53.子猫伯爵と分厚いレンズ
平穏な学院生活の何て素晴らしい事か。
顔を合わせる度に悪態を吐いてきたサマルたちも大人しく、いちいちやっかみを入れられる事もない。
多少の視線に目を瞑れば、何の変哲もない学生生活だ。
そうでなくてもオレたちが通うのは名門・神学院なわけで、授業に集中しなければあっという間に置いてけぼりになってしまいそうだった。
グレイトフル・フォン・ケンネル教授が担当する神学の授業も、最近ではヨナによってもたらされた被害について触れ始めている。
オレたちが暮らす『聖なる大地クーラ・アース』も、遠い昔はもっと大きな大陸だったらしい。
初代国王――つまり強き魂を持つ翼ある獣がヨナの大群と戦った際、大地が削れ人の住める場所が減ってしまったのだそうだ。
どこまでが本当の事かは分からないが、地図を見るに前世で暮らしていた世界よりは小さいのではないかと思われる。
(ユ…ユー…何だっけ。あっちの大きい大陸くらいか…?)
自分が生まれた島国に比べれば遥かに大きいが、世界全土で見ればおそらく半分ほどだ。
海の向こうが一切開拓されていない事もあり、人の住める場所はだいぶ限られている。
加護術は実技訓練が続いている。
オレがやる事と言えば、トラスティーナ教授との鍛錬で傷だらけになったハンスを治す事くらいで、ハンス専属ヒーラーになりつつあった。
たまに加護の暴発や力加減の失敗で怪我をした連中を相手にする事もあるが、ほぼほぼハンス専属である事に変わらない。
その中でも同系統の加護を持つ生徒同士での会談は楽しいものがあった。
70人もいれば海の加護だってそこそこの人数にはなる。
オレの他に癒しの力を手に入れた侯爵令息シャレド・サフィール、伯爵令嬢ステラ・クラレンス、男爵令嬢ニーナ・ジルコンと加護の使い方について語らう時間は実りあるものだった。
一重に癒しと言っても、その効能は様々だ。
単純に傷や怪我を治療するオレやニーナとは違い、シャレドが扱う加護は解毒に特化した能力なのだそうだ。
ステラの加護も直接傷を治すものではなく、何の変哲もない水から癒しの効果のある聖水を生成するものだという。
回復能力は下がるが、聖水として持ち運びが出来るのは大きな利点になるだろう。
加護についてはまだ知らない事も多く、それぞれの特徴や得手不得手を話し合うのは心躍るものがあった。
そこにはトラスティーナ教授への恐怖が薄れた事もあるだろう。
ハンスの師匠であり、弟子同様に不器用な教授を恐ろしいと思う事はほとんどなくなった。
一向に笑った顔を見た事はないが、やる気に満ちたハンスを見れば良い関係を築けている事は分かる。
この先も二人が師弟として絆を深めてくれるなら言う事はない。
言語の授業はというと、半年も過ぎれば難易度が上がってきた。
基礎言語は周辺国家の文化を学ぶ段階に入り、それとは別に応用言語では女神の時代に使われたと言う古代語を学んでいる。
一神教の都合か、大陸全土で主だって使われる言葉は9割がた統一されているため苦労はない。
代わりに神の言語とも呼ばれる古代語は何を言っているのかさっぱりだった。
歴史を紐解く上では必須らしいが、絵文字なのか象形文字なのかも分からないミミズ文字の羅列を見させられても理解に苦しむだけだ。
口頭でなら覚えられても、音と見た目と意味とを揃えて記憶できるのはまだまだ先になりそうである。
そして今から行われる授業は礼節・マナーだ。
基礎言語で習う礼節が座学だとすれば、こちらは実技・実演だ。
挨拶の角度に始まり、テイーカップの持ち方、ナイフの置き方一つまで事細かく教えられるのがこの授業だった。
「さあ、皆様。今日は実際にペアを組んで踊って頂きます。こちらでペアを決めましたので、その相手と一曲踊ってみましょう。当然エスコートも忘れずに。音楽が始まる前からダンスは始まっているのですからね」
注目を集めるために壮齢の女性が手を叩く。
コルセットで締められた細い体を真っ直ぐに伸ばし、彼女は樹木のようにその場に立っていた。
「アマレット先生と踊りたかったな……」
凛と佇むアマレット・ニール教授を、隣に座るユージーンがうっとりと見つめている。
変な事を言っている気がするが聞き流しておこう。
ぼーっとするユージーンを置いて、オレは一人の少女の前に立った。
オレの他にも広いホール型のサロンに集まった生徒の3分の1程が立ち上がり、ペアとなる女性に手を差し延べていく。
貴族のマナーといえば社交ダンスもその一つだ。
当然礼節やマナーの授業があればダンスの習得も必要なわけで、今日はその実演の日だった。
オレはいくらか緊張した心持ちで、目の前の少女に頭を垂れる。
「――オレと踊って頂けますか、レディ?」
自分でも歯の浮くような臭いセリフを吐く。
照れ臭さでむずむずするが、これも授業の一環なのだから我慢あるのみだ。
「こちらこそ喜んで」
噴き出すのを堪えているのだろう。
大きな眼鏡がずれるのを直しもせず、アンナがオレの手のひらに指を乗せた。
その手を握りしめ、オレはアンナと共にホールの中央へと歩いていく。
「よろしくお願いします、ミオン様」
「それやめね?」
「それ、と言われても分かりかねます」
「だから敬語だって。気にしてないって言ってんじゃん」
オレのペアに選ばれたのはアンナだ。
体格が近い者同士が選ばれる事もあって、小柄なオレの相手になったのは同じく小柄な彼女だった。
(……小さいわけじゃねーし)
誤解がないように言えば、オレが極端に小さいというわけではない。
周りが大きいだけでオレだって160㎝はあるのだ。
それだって入学当時の話で、今測れば165㎝くらいはあるのではないだろうか。
とはいえ成長するのは皆も同じだ。
背の順に変化はなく、ハンスに至ってはゆうに180㎝を超えたようだった。
(見上げるオレの身にもなれっての)
ハンスが大柄なのは置いておいても、この世界の平均はざっと見る限り前世のものを上回っている。
オレよりほんの少し大きい程度だったユージーンも、今ではオレより10㎝は大きいのではないだろうか。
成長期なのもあって、皆めきめきと大人らしい体つきになっていた。
レフだけは小さいままだったが、この年齢であの大きさは少し不安になるレベルだ。
(けどレフにまで大きくなられるとな……)
下から数えた方が早いオレはレフに複雑な感情を抱きつつ、アンナの腰に手を添える。
アンナも成長が遅いのか、こうして並ぶとそれなりに差があった。
しっかり者の彼女はどうしても大人っぽく見えていたが、いざ傍に立ってみるとその華奢っぷりに驚かされてしまう。
「ミオン様、集中してください」
「……分かってるって」
妙にドギマギしてしまい、ぶっきら棒に返事をする。
体よくオレの願いは流されてしまったが、今はそれどころではない。
教授の奏でるピアノの音が響き、オレはアンナの足を踏まないように最初の一歩を踏みだした。
自信はなかったが、小さい頃から教えられただけに体は何とか動いてくれる。
アンナはやはり経験がないのか、かなりぎこちない動きだった。
正確ではあるものの、ロボットのようなキチキチカクカクとした所作につい笑ってしまう。
「……笑いましたね?」
「だって、あんまりにも固いからさ」
「しかたないでしょう?こういう風に他人と触れ合う事がなかったんです」
踊りながらアンナが唇を曲げる。
照れが勝っているのか、その頬は普段より赤みが差して見えた。
「レフとはあんなに仲良いのに?」
「…………テウルゲネフとだけです。他の人には嫌われてましたから」
「……そっか」
気の利いた返し一つ出来ずに、ぐっとアンナを抱き寄せた。
振り回しすぎないように細心の注意は払い、回転と一緒にアンナの背中に手を回す。
三つ編みが揺れ、眼鏡の奥のアメジストがオレを見た。
練習のためとはいえ、女の子を間近に抱き寄せるのは心臓に悪いものがある。
その恥ずかしさついでだ。
「オレはアンナの正直なとこ好きだけどな」
恥ずかしさから逃げられない今だからこそ、普段は照れ臭くて言えない事をアンナに伝えた。
オレはアンナの事を頼りになると思っているが、性格や物言いのキツさを否定しきれない。
前世然りこの世界然り、アンナのように何でもかんでも正直に言葉にする事はあまり好かれないだろう。
女の子同士ではとりわけ煙たがられるタイプだろうとも思う。
それでもオレは、彼女の聡明なところもキツイながらも真っ直ぐな言葉も嫌いではなかった。
誤魔化すようにへへっと笑ってやると、アンナは一瞬だけ目をまん丸にする。
そして次には大きな瞳を細めて微笑んだ。
「私も好きよ、あなたの素直なところ」
「あ!今普通に喋った!」
「何よ、シャルルがそうして欲しいって言ったんじゃない」
わざとらしく唇を尖らせてアンナが笑う。
どこか意地悪いその顔は魔女のようでもあり、小柄な少女とは思えないくらい妖艶でもあった。
初めて見るアンナの一面にドキリとしてしまい、足が滑りそうになる。
「あ、ゴメン」
「このくらい大丈夫よ」
コツンと靴と靴がぶつかるが、かろうじてアンナの足を踏まずに済んだ。
次のステップのために手を合わせると、彼女が顔を綻ばせる。
「私ここに来て良かった」
ステップはまだ固いが、アンナの言葉は驚くほど柔らかい。
「最初は退屈だったけど、ユージーンが話しかけてくれて、シャルルと仲良くなって、ここに来て良かったって思ってるの。テウルゲネフだけじゃない。ここには私を認めてくれる人がいる。不思議だけど、あなたたちとなら何をしても楽しいの」
アンナが花を咲かせたように笑う。
大粒のアメジストがキラキラと光を反射していた。
「ってか、じゃあ何でオレを避けて?ん?気遣ってた?わけ?」
「あ、それは……、私、勘が良いのよ。第六感なんて言ったりもするわね。初めて挨拶をした時、あなたから得体の知れないものを感じたわ」
「え、何それ…、怖……」
「怖がる事はないわ。たぶんシャルルを守ってくれてるんだと思う。今でもそれが何かは分からないけど、悪いものじゃないのはたしかよ」
手が離れたのを逃さず、アンナがずれた眼鏡を直す。
その中でチラリとレフに視線をやった。
「本当は私よりテウルゲネフの方がそういうのは詳しいの。ただちょっと…テウルゲネフはあんなだから。でもテウルゲネフが何も感じてないって事は安全なはずよ」
さりげにレフを下げながら、アンナが一人で納得するように頷く。
頭の良いアンナが言うのなら、本当に危ないものではないのだろう。
(――もしかして女神の何かとか?)
まったく覚えはないが、転生あるあるらしくオレにも女神からの贈物があるのかもしれない。
(でもなぁ、今まで特別良い事もなかったしなぁ)
思い当たるのも、人より神力を扱える量が多い事くらいだ。
MPと魔力が高い―なお消費も多い―というだけで、他に特別優れたものがあるわけでもない。
聖人なんて呼ばれたりもしたが、それだって不可抗力のようなものだ。
考えても悲しくなりそうなだけのため、深く考えるのはやめにする。
そうこうしている内に音楽が止み、オレはアンナに頭を垂れる。
アンナもワンピース状のスカートの裾をつまみ、ぺこりと頭を下げた。
挨拶まで固い動きだったが、それもアンナらしいと微笑ましい気持ちになる。
「お相手感謝するわ」
「こっちこそ。次はレフと?」
「ええ。あまり期待はしてないけど」
女生徒が少ない事もあってアンナはこの後も出ずっぱりだ。
オレと入れ替わりにやって来たレフと手を取り合い――間もなく踊り始めた。
「あちゃ……」
だがアンナの予想通り、レフの踊りは目が当てられるものではない。
ぶんぶんと勢い良くアンナを振り回し、何度も互いに足を踏み合う始末だった。
「なかなか大変そうだね」
「ほんとな」
男爵令嬢キャンディス・シュガーを伴って、一曲踊り終えたユージーンがやって来た。
可愛いを詰め込んだようなキャンディスは、よく言えば原宿系、悪く言えば奇抜な恰好の少女で、ユージーンにべったりとくっついている。
ダンスパートーナーになったのを良い事に、ずっとユージーンに腕を絡めているようだ。
「ミオン様は素敵なダンスでしたよ。よかったらアタシとも踊ってくださいね!」
「どうも。機会があればぜひ」
ピンクの口紅が乗った唇が弧を描く。
あまりオレの好みではないのもあって、へらへらと笑って流しておいた。
ぼんやりとした前世の記憶を辿っても、彼女のようなタイプはいささか苦手意識がある。
「クスクス、彼女あまりダンスは得意じゃないのね」
「そうかな?初めてであれなら凄いと思うよ」
「もう!ジンったら本当に優しいんだから!でもそうね、初めてあれだけ踊れるなんて、きっとたくさん練習したのね」
何んとなしに棘を感じるキャンディスの物言いに、ユージーンも苦笑気味だ。
オレも曖昧に笑みを溢し、ホールで踊るハンスを探した。
(お、いたいた)
アンナ以上に固い動きのハンスが、男爵令嬢のミラ・クロッシュと踊っているのを発見する。
ユージーンの顔見知りで新興派の彼女が相手なら何の問題もないだろう。
当のハンスがやたらと嫌そうな顔をしているのは、カクついた動きの通りダンスが苦手だからだろうか。
(運動神経は良いはずなのにな。にしても――)
体格に恵まれたハンスの相手に選ばれるだけあって、ミラはスラリと背の高いモデルのような女性だ。
顔つきも大人っぽく、凛々しさを感じさせる少し太めの眉毛も好印象だった。
オレにまで可愛い子ぶるキャンディスには悪いが、オレの好みは断然こちらである。
憧れに近いものもあるかもしれないが、オレは昔から綺麗でかっこいい女性が好きだった。
「ジンったらどこ見てるの?」
にこにことハンスとミラを眺めるオレの横で、ユージーンもニール教授を見つめている。
キャンディスだけは不服そうにしていたが、オレとユージーンは揃って目を肥やし続けるのだった。
その時間も終わり、ハンスたちが戻ってくる。
「お疲れ!」
「ああ。あまり良い出来ではなかったが……」
ハンスがぎこちなくミラを見る。
ミラは他の生徒と話し込んでおり、すでにハンスは眼中にないようだ。
「アンナとレフもお疲れ。大変だったろ?」
「ほんとよ。あそこまで酷いとは思わなかったわ」
戻ってきた二人にも声をかける。
アンナが大袈裟にため息を吐くとレフはその場に項垂れた――かと思えば大きな目でアンナを見る。
「あれ?いつの間に仲良くなったんだー?」
「別にいつだって良いでしょ」
「そっかー!でも良いと思うぞ!シャルルも良かったな!」
つっけんどんなアンナに構わずレフが笑う。
オレもつられて笑い、アンナもふっと笑みを溢した。
「改めてよろしくな、アンナ」
「ふふっ、そうね。これからも仲良くしましょう?」
念願かなってアンナとの距離が詰まったオレは嬉しくなって顔を綻ばせた。
ダンスが終わって気が緩んだ事もあるだろう。
頬を緩ませるオレを、ハンスも穏やかな表情で見つめていた。
柔らかなその顔を見つめ返し、もう一度アンナへと視線を戻す。
分厚いレンズの向こうに見えていたアメジストが、やっと近いものに感じられた。




