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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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▼.ハンス・ウィルフレッド

薄暗い森の中、一人の男と一人の女が身を寄せ合った。

パチパチと火花を飛ばす炎だけが二人の()り所で、(まき)をくべる手にも自然と力が入る。

真っ黒な空には星が点在するが、その光はあまりに遠く頼りにするには心許ない。

火を絶やさぬよう、男は再び乾いた木片を焚火(たきび)の中へと投じた。

「…………寒くないか?」

「私は大丈夫です。ハンスさんこそ風邪ひかないでくださいね」

木材を焦がす音に潰されそうなくらい二人の声は小さい。

それだけ夜の森には危険が潜んでいるからだ。

夜行性の獣に出くわすだけなら良いが、腹を空かせた獣に襲われる可能性だってある。

それですらまだ可愛い方で、最悪ヨナと対峙する事も念頭に置かなければいけなかった。

元々口数の少ない男――ハンスはマントで体を(おお)い直す。

銀色に髪に銀色の瞳を持った、どこか神々しさすら感じさせる少女アイリスは手に持ったカップをゆっくりと口へと運んだ。

ほんのりと温かいお湯が長旅で乾いた喉を潤わせた。

「この前の続きなんですけど……」

一息(ひといき)ついたアイリスが、赤に黄色にと色を変えながら燃える焚火を見つめながら話し出す。

銀色の髪に炎の色が映り込む姿は、どこか幻想的なものがあった。

まるで炎の精霊が現れたのではないかと思う程、その姿は儚くも美しい凛々(りり)しさを漂わせる。

髪と同じく赤く燃える瞳が、ゆっくりとハンスに向けられた。

「私、学校というものに通った事がなくて。学院について教えて欲しいんです」

「そう楽しいところじゃない」

「それは……ハンスさんにとっては、ですか?」

「…………そうだ」

自分を見つめるアイリスから顔を逸らし、ハンスは顔を伏せた。

ハンスにとって学院での生活はどう取り(つくろ)っても楽しいものではなく、学院に期待を寄せるアイリスに話せるようなものはない。

しかしアイリスもそう簡単に諦める女ではなかった。

繊細で気弱そうな容姿に反し、一人家を飛び出すだけあってその芯は常人よりも遥かに固い。

もう一度だけというように、アイリスは微笑んだ。

「話してみたら変わるかもしれませんよ。過去の事なんだって笑い飛ばせるようになるかもしれませんし、私で試してみるのはどうですか?」

「試すも何もそれで楽になるならとっくの昔に話している」

「そんなこと言って、試した事すらないでしょう?」

アイリスが唇を尖らせる。

ハンスは見て見ぬふりをしてあまり美味しくない干し肉を頬張った。

冒険者の間でハサミパンなるものが流行っているらしいが、数週間、下手をしたら数か月単位で街に寄りつかないハンスは、いまだハサミパンに手を出した事がない。

長旅に向くという話もあるが、それもせいぜい1週間程度だろう。

高い金を払って食べるものでもないと、購入するのは決まって切れ端を干しただけの肉切れだった。

堅い繊維(せんい)咀嚼(そしゃく)するハンスに、アイリスが苦笑を漏らす。

「難しく考えなくて良いんですよ。話せる事だけで良いんです。ハンスさんのこと知りたいとは思ってますけど、過去を暴きたいわけじゃありませんから」

「それは、分かっている」

「ふふっ、じゃあ学院のこと聞かせてください。今日は一緒に火の番をしましょう」

「そうまでして聞きたいのか……」

アイリスに促され、ハンスは5年前の事を思い出す。

12歳になる年、今は絶縁となった父の勧めで学院に通った日々の事を。

(……少しは楽になるだろうか)

誰にも話した事のない過去が、いつまでも己を(さいな)んでいる事をハンスは知っている。

優しく微笑むアイリスに(ほだ)されたとは言いたくないが、その忌まわしい記憶を追い払うように、ハンスはゆっくりと口を開いた。

「俺には――」


友達と呼べる人はいなかった。

人より大きく育ってしまったハンスはどうにも恐ろしく見えたらしい。

生まれ育った街でさえ、ハンスと仲良くしようとする者はいなくなった。

何も初めからそうだったわけではない。

幼い頃は友達と呼べる相手も多く、かけっこをして、力比べをして、釣りや畑仕事に励んで、彼らと共に日々を送った。

おかしくなったのは7歳を過ぎた頃からだ。

ハンスの体はどんどん成長し、あっという間に他の子供より大きくなってしまった。

かけっこをすればハンスが1番早く、力比べでも年上だろうが大人だろうが勝てる相手はいなくなった。

畑仕事だって、ただ普通に手伝うだけで大人顔負けの成果を出したものだ。

「ハンスと遊んでもつまんない」

いつしかそう言われるようになった。

その言葉が体だけ大きくなってしまったハンスに突き刺さる。

「何やってもハンスが勝つじゃん」

「手加減するだって?何だよそれ、そうやってオレらのこと見下してんのかよ」

「うちの母ちゃん、何かにつけてハンスを見習えってうるさいんだよな」

「同じ歳っておかしいだろ。アイツほんとはヨナなんじゃない?」

仲が良かったはずの皆が口を揃えてハンスを否定した。

瞬く間にそれは伝染し、気が付いた時にはハンスと遊んでくれる人はいなくなっていた。

大人たちも最初こそ(かば)いはしたが、結局一番可愛いのは自分の子供だ。

やがて大人たちでさえハンスを(うと)むようになっていった。

唯一味方だった家族でさえ、どこか気を遣うようにハンスを扱う始末だ。

母親のエリンだけは変わらず息子に寄り添ったが、厳格な父親カーターは腫れものでも触るように冷たくなっていった。

会話らしい会話もなくなり、言われるのはこの状況に対する小言だけだ。

そんな中、9歳になったばかりのハンスにカーターは切り出した。

「ハンス、学院に行きなさい」

誰とも喋らず力仕事に打ち込むハンスへとカーターは告げる。

(……父さんも俺を追い出したいのか)

10歳を越えれば子供というほど子供ではない。

貴族でもなければ立派に働きだす頃合いでもあり、責任ある人間として認められてもおかしくはない年齢だ。

学院へとは言うが、(てい)よく家から追い出したいだけだろう。

「聞いているのか、ハンス」

「……はい」

「裕福というわけじゃないが、うちは幸い金がある。お前一人を学院に通わせるくらいでのっぴきならなくなるような商売はしていない」

ハンスは上の空で話を聞き流す。

言い訳でしかない口上(こうじょう)を述べず、分かりきっている結論を伝えて欲しかった。

「事業が大きくなれば貴族を相手にする機会も出来るだろう。お前がそのパイプを作るんだ。ついでにその性格を直してこい」

「……え?」

ハンスは荷運びをしていた手を止め、カーターを見つめた。

カーターは気まずそうにハンスを見つめ返し、誤魔化すように咳ばらいをする。

「この街はお前にはさぞ狭い世界だっただろう」

カーターの目は遠くを見ているようだった。

「学院には大陸中の人が集まってくる。そこにならお前より強い人も、大きい人も、いくらでもいるだろう。お前の事を理解してくれる人だっているはずだ」

「父さん……」

「私はお前の育て方を間違ったと思った事はない。学院に行く間に悪い噂も少しは収まるだろう。お前が立派な人間だという事を皆に教えてやれ」

予期しない、けれど子供を思いやる父親の言葉にハンスはぐっと感情を堪える。

みっともなく泣くわけにはいかなかった。

「必ず…!必ず期待に応えます!」

その日からハンスは勉学に明け暮れた。

商会を営む家に生まれた事が幸いし、試験に必要な本を手に入れる事はそう苦ではない。

自分を見捨てずにいてくれる父親に報いるためにも、ハンスは寝る間も惜しんで勉強と家の手伝いに没頭(ぼっとう)し続けた。

そして――その甲斐あって、無事に神学院(アーク・マナリア)の入学試験に合格する事が出来た。

試験の結果はかなり危ないものだったが合格は合格だ。

ハンスは晴れ晴れとした気持ちで、学院の門を叩いたのだった。

(父さんの言うように、俺と仲良くなってくれる人はいるだろうか)

入学式を終え、ハンスは門の前に立つ。

周りは(きら)びやかな衣服を(まと)った貴族ばかりだが、この中には将来商売の相手になる人も、使用人として仕える事になる人もいるかもしれない。

ハンスは興奮を隠し切れないまま、駆け足気味に教室へと向かっていった。

空いている席に腰を落ち着け、教室の中をぐるりと見渡してみる。

自分と同じくらい背が高い人に、見るからに巨漢な少年に、逆に同じ歳とは思えないくらい小柄な人まで顔ぶれは様々だ。

(あれは……)

その中に赤い髪の少年を見つけた。

鮮やかなストロベリーブロンドが目を引き、吸い込まれるようにその少年に魅入る。

吊り上がった金に輝く瞳も、笑うと八重歯が見える口も、ふわふわとした髪も全部が全部、自分が愛してやまない猫のようだった。

(こんな人もいるんだな)

感動のあまりどこか愕然(がくぜん)とした心持ちでその少年を見つめ続ける。

猫が人の姿になって現れたのではないかと、そう錯覚してしまう程その姿は猫そのものだった。

ぼーっと見惚れている内に始業の鐘が鳴り響いた。

学年担当だという若い教師がやって来て、初日らしく自己紹介が始まっていく。

基本的に爵位によって順番が割り振られているのが学院流だ。

自己紹介もカイト・デルホークと名乗る公爵令息の挨拶から進んでいった。

そして、十数人を終えたあたりで赤毛の少年が教卓の前に立つ。

「伯爵家のシャルル・ミオンです。どうぞよろしく」

ぶっきら棒に名乗り、ぺこりと頭を下げる。

そそくさと席へ戻った彼は1番初めに名乗ったカイトの隣に腰を下ろした。

(シャルル・ミオン)

ハンスは心の中でその名前を口にする。

名前まで猫のようではないかと、シャルルの全てに心が(はや)るのを感じていた。

(友達になれるだろうか…?)

紹介が終わったらシャルルに声をかけようと心に決める。

隣に座る自分と同じくらい大柄なカイトを見るに、人より大きいからと嫌う人ではないはずだ。

そして、ハンスはシャルルの元へと向かった。


「――思えば、それが全ての始まりだった」

苦々しくハンスがぼやく。

「何が気に(さわ)ったかは分からないが、これが原因でデルホークに目を付けられるようになったんだ」

「デルホークさんですか?」

「……ああ。公爵家の一人息子で、奴に逆らえる奴は王族以外にない」

今まで黙って話を聞いていたアイリスが顔を(しか)める。

公爵家の人間というだけで、カイトがいかに力ある存在かが理解できた。

「期待するだけ無駄だったんだ。貴族でもない奴が学院に行ったところで辛い思いをするだけだ」

「でも学院には色んな人が――」

「言っただろう。誰もデルホークには逆らえないと。デルホークに歯向かってまで俺と仲良くしようなんて人は一人もいなかった」

「そう…なんですね」

アイリスの瞳が揺れる。

今にも泣き出しそうな顔にハンスは思わず視線をずらす。

「……こんな話、聞いても面白くなかったな」

「そんなこと…!」

「良いんだ。過ぎた事を話したところでどうにもならない事は分かっている」

淡々と告げるハンスにアイリスは口を噤む。

火花が散る音だけが響き、一段小さくなった炎が二人を照らした。

その中に木片をくべ、アイリスはじっと青い瞳を覗き込む。

炎を映し入れる銀色が、氷のように(かたく)なな青を射貫いていた。

「最後まで聞かせてください。本当に無駄だったかはその後に決めませんか?」

「…………どうして」

「こんなこと言ったら怒るかもしれませんけど、本当は聞いて欲しいんじゃないんですか?」

目を見開くハンスへと、眉を下げて微笑む。

「誰だってそうです。自分の事を知ってもらいたいんです」

「お前もそうだと言うのか?」

「少なからずそういう気持ちはあります。だって誰かと気持ちを共有出来るって凄い事でしょう?」

屈託のない言葉にハンスは頭を殴られたような気分になった。

他人に自分の痛みを話す事は恥でしかなく、さもすれば弱点を作りかねない愚行(ぐこう)のはずだ。

それを前向きに捉えるアイリスに、良くも悪くも言葉を失った。

「同じように考えてくれる人がいたから、私は今こうしてここにいるんです。一人ではきっと耐える事は出来ませんでした。だから…ハンスさんにもそういう人が必要だと思うんです。私では力不足かもしれません。でも足がかりにはなれるはずです。もう少しだけ、ハンスさんのこと聞かせてくれませんか?」

微笑みを絶やさないアイリスに、ふと父親の言葉を思い出す。

理解をしてくれる人がいるはずだと――カーターはそう言っていた。

(信じても良いのか……?)

何度も裏切られ、何度も捨てられ、ハンスは他人を信じる事をやめた。

特にジュリアナに(もてあそ)ばれた事もあって女という生き物が嫌いだった。

これまで出会ってきた相手に比べるとマシなものだが、アイリスだって心の内では何を考えているかは分からない。

もしまた裏切られたら――それを考えると心の底から彼女を信じる事は出来なかった。

(だが…アイリスの言う通りだ)

結局どこかで他人の温もりを求める自分がいる。

自分を認めてくれる人に出会いたいと、孤独を愛しながらも人の輪の中から抜け出せずにいるのも事実だった。

(……そうだ、今日だけだ)

どうせアイリスとも(じき)に別れる。

街に着きさえすれば、戦えないアイリスがくっついてくる理由だってなくなるだろう。

ハンスは言い訳がましく思考を重ね、ようやく重くなった口を開いた。

「気分が悪くなっても責任はとらないからな」

夜はまだ深い。

星が瞬く森の中、ハンスは自分の身に起きた悲劇をアイリスへと(つづ)っていった。

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