48.子猫伯爵と想定外の結末
「よし、行くか!」
今日はあの一件から初めての登校だ。
休日も含めると、学院に足を踏み入れるのは何と五日ぶりの事になる。
よほど疲労が溜まっていたのだろう。
ハンスを見送った後もオレは泥のように眠り、結局三日間を寝て過ごしたのだった。
いまだ解消されない食っちゃ寝生活を繰り返し、今日に至るというわけである。
久々に訪れる学院だが、そこにサマルの姿はない。
これに関しては別段意外な事はないだろう。
オレが休んでいる間に、事情を知ったサマルの父ナレル・バロッド侯爵がミオンの領地へとやって来たからだ。
遡って二日前――
「愚息が迷惑をかけた」
心が籠っているとは思えない謝罪が客間に響く。
初めて顔を見るナレル侯爵は、サマルに比べても随分と厳つく屈強そうな人だった。
爵位が下のオレたちに対する不服そうな態度はサマルそっくりだったが、それでも口にしないだけ息子よりずっと大人という事なのだろう。
そういう顔なのか、ミオン邸に来た時から眉間に皺が寄ったままの表情で、恥辱に耐えるように俯いている。
「ご子息の行いはとても許される事でも看過されて良い事でもありません。ですが我々もそちらだけを責める事は出来かねます。どうか顔を上げてください」
「心遣い痛み入る」
膝に手を付き並々ならぬ顔で頭を下げる侯爵を見兼ね、父ラドフォードが厳しくも穏やかな声をあげる。
オレの心持ちを聞いていた父は頭を上げるよう促し、オレの意思を侯爵に伝えてくれた。
当事者だからと呼ばれたが、オレはただソファに座るだけだ。
たまに相槌を打ったりはするが、サマルを連れずにやって来た侯爵と話をするのは終始父一人だった。
部屋にいるのも父とオレと侯爵と執事クリスティアンの四人だ。
出来る限り侯爵に気を遣っての事だろうが、オレとしては逃げ場が少なくて居心地が悪い。
「ここには居ませんが、当事者であるウィルフレッド君の意思は確認済みです。そちらが無闇に公にしない限り、我々はサマル坊ちゃんを咎めるつもりはありません。子供同士の戯れとして事を収めるつもりです」
先手を打つように父が告げる。
戯れというには無理があるが、貴族同士のやり取りなど往々にしてこんなものだ。
物は言いようを最大限に生かし、それぞれの手札を切っていくのである。
「こちらとしても有難い。ウィルフレッド個人のした事は許し難いが、常やり過ぎたサマルにも責任がある。今回に関してはご子息の痛みとして甘んじて受け入れるべきだろう」
普段なら爵位が上であるナレル侯爵が強く出るところだが、今は随分と下手に回っているようだ。
回りくどい事も言わず、サマルの責任だと言い切った。
サマルがオレに手を出したのは事実。
そしてハンスがサマルにやり返した事も事実だ。
この事柄だけを並べれば、侯爵令息であるサマルに軍配が上がるはず――にも関わらず、ナレル侯爵は不本意ではあるだろうがオレに頭を下げる。
「あれには二度と同じ馬鹿をしないよう、厳しく言い聞かせよう。表向きだけでもあの愚か者を許してくれるというなら、それ以上望む事もあるまい」
言葉だけを聞くと立派だが、おそらく中立派全部を敵に回しかねない事態を避けたいだけだろう。
もしそうなった時に責任を取る羽目になるのもまた侯爵本人だからだ。
冷たい口調のままの侯爵を見ていると胸が苦しくなった。
(……この人も原因なんだろうな)
今さっき会ったばかりだが、オレは既に侯爵が嫌いだ。
いくらバカ野郎とはいえ、息子を〝あれ〟呼ばわりするような人だ。
こちらへの謝罪も形だけといった様子で、何となしにサマルが愛されてないだろう事を感じとった。
(そりゃグレるよなぁ)
そうでなくても身内や血族での繋がりが強いのが貴族だ。
いくら爵位が高くても親に見捨てられれば簡単に転落するのもまた事実。
同情するわけではないが、サマルはきっと誰かに認められたい一心で拗らせていったのだろう。
「そうだ。サマルには当分の謹慎を言いつけてある。君が怪我を治してくれたようだが、本来治療に掛かっただろう時間分は反省してもらう事にした」
「そう、ですか」
にこりともせず侯爵が言う。
小説でもサマルは怪我が治るまで学院に来なかったらしい。
全てがそのままではないにしても、ある程度の事は原作通りに進んでいくという事なのだろう。
(これ以上落ちぶれなきゃ良いけどな)
サマルのした事はけして許される事ではないし、こうなってはもうオレも手を差し伸べる気はない。
この先に起こりうる可能性を知るオレとしては、今回で懲りるなり反省するなりして、大人しくしてくれる事を願うばかりだ。
その後、親同士でまた会話をし、やがて侯爵は席を離れた。
お詫びにと家族全員にバロッド家が権利を持つ高級ブティックの会員証を渡され、他にはやはり高級なお茶菓子が大量に運び込まれていく。
「この件に関してはこれで終わりにしますが、他の者の口止めまでする気はありません」
最後の最後に父が柔和に、けれど厳しく告げる。
ミオンは手を引くが、他の誰かが話すのを止める気はないという意思表示だ。
「ご心配なく。話が広まるとすれば、それはあの愚か者の人望が足りないというだけの事。小鳥を飛ばすかもはしれんが、そちらに不利になるような真似はしない」
不機嫌そうなままナレル侯爵が答える。
小鳥とは噂話を撒く人たちの俗語で、意図的に情報を操る事もまた貴族あるあるだ。
そもそも噂が広まらないのが一番なので、小鳥が飛ばない事を祈っておく。
「では、またいずれ」
オレたちが見送る中、侯爵が黒を基調とした馬車に乗り込む。
結局一度も笑顔を見せないまま、侯爵は帰っていった。
――そんなこんなでサマルが謹慎を食らっている事はオレの耳にも入っている。
二週間程は学院に来ないそうなので、あと10日ちょっとはサマルの顔を見なくて済むようだ。
会ったところで気まずいだけだし、数日とはいえ穏やかに過ごせるならありがたい限りである。
「もう大丈夫なのか?」
「ん、バッチリ。じゃなきゃ来ないし」
学院に着いたオレは変わらず門で待ってくれていたハンスの前に立つ。
ハンスはぱっと表情を明るくし、険しい眼差しを柔らかくした。
「オレが休んでる間も待ってたの?」
「一応な」
連絡手段の乏しいこの世界だ。
前世でなら即時行えた連絡でさえ何日も掛かるのが常である。
普段はそこまで気にならないが、こういう時には不便を感じてしまうものだ。
「光…いや電気だっけ…?」
「加護の話か?」
「んー、似たようなもん。もっと生活が便利になったら良いなって思って」
「便利にか。そんなに困った事はないが……」
この世界で生きてきたハンスには分からない悩みだろう。
だがオレは便利なものをたくさん知っている。
知っているからこそ文明の利器が恋しくなってしまうのだ。
「こういう時にさ、一瞬で言葉が伝えられたら便利だろ」
「……つまり?」
「んー…、手紙が数秒で届いたら凄いよなって話。あとはお互い家にいながら喋ったりとかさ」
発想そのものがないハンスは一瞬首を捻ったが、すぐにオレの言いたい事を汲み取ってくれた。
「それは夢がある話だな。シャルルが思いついたのか?」
「や、まー…うん、別に大した事じゃないって。誰でも思いつくような事だろ」
「そんな事はない。誰にでも考えられる事ならすでに実現していたっておかしくないはずだ」
無駄にオレを上げてくれるのが心苦しい。
オレ独自の発想でもなければ、仕組みもろくに理解できていない過去の思い出だ。
こんなだからオレは転生者らしい無双にもチートにも縁遠いのである。
(オレが人並み以上にやってたのなんてバイトだけだもんな)
理由は思い出せないが、アルバイトに明け暮れていたのはたしかだ。
ほぼ毎日のように顔を出し、学校に無断で深夜帯の業務―当然健全なものだ―も入れていたはずだ。
(オレそんな社畜みたいな生活してたの…?)
今にして思うと酷い生活だ。
朝から夕方まで学校に通い、夜も深夜もアルバイトだ。
(もうちょっとサービスしてくれても良いじゃんか……)
この世界の女神のせいかは知らないが、前世で苦労した分もう少し労って欲しいものである。
たしかにシャルルとしての人生は恵まれたものだろう。
だが苦難続きで休めたものじゃない。
(最初っから家で大人しくしときゃ良かったのかな)
自分から問題に首を突っ込んでいるというのはきっと気のせいだ。
嫌な事は思い出さないに限る――それを再確認したオレは、便利な発想も文明の利器も頭から追い出し、休んでいた間の事でハンスと盛り上がった。
そんなオレたちを見つめる目、目、目。
「……………」
「大丈夫か?」
物凄く見られている。
何故かは分からないがオレとハンスは注目の的だ。
行き交う人の視線が突き刺さり、オレはハンスの影に隠れるようにハンスとの距離を詰めた。
「めちゃくちゃ見られてんだけど……」
「あ……、それは……」
理由を知っているのかハンスが目を泳がせた。
思い当たる節は一つ、オレに関係してハンスも知っている事なんてサマルの件くらいだ。
(……やっぱそうなるよなぁ)
いくらオレやサマルが口を閉じようが、どこかから話が漏れるのは必然のようなものだろう。
奥まった場所とは言え、庭園であれだけの騒動を起こしたのだ。
誰かに見られていたとしても何らおかしい事はない。
ハンスは意を汲んでくれたと言っていたが、トラスティーナ教授も関わっているのだから猶更だ。
トラスティーナ教授一人が黙っていたところで、教師から教師というように噂とは勝手に伝聞していくものである。
そうなればもうネズミ算だ。
数日も経てば噂好きの貴族たちはこの話題で持ち切りだった事だろう。
それを知らしめるように、好奇の目がオレたちを捉えている。
その上、見知らぬ人が親しげに声をかけてくる始末だ。
「ミオン様、おはようございます」
「もう調子は良いのですか?」
にこやかに話しかけてくるが全くもって面識はない。
(誰だよっ!!?)
せめて名乗ってから声をかけてくれ。
そっとしておいてくれるのが一番だが、名乗りもせず近づかれるのは単純に怖い。
オレにはユージーンのように誰にでもにこやかに挨拶できる度量はないのである。
「ミオン様、荷物お持ちしますよ」
「良かったら我が家のパーティーにいらしてください」
困惑するオレをよそに、一人が飛び出したのを機と言わんばかりに、オレ目掛けて人が集まってくる。
歩き難いくらいにハンスに身を寄せるオレの周りには、気が付けば人だかりが出来ていた。
相手が貴族だろう事もあって、ハンスも強く出る事は出来ずに眉を下げるばかりだ。
(何がどうなってんだよ!?)
(バロッドの件が広まってしまって……)
(それは分かる!その先だよ、その先!)
(……言って良いのか?)
反射的にしがみついたハンスに訴えかける。
ハンスもそれに応え、泳がせていた目をオレに落とした。
急に怖い事を言わないで欲しいものだが、聞かないわけにもいかないだろう。
こくこくと頷くと、ハンスはいやに真剣な眼差しでオレに耳打ちをした。
(言い辛いんだが…、シャルルの事を聖人だと思っているようだ)
(……は???)
一瞬せいじんの変換が追い付かなかったが、恐らく聖人で合っているはずだ。
頭に浮かぶのは例の如く〝?〟だが、もしかしたらオレの聞き間違いかもしれない。
オレはもう一度ハンスに目配せをする。
(聖人?)
(そうだ)
(大人とか宇宙人とかじゃなくて?)
(うちゅうじん…はよく分からないが、聖人は聖人だ。大司祭なんかもその一人と言えるな)
良いのか悪いのかオレの耳は正常だったようだ。
どのみちオレの頭に大量の〝?〟が浮かぶ事には変わらないが、オレは意味が分からないといった顔でハンスを見つめた。
対するハンスも自分にも意味が分からないといった様子で眉を下げ続けている。
(冗談だとしても笑えねーんだけど)
(俺はあながち間違ってないとは思うが……)
(何て?)
(いや、バロッドの件がきっかけではあるんだが――)
ハンス曰く――元からオレを良い人間だと思う連中がいたらしい。
学年や爵位に関わらず身分が低い者、そのせいで辛い目に遭っている人たちの間で、オレは出自に関係なく分け隔てなく接する公明正大な人物だと思われていたようだ。
口が悪いのも厄介な貴族に対する牽制で、下々を思っての事だと変に誤解されていたのだとか。
(口が悪いは余計っつーか、何でもかんでも都合よく解釈すんなよ…!!)
加えてスミレたちの存在だ。
やはり2階や3階からは庭園の奥も見えるようで、オレとハンスが足繁くスミレの元へ通っていた事を知っている人たちも少なくはなかったようだ。
結果的に動物にも優しく、自分が汚れるのも厭わずに世話をし食べ物を恵むいう善人の像を結びつけられたようである。
そして――極めつけが今回の事件だ。
猫を守るために体を張りながらも、けしてサマルに手を挙げなかった事が彼らの心を打ったそうだ。
(えぇ…、そこ評価すんの……?)
悲しいが手を挙げなかったのではなく、手も足も出なかっただけだ。
一矢報いる事さえ出来なかったオレの雑魚っぷりが見事なまでに昇華される状況に言葉も出ない。
既にオレはオーバーキルされ気味だが、サマルの傷を治したのも悪かったようだ。
そうでなくても珍しい海の加護だ。
海の加護というだけで聖人としての気質を持つと判断する人も多い中、オレは敵対するサマルの傷を治してしまったのである。
サマルを責めなかった事も駄目押しとなり、この数日でオレは聖人として祭り上げられてしまった――というのが事の次第らしい。
(事実は事実だけどさぁ…!!言い方!!言い方があんだろ!!)
こんなところで物は言いようを発揮しなくて良い。
事柄に嘘はないが解釈があまりにも違い過ぎる。
大元を辿ればハンスと仲良くなる気もなかったし、庶民と率先して関わる気だってなかったのだ。
スミレはオレに懐いて可愛いから癒されに行っていただけで、動物全てに優しいわけでもない。
サマルだって結局は恩を売りたかっただけだ。
自分のためにしてきた事が、自分とは与り知らぬところで――しかも予想外の形で帰ってくるなんて誰が想像出来ただろうか。
(何でこんな事に……)
今更悪役ぶっても意味はないだろう。
〝卑しい身分のくせに近寄るな〟なんてサマルの真似をしても、温かい目で見られるだけの予感がした。
もちろん、そんな度胸はないし、やったところでハンスの反感を買うだけなので遂行はしない。
オレはしがみついたハンスの肩に力なくもたれかかった。
(帰りてぇ……)
(帰るなら止めはしない)
押しつぶされないようにと抱え上げてくれたハンスが甘い言葉を囁く。
その言葉に乗ってしまいたかったが、これ以上欠席を重ねるのも褒められた事ではない。
(とりあえず教室行こうぜ……)
このまま立ち往生して授業に遅れてもしかたないだろう。
ハンスを促すと、ハンスはオレを抱えたままゆっくりと人の波を掻き分けていく。
勝手に盛り上がる彼らは、残念ながらオレの話すら聞いてくれそうにない。
(……オレの話は聞けよ)
人を聖人と祭り上げるだけ祭り上げておいてこれだ。
思春期だけに聖人を見つけた自分がかっこいいと思っているパターンに違いない。
オレをお前たちの代弁者にするなと文句を言ってやりたいが、オレはもうその気力も失っていた。
自称とはいえ、悪役見習いで済んでいた肩書きが聖人になってしまったオレはため息を吐く。
(そういや、ハンスはどういう扱いなの?)
(お前の使用人らしい)
仮にも身分で苦しんできた人たちだ。
そういう人たちではないとは思うが、誰もハンスに冷たい言葉を浴びせかけたりはしない。
どうしてかと気になったが、いつも一緒にいたせいかオレ専属の使用人だと勘違いされているらしかった。
当のハンスは役得といった顔で満足気な様子だ。
(……ハンスが嫌じゃないなら良いけどさ)
否定する元気もなく、オレとハンスは何とか道を作って教室へと向かっていく。
これからの事はこの後考えるのみだ。
ユージーンとアンナなら何か妙案を出してくれるはずだと、オレは全てを人任せに教室まで運んでもらうのだった。




