49.子猫伯爵と三者面談
「――今日の授業は以上です」
トラスティーナ教授の声が静かに響く。
今は3時間目の加護術だが眠気はまだ拭いきれない。
合間合間の短い時間ではユージーンたちに意見を仰ぐ事も出来ず、何の成果もないままに午前の日程が終わりを迎えようとしているところだ。
登校早々よれよれになったオレは、半分寝た状態で午前の授業を受け続けていたわけだが、加護について教えてくれる教授は、今日も変わらず威圧的である。
気もそぞろに船を漕ぐオレも悪かったとは思うが、あまり睨まれると胃に穴が空いてしまいそうだった。
もっとも、それで小さくなってくれるオレの食欲ではないのだが。
(……やっと昼かぁ)
ほとんど寝ていたとはいえ、朝から散々な目に遭ったせいだろう。
ここまでの授業がいやに長く感じられ、オレはぐったりと背もたれに体を預けた。
終業の鐘が鳴るより早くお開きになってくれたのは不幸中の幸いだ。
しかし、今度こそユージーンに話を持ちかけようと息巻くオレに、無情にも教授の視線が注がれる。
青い瞳がオレと、そしてハンスを射抜き、教授は無感情な声で呟いた。
「ウィルフレッド、それとミオン、ついて来なさい」
トラスティーナ教授に名指しされ、全身から血の気が引いていく。
(怒られんのかな……)
(教授はあれで優しい人だ。心配する事はない)
ぎこちなく態勢を直すオレの肩をハンスが叩いた。
その励ましに重い腰を上げ、オレとハンスは教授の元へ向かう。
サマルの件だとは思うが、こうして教師に呼び出されるのは始めての事だ。
やはり大事になってしまったのが気に障ったのだろうか。
ハンスが居てくれるから平静を保てているだけで、そうじゃなければとっくの昔に逃げているところである。
朝と同じく皆の視線が突き刺さる中、オレはハンスに引きずられるように教授について行った。
「――どうぞ中へ」
トラスティーナ教授がドアを開け、入室を促す。
案内されたのは教員室ではなくサロンの一つだった。
学院の中に用意されたサロンは、申請さえすれば誰でも利用できる個室で、小さいものから大きいものではちょっとしたパーティーが開けるような広間まで、多様な部屋が揃っている。
オレはグループワークで集まる時くらいにしか使った事がないが、貴族らしくサロンで談話にふける生徒も多いらしい。
教授に案内されたのは、おそらく一番小さな部屋だ。
こじんまりとしたサロンの中にはテーブルが一つだけあり、その上には三人分の昼食が用意されている。
ご丁寧にオレの分と思しきトレーには大量の料理が盛り付けられていた。
「ここからは無礼講で構いませんね?」
「あ、はい。どうぞ」
「話が早くて助かる。ミオンも楽にすると良い。ハンスもだ」
有無を言わさぬ問いに応えると、教授はあっさりと口調を砕けさせた。
足早に席に着くのに倣い、オレもハンスが椅子を引いてくれた席に腰を落ち着ける。
じっと固唾を飲むオレとハンスを見つめ、教授は左手でテーブルを叩いた。
「回りくどいのは僕の望むところじゃない。簡潔に言うが、バロッドの件はすまなかった」
何を言われるんだろうと身構えるオレの耳に謝罪が届く。
思わず目を丸くして教授を見つめると、教授は感慨も何もなく左手だけで食事を摂り始めた。
あらかじめ切ってもらっていたのか、切り分けられた肉を口の中に放り込んでいく。
良くも悪くも遠慮のない教授に緊張が和らぎ、オレも遅れてナイフとフォークを手に取った。
「教授が、手を回して下さったんですよね?」
「そこの木偶の坊に頼まれただけだ。僕がした事なんてバロッドの回収くらいなのだし、礼を言われる筋合いはない」
ステーキを切り分けながら教授に話しかける。
返ってきたのは素っ気ない返事だったが、そこに嫌な感じはない。
ハンスから話を聞いた時は信じられなかったが、教授が手を貸してくれたのは真実なのだろう。
怒られるのではないかと肝を冷やしたが、ハンスの言う通りオレの杞憂だったようだ。
礼を述べようと口を開きかけ――その言葉は教授によって遮られた。
「内々に済ませたつもりが目撃者の処理を怠っていたようだ。まさかここまで話が広がるとはな」
この人が言うと笑えない。
処理と書いて殺すと読むのではないかと思う程だ。
だが教授なりに気にかけてくれていたという事だろう。
オレは今度こそ感謝を述べ、教授に頭を下げた。
「ありがとうございます、トラスティーナ教授」
「俺からも改めて感謝を。それに話が広まったのは教授のせいじゃありません」
ハンスも食事の手を止め頭を下げる。
しかし教授は首を横に振り、ため息を吐いたように見えた。
「生徒を守るのは教師の責務だ。この噂がもたらすものはけして小さいものじゃないだろう」
どこか苦々しい言葉だ。
それが意味するところは分からないが、教授は教授なりにオレやハンスの事を考えてくれているようだ。
「あまり度が酷くなるようなら相談しろ。出来る限り火消しはするが……」
「大丈夫です。俺がシャルルを守ります」
「そういう話じゃ……いや、もう良い。お前たちもあまり例の話に乗りすぎないように」
教授が面倒くさそうに話を切る。
ハンスはまた勝手に意気込んでいるが、騎士の名を頂く教授にもあの猪突猛進を止める事は出来ないらしい。
思わず笑みを溢すと、ハンスがハッとしたようにオレを見る。
何かと思うと、ハンスは照れ臭そうに口を開いた。
「紹介が遅れたが、俺にとって師のような人だ。教授には授業外でも戦い方を教わっているんだ」
「あ!それでしょっちゅうボロボロになってるのか!」
「……不甲斐ないとは思うが」
涼しい顔の教授と苦笑するハンスを見比べ、オレは大いに納得する。
加護術の授業でハンスを治すよう指示されるのがオレの常だ。
どこで怪我をしているのかと疑問に思っていたが、教授に修行を付けてもらっていたという事か。
師弟という関係ならばハンスがこき使われるのも、教授を良い人だと言うのも、全てに説明がつく。
(そっか、ハンスの師匠か)
もちろん『ラブデス』本編にそんな話はない。
トラスティーナ教授の話題は一切出てこないし、ハンスも頼れる教師がいたなんて口にはしなかった。
オレが介入した事で、ハンスとトラスティーナ教授の間に師弟という縁が生まれたのだろう。
「ハンスの力になってくれてありがとうございます」
「僕は僕のすべき事をするまでだ。それに……」
顔色一つ変えないかと思えば教授は口ごもった。
視線をはずし、けれど言いかけた言葉を仕舞い込む事はしない。
「僕が味方にならなくてどうする」
僅かに顰めた顔も照れからくるものなのだろう。
ハンスを大切にしてくれてるんだと思ったら、オレはもう一度感謝を述べていた。
「ありがとうございます、教授」
「二度言わなくても分かる」
ハンスと教授は似た者同士なのだろう。
二人揃って不愛想で言葉足らずで不器用な人なのだ。
(怖いと思ってたけど、良い人なんだな)
まだ少し怖いところはあるが、ハンスを分かってくれる人がいる事に嬉しくなった。
もしオレがいなくなっても、きっとハンスは上手くやっていけるはずだ。
今はユージーンも、アンナも、レフも、トラスティーナ教授もいる。
オレは自分に降りかかる噂の事など忘れ、ハンスに芽生えた新たな出会いを喜んだ。
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「……聖人か」
シャルルとハンスを見送ったキースは一人テーブルに着いた。
今日はもう上がりだ。
受け持つ授業のないキースは、時間に追われる事もなく空になった皿に視線を落とす。
サマルとの一件で話をする必要があるとは思っていたが、こういう形で切り出す事になるとは思ってもいなかった。
見通しが甘かったのは事実。
多少は噂になるだろうとは思ったが、まさかシャルルが聖人と呼ばれる事になるとまでは思い至らなかった。
「あまり広まらなければ良いがな」
数が少なく、傷を癒す力を持つ海の加護の主は聖人あるいは聖女と称される事がある。
とはいえ全員が全員そう呼ばれるわけではない。
聖人と貴ばれるには相応の行いと所以が必要となり、その域に達するのはほんの一握りだけだ。
今回は子供の気まぐれではあるが、それでも聖人と呼ばれるのは並大抵の事ではないだろう。
しかしとキースは首を捻る。
授業で見る限りシャルルは血が苦手だ。
それは海の加護を持つ者としてはかなり――否、致命的な欠陥だろう。
だからこそシャルルがこれ以上目立つのは避けるべき事だ。
聖人として名を馳せたが最後、シャルルに待つのは国からの命令だ。
望まぬ場所を宛がわれる苦しみを知るキースだけに、シャルルの逃げ道を奪う事はしたくなかった。
「まったく、面倒ばかり増やしやがって」
融通の利かない弟子に愚痴を溢す。
本音を言えばシャルルがどうなろうと知った事ではない。
それもまた彼の運命なのだと割り切るだけだ。
だが――
「僕も青いな、本当に」
経緯はどうあれ、ハンスを弟子にとったのはキース自身だ。
そして守るべき弟子の守りたいものがシャルルであるならば、師としてその意に沿うべきだろう。
「まさか、ここにきてトラスティーナの名が役に立つ事になるなんてな」
名誉も何もいらなかった。
戦場でヨナを屠る事だけが全てだった。
今は――ここが戦場だ。
(団長、ようやくあなたの言いたかった事が分かった気がします)
戦場でしか生きられないキースは新たな戦場を見つめる。
(どんな戦場であろうと最後まで戦って死ぬ――それだけだ)




