61.子猫伯爵と強き魂の試練
しばらくたった頃、カレン夫人の処遇が決定したとの報せが入った。
神殿から送られてきた手紙には公開判決の日程が記されており、旅行から戻ってきた姉シルビアも含め、一家全員で結末を見届けに行く事にする。
この世界にも裁判というものがあり、神殿がそれらの責務を負っている。
判決が出るまでは国の抱える騎士団や、街に設けられた警備隊が罪人の保護や収容を行うが、最終的な結論を下すのは神殿だ。
罪を負った者は神殿に従事する事が定められ、軽い罰の場合でも神殿と被害者への献金を余儀なくされる。
当然だが裁判を開くにも神殿への寄付が必要だ。
今回はミオンとマクスウェル両家から神殿への寄付が成され、その寄付金と爵位や国への貢献度を鑑み、いち早い解決と相成ったというわけである。
「――ご足労ありがとうございます。どうぞこちらへ」
王都にある神殿を訪れたオレたちをフードを目深にかぶった司祭が迎え入れる。
『知啓の祝福』で足を運んだ大神殿とは趣が異なり、見た目には教会といった感じだ。
怪我の治療のために何度か連れてこられた事があるが、来る目的が異なるというだけで気持ちはまるで変わってくる。
裁判という、前世でも体験した事のない厳かで重い空気に、オレは息を呑んだ。
「こちらでお待ちください」
案内されたのは半円型のホールだ。
前方が高座になっており、そこを中心に階段式になった座席が広がっている。
オレたちが通されたのは高座が良く見える最前列の席だ。
父ラドフォードを先頭に、オレ、姉、兄の順に腰かけ、オレたちの一つ後ろの席にクリスティアンが腰を下ろした。
「ラドフォード卿。この度はご迷惑をお掛けしました」
「いえ、こちらこそ。急な頼みにも関わらず対処して頂き感謝します」
すぐ後にやって来た人たちは、オレたちの一つ隣のブロックにまとまって座った。
父が立ち上がって会釈をするのに倣い、オレたちも頭を下げる。
どうやらマクスウェル伯爵家の人たちのようだ。
葬儀を思わせる黒一色のスーツとドレスに身を包んだ彼らは、オレたち同様に頭だけを下げ、静かに着席した。
その中の一人、下がり切った眉と瞳の、父と同年代の気の弱そうな男性が父と話し込む。
彼がマクスウェル家の現当主ヨーゼフなのだろう。
ちなみにだがオレの級友ミゲル・マクスウェルと彼らに血縁関係はない。
前世然り、姓が同じだからと必ずしも親戚というわけではないのである。
遠い遠い大元を正せば同じかもはしれないが、大陸中を探せば同姓の家門も案外転がっているものだ。
こういう時に使われるのが治めている領地の名で、一般的には彼らはグラースないしグラースのマクスウェルと呼ばれる方が多いのだろう。
(顔も似てないしな)
実際、左隣に居るマクスウェル家の人たちとミゲルは似ていない。
顔という意味ではカレン夫人は父親に似ているのだろう。
白髪のためパッと見の印象は違って見えるが、クリスティアンと同世代の厳つい男性から夫人と似た雰囲気が感じられた。
そのまま落ち着かずにいる内に、見知った顔の貴族や、興味本位でやって来ただろう野次馬たちが次々にホールへと入ってくる。
オレたちの右側のブロックは空いたままだったが、最後になっていやに年齢差のある夫婦と、ここいらでは見慣れない風貌の浅黒い肌の男性が、距離を開けるようにしてその場所を埋めていった。
「――皆様、どうぞ静粛に」
これで役者が揃ったのだろう。
前方の高台に、やはりフードを目深にかぶった司祭が現れる。
その声に観衆は黙り、静まり返った視線の中をカレン夫人がよろめくように連れてこられた。
だが人々の注目を一身に集めるのは彼女と共に姿を見せた男だった。
「ねえ、あれって……」
「大司祭様だわ」
「エルデルバルト様が判決を下されるのか?」
海色の髪をなびかせ、大司祭エルデルバルトが高台の中心に立つ。
その前にカレン夫人が立たされ、集まった人々は色めき立ちながらもエルデルバルトの一挙手一投足を見守った。
(いや、ほんと何でエルデルバルトが…?)
関係者であるオレたちに届いた手紙にさえ、この旨は書かれていなかった。
前触れなく登壇したエルデルバルトにオレも唖然とする。
父たちの顔にも困惑が浮かんでおり、これが異例である事は嫌でも理解できた。
事実、判決の場に大司祭が現れる事は珍しい。
公爵家や王族絡みとなれば話は別だが、普通であれば大司祭代理となる司祭の受け持ちのはずだ。
そんな聴衆の混乱をものともせず、エルデルバルトは胸の前に三角を作った。
「まずは皆様に祝福を――」
誰一人としてエルデルバルトの尊顔を拝めるとは思ってもいなかったのだろう。
中には頬を上気させ、興奮したように祈りを捧げる人たちもいるようだ。
後方の席に座る庶民に至っては、失神してしまうのではないかと心配になる高揚ぶりの人も見受けられる。
大陸の人にとっては、良くも悪くも転ぶ統治者より、傷ついた者に手を差し伸べる神の象徴の方が親しみやすく崇拝しやすいという事だろう。
『知啓の祝福』の時にも凄いと思ったが、人々の熱狂ぶりはその比ではない。
エルデルバルトの偉大さを改めて思い知った瞬間だった。
そしてその大司祭が口を開くと、喧騒が嘘のように静まり返る。
「皆様におかれましては大変驚かれている事と存じますが、何分私も大司祭として浅き身の上。今日は神殿に従事する一人の司祭としてこの場に参りました。皆様どうぞ共に見届け人とおなりください」
要約すると経験を積むためにこの場に来た――らしい。
エルデルバルトの考えはよく分からないが、オレとしては早く終わってくれればそれで良かった。
どのみち今から執り行われるのは最終決断を言い渡す事だけだ。
調査や審議はとっくの昔に終わっており、公の場で確たる証拠を残すためだけに公開判決が行われているのである。
「では、ここに罪を改めましょう」
エルデルバルトが長い用紙に視線を落とす。
そして目の前に立つカレン夫人へとその罪状を告げた。
「汝カレン・ボナン。旧姓マルキーノであり、ミオン、そしてマクスウェル。あなたは尊き女神の御許にありながら、女神の恩寵受けし魂を傷つけんと猛き力を振るわんとしました。それは主への背信であり、けして許されざる行いです」
今更何を言っても変わらないせいか、カレン夫人は黙している。
「女神への誓いを破りし罪が一つ。血を欺きし罪が一つ。欲心を捨て去れぬ罪が一つ。そして、強き魂を脅かした罪が一つ。数多の罪の下、カレン・ボナン――あなたには加護の永久剥奪と神殿での一生涯に渡る従事を下しましょう。慈悲深き女神の御心に従い、それ以上の事は望みません」
エルデルバルトが告げる。
その言葉を聞いてなお、夫人はただ俯き続けた。
「女神の祝福は全ての者に等しく与えられるもの。どうか罪人と恐るる事なかれ。蔑まれる事なかれ。あなたの罪が清き魂によって洗われ、女神の御許に還られる事を祈りましょう」
最後に祈りが捧げられる。
傍聴に来た人たちは罪状が軽いと言いたげだったが、大司祭に口答え出来る猛者はいないようだ。
納得のいかない顔をしながらも、エルデルバルトに続けて胸の前に三角系を作る。
こうして公開判決は粛々と幕を閉じた。
「……終わったね」
「ようやくって感じだわ。自業自得でしょうけど、こんな事になるくらいなら戻って来なければ良かったのよ」
野次馬が帰っていく中、ぽそりと呟いた兄に向け姉が忌々しげに吐き捨てる。
だがたしかに彼女の言う通りだ。
カレン夫人がミオン邸に戻って来なければ、こうして罪に問われる事もなかっただろう。
同情する気は起きないが、運命とは残酷なものである。
「でもこれで本当の家族になれたのかしら?」
姉がオレを見て微笑んだ。
「こんな事がなくても姉さんは姉さんだってば」
「あらそう?その割に自分の顔を嫌ってたじゃない。隠したって全部分かるんだから」
「………昔の話だよ」
今だって悪役じみたこのキツイ顔が好きなわけではない。
けれど前よりは好きになれたのではないだろうか。
この人たちが大切にしてくれるものを、オレを愛してくれた母が残してくれたものを、ちゃんと受け止められるようになったと感じている。
その照れ臭さを誤魔化すように、オレは話題を変えた。
「ピエールだっけ?良かったよね、養子に入れてもらえる事になってさ」
「子供にまで罪はないからね。僕としてもあの人のようにならない事を願うよ」
「まあ、大変だとは思うわよ。私たちと違って父親も父親だものね」
判決が下された通り、ミオンの家で調べた夫人の調査報告と音声記録もあり、夫人は神殿への従事が定められた。
当然ながら加護は剥奪され、今後一切加護を得る機会も失っている。
幸いと言うべきかは分からないが、未遂で済んだ事もあり辺境行きだけは免れたらしい。
この部分で懲罰が足りないと言う人もいるようだが、オレはそんな事は思わない。
王都だろうが辺境だろうが、残る生涯を従事のためだけに使えなんて想像を絶する償いだ。
息子ピエールに関しては本件への関与がないとして、マクスウェル家へと養子へ入る事が決まった。
ピエール・ボナン――これからはピエール・マクスウェルとして彼がどう生きていくかは分からない。
そもそもの人となりも知らないが、兄が願うように真っ当な道を歩んでくれたら良いなとは思う。
また事の発端にもなったマルキーノ子爵家にも懲罰が科せられる事となった。
罰金という名の神殿への寄付が命じられた子爵夫妻は相当に憤っているようだ。
「もうあの女とは何の関係もないのだぞ!!」
「本当に疫病神のような女ね…!」
右側のブロックに座っていた年齢差のある夫婦が地団駄を踏んでいる。
夫人は運命だと言っていたが、当のマルキーノ子爵は微塵にもそう思っていないらしい。
あんな男を運命と信じたなら哀れなものだ。
「ミオン伯爵。お初にお目にかかります、ボナンです。全ては私の至らなさが招いた失態です。本当に…本当に申し訳ございませんでした……」
「顔をあげてください、ボナン卿。あなた一人の過ちではありません。どうか前を向いてください」
傍聴にやって来たボナン男爵は自主的に寄付を行っていた。
裕福ではないそうだが、最低限の責任と思ったらしい。
自分にピエールを受け入れる器があればこんな事にはならなかったかもしれないと、彼はひどく落ち込んでいる様子だった。
父に励まされ、遠くから来訪したという彼は早々に去っていく。
ミオンとマクスウェル、そしてマルキーノの家門だけを残し、他の者は皆いなくなった。
「――最後のご対面となります。ご希望の皆様はどうぞこちらへ」
見計らって二人組の司祭が頭を下げる。
彼らの後ろについて行き、オレたちは牢に捕らわれた夫人の元へと向かっていった。
姉にとっては今回初めての対面だ。
「サルバトール…!!」
夫人は一月もしない間にひどくやつれたようだった。
頬はこけ、その目もギラギラと恐ろしい光を放っている。
「あなたたちのせいよ!!あなたが私を捨てるから!!その女さえいなければ…!!」
その目はマルキーノ子爵へと向けられていた。
運命だと言いながら、その慕情はついに憎悪へと変わってしまったらしい。
まともな会話が出来ないと判断されたのか、対面はそこで終わりとなった。
最後まで子爵と彼女の座を奪った女性への呪詛を吐きながら、彼女は司祭たちに連れ去られていく。
「終わってしまえば、呆気のないものだね」
夫人がいた場所を見つめ父がぼやく。
長いようで短いいざこざは終わり、後はもういつも通りの日常だ。
非常にありがたい事に、オレたち家族の間に大きな変化はない。
むしろ前よりも距離が近づいたくらいだった。
ぼんやりと感慨に耽るオレたちの前に、長い裾を引きずって柔和な雰囲気を纏った男性が現れる。
「お久しぶりです、ミオン様」
オレに話しかけてきたのは大司祭エルデルバルトだ。
正確にはオレの一家に声をかけたようだった。
胸の前に三角を作り、女神の祈りを捧げてくれる。
「強き魂のもたらす試練を越えし皆様に、尊き女神の慈悲があります事を――アクラ・マナン」
辛い出来事は強き魂を持つ者からの試練と捉えるのがもっぱらだ。
学問に関する事は尊き魂を持つ者からの試練、病魔に関する事は清き魂を持つ者の試練と、この世界では不運な出来事を試練と考える風習があった。
(本当にそうなら女神は意地が悪いけどな)
乗り越えられなかった方が悪い――とも言えてしまうこの思考はあまり好きではない。
心の中で悪態をつくオレを知ってか知らずか、エルデルバルトはその顔に憂いを浮かべた。
「皆様にはこの先も試練が待ち受けている事でしょう。ですが我々は曇りなき眼で皆様の行いを見守っております。どうか臆する事なく立ち向かわれますことを願いましょう」
エルデルバルトが言わんとする事を察し、父が眉間に皺を寄せる。
(気にする奴は気にするもんな)
人の口に蓋をする事は出来ない。
夫人のいざこざや、母をエインワーズ男爵家の養子に入れてまで上手く隠していたようだが、それももうお終いだ。
今回の件でオレが庶民の血を引いている事はすぐに知れ渡るだろう。
庶子でもなければ養子でもないが、半分でも庶民の血を引くとなれば後ろ指を指す奴は出るはずだ。
(あんま困る事もないけどさ。父さんたちとは距離詰まったくらいだし、ハンスやユージーンが気にするような事でもないだろ)
オレは別段気にもしていないし、言いたい奴には好きに言わせておけば良い。
一つだけ恐ろしいのはカイトとの関係が変わるかもしれないという事だ。
ハンスたちは今まで通りだろう。
だがカイトはオレが生粋の貴族の血統ではないと知れば、手の平を返すのではないだろうか。
特別仲が良いわけでも、信頼し合っているわけでもない。
それでもこの奇妙で互いに干渉し合わない関係が崩れる事には、少なからず恐怖があった。
(なるようになれ――か)
だが今のオレは一人ではない。
良い友人たちに恵まれ、変わらず愛してくれる家族がいる。
そんな優しい人たちがいるからこそ、少しずつでも前に進めているなら良いじゃないかと、そう思えるようになってきた。
「少し見ぬ間に変わられましたね」
エルデルバルトが微笑んだ。
「ミオン様、どうかあなたの信じた道をお行きなさい。私はその果てを見届けましょう」
その言葉に頷き、オレたちは神殿を後にする。
雲一つない秋晴れの空が、いやに眩しくオレたちを見下ろしていた。




