68.子猫伯爵と最初の誕生日
学院での授業にお菓子作りにと奮闘している内にこの日が来てしまった。
(いざその日が来ると緊張するもんだよなぁ……)
ハンスへのプレゼントを抱え、馬車に乗ったオレは居心地も悪く何度も座り直した。
向かいに座ったナサニエルは平然としたものだが、オレはもう気が気じゃない。
(ハンスの事だから喜んでくれるとは思うけど!思うけどさぁ!)
金に物を言わせて気合を入れ過ぎたんじゃないかとか、事前に話を通しておくべきだったんじゃないかとか、ぐるぐると余計な心配事が頭の中を巡っていく。
理想でも何でもないが、常日頃から〝支払いは全部オレで〟なんて言うようなキザなキャラでもない。
微妙な反応をされたらどうしようと頭を悩ませ続けるのだった。
「今からそんなんで大丈夫なんです?」
「だ、大丈夫だって!ちょっとプレゼント渡すだけだろ!」
緊張を飲み込めないまま、オレは膝に乗せたトランクをぎゅっと抱きしめた。
当日にも簡単に祝ってはいるが、ちゃんとしたプレゼントを用意して祝うとなるとドギマギするものである。
ちなみにだが、今日の主役とも言えるハンスが生まれたのは冬の第二月、二の七の日だ。
この世界では前世でいうところの1月から3月を春、4月から6月を夏、7月から9月を秋、10月から12月を冬と定義していて、ハンスは冬の生まれとなる。
もちろんこれらは暦の上での話で、体感温度や気候は前世での感覚に近いだろう。
今日はハンスの誕生日の二日後の休日で、オレはかねてから約束をしていたウィルフレッド家への再訪問へと来ているのだった。
ちなみに前世の暦に当てはめたハンスの誕生日は11月16日だ。
これは『ラブデス』1巻に掲載されている情報で、オレにとっては既知の内容である。
なおユージーンの誕生日は夏の第三月の一の二の日――前世での6月2日だ。
出会って間もなかった事もあり普通に祝い損ねているため、アンナたちへの贈物は今回の衣装で十二分として、ユージーンにも別途進級祝いを用意しようと思う。
ユージーンの事を考えて気を紛らわせている内に、以前見た時とはだいぶ様子の違うカルバの景色が見えてきた。
オレが暮らす王都方面とは違い、こちら側では雪が降るようだ。
まだ地面を覆うか覆わないかくらいの量だが、白さを増した畑は可愛らしいものがあった。
その中を堂々とした足取りで歩くハンスが、速度を緩めた馬車に近づいて来る。
「シャルル!」
「ん。家で待っててくれて良かったのに」
昨日別れたばかりなのに、まるで何日も会っていなかったかのようにハンスは顔を綻ばせた。
すぐに家に戻ると思っていたのか、マントを羽織ってない体は見ているだけでこっちが寒くなる。
「随分と大荷物だな?持とうか?」
「んや、大丈夫。寒いし早く行こうぜ」
オレは大きなトランクを抱きしめたまま歩き出す。
服だけならまだしも、靴からシャツからが全部詰まったケースは少し重かったが、まだハンスに渡すわけにはいかない。
これまた大きな箱を手に持ったナサニエルと共にハンスの後をついて行った。
「あ、ミオン様。この前は愚息が失礼致しました」
「また来てくださったんですね。何もない所ですが、どうぞゆっくり過ごしていってください」
通りがけに街の人たちが頭を下げてくれる。
ハンスの口から解決したと言われていたように、彼らの顔つきはハンスやオレを前にしても穏やかなものに見えた。
「あのガキ共も勉強始めたんだって?」
「ああ。手が空いた時は俺が教師代わりになる事もある」
「そっか。上手くやってるようで安心した」
ハンスに突っかかってきた子供たちも身の振りようを変えたそうだ。
ある意味ではハンスを年長者として扱う事で気持ちに整理をつけた者もいるという事だろう。
完全に和解出来たわけではなさそうだが、彼らの中には勉強机に向かい始めた者もいるらしい。
オレたちの通う神学院は年齢制限があるため無理でも、一般の学校であれば今からでも遅いなんて事はない。
何にせよハンスへの誤解が解けつつあるなら、それ以上の望みはなかった。
ハンスにはそれとなくオレが謝っていたと伝えてもらう事にし、体が冷え切る前にと家を目指す。
『ロゼット商会』の名にふさわしい薔薇色の屋根が見えてくれば、あとはもうすぐそこだ。
「ようこそおいでくださいました」
「ナサニエル君も来てくれたんですね!さあ、寒いでしょうから早く中へ」
前と同じく、ハンスの父カーターと母エリンがオレたちを出迎えてくれる。
案内されるまま家屋となっている石塔へと入り、オレは冷たくなった息を吐き出した。
窯のようにも見える暖炉からは、ほんのりと甘い木材の焼ける香りが漂っている。
吐き出した分を吸い込むように、オレはその匂いを肺一杯に取り込んだ。
(よし…!大丈夫…!)
今日は祖父ローウェンと祖母リープも最初から居間にいるようだ。
オレはハンスの家族と簡単に挨拶を交わし、ナサニエルに目配せをする。
ナサニエルは小さく頷き、箱を縛っていたリボンを解いた。
「こちらお土産です。先日がハンス君のお誕生日だったと聞き、シャルル様が手ずから作ってくださったものです。どうぞご家族の皆さんで楽しんでください」
「ん、その、味は悪くないと思うんでぜひ」
ごにょごにょと語尾を濁すオレの横で、ナサニエルがケーキの入った箱の蓋を開ける。
注目を集める箱の中に入っているのは色とりどりのカップケーキだ。
本当はホールケーキを作りたかったのだが、料理長ゾッドの提案によりカップケーキを作る事になったのである。
手軽に食べられる事はもちろん、オレの技量も込みで泣く泣くホールケーキを諦めた形だった。
(ホールだとオレやること何もないもんな……)
過保護な使用人たちはオレに刃物を持たせようとしないし、火を使わせるのも良しとしない。
結果的に生地をこねるか、フルーツを乗せるかくらいしか手伝える事がないのだ。
その点このカップケーキは、計量から混ぜ合わせ、トッピングまでの7割程の行程をオレ一人でやらせてもらう事が出来た。
まさにオレお手製のケーキと言っても過言ではないだろう。
かえって味に自信はないが、暗黒物質になったわけでもないし、ナサニエルもゾッドも美味しいと言ってくれたのだから大丈夫のはずだ。
強いて言えば、お菓子作りが得意なエリンの前に出すのが気恥ずかしいというだけだ。
「まあ!素敵!これをシャルル様が作ったんですか?」
「う…まあ、ほとんど料理長に手伝ってもらったんですけど……」
「お菓子作りは初めてだったのでしょう?それでこんなにも立派なものが作れるのですから凄い事ですよ!ほらハンス、あなたも早くお礼を言いなさいな!」
「あ、ああ」
一番に食いついてきたのはやはりエリンだ。
少女の様に目を輝かせ、カップケーキの一つ一つをじっくりと眺めている。
ローウェンとリープ、そしてカーターも興味深そうにケーキを見ていたが、肝心のハンスはただじっとオレを見つめていた。
エリンに背中を叩かれた事で、ようやく茫然とする顔に生気が戻ったようだった。
「ありがとうシャルル。その…すごく、嬉しい。学院で祝ってもらっただけでも十二分過ぎるくらいだったのに、まだ俺を祝ってくれるなんてこれ以上に嬉しい事はない。お前が作ってくれたものなら俺は石だろうと美味しく平らげてみせる」
家族の前で照れているのか、ハンスの目元や耳には朱が差している。
その言葉もどこかしどろもどろだったが、ハンスが喜んでくれている事はオレにもしっかりと伝わってきた。
しかし最後の一言は余計だ。
(人が暗黒物質作るみたいに言うなよ…!!)
ハンスが喜んでくれているのは伝わったが、最後の言葉だけは聞き捨てならない。
横ではナサニエルが笑うのを堪えているしで、食べる前から保険をかけるなという感じだ。
だがハンス自身、言葉選びが悪かったと気が付いたのか一層顔を赤くした。
そして誤魔化すようにカップケーキの一つに歯を立てる。
手に取ったブルーベリーを使った青紫色のケーキを齧り――
「美味い」
へにゃりと表情を緩めた。
言葉少なに呟いたハンスに、オレは緊張のせいで結ばれていた唇を解く。
顔で語らず言葉で語れと言ってやりたいところだが、これもハンスらしいだろう。
ナサニエルの顔は完全に〝俺なに見せられてるんです?〟だったが、それに構わずオレはナサニエルから受け取ったケーキの箱をテーブルへと置いた。
「皆さんもどうぞ」
美味いの一言を貰えたオレはほっとした気持ちでカーターたちにもケーキを勧める。
ハンスだけは解せないといった目で見ていたので、その手にケーキとは別の包みを手渡しておいた。
「独り占めは良くないだろ。お前にはこれもやるから我慢しろよ」
「これは……っ…!」
「可愛いだろ?これがスミレで、こっちがモモ。んでこれがクロ。サビはちょっと失敗しちゃったけど……まあ!こっちも美味いと思うぞ!」
ハンスに渡したのは猫型クッキーだ。
あの後オレの言葉を真に受けたナサニエルたちが猫の金型を探してきてくれたのだ。
(……作らせたのかもしんないけど)
細かい事はさておき、猫の金型を手に入れたオレは調子に乗ってクッキーを大量生産した。
オレが食べるから問題はないのだが、ここ数日のミオン家のお茶菓子が全てオレお手製クッキーになっていた事は言うまでもない。
ついでに父が職場にまでクッキーを持って行き、自慢するだけ自慢して全て自分で平らげるという奇行に走っていたとクリスティアンに聞いている。
何やってんだと思うが、父は父で楽しそうだったので良しとしておこう。
そんなこんなで大量のクッキーを抱えたオレは、ハンスにも猫クッキーを押し付けたわけだ。
(元々ハンスにあげるつもりではあったんだけどな)
経緯はともかく、ハンスは猫好きだけあって嬉しそうにクッキーを見つめている。
とりわけスミレたちを模したクッキーに夢中なようだ。
事実、大量生産したただの猫クッキーとは違い、ハンスのために用意したスミレ一家クッキーは渾身の出来栄えだ。
子供の落描きの域を出ないものの、可愛らしい仕上がりになったと自負している。
「こんなクッキーは初めてだ…!」
「手作りだしな。市販じゃ売ってないだろ」
オレが作ったのはいわゆるアイシングクッキーというやつだ。
実際の作り方や材料はさっぱりだが、ゾッドにオレのやりたい事を伝え、何とかそれっぽいものを生成したのである。
見れるものになるまで時間が掛かったものの、こうして無邪気に喜ぶハンスを見ているとその苦労も吹き飛ぶようだ。
ただしもう二度とやりたくない。
黙って型を抜き続けるような単純作業は得意だが、アイシングクッキーのような想像力やセンスが問われるものはオレには向いていない事がよく分かった。
「食べるのが勿体ない」
「気持ちは分かるけど悪くなる前に食っちまえよな」
「せめて記録に残せたら……」
前世なら誰でもすぐ写真を撮れるところだが、この世界の記録媒体はあまり発展していない。
カレン夫人とのいざこざの時に活躍したように、魔具や神具には音声や映像を残せるものもあるが、そのどれもが由緒正しい家のみが抱える一点ものだ。
容易に持ち出す事など出来ないし、オレたちに出来るのは良いとこ日記にしたためる事くらいだろう。
クッキーを愛でるハンスを励ますように広い肩を叩く。
「スミレたちのはともかく、クッキーくらいならまた作ってやるよ。だから遠慮せずに食べちまえよな」
「本当に良いのか?」
「たまにならな。それも甘さは控えめにしてあるから、食べやすいと思うぞ」
オレの言葉にハンスは顔を輝かせた。
もし犬耳や尻尾があったらピコピコと元気に跳ねているのではないだろうか。
前から思う時はあったが、大型犬みたいだと、全身から喜びを滲ませるハンスに笑みを溢す。
一番好きなのは猫だが、オレは同じくらい犬も好きだった。
ハンスは体も大きく警察犬として活躍するシェパードのような印象だ。
シェパードというと茶色いイメージを抱くだろうが、中にはハンスそっくりの全身が真っ黒の毛並みを持つ個体もいる。
不器用ながらもオレにくっついて回る姿も実に犬らしいなと、可愛らしさまで込み上げてくる始末だった。
「はは、そろそろ上行こうぜ」
「そうだな。荷物は俺が持とう」
家族への挨拶も終わり手土産のケーキも無事に渡す事が出来た。
後はハンスにこのプレゼントを渡すだけだ。
ケーキで気が逸れたのか、ハンスはオレの持つトランクをただの荷物と思っているらしい。
正直、ハンス宅の急勾配の階段を上がるのはかなり辛い。
重いトランクは持ってもらう事にし、オレはハンスに続く形で最上階にあるハンスの部屋を目指す。
カーターたちは居間に残ったナニサエルに任せておけば問題ないだろう。
一段一段が高い階段を踏みしめ、オレは居間に比べて肌寒いハンスの自室へと入った。
「やっぱきっつ……」
「慣れればどうという事はないんだがな。好きなところに掛けてくれ」
オレは遠慮なくハンスのベッドに腰を下ろす。
そしてハンスへとポケットから取り出した鍵を放り投げた。
その鍵を見事にキャッチして、ハンスは目を一度だけ瞬かせる。
「開けてみて」
視線をハンスの足元に置かれたトランクへと注ぐ。
ハンスは訝しげにしながらもトランクに手を伸ばし――鍵を開けた。
「!!」
中身を確認したハンスがアイスブルーの瞳を見開く。
直後バッとオレの方を向き、戸惑いの浮かんだ瞳でオレを見つめた。
「シャルル、これは――」
「オレからの誕生日プレゼント。こっちが本命な」
にっと悪戯に笑ってやると、ハンスは微かに体を震わせた。
泣きそうなくらい顔を歪め、そっと黒地の衣服へと指を滑らせる。
「俺は…こんなにも幸せで良いのか……?」
「何言ってんだか。この程度でそんなになってちゃ、この先が大変だぞ」
「…っ…ありがとうシャルル。こんなにも幸福な誕生日は初めてだ。お前がくれた言葉も、菓子も、この服も全部、これ以上にない贈り物だ。死ぬまで――いや、死んでも忘れない」
ハンスがくしゃりと笑った。
僅かに潤んだ瞳が青い光を放ち、朱の差した目元を鮮やかに飾っている。
今まで見てきた中でも一番優しく、一番嬉しそうで、一番愛おしいその顔に息が止まりかけた。
まるで世界にただ二人になってしまったような気分だ。
不安とも安堵ともつかない感情が胸の奥で渦巻き、オレはハンスから目が離せなかった。
(何か…すげぇ、変……)
自分の心臓なのに自分のものではないみたいだ。
(オレ、ハンスに何を期待してんだろ)
たまにとてつもなく離れがたくなってしまうのは何故なのか。
どうしてハンスの笑顔を見たいと思ってしまうのか。
友達だから、ハンスの行く末を見守りたいから――ただそれだけでは言い表せない感情に混乱しそうになる。
「着てみても良いだろうか?」
当惑するオレに気づかず、ハンスはトランクの中から上着を取り出した。
大切そうに胸に抱え、筋肉質な体に当ててみる。
「え、ああ!うん!サイズ間違ってたらシャレになんないしな…!」
「少し待っていてくれ」
サイズが間違っているなんて事はないが、我に返ったオレはあわあわとハンスに応える。
トランクを持って部屋の外へ行くハンスを見送り、ドサリとベッドに倒れ込んだ。
(………ああもう。何考えてんだろ、オレ)
友達になっても問題ない――そのつもりが今ではもう随分とハンスに入れ込んでしまっている気がする。
アイリスがオレの最推しである事に変わりはないが、ハンスだってオレにとっては推しの一人だ。
むしろ推しとしては日に日に力を増しているくらいだった。
他の推しがいないのもそうだが、純度の高いファンサービスを至近距離で浴びる内に、完全にハンスに毒されつつあるように思う。
(このままじゃヤバイ…!厄介なオタクになる前に恋人でも何でも見つけないと…!)
自分の立場を勘違いする面倒なファンにはなりたくないと頭を抱える。
ようやく破滅の危険性から解放されただけで、オレは本来ハンスとは相容れない立場の悪役だ。
悪しき因果が働いてハンスの足を引っ張るような真似だけはしたくなかった。
こんな日に考える事ではないが、一度浮かんだ不安はオレの中を駆け巡っていく。
そこに着替えたハンスが戻ってきた。
「どうだろうか…?」
とりあえず着ている人間が良い。
黒のセットアップが逞しいハンスの体を良い具合に引き締め、立っているだけでも壮麗だ。
光の反射によって見えるアラベスクの総柄も、黒い生地の中に青色の華を差し綺麗なものだった。
このデザインが気に入って選んだのだが、見事なまでにハンスにはまっている。
襟や胸元を飾る刺繍も大振りながら主張しすぎず良い感じだ。
パーティー用という事で明るめの金色を選んだが、落ち着いた色合いとシンプルな造りの衣服には丁度良い塩梅だろう。
そして、もう一度言うが着ている人間が良い。
「完璧」
オレは親指を立てて、ハンスにグッドサインを送る。
騎士をイメージしたようなこの衣服ならマントを羽織っても似合うだろうし、ロングコートを合わせても相性抜群だろう。
思った通り――否、それ以上の仕上がりを見せてくれたハンスにオレはもう大満足だ。
「お前のお眼鏡に叶ったようで良かった。だが本当に良いのか?一級品だろう?」
「プレゼントだし気にすんなよ。ほら、年度末にパーティーがあるから、その時に着て欲しいなって思ってさ」
「ああ、なるほど。たしかにこれならぴったりだ。サイズも不思議なくらいしっくりくるし、パーティーにはこれを着ていく事にする」
「だろだろ!アンナたちの分も用意してんだけど、ハンスにはサプライズで贈りたくてさ!あ、これユージーンには秘密な」
衣服を贈ったついでに、ハンスにはオレの計画を打ち明けておく。
ユージーンは恐らく、交流もある男爵令嬢ミラ・クロッシュの店で仕立てている服を着てくる事だろう。
無理にクロッシュ家の顧客を奪うつもりもないし、今回に限ってはアンナの恋路の応援だ。
うんと美人になったアンナを見せる事で、ユージーンには是非とも同年代の女子の良さに気が付いてもらいたいものだ。
アンナの恋心だけはハンスにも隠しておいたが、年度末のパーティーが楽しみだとハンスに笑いかける。
今でさえ最高の仕上がりだが、パーティー会場で見る姿はまた一段違った雰囲気になる事だろう。
良い意味で注目の的になる未来が予見でき、オレは既に鼻が高かった。
(まあ、ハンスに嫌がられてない内はいっか!)
照れ臭そうにはにかむハンスを見ていたら、先程までの悩みやら疑問はどこかへと吹き飛んでしまった。
ハンスにあれこれ手を貸すのは未来の安寧のためでもあるが、オレにとっては推し活動のようなものでもあるからだ。
この世界で満喫できる数少ない娯楽を捨てられるわけもなく、オレはまだまだハンスの傍にいようと思うのだった。
そうして気分の良くなったオレはあれやこれやとハンスと話し込む。
アンナたちの出掛けた日の事、今日までのお菓子作りの事、スミレたちの近況など、毎日話していても飽きない日々の出来事を語り合った。
その中でハンスが呟く。
「お前の誕生日にはお返しをさせてくれ」
「えー、別に良いって」
「それでは俺の気が済まない。春には必ず何か用意しよう」
ハンスの言葉にオレは首を傾げた。
オレは『ラブデス』の知識でも知っていたし、本人にも確認しているからハンスの誕生日を知っているが、自分の生まれについて話した覚えはなかったはずだ。
「オレが春の生まれだって教えた事あったっけ?」
「………一度だけ。それに名前からいっても春の生まれだろう?」
「言えてる。あんまりこういう名前多くないもんな」
ハンスの言う通りオレは春の生まれだ。
そしてシャルルの名前は獣の名を冠してもいるのだ。
この世界の四季にはそれぞれ翼持つ獣の名が充てられている。
春には清き魂を持つシャルティエ。
夏には強き魂を持つアズール。
秋には尊き魂を持つエルドラ。
そして――冬はヨナの脅威を忘れないようにと巨大な壁の名が与えられていた。
オレ自身の名前は母シャルロットから貰ったものだが、同じく春の生まれだった母はシャルティエから名前を頂いたのだそうだ。
最近ではあまり多くないが、古来から獣の名を貰った命名は各地で見られたそうだ。
とはいえ強き魂を持つ者の名を貰う例はほとんどない。
『大地の国アズロ』の名前がアズールを由来とし王族に脈々と受け継がれているのが、その最もたる要因だ。
場合によっては不敬罪となりかねなく、アズールの名を使わない事は暗黙の了解だった。
確信はないが、大司祭エルデルバルトの名も尊き魂を持つ者からきているはずだ。
女神の伝承において尊き魂を持つ者は神子となったと伝えられている。
長い歴史の中で、神子と大司祭が混同されるようになっているため、海の加護を持つ大司祭でありながら尊き魂を持つ者の名を冠していても何ら不思議な事はなかった。
「つーかオレの誕生日って年度末直前じゃん。忙しくてそれどころじゃなくなりそう」
「進級課題も多いからな。俺に手伝える範囲であれば頼ってくれ」
「それは助かる。まじ試験とかやりたくね~」
パーティーは楽しみだが年度末は課題に試験にと学生らしい忙しさがたっぷりだ。
その最中、春の第二月の三の四の日――前世での2月22日にオレは13歳の誕生日を迎えるのである。
精神年齢のせいですっかり大人の気分だったが、まだこの体は中学生並だ。
15歳にはほぼほぼ成人として認められると考えると、まだなんて言ってはいられないのだが、目先の苦難に気を取られるオレは〝んげぇ〟と顔を顰める。
感情を隠せないオレにハンスは微笑み、その後も時間が許す限り二人で語り合った。
この時間がずっと続けば良いのに思うけれど、窓の外に広がる空は少しずつ色を沈ませていく。
空が茜色に包まれる頃になってオレは重い腰を上げた。
「――じゃ、また明日な」
「ああ。今日は本当に嬉しかった。気をつけて帰るんだぞ?」
いつもの小ざっぱりとした服に着替えたハンスに見送られ、オレは二度目となるカルバの街を後にする。
ナサニエルはナサニエルで、祖母リープも交え、今回もエリンとお菓子作りの話で盛り上がっていたようだ。
馬車に乗り込む時にはお土産のお菓子を大量に抱えていた。
「ちゃんと渡せたみたいですね」
「ん、何とか」
エリンが作ってくれただろうお菓子を座席に置き、ふとナサニエルが顔を曇らせる。
「前に言った事を覚えてますか?」
何となくの予想はついたが、オレはあえて何も言わずナサニエルを見つめた。
白と黒が半分ずつになった目には、微かにだが青い色が宿っている。
答えないオレを見つめ返したナサニエルは、無言の了承と受け取ったのか言葉を続けた。
「俺はやっぱりハンス・ウィルフレッドの事は信用出来ません。ですがシャルル様が傍にいる事を否定すわけでも、駄目だというつもりもありません。ただ、肝にだけは銘じておいてください」
「……分かったよ」
「俺だって常にシャルル様の傍に居られるわけじゃないんです。それに俺は人よりずっと何でも出来ますけど、本当の本当に何でも出来るわけじゃありません。あなたが居なくなったら俺は……」
珍しく表情を陰らせるナサニエルの手を掴む。
食えない男ではあるが、彼が本気でオレを心配してくれているのは明白だ。
オレの意に介さぬ話をする事こそが、ナサニエルがオレに真摯に向き合ってくれている何よりの証拠だった。
「オレは大丈夫だからさ。それに約束しただろ。勝手にいなくなったりしないって」
「……慢心は命取りですよ。他の誰でもない俺が言うんですから間違いはありません。でも、そうですね。もう少しだけシャルル様に免じて見守るとしましょう」
「ほんとお前も素直じゃないよな」
オレの周りに集まる奴は不器用な奴ばかりだなと改めて思う。
励ますように笑い飛ばし、オレはエリンが持たせてくれたお菓子に手を伸ばした。
今ではもう空腹や睡魔に悩まされる事はほとんどないが、それとこれはまったくの別物だ。
体に染みついてしまっているのか、単に擦り減らないようコントロールしてるだけなのか、食べようと思えばいくらでも食べれるし、寝ようと思えばどこでも寝る事が出来るのは変わらずだった。
それが分かっているナサニエルもオレを止める事はなく、オレはエリン謹製のパウンドケーキを口いっぱいに頬張っていく。
「ん~!エリンの作るお菓子は美味いよな~!」
優しい風味を味わいながら、オレは黒に染まっていく空を仰いだ。
今日はハンスにプレゼントを渡し、ちゃんと喜んでもらう事ができたのだ。
幸せそうに笑うハンスの顔を思い出すだけで、オレの口には笑みが浮かぶ。
アンナたちのドレスも仮縫いこそ残っているがあとは完成を待つだけだ。
順調に進んでいく日々に充足感を覚え、オレは頬を緩めた。
本当にこんな毎日がずっと続いていけば良いのにと、淡い願いを胸に抱く。
特別な事なんかなくたって構わない。
これこそがオレの望む悠々自適で自由気ままな生活だと、小さな幸せの積み重ねを満喫するのだった。




