67.子猫伯爵とスーブニール
アンナたちと服を買いに行ってから1週間。
今日は仮縫いのためにブティック『セゾン・ド・ラヴィエ』の仕立人が来る事になっている――と言っても、今日の仮縫いはハンスのプレゼント用に選んだものだけだ。
間近に控えたハンスの誕生日のため、この一着だけは特急で仕上げて貰っているのである。
そのための会員証だと、オレは一人掛けのこじんまりとしたソファに座って来訪を待った。
「いらっしゃいましたよ。客間に通しましたが大丈夫ですか?」
「ん。大丈夫」
ひょこりとナサニエルがオレの自室に顔を出す。
オレは何となく開いていただけの教本を閉じ、ナニサエルと共に客間へと向かった。
「ミオン様、先日はお買い上げありがとうございました!こちら頼まれておりました品です」
挨拶もそこそこに初老の仕立人が立ち上がる。
テーブルの上に黒い衣服を広げ、その出来栄えを誇るように微笑みを浮かべた。
裏ルートで把握したハンスの体格にピッタリのそれは、店で見たサンプルよりもずっと大きく、それでいて引き締まって見える。
服の良し悪しは分からないが、きっとハンスによく似合う事だろう。
「ナサニエル」
「かしこまりました。確認して参ります」
オレの一声にナサニエルが仮縫いされた服を持って別室へと向かう。
客間にはオレと仕立人と待機してくれているメイドが一人。
用意されたお茶菓子を囲んでナサニエルを待つのだった。
気まずいには気まずいが、向こうにとってオレは一気に何着も買っていった上客らしい。
会員証を持っているのもあるが、初老の彼は購入した服の状態や今後の売り出しまで、様々な事を話してくれた。
苦笑いでそれをやり過ごしていると、服を片手にナサニエルが帰ってくる。
「お待たせいたしました。確認したところ気になる点がいくつか――」
オレと仕立人の間に割って入ると、ナサニエルは肩回りがすこしキツいだの、丈をあと2㎝長くだの、オレには見分けもつかなさそうな部分を指摘していく。
仕立人はそれを真剣な面持ちで書き留め、自分からも細部へのディテールや袖回りの余裕についてを質問していった。
(オレがいる意味なくね…?)
ココアを啜りながら談義を重ねる二人を見る。
仕立人に付き合っていたせいでようやく口に運べたホットココアは、ただのココアへと変わっていた。
冷たいわけではないが温かいわけでもないココアの、ほんのり甘い中に広がるほろ苦さを味わっていく。
ココアに合わせてかお茶請けのお菓子は甘さ控えめだ。
バターの塩味が強いケーキを口に運びながら、オレをそっちのけで話し合う二人を見守った。
皿の上からケーキがなくなる頃になって相談は終わったらしい。
仕立人は大振りのケースに服をしまうと、忙しなさそうに立ち去っていった。
「お疲れさまでした、シャルル様」
「何もしてないけどな」
「いる事に意味があるんですよ。それに今日のは肩慣らし程度に思ってください」
たしかにアンナたちのドレスが仕上がるこの後が本番だ。
一度に何着もの確認となると大変だろう。
もっとも大変なのはオレではなく、皆の代わりに試着するナサニエルのわけなのだが――。
「どうだったよ?」
「言っちゃって良いんですか?」
何はともあれハンス用の服の出来栄えだ。
ドギマギと聞いてみるとナサニエルは面白がるように目を細めた。
仮縫いとはいえ、実際の仕上がりを見たのはナサニエル一人なのである。
「いや、やっぱ駄目!そのためにお前一人に行かせたんだし!」
「ですよねぇ。まあ、悪くはないと思いますよ」
似合うはずという気持ちと、似合っていて欲しいという願望と、似合わなかったらどうしようという不安に揺れながらも、オレは聞き出したい衝動をぐっと抑えた。
今はハンスの代わりに試着したナサニエルの言葉を信じる以外にないだろう。
楽しみは当日にとっておくべきだと唇を噛み締める。
「ウィルフレッド君の家に行くのは再来週でしたね。お茶菓子はどうされますか?料理長に頼んでも良いですし、今ならまだお店に注文しても間に合うはずですよ」
葛藤から抜け出し切れずにいるオレにナサニエルが手土産をどうするか尋ねてくる。
その問いにオレは胸の内で温めていた考えを返した。
「それなんだけど、オレが作るってのは駄目かな?ちゃんとゾッドと一緒にやるし、手伝うくらいなら良いだろ?」
「シャルル様が…ですか?」
ゾッド・ブルートはミオン家お抱えの料理長だ。
片田舎で料亭を営んでいた彼の腕を見込んで、夫婦共々ミオン家へと引き抜いたそうだ。
四角四面の顔は少し怖いが、腕は確かでいつもオレの腹を満たしてくれる良い人である。
オレにお菓子作りの経験はほとんどないが、ゾッド監修の元なら普通に食べられるものが出来上がる事だろう。
(うん、手伝いはしてたし何とかなるだろ)
誕生日だったか、クリスマスだったか、前世では母が買ってきてくれた出来合いのスポンジにフルーツやクリームを飾り付けるくらいの事はしていた。
バレンタインの前には妹に雑用をやらされていた気もするし、まったくの料理未経験というわけではない。
猟奇的なものが出来上がるのだって二次元限定の話だ。
何か特別な事がしたいと意気込むオレは、期待に満ちた眼差しでナサニエルを見つめた。
「……料理長と旦那様が許可をくださったら、ですよ?」
はぐらかす事はあっても、オレの意思を否定しないのがナサニエルだ。
父が駄目と言うわけはないし、父が許可を出した時点でゾッドに拒否権はない。
言質をとったオレはにこにこと笑顔を浮かべ、その日は部屋へと戻っていった。
――後日。
無事に厨房入りの許可を得たオレは慣れた手つきで手の隅々までを洗い流した。
朧気ではあるがアルバイトの記憶を生きているらしい。
感覚的に手の洗い方を覚えていたオレはしっかりと袖をまくり、肘のあたりまでを入念に洗っていく。
長い髪は短いリボンで後ろに結び、ふわふわと踊る前髪も三角巾に詰め込み済みだ。
指示されるまでもなく準備バッチリのオレを、ナサニエルと料理長であるゾッドが不思議そうな目で見ていた。
「準備は宜しいようですね」
「ん。いつでも大丈夫」
「では坊ちゃんには生地を練ってもらいます。今日はクッキーを作ってみましょう」
オレの前に出されたのは薄黄色と茶色の丸い塊だ。
計るも混ぜるもなく完成された生地にいくらか悲しみを覚えるが、これくらいは朝飯前だとオレは粘土で遊ぶ子供のように生地をこねていった。
「んー…」
「はいはい、俺に任せてください」
しかし力が足りず、早々にナサニエルに延し棒を奪われてしまう。
手持無沙汰になったオレは、端に転がっていた小さな生地を細長く伸ばして時間を潰す。
よく伸びた生地が切れないように気を払いつつ、渦巻き状に丸めていった。
「こんなものですかね」
「さすがは従者殿。良い具合に仕上がっています。ではこちらの型をどうぞ」
オレが遊んでいる間に生地の仕上げが終わったようだ。
冷えて固まっていた生地は平らに伸び、オレはそこに型を押し当てていく。
「これしかないの?」
「これ以外となると、自分の手で造形する事になります。坊ちゃんは初めてですので、今回は型抜きクッキーを作りましょう」
ゾッドに手渡された金型は丸と四角と三角の三種類だけだ。
前世では星やハート以外にも、兎や猫といったポピュラーなものからアルパカなどのマイナーな動物まで様々な型が売っていただけに物足りないものがある。
特に猫がないのは悲しい。
オレ自身も好きだが、ハンスの好みを考えても猫の金型がないのは残念極まりなかった。
「あのさ、ナサニエル」
「何ですか?」
「どっかに猫の型売ってねーの?」
ぽんぽんと事務的に型を抜きながらも、オレは諦めきれずにナサニエルに尋ねてみた。
しかしナサニエルは頭を捻り、ゾッドも視線を落とすだけだ。
二人は言葉を濁していたが聞かずとも答えは明白だろう。
オレはもう何も言わずに型抜きに専念するのだった。
そうして数十分後――オレが生産したクッキーが焼きあがった。
オーブンからはもくもくと白い煙が上がり、香ばしい香りが厨房に広がっていく。
「お~!良い出来じゃん!」
ゾッドの火加減と時間間隔によって、クッキーは焦げ過ぎる事も膨らみ過ぎる事もなく、美味しそうな仕上がりを見せている。
オレが手伝ったのはほんの僅かだが、少しでも手を加えたクッキーが綺麗に仕上がったのは素直に嬉しいものがあった。
上機嫌なオレにゾッドも嬉しそうだ。
口元に笑みを携え、クッキーの出来にも満足気に頷いている。
作ったクッキーは砂糖とバターの風味が美味しいプレーンクッキーから、ほろ苦いココア、イチゴジャムが乗った甘いものまで様々だ。
オレはその中からプレーンのクッキーを手に取り、まだ熱々のそれを口に放り込んだ。
「ん~!ナサニエルも食えよ!」
そしてナサニエルの口にもとりわけ大きな1枚を放り込む。
唯一オレが手塩にかけて作り上げた渦巻きクッキーだ。
「美味しいですよ。よく焼けてますね」
「わー、普通」
「それ以外に言いようがあります?」
いつも通りの緩いナサニエルに笑みを溢し、オレは完成したクッキーを細やかな絵柄が描かれた缶に詰めていった。
今日作った分はお試しだが、上手くいったため父たちにもあげるつもりだ。
自分用、家族用、エインワーズ一家用と缶を積み上げ、残った分は大きめのバスケットに入れていく。
「これはゾッドたちで食べて良いから」
「ありがとうございます、坊ちゃん。今日にでも頂きます。皆さぞ喜ぶでしょう」
「ん。この後もよろしくな」
「もちろんです。次はもう少し難易度の高いものに挑戦しても良いかもしれませんね」
ハンスの誕生日の近くには、ハンスの家に遊びに行く事になっている。
それまでに練習用にもう何度かお菓子を作り、当日にはケーキを拵える予定だ。
オレがさせてもらえる事は少ないだろうが、少しでもハンスへのお祝いの気持ちが伝わればと思う。
「もっと食べる?」
「シャルル様が食べさせてくれるなら何枚でも」
「めんどくさ。自分で食べろよ」
調子の良いナサニエルを適当にあしらい、ジャムの乗ったクッキーを齧る。
サクリと小気味の良い音が鳴った。
(ん、こういうのも悪くないな)
クッキーの出来が良い事もあって、久々に普通っぽい事が出来たオレの気分は上々だ。
手作りクッキーの詰まった缶を抱え、父たちの帰りを心待ちにするのだった。




