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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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52.子猫伯爵と夢の終わり

「やめ――っ!!」

殴られる――そう思った瞬間に目が覚めた。

肩で呼吸をし、自分が寝室にいる事に気が付いてようやく、それが夢だったのだと理解する。

(笑えねぇ……)

じんわりと浮かんだ汗を拭い、体を覆っていた毛布を蹴り飛ばした。

ひんやりとした空気に身震いを一つ。

まったく寒くないわけではないが、汗が引くまで冷えた空気に体を(さら)す。

(……怖すぎんだろ)

サマルを叩きのめした時のハンスの姿を思い出す。

夢の中でオレを殴ろうとしていたハンスの形相はまさにそれだった。

行き場のない怒りと憎しみ、そして苦しみによって歪んだ顔がオレを見下ろしていた。

涙を(こぼ)さないのが不思議なくらい辛そうな青が、いやに鮮明に記憶に残っている。

『ラブデス』に描かれたシャルル・ミオンの追体験のようなその夢に、オレは意図せずため息を()き出した。

(少しでも違ったら、そうなってたんだろうな)

それは本当に起こりえていたかもしれない悪夢だ。

オレがオレとしての記憶を思い出す事がなければ、夢か、あるいは原作の通りに殴られていたのだろう。

サマル相手でさえ手も足も出なかったオレだ。

そのサマルを一方的に殴り潰すハンスに襲われたとなっては、命がいくつあっても足りる気がしない。

まるで逃れる事は出来ないと喉元にナイフを突きつけられている気分になって、オレはバッと薄手の毛布をかぶり直す。

頭まですっぽり覆い隠し、柔らかなベッドの上で丸まった。

(……大丈夫だって。約束してくれただろ)

祈りでも捧げるように何度も大丈夫だと言い聞かせる。

普段はあんなに人に襲い掛かってくる睡魔も、こういう時に限ってやって来ない。

世界に一人きりになってしまったような気分で、拭いきれない不安と戦い続けた。

「おはようございま~す」

こんもりとベッドの中で(うずくま)るオレの耳に、気の抜けたナサニエルの声が届いた。

眠り直す事が出来ないまま朝になってしまったらしい。

「……はよ」

毛布の隙間から顔だけ出し、ナサニエルの顔を見る。

目の下に口の下におでこに首にとほくろのたくさんついた顔が見え、オレは少しばかりほっとした。

ずるずると重なり合った布の塊から抜け出し、されるがまま身支度を整える。

「酷い顔してますよ」

「ん。ちょっとやな夢見ちゃって」

「じゃあ今日は添い寝してあげましょうか?」

「……いらない」

へらへらと笑うナサニエルを見ていたら、悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。

12歳ともなれば前世で言っても中学生だ。

オレは学生のためまだまだ子供に見られがちだが、特に庶民においては10歳を越えれば立派な働き手として大人の仲間入りを果たす事になる。

それを差し引いても、この世界では15歳にもなれば(まが)う事なき成人だ。

卒業と同時に就職や結婚をする人たちも多いのだし、いつまでもオレだけが子供気分でいるわけにもいかないだろう。

もっともオレが目指すのは悠々自適な生活ではあるのだが、だからといって子供扱いされて嬉しい事はない。

支度を終えたナサニエルの手を振りほどき、オレは早足に食堂へと向かっていった。

「おはよう父さん」

「おはようシャル。寒くなかったかい?」

食堂では父ラドフォードがすでに食事を始めていた。

兄スコールも朝食に手をつけており、来ていないのは姉シルビアだけだ。

朝はそれぞれに用事があるため、こうして顔を合わせる事もその(じつ)珍しい。

今日は時間に余裕があるようだが、父がオレと同じタイミングで席に着く事は稀だった。

「今日の朝食はシャルが言っていたハサミパンを作ってもらってね」

「たくさんあるからシャルルの好きなだけ食べるんだよ!」

二人が揃って親子らしくよく似た微笑みを浮かべる。

オレの目の前に差し出されたのは見知った形のハサミパンだった。

父と兄はご丁寧かつ上品にナイフで細かく切って食べているが、何とも不思議な光景だ。

オレはそんな二人を尻目に、厚切りのベーコンが挟まれたパンに直接(かじ)りついた。

「お!冒険者流だね!」

「シャルは器用なのだね。私もやってみようと思ったのだが…具が零れて上手くいかなかった」

「ひっはひふぉさへへふぁふほふぉふぇふぁいよ」

もごもごと懸命に口を動かすオレを二人はにこやかに見つめる。

マナーがなっていないと怒る事はなく、冒険者流だと笑ってくれるのがオレの家族だ。

「あら、リスみたいで可愛いわね」

「んー!」

遅れてやって来た姉がパンパンに膨らんだオレの頬をつつく。

そして怪訝(けげん)な顔一つせず、父と兄と同じようにハサミパンにナイフを入れていった。

「たまにはこういうのも良いわね。ロータウンで流行っているんでしょう?」

「そうらしいね。冒険者に人気なんだとか」

「これなら使用人たちにも食べやすくて良いだろう。貴族の間でも流行るのではないだろうか」

食べるために口を動かすオレとは違い、父たちはハサミパンの是非について話し合う。

お洒落じゃないやら庶民の食べる物だと(ののし)る事はせず、広い視野で物事を考えられるのは彼らの凄い所だ。

相槌だけを打ちながら、オレはテーブルに積まれたパンに次々と手を伸ばしていく。

(ハンスの言った通りだったな)

冒険者たちの間で流行り始めていると言ったように、オレたちが店に足を運んで以降、王都ではハサミパンが注目を浴びていった。

ハンスの故郷カルバにもその勢いは伸び、とりわけ庶民の間で大流行を起こしているようである。

(んー…次に行く時は難しいかな)

もう一度アレッポに行こうとハンスと約束をしていたが、この様子ではそれも難しそうだ。

父たちが目を向けるように、この先は貴族もハサミパンの事業に参入していくとなれば、元祖ハサミパンのアレッポの味を口にする事は至難の業になるだろう。

ハサミパン専門店に成り代わっているだろう食肉店アレッポを思い出し、オレは手に持っていた最後の一切れを口の中に放り込んだ。

「ごちそうさま!」

「お腹いっぱい食べた?足りないなら私の分もあげるわよ?」

「前より落ち着いてるし大丈夫」

一人で大半を平らげた上に姉の分まで奪うつもりはない。

少しはマシになってきているのもあり、オレは満たされた腹を抱えて椅子を立った。

父は登城(とじょう)、兄は領地運営、姉はパーティー、そしてオレは学院と予定が詰まっている以上、いつまでものんびりしているわけにもいかない。

短い一家団欒(いっかだんらん)を終えたオレたちは、それぞれが行くべき場所へと(おもむ)いていく。

「気を付けて行ってくるんだよ」

「分かってるってば。兄さんこそクリスティアンのこと困らせるなよ」

「はは…シャルルに言われると痛いなぁ」

家に残る兄と使用人たちに見送られ、オレも貴族が乗るには少し質素な馬車へと乗り込んだ。

学生生活を送る上では馬車も服もほどほど程度が丁度良い。

いつものブラウスとパンツとブーツに、防寒のためのジャケットを羽織り、オレは今日も長閑(のどか)なミオンの領地を出発する。

サマルも大人しくなり、学院での生活も日々穏やかなものだ。

(課題は……やったよな、うん)

課題に追われると言う学生らしい悩みだけを抱え、オレは今日も神学院(アーク・マナリア)へと向かう。

ハンスと何を話そうかを考え――ふと腕に視線を落とした。

オレの左手首をハンスに貰った腕輪が飾っている。

何度見ても猫の牙には見えない大きさだが、お守りと言うし身に着けておいて損はないだろう。

(つや)やかな表面をなぞり目を閉じる。

ようやく舞い戻ってきた眠気に、ふわぁ…と涙を伴う欠伸(あくび)(こぼ)した。

(信じるって言ったのはオレだもんな)

いつまでも不安になっていてはハンスに合わせる顔がない。

今日の夢だってオレの疑心が見せたものに他ならないだろう。

(チートだったらこんな悩まなくて済んだのにな)

心の中で笑う。

(けど…頭が良くて、腕っぷしも強くて、加護(アーク)もチート級の自分なんて想像できないよな)

そんな人間になったとして、果たして真っ当に生きられるのだろうか。

驕る事なく、他者を無意味に傷つける事なく、普通に生きていける事が出来るのだろうか。

(…………無理だな)

今のままで有り余る程のものがあるのだ。

ない知識を絞って、時にハンスやユージーンの力を借りて、それで良いじゃないかとオレは一人納得する。

いくらかスッキリした頭で、オレはいささか遅い二度寝へとしゃれ込んだ。

オレはただ自分にあるものを使ってのんびり気ままに過ごすだけだ。

今度こそ良い夢が見られるようにと願いながら、今日も今日とて夢の世界へと旅立った。

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