54.子猫伯爵と原石
「ちょっと、何とか言ったらどうなのよ!」
「まあまあ、キャンディスさん。そんな風に詰め寄ったら折角の愛らしいお顔が台無しですよ」
廊下の突き当りで、四人の少女が捲し立てる。
複数の女生徒に囲まれた眼鏡の少女は無表情にその声を聞いていた。
「ジンが優しいからって調子に乗らないで!あなたみたいな不細工、ジンには不釣り合いなのよ!」
「まあ、本当の事を言っては可哀そうよ」
「あら?真実を教えてあげるのも優しさじゃない?」
クスクスと笑う少女たちに、眼鏡をかけたベレジュナーヤ――通称アンナはほとほと呆れていた。
「私の顔が不細工だとして、ユージーンと一緒にいる事に何の問題が?」
アメジストの瞳が冷たく光る。
物怖じしないアンナに気圧され、キャンディスは思わず半歩後ずさった。
「ジンは優しいから!!あなたみたいなのにも手を差し伸べてあげてるの!!」
「ユージーン本人に言われたなら距離をとるわ」
「だから!!ジンは優しいからそんなこと言え――」
「あなたの意思を勝手に人の意思にすり替えないで。私が気に食わないなら、直接そう言えば良いじゃない。こうやって人を呼び出してる時点で程度が知れるのに、我が身可愛さで善人ぶる必要はないと思うけど?」
「なっ…、なによそれ……!!」
「言ったままの意味よ。他に用がないなら私は行くわ。どうぞ好きなだけ私の悪口で盛り上がれば良いんじゃないかしら?」
突き放すように言い放ち、アンナは踵を返す。
しかしキャンディスとてそれを許すつもりはない。
肩を震わせながらも、去ろうとするアンナの前に立ち塞がった。
小柄なアンナに比べ、キャンディスは線が細いといっても背丈だけは一回りも大きい。
ふんわりと広がったツインテールと、裾にもデザインにもフリルが満載のバルーンスカートも相まって、道を塞ぐには十二分過ぎる圧迫感があった。
「あたしがいつあなたの悪口を言ったっていうのよ!?」
「舌の根も乾かない内によく言えるわね。本気で悪口だと思ってないのだとすれば、身の振りように気を付けた方が良いと思うわ」
「小難しいことばっか言って、人をバカにしてるのはそっちじゃない!!」
「キャンディスさんの言う通りよ!私たち、貴族派みたいにあなたたちが庶民だからって侮辱した事はないわ!その言い草は酷いのではありませんか!?」
キャンディスが声を荒げると、彼女の周りにいた少女たちも右倣えで加勢する。
口を揃えて揚げ足を取り、アンナ一人を悪者に仕立て上げようとした。
「私はただ道理を説いているだけよ。馬鹿にした覚えはないわ」
「ほらまた!!そうやって言い逃れするつもりでしょ!?」
話にならないとアンナはため息を吐く。
(……私が謝るまで続けるつもりね)
引く気配のないキャンディスたちにアンナはげんなりとする。
これまでも小言をもらう事はあったが、こうして呼び出されるのは初めての事だった。
どうしたものかと考えあぐねたその時だ。
アンナの前に救世主とも呼べる少年が一枚の紙キレと共に現れた――。
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「はー…将来の夢とか言われてもなぁ」
意識調査のために配られた用紙を持って廊下を歩く。
学生らしい質疑応答ではあるが、ただの調査ではなく、2年次からの授業内容に反映される他、要職からの紹介などにも関わる大事な書類だ。
のんびり生きたいオレには悩ましい話で、提出日ギリギリになっても答えは出ていない。
とりあえず〝領地の管理・運営〟とだけ記載して、オレは提出のために一人教員室に向かうところだった。
ハンスの過保護は相変わらずだが、一人になったからと身構えるような事はほぼほぼない。
ぽてぽてと人の少ない廊下を歩いていく。
「――――じゃない!!」
その時、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
真っ直ぐに伸びた廊下の奥から聞こえたその声は、揉めているのか怒気を孕んでいるようである。
階段の横、倉庫になっているか何かで、曲がってすぐ突き当りになっている場所だ。
人目につかないそこから怒声が聞こえるとなれば、考えられる事態は一つ。
(うわ、やな現場に出くわしたな)
甲高い女生徒の声だけでオレはげんなりとする。
聞き覚えがある気もするが、嬉々として喧嘩やいじめの場面に首を突っ込む趣味はない。
書類の提出もあるし、ここは早々に立ち去るべきだろう。
薄情と言われるのだとしても、これ以上余計な事に関わって、いらぬ誤解を生むのは勘弁だった。
「あっ!!?」
その刹那、窓から入り込んだ突風がオレの書類をさらっていく。
なんてベタなと思う間もなく、風に乗った書類は吹き溜まりとなった突き当りへと消えていった。
(…………ちくしょう)
ここにハンスがいたら、見事な反応速度で書類をキャッチしてくれた事だろう。
だがハンスはもう帰宅済みだ。
語る意味もないもしもから意識をはずし、オレは素知らぬ顔で廊下の奥へと歩いていった。
そう、オレは何も知らない。
ただ単に風で飛んだ書類を取りに来ただけの通行人だ。
書類さえ捕まえたらすぐに立ち去るだけだ。
「――あれ?何してんの?」
そのつもりが、突き当りに集った顔を見て思わず声をかけてしまった。
男爵令嬢のキャンディス・シュガーを始め、キャンディスの親友パメラ・マケロン、ジョセフィーヌ・コロン、子爵令嬢シニョン・ブックマークが一堂に会している。
ユージーンと仲の良い新興派の面々だけに、無視をするのも変な話だろう。
こんなところでどうしたのかと思い――オレは彼女たちに囲まれたアンナを見つけた。
無表情を通り越し、疲弊を浮かべるアンナの表情にオレは嫌でも察してしまう。
(あ…、やっちまったな……)
オレの背中を冷や汗が伝っていく。
それはキャンディスたちも同じで、突如現れたオレに四人揃って驚いているようだった。
「あ、ミオン様…ご、ご機嫌よう」
「ご機嫌麗しゅうミオン様」
キャンディスを先頭に、まるで言い訳でもするようにぎこちなく頭を垂れる。
居心地の悪い空気が流れ、オレも彼女たちも次の言葉を見つける事が出来なかった。
(……テンション上がってただけかもしれないもんな)
ここで彼女たちを責めるのは簡単だが、確証もなしに行動を起こしても良い事はない。
ようやく聖人の通り名も薄れてきたところなのだ。
あの噂がぶり返すのはオレとしても避けたいところである。
オレは一瞬だけとはいえ目が合ったアンナに頷き、何食わぬ顔で微笑んだ。
「盛り上がってるとこ悪いけど、アンナ借りて良い?グループワークのことで相談があるんだけどさ」
もっともらしい事を言うと、キャンディスたちは顔を見合わせる。
咄嗟に断る事も方便をつく事も出来ず、最後には道を開けてくれた。
「あの…あたしたち……」
「何かあった?具合悪いなら帰った方が良いと思うけど」
青ざめた顔のキャンディスに首を傾げる。
言っている意味が分からないというように目をパチクリさせると、彼女はそのまま身を引いた。
一緒にいるパメラが支えてくれているし、このまま放っておいても大丈夫だろう。
ここで起きた事には一切触れず、オレはアンナの手を引いた。
「これ忘れてるわよ」
「あっ!サンキュ!アンナ!」
去り際、アンナが当所の目的の書類を拾ってくれる。
今度は風で飛んでいかないようにぎゅっと握りしめ、アンナと二人、書類は後回しに上の階の廊下へと移動した。
人がいないのを確認してアンナが真面目な顔で問う。
「……助けてくれたの?」
「いや、本気で紙が飛んでっただけ」
「何それ。偶然にしても出来すぎじゃないの」
オレの答えにアンナが声を転がして笑った。
ハンスもそうだが、普段表情の堅いアンナが笑うとついドキリとしてしまう。
人間、特別というものにはめっぽう弱いものである。
「見苦しいところ見せちゃったわね」
その年相応の無邪気な笑みを消し、アンナは短く息を吐いた。
窓の向こうへ視線を移し、やれやれといった風に疲労の色を匂わせる。
「別に見苦しくはないと思うけど…」
「あんな場所に居合わせて気分の良い事なんかないでしょ?」
「それはそうだけどさ」
アンナの言いぶりからしても楽しい会談ではなかったようだ。
二季節かけてハンスへの嫌がらせがなくなったと思えばこれである。
あるいはオレが知らなかっただけで、アンナはずっと一人で苦しんでいたのかもしれない。
「オレで良ければ話くらい聞こうか?」
窓側の壁にもたれかかり、アンナに話しかける。
アンナもオレの隣に背をつけ、振り返るようにして窓の外を見つめた。
「ユージーンから手を引け――ですって」
さして悩む素振りもなくアンナが答える。
どうやらユージーンを巡って仁義なき戦いが巻き起こっているようだ。
男のオレから見ても良い奴だと思うが罪深い男である。
「キャンディスだっけ。あの子、ユージーンのこと好きっぽいもんな」
「それならそれで良いじゃない。どうして私に手を引けなんて言うわけ?」
不満げに呟いてアンナがオレを見つめた。
心の底から訳が分からないというように疑問を浮かべている。
いつも勉学に励む彼女だけに、そういった感情には疎いのかもしれない。
「ユージーンがアンナを好きか、アンナがユージーンを好きって思ってるからだと思うけど。ライバルは早めに潰しておきたいってやつじゃね?」
「…………私が?」
アンナが眼鏡の奥で目を微かに小さくした。
熟女好きのユージーンがアンナを――というのは考え難いし、この場合アンナがユージーンを好きという方がしっくりくるだろう。
しかしアンナ本人は、信じられないと言いたげに眉を顰めている。
「ユージーンのこと良いなって思ったりしねーの?一緒にいると楽しいとかさ」
「一緒にいるのは楽しいわ。でもそれは他の人といてもそうよ」
「楽しい以外にも緊張するとか、他の人と一緒にいるのが嫌とか、そういうの思ったりしない?」
「…………そんなの考えた事もないわ」
アンナがぶっきら棒に顔を背ける。
窓から差し込む光で陰る横顔は、ずっと大人びて見えた。
だがたしかに、急にこんな事を言われても困るだけだろう。
そう思ったオレは軽く笑って話を流す事にする。
「まあ、ユージーンは誰にでも良い奴だもんな」
「そうね。誰にでも………」
ふとアンナが言葉を止める。
オレも喋るのを止め、アンナを見つめた。
風になびく三つ編みが揺れ、切なさを帯びた空気が廊下を抜けていく。
肌寒い風のせいか、小高いアンナの鼻には赤が差していた。
その風が吹き去ってようやく、アンナは口を開いた。
「私が貴族だったとしても、頭が悪かったとしても、今みたいな関係になれてたかしら?」
その問いに、オレは黙って頷いた。
ユージーンはそんなちょっとした事で態度を変えるような男ではない。
それだけは自信をもって言えた。
オレの無言の回答に、アンナは大粒のアメジストを僅かに揺らす。
「そっか、これを――好きって言うのね。彼と話す時間も、彼の笑った顔も、彼の付けてくれた名前も全部、私にとっては特別で大切なものなの。ユージーンの一番だったら良いなって思ってしまったの」
夕焼けを移し込む紫がキラキラと光って見えた。
その顔はつきものが取れたように澄んでいる。
「私、ユージーンが好き」
飛び出すように一歩前に進み、アンナはオレを振り返った。
夕日に照らされた顔は泣きそうに歪んでいる。
「でも私……」
「でもも何も、誰を好きになったってアンナの自由だろ」
「違うの。私はあなたたちとは……」
それ以上口にする事は出来ず、アンナはその場に項垂れる。
「庶民だからなんて言わないよな?ユージーンはそんなの気にする奴じゃないだろ」
「………それは知っているわ」
「アンナが何を悩んでるかは知らないけどさ、ユージーンならきっとどんな事でも受け止めてくれると思うけどな。理屈を並べるのはユージーンに好きって伝えた後でも良いんじゃないか?キャンディスたちにも正面からぶつかってやれよ!アンナの得意種目だろ?」
へっと笑うと、アンナはどこか悲しげに微笑んだ。
「そうね、それも悪くはないわね」
やはり泣きそうに微笑んだまま、アンナは吹き込んでくる風を一身に浴びる。
「聞いてくれてありがとう。何だかスッキリしたわ。ただ今日の事はテウルゲネフには秘密にしてくれる?」
以前レフに助けられた時、レフも似たような事を言っていたのを思い出す。
仲が良いからこそ知られたくない事も多いのだろう。
オレはしっかりと首肯する。
「それと、忘れずに出しに行くのね。遅くなると怒られるわよ?」
「あ!そうだった!じゃあオレ行くな!」
少しばかりぐしゃぐしゃになった紙を掴み、オレは教員室を目指す。
提出さえ終われば帰るだけのため、アンナとはここでお別れだ。
(――にしても、アンナとユージーンか)
背中にアンナの視線を感じながら、オレはほぼ駆け足で廊下を進む。
レフとは違う意味で気の合う二人だ。
似合いの組み合わせに、付き合う前だというのにオレは自分の事のように嬉しくなる。
(上手くいくと良いな~!)
もし二人が結ばれる事があれば、その時には盛大にお祝いしよう。
自分にも良い縁がある事を期待しながら、オレは中身のない書類を提出するや否や帰路についた。




