66.子猫伯爵と魔女集会
――シャルルたちが二階に赴いて後、一階。
シルビア・ミオンは掴んでいたアンナの手を離し、ブティックの一画で足を止めた。
「トレンドが置いてあるのがこのフェイスよ」
一番目立つ場所に案内されたアンナは、ドレスを見ながらとりあえずといった風に頷く。
知識としてしか知らないが、目の前にはバッスルと呼ばれる腰回りに比重を置いたドレスが並んでいた。
ダンスパーティーが主体となる年度末の行事には、いささか向いていなさそうなデザインだ。
「ここには王妃様やレディ・ゴールドの着たドレスが並ぶ事が多いわね」
「レディ・ゴールドというと公女様ですよね」
「そうよ。レディ・ゴールドに憧れているなら、あの辺りのドレスが良いと思うわ。普段使いのものはエミルトンのものが多いって話だから」
「エミルトン、ですか?」
「オリバー・エミルトン。デザイナーの名前よ。レディ・ゴールド御用達のデザイナーで、あそこにあるのは全部エミルトンが手掛けたものね。近く専属になるんじゃないかって噂だから、今の内に買っておくのも手かもしれないわ」
「そうなんですね」
何がなんだかさっぱりだが、知識としては理解したと首肯しておく。
今の話でアンナに唯一分かるのは公女の事だけだ。
レディ・ゴールド――その通称で知られる彼女は、髪も瞳も身に纏うドレスさえ黄金に輝くアウラスタ公爵家の令嬢だ。
『大地の国アズロ』唯一の公女であり、未来の国母としても広く知れ渡っている。
シルビアが示したエミルトンデザインのブースには、レディ・ゴールドが着ているだろうものと同系統のドレスが飾られていた。
ゴールドを始め黄色ですら置いていないのは、レディ・ゴールドに気を遣っての事だろう。
そのドレス群を見つめ、アンナは得心を得たように口を開く。
「今流行っているのは緑色ですか?」
「よく見てるわね!今年はカイト様が学院に入られたでしょ?その事もあって落ち着いた色味のグリーンが流行っているのよ」
フェイス然りエミルトンデザイン然り、トルソーに飾られているドレスの多くは緑色だ。
その様相通り、今期の流行はグリーンだった。
他にもやはりカイトのイメージなのか、緑だけでなく深い色の茶色や黒も売れ筋として目立つ場所に置かれている。
「似たような色ばかりですね」
怨敵とまではいかないが、カイト・デルホークを彷彿とさせるドレスが大量に並ぶ様に、アンナは思わず顔を顰めてしまう。
「ふふ、アンナ嬢は流行に乗るのは嫌いなようね」
「すみません……」
「謝るような事じゃないわ。それだけ皆が選ぶ色って事でもあるもの。流行に機敏なのは大事だけど、だからといって埋もれるような選択が正しいとは限らないわ。誰だって好きでもない男の色に染まるのはイヤってものよ」
あっけらかんと笑って、シルビアはエミルトンドレスの対面に陳列されたドレスに視線を送る。
彼女が見つめるのは肩口が大きく開いた薔薇色のドレスだった。
白のブラウスにワインレッドのロングスカートを身に着ける彼女は、やはり赤色が好きなのだろう。
学院で見慣れた貴族に比べてもかなりの軽装だったが、それでもなお失われない品と妖艶さにアンナの口からは自然と吐息が漏れる。
庶民であるアンナたちと会うのを考慮しての恰好だろうが、隠し切れないオーラが溢れ出しているようだった。
(いつも突っかかってくる人たちとはまるで別ね)
赤ん坊が見ても高価だと分かるものを何重にも身に付けなければ己を誇示出来ない人たちとは格が違う。
例えばサマル・バロッドがただのシャツとズボンを着たならば容易に一般人に紛れ込めるだろう。
ユージーンには悪いが、ユージーンだってロータウンにいれば男爵令息と気づかれる事はないのではないだろうか。
自信と美しさに満ちたシルビアを見ていると、そんな事を思ってしまう。
「次はあっちよ。ガブリエラデザインって言って、ここ数年勢力を伸ばしているデザイナーのものね。ルベン侯爵家のお嬢様方が身に着けてから人気に火が付いたのよ」
「エミルトンに比べると派手…豪華ですね」
「フェイスのドレスもそうだけど、社交界ではこれくらいの方が主流かしらね。エミルトンデザインがかえって地味すぎるくらいなのよ。あれを着こなせるんだからレディ・ゴールドは凄いわよね」
眺めるブースを移しながら、ブティックの基本からドレスの種類、今期の流行やオススメのブランドまでをシルビアは一つずつ丁寧に手ほどきしていった。
アンナは一つ一つに相槌を打ち、時にクイズを出されながらも的確に答えていく。
「今期のデザイナー二大巨頭と言えば?」
「オリバー・エミルトンとガブリエラです。ガブリエラは新進気鋭のデザイナーでここ数年、市場を座巻するようになりました」
「それじゃあ、白の奇才として根強い人気を誇っているは?」
「ウィリアム・スウェインです」
「正解♪アンナ嬢は覚えが良いわね!」
「それだけが取り柄ですので」
「それだけなんて言うものじゃないわ。自分で自分の可能性を狭めちゃダメよ」
深い意味はないつもりだったが、自分を卑下するようなアンナの言葉にシルビアが口を尖らせる。
今までもこういった言動を否定される事はあったものの、理由を添えてくれたのは彼女が初めてだとアンナは背の高いシルビアの顔を仰ぎ見る。
「……シルビア様は私の事が嫌じゃないんですか?」
「イヤって言って欲しいの?」
「そういうわけじゃありませんが……」
変な事を聞いてしまったとアンナは口を噤む。
(シャルルは素直だって言ってくれたけど、明け透けなだけよ。ただでさえ変わってるのに、こんなだから皆にも……)
思った事をすぐに口に出してしまうのは悪い癖だ。
アンナは気持ちを切り替えようと、今まで触りもしなかったドレスに手を伸ばした。
その手を遮るようにシルビアが囁く。
「あなたこそ私と二人きりで怖くはないの?」
言葉の意味が理解できず、アンナはもう一度シルビアへと視線を戻す。
「シャルルは教えてあげなかったのかしら?私、魔女って呼ばれているのよ」
「魔女……?」
「あくまで魔女みたいって話だけどね。皆して私を恐れたわ。何かあればすぐ私のせいにしたわ。あなたはそんな魔女と二人きりで怖くはないの?」
妖しく微笑むシルビアから目を離せず、けれどアンナは真っ向から立ち向かった。
アメジストの瞳は真摯なまでにシルビアを捉えている。
「シルビア様を怖いと思った事はありません。あなたが本当に魔女だとしても、それは願いを叶えてくれる優しい魔女なんだと思います」
童話の中には良い魔女も悪い魔女も存在する。
シルビアは今まさに貧しくも夢を追い続ける者にドレスを与えようとしてくれる妖精のようだった。
またも思った事をそのまま口に出してしまったアンナはハッとするが、シルビアは声をあげて笑った。
「優しい魔女なんて言われたの初めてよ!」
口元を手で隠してはいるが、その笑顔は指先では隠せないほど無邪気に咲いた大輪だった。
「シャルルから聞いてはいたけど面白い子ね」
「私が面白い…ですか?」
「型破りって言うのかしらね。私はあなたみたいな子、素敵だと思うわ」
鈴を転がしたように笑って、シルビアはアンナの髪をさらった。
眼鏡に掛かった髪を掴み、耳の方へと寄せる。
じっとレンズの奥に潜むアメジストを見つめ、父譲りの赤褐色の目を細めた。
「あの子にも私にも人を見る目はある方よ。あの子の友達ってだけで優しくするつもりもないし、いくらあの子が譲れないと言っても、シャルルを傷つける相手を友達として認める事はないわ。でもあなたみたいな子なら歓迎よ。これからもシャルルと仲良くしてあげてくれる?」
「……きっと」
「そんな怖い顔しなくてもとって食いはしないわよ」
シルビアがクスリと微笑む。
艶やかな笑みに照れ臭くなって、アンナは取りかけていたドレスを掴んだ。
瞳と同じ紫色のドレスを体に当ててみるが、似合っているかどうか自分ではよく分からない。
戻せば良いのか、シルビアに感想を求めれば良いのか途方に暮れるアンナに、横に立つシルビアは目を伏せて首を振る。
「色選びは悪くないけど、そのデザインは全然ダメよ。一昨年くらいの流行かしら。クロッシュ家が売り出したものだけど、長続きはしなかったわね」
広がったバルーンスリーブの袖は短く、ふんわりと広がったスカート部分からいってもかなり可愛らしい印象の一着だ。
袖に比重を置いているせいか、それ以外の部分の装飾は控えめになっている。
着飾るのが好きな貴族にとっては少し物足りないドレスだったのだろう。
(よく見たら私の趣味でもないわね)
色が良かっただけだと、アンナはそのドレスを棚へと返却した。
それを横目にシルビアはふと物思いに耽るように口を開く。
「――あなたみたいな子にもっと早く出会いたかったものね」
シルビアの顔を仰ぎ見ると、彼女は穏やかながらも切なげな表情を浮かべていた。
「アンナ嬢は優しい魔女だって言ってくれたけどね、私は小さい頃から人の輪に入るのが苦手で、いつも我儘で自分勝手な女だって言われたのよ。加えてこんな容姿だったからかしらね。何かある度に悪者扱いされたわ。でも私は黙ってられるような子供じゃなかったから、すぐやり返したわ」
コロコロと声を転がして笑う。
「まあ、その度に怒られたわね。いつもお兄様に監視されて、お父様とクリスティアンには口煩く説教されて、毎日のように憤っていた気がするわ。もちろん最初は……私たちに何の興味も示さないカレン夫人の気を引くためだった。仕事ばかりにかまけるお父様に帰って来て欲しかったからだったわ。そのうちただの不満の爆発になってしまったけれど」
「そう、だったんですね」
「夫人がいなくなった後も私はお転婆なままだったわ。戻り方なんてとっくの昔に忘れてしまったし、自分を隠さずに生きるなんて窮屈な事、もう出来そうになかったもの」
「……私も似たようなものです」
「ふふ、何となくそんな気がしたわ」
似た者同士ねと笑い合ってシルビアは続ける。
「でもね、あの子が生まれた時、感動したのよ。姉になるんだって、姉になっても良いんだって打ち震えたわ。何も知らない赤ん坊だからって分かっていても、私に笑いかけてくれるシャルルの事が可愛くてたまらなかったわ。私は末娘だったからずっと守られる存在だったけれど、そんな私に守るべき存在が出来た瞬間だったの」
手に取ったドレスにシャルルを重ね合わせるように、シルビアは赤い布地を抱きしめる。
その顔はひどく優しく慈愛に満ちたものだった。
「初めて私が許された気がしたわ。どんな私でも認めてくれるって感じたの。だからこそお母様が私を愛してくれた分、私があの子に愛をあげようって思ったわ。シャルルのためなら悪女だろうが魔女だろうがなってやるって、私を偽る事をやめたのよ」
後悔の感じられない声に、アンナはただ魅入っていた。
同じように選択しながらも、心の奥底で迷いを断ち切れない自分とはまるで違う。
(……この人は強い人だわ)
アンナはドレスを選ぶ事も忘れ、尊敬とも憧憬ともつかぬ眼差しでシルビアを見つめた。
「ごめんなさい。変な話をしちゃったわね」
「いえ、大丈夫です」
「だからってわけじゃないけどね、アンナ嬢も心の思うままに進めば良いわ。必ずあなたを分かってくれる誰かに気付けるはずよ。間違ったとしてもやり直す事だって出来るし、いつかそれが財産になる時が来るわ。まずはあなたに誇りを持ちなさい――もっとも罪を問われない範囲でだけどね」
鮮やかに笑うシルビアに、アンナはユージーンに対するものとは違うときめきを覚える。
最初こそ昔話かと思ったが、シルビアの言葉は煮え切らないアンナの背中を押すためのものだった。
その意図に気づき、アンナはぎゅっと胸を掴む。
(兄弟がいたらこんな感じだったのかしら)
本当の姉のように道を示してくれるシルビアにの存在が眩しく、それ以上に温かい。
ユージーンに好意を抱きながらも過去を振り切れずにいるアンナにとって、彼女の言葉は力強い響きを持っていた。
そして自分を友と認めてくれる相手を思い浮かべる。
(シャルルの純粋さは、こういう人たちのおかげで成り立っているのね)
馬鹿みたいに純粋で、愚かなほど優しい友人。
シルビアたちがシャルルを守りたがる理由もよく分かると納得し、アンナはふっと表情を緩めた。
「ふふ、やっと笑ってくれたわね」
「あ、私――」
「良いのよ。いきなりこんな魔女と一緒にさせられて笑えるわけがないもの。それより、気に入るものはあった?」
事もなげに笑うシルビアに、アンナはより強い景仰を抱く。
いつまでも後ろめたさを感じるわけにはいかないと、気合を入れるように口の端を持ち上げた。
その顔に、無駄話は終わりだとシルビアも顔を引き締める。
「希望がないなら青でいくわよ」
「青ですか?」
これといって目を惹くものはなかったが、青を選ぶ理由に思い当たるものはない。
目を瞬かせるアンナへと鮮麗に輝くドレスを差し出し――
「アーチボルト卿の髪色が青なんですってね。その色に合わせましょう」
「……!」
「覚えておきなさい。相手の色を取り入れるのも一つの戦い方よ♪」
シルビアが悪戯に笑う。
こうしてアンナのドレス選びは佳境を迎えていくのだった。
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所変わって二階――。
クッキーをお茶請けに談笑するオレたちの元へ、ナサニエルがひょこりと顔を出す。
「ベレジュナーヤ嬢の方も終わったようです。降りても大丈夫ですよ」
「ん。じゃあ帰ろうぜ」
レフたちにそう遅れる事もなくアンナのドレス選びも終わったようだ。
オレはやりきった様子のレフたちを引き連れ、ブティックの一階へと降りた。
「こっちは間違いなく最高の出来栄えよ。ねえ、アンナ嬢?」
「……はい。良い一着を選べたと思います」
自分の事のように胸を張る姉シルビアの横には疲れ果てた顔のアンナが立っていた。
男性陣とは比べ物にならない疲労の色を浮かべたアンナは、言葉を発するのも億劫というように首肯する。
その中にも照れ臭そうにしているあたり、ドレスは良いものを選べたという事だろう。
「こっちも良い感じ。アンナもレフたちの変わりようを楽しみにしてくれよな」
「期待しておくわ。その、私のはあんまり……」
「あら、アンナ嬢。過度な謙遜は私を蔑視する事と一緒よ?誰が何と言おうとあなたは綺麗なんだから胸を張りなさい。良いわね?」
「はい、シルビア様」
少し誇らしげな見えるアンナを見るに、こっちはこっちで上手くやっていたようだ。
当日が楽しみだとオレは破顔する。
「仮縫いに関してはこちらにお任せください。時期が時期なので混み合うかもしれませんが、年末までには完成する予定です。ご家族に見せるのであれば先にお渡ししますんで、必要があればシャルル様に伝えてください」
先にブティックを出たアンナたちへとナサニエルが説明する。
本来なら仮縫いも本人に来てもらいたいところだが、そう何度も皆を呼んではユージーンに怪しまれるだろう。
奥の手を使う事にして四人には完成品を待ってもらう事にする。
「――では送り届けて参ります。シャルル様もどうかお気をつけて」
アンナたちが乗り込んだのを確認して、ナサニエルが馬車の扉を閉める。
オレは姉の乗ってきた馬車に相乗りするため、皆とはここでお別れだ。
「じゃあまた学院でな~!」
走り出した馬車に手を振り、会計を済ませたオレたちも馬車へと乗り込んだ。
ナサニエルに御者を任せておけば向こうに問題が起きる事はないだろう。
「楽しかったようね」
「姉さんこそ、アンナと仲良くなったんだろ」
「ええ、素敵な子だったわ。また今度連れてきて頂戴ね」
揺れる馬車の中、姉と様々な話をした。
「まったく、折角の旅行が台無しよ。だいたい!ああいう時はすぐに呼び戻しなさいよね!」
「楽しんでるとこ悪いじゃん。父さんたちだってそう思ったから、姉さんが帰ってくるのを待ってたんだってば」
「分かってはいるわよ。でもそのせいで辛い思いをしたあなたの傍にいられなかったじゃない。お兄様たちばかりずるいわ!それに私にだってあの人に言いたい事がたくさんあったのよ…!」
「ははは、そのへんにしときなよ。オレは姉さんのその気持ちだけで嬉しいからさ」
「………一番ずるいのはあなたね。そんな顔されたら怒るに怒れないじゃない」
隣に座った姉がオレの手を握る。
今更気恥ずかしいとも言ってられず、オレはへにゃりと微笑んだ。
この人がオレの姉で良かったと、その気持ちを笑顔に乗せて姉へと寄り添い続ける。
家までの数時間、オレは久々に姉と二人きりで過ごす時間をのんびりと楽しんだのだった。




