8.子猫伯爵と馬車の旅
馬車に揺られながらその黒に見入る。
何とも不思議な気分だが、目の前にはあれだけ避けようとしていたハンスが座っていた。
「本当に大丈夫か?」
「ん。考え事してただけだから平気」
心配性のハンスをミオン家の馬車に乗せ、今は城下へと移動中だ。
友達になったオレたちは一緒に腹ごしらえに行く事にしたのだ。
ハンスはオレの体調が気になるようだが心配には及ばない。
喉元過ぎれば熱さ忘れるではないが、オレの心はスッキリとしたものだった。
むしろ逃げに徹していた昨日までよりも燃えている。
(オレが恋のキューピットになってやるからな…!!)
ハンスに熱い眼差しを向け、心の中で拳を握りしめた。
新しい目標は一つ――ハンスに普通の学院生活を送らせる事だ。
暴行事件も起こさせないし、家族の縁も切らせないし、ジュリアナのハニートラップにだってかからせはしない。
無事に卒業を迎え、必ずやアイリスの元にハンスを送り出してみせよう。
主人公の友人に昇格したのだ。
友人らしく、とことんお節介を焼いてやろうではないか。
(――となると、問題はバロッドの方か?)
もう一度あの事件の内容を振り返る。
動物殺害の実行犯がサマルだったのは変えようのない事実だが、サマルが一人責任を負ったのは、ただの尻尾切りなどではなかった。
その後のカイトとのやり取りで、あれはサマルの独断であった事が判明するのだ。
劣等感の塊のようなサマルは、何としてでもハンスの心を折り、己の力を誇示したかったらしい。
しかし結果は知っての通りだ。
サマルもまた家族からの信頼を失い、カイトたちに切り捨てられる結末を迎えた。
加えてカイトは相当根に持っていたらしい。
後ろ盾を失い追い詰められたサマルを唆すと、王女の腹心と化したハンスへとけしかけた。
そしてサマルは『ラブデス』の舞台から姿を消す。
王女に害を成した罪はそれまでに重く、僻地の神殿へと投獄されたサマルは、残りの人生の全てを償いのために捧げなければならないのだという。
こう考えるとサマルも悲しいキャラクターだ。
わざわざ救ってやろうとは思わないが、オレがハンスに手を貸す事で結果的に助かるというなら、それも良しだ。
あの事件がなければ、サマルだってそこまで落ちぶれる事はなかったはずだ。
(ジュリアナはまあ、大丈夫か)
本来のハンスであれば彼女が真っ当な人間じゃない事にはすぐ気が付くだろう。
友達がいるのももちろん、暴行事件がなければ家族から絶縁される事もないのだし、ハンスが王女に傾倒する可能性はほとんどないはずだ。
まずは暴行事件が起こる1年目を片付けるのが先だろう。
(あとはデルホークか。今はまだ友好的っぽいけど……この先はやっぱ難しいよなぁ)
表面上は友好的でも裏で何を仕掛けてくるかまで分かったものではない。
ハンスと仲良くなろうがならまいが、どのみちカイトの動向には注意を払う必要がありそうだ。
放っておいてくれるのが1番だが、十中八九そんな事にはなってくれないだろう。
(もう目つけられたようなもんだしな)
大事にならなかっただけで、カイトの不興は購入済みだ。
互いに切磋琢磨する好敵手になってくれれば良いが、期待するだけ無駄だろう。
この世界においてライバルとは因縁の宿敵と書くものなのである。
(カイトと言えば……)
ふと思い立ってハンスに尋ねてみる事にした。
「ハンスは何でオレと仲良くなりたかったの?」
カイトに重ねるわけではないが、何を思ってオレに声をかけたのだろうか。
あの中からオレを選んだのだ。
その理由が気にならないといえば噓になる。
「仲良くなりたかったじゃ駄目なのか?」
ハンスはというと、少し悩んでそう答えた。
「ふわっとしてんな」
思わず呟けばハンスはきまりが悪そうに眉を下げる。
だがハンスが悪いわけではない。
漠然とした答えにいまいち納得しきれないものの、ハンスを責める理由にはならなかった。
「最初はそんなもんだろ。いちいち気にすんなよ」
「だが……」
「じゃあ何?金持ってそうとか思ったわけだ?」
「俺は金の無心なんかしない」
事実シャルルにはそれくらいしかないわけだが、ハンスは心外だという風に口を曲げた。
拗ねたように見える表情は年相応に可愛らしい。
どうしても5年後のハンスのイメージが強いせいでそんな事を思ってしまう。
当然ハンス本人に可愛いなどとは言えないが、ハンスと仲良くなると決めた今だからこそ知る事が出来たその姿に自然と笑みがこぼれ出た。
「ぷっ、はは!分かって言ってんだけど?」
イタズラに笑えばハンスもつられるように微笑んでくれる。
そうやって他愛のない軽口に興じる内に、城下の近くまで来ていたらしい
窓の外の景色は変わり、人の手の入らない自然は遥か向こうの後方にあった。
移動した距離を考えると、あと10分程だろうか。
「結構かかるよなぁ」
「このくらい大した距離じゃ……いや、たしかに近くはないか」
「………気遣んなくて良いよ」
オレのぼやきにハンスが口を挟む。
どうせオレは長距離移動に慣れてない貴族のボンボンだ。
ハンスを始め王都の外に暮らす人々にとって、馬車で1時間くらい何て事ない距離なのだろう。
居た堪れなくなって見つめた地平線の彼方は綺麗な青色に染まっていた。
その青空の下、空へ向かって天高く伸びる王城が視界に入り込む。
風になびく国旗には授業で見た例の紋章が掲げられていた。
その紋章よろしく、この大陸は三角形と言っても過言ではない形状だ。
北に行くほど高く、南に行くほど低い、高低差の激しい地形も一つの特徴と言えるだろう。
オレたちが暮らしている場所は大陸のほぼ中央に位置する『大地の国アズロ』。
『ラブデス』の舞台『聖なる大地クーラ・アース』の中で最も広大な面積を誇る大国だ。
人口は1000万人程で、王となった強き者が作ったという伝説から最古の国と呼ばれる事もある。
国の1番高い場所、つまりは北側に建てられた王城から、裾を広げるように城下街が広がっていて、城下のどこからでも城を仰ぎ見る事ができるようになっていた。
貴族の領地もゆるやかに伸びる扇状に中に点在している。
多少の例外はあれど王城に近いほど爵位が高く、辺境に行くほど爵位が低いといった構造だ。
オレの家でもあるミオンの領地は、城下を出た後、整備の行き届いた街道と林道を抜けた場所にあった。
伯爵という真ん中の爵位だけに、位置も領地の大きさもまずまずといった所だろう。
それでも王都有数の一門として数えられるのは、父ラドフォードが献身的に国に仕えているからに他ならない。
他ならないのだが、悲しいかな、オレは息子に甘い父の姿しか見た事がない。
いつか真摯に働く父の姿を拝む日がくる事を願っておこう。
「そういやハンスはどっから通ってんの?」
「家からだ。商会の仕事も覚えたいし、寮に入る時間が勿体ない」
「ほんとマジメだな。オレなんか食って寝る事しか考えてなかったのに」
「シャルルはそれで良い」
すっかり見えなくなった学院は王都の西側、川を挟んだ向こう側だ。
川の先は見事なまでの峡谷で、曲がりくねった坂を越えた先に学院の敷地が佇んでいる。
馬なしに訪れるのは難しい場所だが、防衛のためにあえて峡谷のただ中に学院を建てたのだそうだ。
外部からの侵攻を防ぐだけでなく、貴重な資料の流出を防ぐ意味もあるらしい。
登校するだけで骨が折れる事に違いはないが、水と緑に覆われた自然の要塞は登校の疲れが吹き飛ぶくらい美しくもあった。
堅苦しい学院の空気も、眼前に広がる豊かな自然によっていくらか緩和されているのかもしれない。
ちなみにだが遠方からくる生徒は学院のすぐ隣にある学院寮を利用する事が多い。
宿泊の代金はかからないが、食事は自己負担で学院の清掃などの雑務を義務付けられるそうだ。
もちろん連れてきた使用人に義務の全てを任せる事も出来る。
だがそれが可能なのは金銭に余裕のある者だけだ。
多くの場合、苦労して学院に入った平民が授業を受けるために更に大変な思いをするシステムになってしまっている。
だからこそハンスも家からの通学を選んだのだろう。
「そろそろだな」
そうこう言っている間に城下に到着したようだ。
長らく馬車に揺られたせいで尻も腰も悲鳴を上げている。
今日も今日とて――いや、これから毎日尻の心配をしなければいけないオレの苦しみなど露知らず、ハンスが涼しげな様子で外に目をやっていた。
姿勢を崩していないあたり腰痛には無縁そうだ。
「大丈夫か?」
ぎこちない動きのオレに苦笑を漏らしつつ、ハンスは使用人を待たず馬車の外へと飛び出した。
重いはずの扉を難なく開け、軽やかに舞い降りる。
「ほら」
「えっ、あ、うん…!」
スッと手を差し出され、思わずどもってしまう。
差し出された手の大きさにも、あまりに自然な流れにも何故かドギマギしてしまった。
父や兄で慣れているはずのエスコートなのに変な気恥ずかしさを感じてしまうのはどうしてだろうか。
「……あんがと」
ハンスに支えられながらゆっくりと馬車を降りる。
そっと青い瞳を仰いで見ても、涼しげな目元が見えるだけだった。
「希望は?」
聞かれてハッとする。
美味しそうな香りが漂ってくると、一瞬忘れかけていた空腹が戻ってきた。
今にも腹の虫が鳴ってしまいそうだ。
「美味ければ何でも、ってかオススメがあるんじゃなかったっけ?」
「ああ、ロータウンでも構わないか?」
「へーきへーき!早く行こうぜ!」
ハンスの手を引いて住宅やブティックが立ち並ぶ城下街の中を目指す。
友達と買い食い――その響きだけで心が躍るというものだ。
「ここで待機しています。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
逸るオレに御者を務めていた使用人がペコリと頭を下げる。
穏やかな笑顔に見送られ、オレとハンスは食料探しの冒険へ駆け出した。




