5.子猫伯爵と女神の大地
昔々の物語、美しい二柱の女神がいた
一柱は厳格な心を持つ姉女神クーラ
一柱は慈愛の心を持つ妹女神アース
二柱きりの女神は考えた
いつか自分がいなくなった時、二柱きりの彼女が悲しまずに済む場所を創ろうと
そうして二柱の女神は世界を生み出した
最初に姉女神クーラがその息吹から空を創った
続いて妹女神アースがその肉から大地を起こした
最後に二柱の女神が力を合わせ、その骨から無数の獣を生み出した
二柱の女神は獣に知恵を授けることにした
そして最も清き心、最も尊き心、最も強き心を持つ獣に翼を与えた
翼ある獣は女神の手足となり、他の獣を教え導く偉大な存在となった
知ある獣は初めの民となり、翼ある獣のもと女神の教えによく従った
これでいつ目が覚めても寂しくない
たとえ滅びようとも悲しくない
世界を創り終えた二柱の女神は長き眠りについた
女神が眠りについて後、大地の端より卑しき獣が現れた
女神の輝きを奪おうとする彼らは民の手で大地から追放された
しかし底に落とされた亡骸は積み重なり、流れ出た血が大地を取り囲んだ
その赤は大地を穢し、空をも蝕もうとした
『私の魂を捧げましょう』
最も清き心を持つ獣が悪魔の血潮の中へとその身を投じた
清き魂によって悍ましき赤は洗われ、美しく澄み渡る青が大地を包み込んだ
嘆き悲しむ民は清き獣を称え、その青を海と名付けた
こうして世界に海が生まれた
しかし清き祈りも海の底までは癒す事ができなかった
卑しき獣は絶えず海の底から現れては大地を穢そうとした
やがて海は悪魔の象徴とされ、誰も近づかなくなった
残された翼もつ獣は、女神の残した地を守るべく誓いを立てた
そして尊き獣は穢れを洗う神子に、強き獣は民を統べる王となった
女神が目覚めるその時まで清き意志を繋げるために
「――それがこの世界『聖なる大地クーラ・アース』の成り立ちと言われています」
教本から目を離し、教壇に立った老人はたっぷり育った髭をいじった。
よく伸びた背中としっかりとした足取りのおかげか、ご老体にしては随分と若く見える。
暗い色のローブを纏った彼は一息つくと優しく微笑んだ。
「ここまで詳細なものでなくとも、皆さん1度はこの伝承を聞いた事があるでしょう。この伝承で伝えられる内容こそが、世界に空と大地と海が生まれた理由と我々人間が知恵ある獣である事を示しています」
あくびを堪えつつ、オレはその話を聞き流す。
講義が始まるからとオレを起こした張本人は、真剣な面持ちで話を聞いているようだった。
生真面目なハンスの背中は性格通りにまっすぐだ。
引きかえ背筋の曲がったオレは眠気との戦いを続けている。
(ねむ……)
最初の講義なんてのはこんなものだ。
授業方針の確認や初歩的な内容がほとんどで、寝ながらでもこなせるようなものばかりだ。
ハンスに小突かれそうなので我慢しているだけで面白くも何ともない。
(そうじゃなくても小説で読んだ内容だしな)
『ラブデス』の中にも教師によって語られた伝承が記されている。
ヒロインのアイリスが初めて神殿を訪れた際の事だ。
(たしか……)
この時ハンスは酷い傷を負っていた。
自分を庇って倒れたハンスを助けるために、アイリスは神殿へと駆け込んだのだ。
ハンスの治療を待つ間、彼女は女神の伝承を聞く事になる。
(その時に『知啓の祝福』を受けて、癒しの力を手に入れるんだったよな)
知啓の祝福とは女神より『加護』を授かるための儀式だ。
この儀式を終える事でこの世界の人間は加護と呼ばれる特別な力を扱えるようになる。
加護と言うとなんのこっちゃという話だが、魔法やスキルと考えれば簡単だ。
本来、加護を授かるのには過酷な試練と厳正な適正審査が必須だが、何事にも特例はつきものだ。
学院に通う者に限っては、学院生活の3年間で正しい道を学ぶとして試練が免除される。
手っ取り早く加護を得たいなら、学院に入るのが1番というわけだ。
オレがハンスに出くわす危険を冒してまでここに来た理由もそこにあった。
(やっぱ魔法は使いたいもんな!)
学院、正式には『神学院』は歴史と由緒ある大陸唯一の学院だ。
文字の読み書きや礼儀作法を教える学校は多数あれど、女神の伝承や神話を紐解く神学や加護の扱い方を学ぶ事ができるのはこの学院だけだ。
強き魂をもつ獣の子孫、つまり王族によって作られた王立機関で、女神の伝承を正しく伝えること、ヨナの脅威を知りその対策を身に着けること、未来の獣たちのためにそれらを繋ぐことが校訓となっている。
学院に入った者は、12歳から15歳までの3年間を勉学に励んで過ごすことになる。
もちろん学院に入るのには学術試験を受けなければならない。
学院に通うこと自体が誉とされるくらいに試験は厳しく、この教室に集まった100人にも満たない人数が今年の合格者という事だ。
大陸全土から集まってこれなのだから、狭き門である事はたしかだろう。
オレはというとそう苦戦する事なくクリアした。
元々のシャルルの知識に前世の記憶を合わせれば、鬼のような難易度で知られる試験もそう難しいものではなかったのである。
数式やら生物知識やら、前世の記憶が役に立ったただ一つの瞬間だったかもしれない。
もっともオレの記憶がなくてもシャルルは合格するのだし、何だかんだ地頭は良いのだろう。
(この世界の人間、性格に難がある奴ばっかだな)
何度でも言うがハンスにせよカイトにせよ中身に問題がありすぎる。
だからこそアイリスが光るのかもしれないが、一人くらいマトモな奴はいないものか。
(伯爵――男爵でも良いか。丁度良い相手がいれば良いんだけどな)
オレだって一人寂しく孤立したいわけではない。
ハンスやカイトに関わらないというだけで、普通に話をして飯を食える友達の一人二人くらい欲しいのである。
カイトとの衝突を考えると貴族の方が安牌だ。
貴族主義である貴族派はカイトのお手付きだろうし、出来るなら近い爵位かつ中立派の相手が好ましいだろう。
(それをこの中から探せってのは………うん、ムリだな)
こんな事ならもう少しパーティーの招待に応じておくべきだったと反省する。
どこにカイトが潜んでいるか分からないからと、記憶を取り戻して以降、社交の場に出るのを避けたのは痛手だったようだ。
このままでは何をするにもお一人様になりかねない。
「ケンネル教授!」
不意に響いた声で我に返った。
ついつい自分の世界に入ってしまったが、そういえば授業の真っ最中だった。
「ふむ、何かな?」
「男爵家のアーチボルトです。思考する能力は人間以外の生き物にもあるはずです。人間が知恵ある獣である証拠はあるのですか?」
アーチボルトと名乗った彼はその場に立ち上がった。
積極的に授業に参加する姿はキラキラと若々しい。
一番後ろの席からでは背中しか分からないが、あの令息はさぞ優等生なのだろう。
「アーチボルト君、良い質問ですね。知恵と聞くと知能や思考能力を思い浮かべるのは当然の事でしょう。ですが伝承に語られる〝知〟とは女神様のご加護の事なのです」
グレイトフル・フォン・ケンネル――ケンネル教授は歴史学者として名の知れる知恵者だ。
教師の一人として呼ばれた彼の授業を受けるためだけに学院に来たがる者もいるという。
質問をされたケンネル教授は大きく頷きながら続けた。
「皆さん女神様のご加護は知っていますね?尊き空、強き地、清き海からなる偉大なる加護です。この特別な力は我々人間にのみ使う事が許されました。それこそが人間が知恵ある獣である証と言えるでしょう」
コッコッと堅い音を響かせながら、ケンネル教授は壁一面に取り付けられた黒板に大きな逆三角形を描く。
そしてそれぞれの角に小さな三角形を重ね、4つの逆三角形からなる模様を完成させた。
女神を象徴するシンボルであるそれは、大地の至る所で見る事ができる。
「物事には理由というものが存在します。何故人間だけが〝知〟を与えられたか。それはあまねく生命の中で人類が最も賢い存在だからです。女神様は正しく扱える人間にだけ〝知〟をお与えになったというわけです」
綺麗に描けた紋章に満足しながらケンネル教授はアーチボルトを見た。
「この話をすると〝あの動物の方が頭が良い〟などと言い出す者もいますが、有史以来、火を恐れず、道具を作り、服を纏い、伝承を残し、そして女神様を奉ったのは人間だけです。他のどの生物が同じ事を成し得たでしょうか。伝承には記されていませんが、〝知〟というものは最も賢き獣に与えられた翼なのかもしれません」
力強い答弁に青い髪の彼は納得したのだろう。
〝ありがとうございます〟と頭を下げてから着席した。
オレにしてみれば気持ちの悪い人間賛美だが、この世界ではこの教えが常識だ。
文句はあれど信仰のないオレはその後も眠くなる話を聞き流し続けた。
それを1回2回と繰り返しお腹が空いてきた頃、昼を告げる鐘が鳴った。
初日だけに今日の授業は午前で終わりだ。
オレはハンスの事など忘れ、昼食に何を食べるかだけを考えていた。




