55.子猫伯爵と内戦勃発
今日は久々に屋敷に一人だ。
父ラドフォードは今日も変わらず出勤し、兄スコールも領地の視察のために出払った。
姉シルビアは友人に招待され5日程の旅行中である。
もちろん執事クリスティアンを始めとする使用人たちがいるため、完全に一人きりになる事はないのだが、今日この日はオレの天下であると言えよう。
気分だけは最高潮に、オレは談話室のソファにどっしりと腰かける。
普段は父が占有する上座の席だ。
一人掛けのソファに座ったオレは、料理長の作ってくれたお菓子を片手に、部屋から持ってきた小説にのめり込んでいく。
「ん~…、まずはこれにすっか!」
最初に手に取ったのは冒険譚だ。
〝偉大の騎士のなり方〟という、貴族に生まれた男なら一度は読んだ事があるだろうヒット作である。
タイトルだけを見ると指南書にも見えるが、中身は騎士ヴィルフリード・ザガンが体験した奇想天外な冒険が描かれた自伝風の物語だ。
時に激しく、時に面白おかしく綴られる壮大な冒険は、発行されてすぐ男たちの心を鷲掴みにしていったそうだ。
オレも以前読んだ事があるが、夢中になって一気に全5巻を制覇したものである。
「やっぱ1巻からだよな」
最近レフがこの本を読み始めたそうだ。
本の感想を語るレフを見ていたら、オレも久々に読みたくなったのである。
一つ一つが分厚い5冊をひとまとめに積み重ね、オレは第1巻をテーブルの上に開く。
キマイラと呼ばれる、色々な動物が継ぎ接ぎになった恐ろしい怪物に挑む騎士ヴィルフリードの奮闘が書かれているのがこの1巻だ。
(そういや…『ラブデス』にもザガンの名前が出てたっけか)
とりわけ分厚い紙の表紙を捲り、オレはザガンへの既視感を思い出した。
ハンスとアイリスが旅の途中で出会う冒険者の一人がザ=ガンという名前だったはずだ。
作者コメントでも、表記上はザ=ガンとなっているが読み方は区切らずザガンだ、という様に書かれていた覚えもある。
(ヴィルフリードに憧れた口だったんだろうな)
冒険者の中にはヴィルフリードに憧れ小説のような冒険を夢見る者や、ヴィルフリードにあやかった通り名を名乗る者も多いらしい。
『ラブデス』に登場したザ=ガンもきっとその手の人間だったのだろう。
しかし挿絵もなく、一度だけの登場だった彼がどんな人となりだったかは分からない。
シャルルより出番が多かったのはたしかだが、オレが知っているのはワイルドで男らしい容姿と、冒険者の先輩としてハンスを助けてくれた事くらいのものだ。
ハンスを無事アイリスの元へ見送った暁には出会う事があるかもしれないが、渡りの冒険者となればその望みも薄そうだ。
「……にしても意外と覚えてるもんだな」
覚えているというより、芋づる式に思い出しているというべきか。
とはいえザ=ガンを思い出したところで、この先を上手くやり抜くための有力な情報も何もない。
オレは〝偉大の騎士のなり方〟の世界に没頭していった。
右手でページを送り、左手でお菓子と角砂糖の溶けた甘い紅茶を口へ運んでいくスタイルだ。
人払いをした静かな談話室で黙々と本を読み進めていく。
自由に行き来できるように増築してもらった猫用の扉からスミレが顔を出すが、オレが本に熱中していると分かるや否や空いているソファで丸くなった。
オレンジに程近い金の瞳がじっとオレを見つめ、やがて眠気に負けたのか目を閉じる。
クロたちは寒くなってきたにも関わらず、庭で元気に走り回っていた。
オレはミーミーと愛らしい鳴き声をBGMにヴィルフリードとキマイラの手に汗握る戦いを凝視する。
(く~!何度読んでもこのシーンが熱いんだよ!)
内容を知っているとはいえ、熱いものは熱い。
紅茶が冷めるのも忘れ、オレは一心不乱にヴィルフリードの大剣がキマイラを突き刺すまでを駆け抜けた。
そして国を脅かしていた怪物キマイラを倒し、その首を手に城へ帰ったヴィルフリートが言う。
『――俺は責務を忘れた愚か者共を屠るのみ。情報感謝する』
謝礼も何も受け取らず、その言葉だけを残しヴィルフリードは次の冒険へと向かうのだ。
勇ましく男らしいそのセリフに痺れる者は多く、オレも長らく忘れていた息を吐き出した。
「はぁ~、ここでヴィルフリードの方から感謝の言葉が出るのがズルいんだよなぁ。こんなんカッコイイに決まってんだろ」
駆け足気味に1巻を読み終えたオレは、興奮冷めやらぬまま2巻を手に取った。
2巻で語られるのは空を支配する魔物ハルピュイアとの激闘だ。
ハーピーの名でも知られる女の上半身に鳥の足と翼を持つ怪物に、キマイラの時同様ヴィルフリードが単身挑みにいく話である。
分かっての通り、〝偉大の騎士のなり方〟は前世で言うところのアクション系ファンタジー小説だ。
この世界には非常に残念な事にスマホどころかテレビゲームはおろか漫画さえ存在しない。
オペラなどの観劇もあるにはあるが、悲しいかな、あの手のショーはだいたい見尽くしてしまった。
季節ごとに公演内容が変わるとはいえ、演目の種類はそんなにも多くはないのである。
演じる人が変わればまったくの別物――なんて言う人もいるが、オレはそこまで熱中する事は出来ず飽きの方が先にきてしまったのだった。
よってオレにとって数少ない娯楽とも言えるのが、この小説たちなのである。
幸いにも、小説の中の世界だからか本の文化はそれなりの発展を見せていた。
学院でも一人に一冊教本が与えられるくらいに本や紙が流通しており、庶民を含め識字率もそれなりのものである。
庶民の場合、貸本が主流で家に本があるという事は珍しいようだが、それでも世界規模で本が広がっているのだから学問的な水準はけして低くはないのだろう。
そのおかげもあって、こうして小説を嗜む事も、その内容を誰かと語る事も人目を憚らずに行う事が出来る。
(ハンスは読んだ事あんのかな?)
なかったらオレのコレクションを貸してやるのも良いかもしれない。
恋愛小説は無理でも、戦闘に重きを置いたこの作品ならハンスでも楽しめるはずだ。
やはり楽しいものは誰かと共有したいものである。
小説だけとはいえ、十二分以上に満足できる娯楽がある事に感謝をしつつ、オレは2巻の表紙を捲った。
漫画がないと言ったように表紙は文字だけのシンプルなものだ。
挿絵がある本も稀で、あったとしても写実的で少し気味の悪い絵がほとんどだった。
この本には挿絵がないが、いやにリアルな怪物を描かれるくらいなら、初めから何もない方が良いのかもしれない。
文章だけの中表紙と目次を捲り、思い出したように本文に差し掛かる前にと紅茶を口に運ぶ。
「つめたっ」
気温が下がってきたせいか、お茶が冷めるのもあっという間だ。
カップに残っていたお茶を飲み干し、オレはナサニエルを呼ぶ事にする。
テーブルに置かれた呼び鈴に手を伸ばし――はたとその手を止めた。
(起こしたら悪いもんな)
ソファを降り、静かに寝息をたてるスミレの頭を撫でる。
ふごふごと鼻息をもらす姿が微笑ましい。
温かな体温にずっとそうしていたくなるが、本来の目的のためにオレは忍び足でドアを目指した。
「……ん?」
コックに触れようという時、扉一枚を挟んだ向こう側からギャーギャーと騒がしい声が聞こえてくる。
使用人が騒ぐなんて事は、よほどじゃなければありえない話だ。
耳を澄ましたその時、談話室のドアが壊れるのではないかという勢いで開け放たれる。
「へあっ!!?」
思わず叫んだオレにドアを開けた張本人がそのまま詰め寄ってきた。
ツカツカとヒールを鳴らし、派手に着飾った女性がオレの頭から足までをねめつける。
後ずさったつもりが、完全に壁際へと追い詰められてしまっていた。
「ふ~ん?あんなこと言っておいて自分だって新しい女を作ってるんじゃないの」
「え、あの…どちら様で……」
突如として鳴り響いた騒音にスミレも飛び起きたらしい。
サマルの時のように飛び掛かる事はしなかったが、今にも掴みかかりそうな勢いでオレの前に立つ女性を睨んでいる。
羽根の付いた扇子で口元を隠した女は、警戒するスミレを汚いものを見るように一瞥した。
「いつの間にあんな獣を住まわせるようになったの?さっさと追い出して頂戴」
その言葉にムッとするが、オレが声を荒げるより先にクリスティアンが談話室に滑り込んだ。
「マルキーノ様!!」
いつになく焦った様子のクリスティアンが、オレとマルキーノと呼ばれた女の間に割って入る。
オレを背に隠し、クリスティアンは尊大な態度の女を睨みつけた。
それにも関わらず、夫人は悪びれた様子なく、先程までオレが座っていたソファに腰を下ろす。
我が物顔で父の席を占領し、オレのために用意されたお菓子にも手をつけていった。
「主人が帰って来たって言うのに、どの子もなってないわね。あなた、下の教育に手を抜いているのではなくて?」
「お言葉ですがあなたはマルキーノ子爵夫人であり、ミオンに名を連ねる方ではありません。客人としておもてなしする以上の事は出来かねます」
「その名で呼ぶのはやめてもらえる?とっくの昔にマルキーノではないのよ?」
火花を飛ばす夫人とクリスティアンの横でオレはいそいそと小説の回収を始めた。
お菓子はともかく、見知らぬ相手にオレのコレクションを汚されてはたまったものではない。
クリスティアンには悪いがオレはこのまま退場させてもらおう。
本を抱えて退室を試みるが――案の定、夫人はオレを逃がすつもりはないらしい。
「挨拶もなしに出ていくつもり?」
扇子で顔を仰ぎながら、黒曜の瞳でオレを捉える。
まっすぐに降りたワンレングスの長い黒髪と、原色そのままの真っ赤なドレスのコントラストが目に痛く、オレは直視を避けながら夫人の方に体を向けた。
少しずつドアの方へ移動を試みつつも言葉を探す。
そこににこにこととびきりの笑顔を携えたナサニエルがやって来た。
「いや~!何とお美しい!噂はかねがね聞いておりましたが、こんなに凛々しいお方とは知りませんでした。あなた様がいるだけで部屋が一段、いえ数段明るくなったようです!」
オレたちには目もくれず、マルキーノ夫人の前に跪くと、これでもかと褒めちぎる。
一切否定する事なく持ち上げ続けるナサニエルに、目に見えて夫人の気分が良くなっていった。
ナニサエルへと気が逸れた今、オレの事はもう眼中になさそうだ。
(シャルル様!今の内に!)
ナサニエルがウインクを飛ばす。
勇敢な覚悟を悟ったオレはクリスティアンとスミレを引き連れて即座に談話室を離れた。
(ナサニエル…!お前のこと忘れないからな…!)
(シャルル様、孫を亡くなった事にしないで頂きたいのですが……)
オレはナサニエルの決意を忘れる事はないだろう。
無事ナサニエルを生贄に脱出を果たしたオレたちは、ひとまず食堂へと避難するのだった。




