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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
OP.シャルル・ミオンの長い一日
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7.子猫伯爵と三つ巴の葛藤

悠々自適(ゆうゆうじてき)だとか、波風立てない生活だとか、そんなのはただの建前(たてまえ)だった。

オレはただ怖かった。

なりふり構わず突き進めるほど無垢(むく)でもなく、全てを変えられると意気込めるほど無謀(むぼう)でもなかった。

まして聡明(そうめい)にも程遠く、殴られないように取り(つくろ)うので精一杯だった。


もし何も変えられなかったら?

自分のせいでもっと酷い事になったら?


一度でも不安を覚えてしまえば、その先に踏み出す事すら出来はしない。

何もしない方がマシにさえ思えてならなかった。

オレは臆病(おくびょう)で、薄情(はくじょう)で、ズルい人間だったのだ。

助けられるかもしれない相手を前にして、無関心を(よそお)えるくらいに残酷な人間だった。

逃げる事でしか自分を守れない、弱い奴だった。


(――本当は)


オレだってこんなのは嫌だ。

ハンスにもカイトにも怯えて隠れるように生きるのも。

後ろめたい気持ちを抱えて他人(ひと)の目ばかり気にするのも。

結局それは、オレがなりたくなかったシャルル・ミオンの生き様と何も変わらない。

運命なんてクソ喰らえと叫んでおきながら、オレはその運命から一歩として出られてはいなかったのだ。


(――でも本当は)


オレだって諦めたくない。

シャルルという枠組みになど甘んじたくない。

悪役令息でも無名のモブでもなく、シャルル(オレ)として誇れる道を歩みたい。

せめて自分の心に嘘を()かずに済むようになりたい。


(本当は――オレだってハンスと仲良くなりたいに決まってんだろ!!!!)


心の中で人生最大の叫び声をあげる。

どれだけ頭を悩ませ理由を探したところで結局の本音はこれだ。

こうなってはもう臆病者のオレvs物語をねじ曲げたくないオレvsハンスと仲良くなりたいオレの乱闘である。

開始のゴングが鳴るや否や3人が(こぶし)()り出し、臆病者のオレはあっさり場外へと弾き飛ばされた。

ポコポコと可愛い応酬しか出来ていないが、残った2人は良い勝負を繰り広げている。

ぐいーっと押し合いをしてみたり、髪を引っ張ってみたり、幼児の方がまだマシな喧嘩(ケンカ)をしそうなものだが、一歩も(ゆず)らぬこねくり合いに(きょう)じている。

なおもポコポコ叩き合い――勝利を収めたのは〝ハンスと仲良くなりたいオレ〟だった。

その場の勢いという名の熱量が追い風となった結果だろう。

⦅ミー!⦆

〝ハンスと仲良くなりたいオレ〟が雄叫(おたけ)びをあげる。

随分マヌケな試合運びだったが、オレ同士の戦いなど所詮(しょせん)こんなものだ。


かくして〝ハンスと仲良くなりたいオレ〟が主導権を握った今、オレの思考はその他二つを塗り潰す方へと動き出した。

(――ハンスと仲良くなったとして、だ)

本編の内容が大きく変わるような事は避けたい。

ハンスと仲良くなりたいオレが主導権を握ったとして、そこは(ゆず)れないポイントだ。

(ハンスが冒険者になればアイリスには会えるはず…だよな?正義感の強いハンスならアイリスを()っとくわけないし、二人が出会いさえすればいけるか?)

考えてみればハンスの過去編にアイリスは一切の関わりがない。

過去に傷を負った二人が互いの傷を埋め合うのがストーリーの大筋ではあるが、それも二人が仲良くなるためのキッカケのようなものだろう。

ハンスが冒険に出てアイリスをヨナの魔の手から救いさえすれば、多少の経緯(いきさつ)は違えど『ラブデス』の物語は始まっていくはずだ。

だとすれば、ハンスが今ここで辛い思いをする必要はないのではないだろうか。

ハンスと仲良くなりたいオレの攻撃が、いとも容易(たやす)く物語をねじ曲げたくないオレの防御を貫》いていく。

三つ(どもえ)を制したハンスと仲良くなりたいオレ――もとい攻撃担当は頭一個分抜け出たらしい。

物語重視の防御担当と臆病者の逃走担当をしっかり(ぎょ)していた。

(タコ野郎もだけど、ジュリアナもジュリアナだもんな)

考えながら『ラブデス』の内容を思い出す。

刊行されている2巻の(うち)、ハンスの過去が明かされるのは2巻の中頃(なかごろ)からだ。

アイリスに(うなが)されて語られたハンスの学院生活は、何一つとして幸福なものではなかった。

平民というだけで侮蔑(ぶべつ)されるのは序の口で、その(あと)も様々な苦難がハンスを襲う事になる。

カイトを始めとする悪役令息たちを鉄拳制裁した(けん)も、ハンスにとっては苦い思い出だ。

あの一件も快進撃と呼べる結末を迎えはしなかったのだ。

貴族側の責任は全てサマル一人に押し付けられ、カイトたちは無罪放免どころか一方的にハンスに危害を加えられた被害者となった。

サマルはこれまでのハンスへの横暴と動物を虐げた罪に、ハンスはサマルへの暴行と関係のないカイトらを巻き込んだ罪に問われた。

二人は停学の処罰を受け、ハンスに至っては次同じ事があれば退学という(かせ)をつけられる事になったのだ。

全てはハンスの才能を(うと)んだサマルと、貴族を(うらや)んだハンス二人が起こしたものとして、幕を閉じた。

この一件がもたらしたものはそれだけではない。

ハンスは唯一の()(どころ)だった家族からも失望され、学院の卒業と同時に家を出るように言い渡される事になる。

それは事実上の勘当(かんどう)だった。

ウィルフレッドを名乗る事も禁じられ、ハンスはただのハンスになった。

ただでさえ交友関係のなかったハンスは誰からも恐れられ、怖がられ、ますます独りになってしまう事になった。

そんなハンスに手を差し伸べるのが、2年次に編入してくるジュリアナ・ラ・スキラだ。

隣国の王女であるジュリアナは交流学生という形で学院へとやって来る。

ハンスに才能を見出(みいだ)した彼女は、ハンスをいたく気に入ると自らの(そば)に置くようになった。

人の優しさに()えていたハンスは、すぐにジュリアナの(とりこ)になった。

王女のお気に入りに手を出せる者もなく、ハンスはジュリアナによってもたられる平穏に(すが)り、与えられる愛に陶酔(とうすい)していった。

そうしてハンスは卒業間近までの約2年間をジュリアナに(ついや)やしたのである。

これだけならまだ良かったが、ジュリアナは正義の欠片(カケラ)もない悪女だった。

気に入らない者は排除し、欲しい者は何でも手に入れる、言ってしまえばシャルルの上位互換(じょういごかん)のような人物だ。

ハンスが正気を取り戻したのは、ジュリアナに邪魔な令嬢を殺せを命じられた時だった。


〝王子の婚約者を気取るあのバカな女を殺しなさい。そうしたら私の騎士として国に連れて帰ってあげるわ〟――ジュリアナは笑って(ささや)いた。


その時になってハンスはようやく気が付く事になる。

ジュリアナにとって自分が扱いやすいだけの(コマ)に過ぎなかった事を。

今まで彼女のためを思ってやった事が、どれだけの人を苦しめたのかを。

己を恥じたハンスが王女の命令を遂行(すいこう)する事は最後までなかった。

それがハンスの中に残ったなけなしの正義だったのだろう。

ハンスは(くだん)の令嬢に全てを打ち明けると、そのまま卒業を迎える事なく学院を飛び出した。

帰る場所もなく彷徨(さまよ)うハンスの心に根を張ったのは、女性に対する強い憎悪と恐怖心だった。

その後、ハンスは誰に頼れるでもなく放浪(ほうろう)の旅を続ける事になる。

ヨナを倒す事でしか自分の価値を見出せなくなったハンスがアイリスと出会うのはその時だ。


覚悟はしていたつもりだったが思い返してみるとあまりにも(むご)い。

強く生きろ――他人事(ひとごと)のようにそんな事を考えていた自分が恥ずかしくなった。

(こんな酷い話を物語のためだけに受け入れろって……はは。オレの方がシャルルよりよほど悪人じゃねーか)

穴があったら入りたい。

(見捨てておいて、自分だけのんびり快適な生活?ほんと、最低だなオレ)

自分で自分に腹が立つ。

ハンスなら乗り越えられる苦難だったとしても、見過ごした時点でオレはシャルル・ミオンと何一つ変わらないのだ。

それによくよく考えたらオレの精神がもたない。

同じ空間で暴言が飛び交い、あの威圧感を放たれ続けたら胃が何個あっても足りなくなる予感がした。

頭の中でも逃走担当がうんうんとこれ見よがしに(うなづ)いている。


「――シャルル?」

黙り込んでしまったオレを不安に思ったのだろう。

ハンスがオレの顔を覗き込んだ。

心配そうに揺れる青色が、海をそのまま切り取ったかのようで綺麗(キレイ)だ。

「顔色が悪い。今日はもう帰って休んだ方が……馬車はどこだ?」

じくりと胸が痛む。

(何でそんなに優しいんだよ。オレはお前を見捨てようとしたクソ野郎なんだぞ)

ハンスと仲良くなると決めはしたが、今度はハンスを利用するようで心が重い。

だがどうせ大変な目に()わなければならないなら、より好ましい道を選ぶべきだ。

それがオレにとってもハンスにとってもなら一層のこと。

(シャルルのようにならないって決めただろ)

逃げる事だけ考えた2年間のオレとはここで決別しなければならない。

通算何度目かも分からないが決意を固めるのもこれが最後だ。


真っ直ぐにハンスを見つめ――笑ってやる。


「友達、なってやっても良いぞ」

素直に言う事は出来なかったが、オレにしては及第点(きゅうだいてん)だろう。

ハンスは目を丸くし、やがて無邪気(むじゃき)に笑った。

背格好のせいで忘れがちだが、まだ12歳なんだと思わされるあどけなさが見え隠れする。

その笑顔を見ただけで、この選択をして良かったんだと、そう思えた。

だから今日のこの決断を後悔したりはしない。



――ハンス・ウィルフレッド。

それは『ラブデス』の主人公でも何でもない、オレのこの世界での初めての友人の名前だ。

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