺は迷わずに帰ってくる事が出来る。

(だって俺はナサニエル・エインワーズだ。あなただけに仕える、あなただけの従者(ヴァレット)

救ってくれない女神になんて忠誠を誓うつもりはない。

俺がただ一人信じるのはシャルル様だけだ。

シャルル様が必要としてくれるなら、俺は俺として生きられる。

シャルル様が俺を繋ぎ止めてくれる。


ああ――なんて()()()()なんだろう。

あなたなしには生きられない。

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