46.子猫伯爵と虎の巻
「…………」
「…………」
庭に案内されたハンスは黙ってスミレたちを見つめていた。
案内をしたナサニエルも、同じく黙したままその様子を凝視する。
「…………」
「…………」
かれこれ数十分、二人はこのままだ。
居心地の悪さを感じながらもスミレは庭の散策を続ける。
フンフンと芝の匂いを嗅いでみたり、綺麗に切り揃えられた低木を齧ってみたり、寝床にぴったりの場所を探し回った。
子猫たちは三匹揃ってぶつかり合ったり、転がったりと忙しく遊び回っている。
「…………」
「…………」
「…………んみゃああっ!!」
ついに無言の重圧に耐えられなくなったスミレがハンスに飛び掛かる。
軽やかに跳躍し、ハンスの顔に猫パンチをお見舞いした。
シャルルの負担になると覚えたようで爪は出さずに、けれど猛烈な一撃をハンスの鼻っ面に直撃させる。
「んにゃ!にゃあーっ!!」
ついでと言わんばかりにナサニエルにも腕を振りかぶる。
しかしナサニエルは何食わぬ顔で猫パンチを避けた。
目測を見誤ったスミレは尻から芝の上に落下し、悔しそうに唸り声を上げる。
そして腹いせがてらハンスのブーツに爪を立てたのだった。
「馬鹿なんですか?」
「………俺の事か?」
「他にいないでしょうが。避けられるくせに何やってんのかと思いまして」
バリバリとブーツが駄目になる音を聞きながら、ナサニエルがうんざりとした様子で頭を掻く。
ハンスはその場から一歩も動かず、自由気ままにブーツを掻き毟るスミレを見つめふっと目尻を下げた。
「スミレの好きにさせたいだけだ」
「うわ、被虐性欲者かよ」
シャルルならスミレを諫めるところだが、ナサニエルにそんな気概はない。
眉を顰め、距離を置くように一歩飛び退いた。
スミレも何か嫌な気配を感じたのか、バッと走り出し庭の散策へと戻っていく。
ボロボロのブーツだけが残されたハンスは、顔を引きつらせてナサニエルの言葉を否定しにかかった。
無頓着そうに見えて、ハンスにもそれくらいの知識はあるものだ。
「違う」
「えぇー、変態さんじゃないですかぁ、俺そーいうの良くないと思うんですよぉ」
「だから違うと言っている」
「まあ、趣味は人それぞれ。シャルル様に変なこと吹き込まないなら別に良いんじゃないですかぁ?」
生暖かい目を向けるナサニエルにハンスは苛立ちを覚え。
相手がシャルルの従者じゃなければすぐにでも殴っていただろう。
僅かに殺気立ったハンスに、ナサニエルも軽薄な笑みを消す。
「おふざけはここまでにして――良い機会だし聞いてやるよ。何が目的だ?」
「そういうお前こそ何を考えている?」
二人の間に風が走り抜ける。
夜が連れる冷たい風が肌を突き刺した。
「話が噛み合わねーなぁ。今聞いてるのは俺だろ?何のためにシャルル様に近づいた?」
「やましい事はない。ただ……友達になっただけだ」
「それにしてはきな臭いんだよなぁ。いっそ金でも名誉でも女でも、明確な目的がある方が納得できんだよ。ただ仲良くなってお友達なんてのは、お前みたいにいくつも腹に抱える奴が言う事じゃないだろ」
見透かすような口ぶりにハンスは戸惑いを浮かべる。
初めはただ純粋な好意――否、好奇心だった。
だが今は――。
「それに俺は認めてない」
思い悩むハンスへとナサニエルが吐き捨てる。
ほくろの付いた耳を軽く叩きながら、能面のような顔でハンスを睨んだ。
「耳は良いんでね。スコール様との話は全部聞かせてもらったが……要はお前のせいだろ。シャルル様が誰と仲良くしようが勝手だけどな、それはシャルル様に害を成さないって前提ありきの話だ。お前はシャルル様のお友達にふさわしくない」
「…………っ…」
「思い当たる節がある顔だな?お前が関わらなきゃ、シャルル様だって今日みたいな目に遭う事なんかなかったはずだ。違うか?」
ハンスは何も言えず拳を握りしめる。
ナサニエルの言う通り、あくまであれは自分とサマルの問題だ。
結果的に丸く収まったが、万全を尽くすならば、そもそも事件が起きないよう気を付けるべきだった。
自らの落ち度を指摘され返す言葉もない。
キース然りナサニエル然り、ことごとく正論が突き刺さり、ハンスは息が詰まりそうだった。
「庶民だから悪いとは言わない。けどお前らには何もない。良いか?俺が言ってるのは金や権力の話じゃない。お前らには覚悟が足りないんだよ。全部捨ててでも守るくらいの気負いもなしに、シャルル様に近づかれても迷惑って事だ」
ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ナサニエルが片足を上げた。
そして挑発するように足を揺らす。
「ムカつくならかかってこいよ。俺もむしゃくしゃしてるんだ。シャルル様のお友達にふさわしいかどうか――見てやるよ」
不甲斐なさを呪い、唇を噛み締める。
だがハンスも言われっぱなしのまま引き下がる気はなかった。
たとえナサニエルの言う事が正しいとしても、シャルルへの思いまで否定させるわけにはいかない。
ぎゅっと拳を握り、飄々と構えるナサニエルを睨みつける。
「……やるからには遠慮しない」
言い終えると同時、ハンスは拳を握りしめ足を踏み切った。
一気に距離を詰め、腕を真っ直ぐに突き出す。
チッと空気をこする音が聞こえ、次には重い衝撃が腹を抉った。
「遅いんだよ――っと!!」
「ぐうっ!!」
見事に決まったカウンターにハンスはよろめいた。
体が後ろに傾くが、足を踏ん張って耐え、再度拳を前に出す。
しかしその拳も腹部を襲う鋭い衝撃によって阻まれた。
横からしなる足が飛んできたと思えば、ハンスの体が青い芝の上を転がっていく。
「チッ…!!」
転がりながら地面に手を付き体勢を整える。
ナサニエルまでの距離は3m程だ。
(……地の加護と言っていたか)
先日のグループワークでナサニエルの加護が地の加護だと聞いている。
肉体を強化・変容させる地の加護であれば、射程外からの攻撃には弱いはずだ。
そしてこの距離を埋めるような手も持ってはいないだろう。
相手から目を離さず、ハンスは偶然にも生まれた間合いを保ち続けた。
ナサニエルは姿勢を低くして、にじり寄るハンスの様子を伺っている。
つま先だけで体重を支える姿は寧猛な動物のようだった。
「…………」
「…………」
無言のまま二人は睨み合う。
その間を冷え切った風を通り抜け、ハンスが動いた。
間髪入れずナサニエルがその場を跳躍する。
足元に迫る霜を振り切るように高く跳び、眼前に迫った氷の槍を一蹴した。
「ハッ!少しは頭が回るようだな!」
頭上に差し込んだ影を捉え、ナサニエルが口角を上げる。
正面からは無数の槍、頭上からは氷の塊、そして地面は動きを奪う絶対零度の霜の海。
逃げ場のない空中に追い込まれた体を氷塊と氷槍が揃って襲う。
しかしその氷を足場にナサニエルは身を捩じった。
「残念だったなぁ」
空中で一回転し、そのまますとんと地面に降りる。
その足が凍りつく事はなく、ナサニエルは悠々と氷の大地の上で微笑んだ。
ぶつかり合った氷は砕け、パラパラと降り積もっていく。
(発熱――それとも凍結しない物質への変化か?)
地の加護は単純に肉体を強化するものから、サマルよろしく自身の肉体を別のものに変化させるものまで様々だ。
軽い身のこなしと人を蹴り飛ばす程の力から、ナサニエルの加護を脚力の強化と踏んでいたハンスだったが、あの様子を見るにはずれだろう。
足止めが効かず、遠距離からの攻撃も全て捌かれるとなっては攻めようがない。
(肉体は自前か。しかも俺の加護と相性が悪いとなれば――)
ハンスは覚悟を決め、前を見据えた。
そして氷の槍を――投げる。
同時に走り出し、ハンスは拳を振りかぶった。
一足先に辿り着いた氷槍を、ナサニエルの足の裏がなぞる。
直後、氷の槍はナサニエルの目の前で破裂するように砕け散った。
「!」
槍を狙った足が宙を泳ぎ、ナサニエルはピクリと目をひくつかせる。
僅かに生じた隙にハンスの拳がナサニエルの腹を捉えた。
「もらった!!」
力いっぱい腕を振り下ろす。
ドゴォと鈍い音が響き渡り――骨に伝わるひどく重い衝撃に眉を寄せたのは、ハンスだった。
分厚い鉄塊を殴った感触に腕が痺れ、握りしめていた拳が緩む。
その一瞬を見逃さず、ナサニエルの足がハンスの腹を垂直に蹴り上げた。
「がっ…!!」
宙高く吹き飛ばされたハンスは、重力に従って背中から地面に墜落する。
骨こそ折れなかったが、全身を駆け巡る痛みに芝の上を転がった。
地面を這う体に影が差し――ナサニエルが白と黒が半分ずつになった目でハンスを見下ろす。
その瞳孔は躑躅色の光を妖しく放っていた。
「悪くない一撃だった」
「……嘘を言え」
「はは、俺はこういう時に嘘は言わない口でね。まあ、当分は様子を見てやるよ。気概だけは十二分にあるみたいだからな」
言うだけ言ってナサニエルは踵を返す。
依然としてポケットに手を突っ込んだままの、猫のように曲がった背中が遠ざかっていった。
「地面で寝るのに飽きたら戻って来な。ただ飯くらいは食わせてやるよ」
つま先立ちで歩く足を止め、ナサニエルが振り返った。
言い忘れていたと不敵に笑い、ひらひらと手を振って屋敷へと消えていく。
もてなす気のない態度は腹立たしいが、頭を冷やしたい今はかえって丁度良かった。
四肢を投げ出したハンスは、星が見え始めた空を仰ぐ。
(手も足も出ないとはな……)
最初から加護まで使って手を尽くしたつもりだったのにこの様だ。
サマルに圧勝したからと良い気になっていたわけではないが、それでも相手との差に悔しさが滲む。
改めて世界の広さを実感しハンスは歯を軋ませた。
立ち上がるのも億劫で、そのまま風を感じ続ける。
「――ウィルフレッド様」
ぬっと老け込んだ顔が覗き、空を見上げるハンスの顔に影が差した。
「孫が失礼致しました」
「いえ、俺も悪いので何も……」
ナサニエルが戻った事で手が空いたのだろうか。
クリスティアンがスミレたちの餌を手にハンスの元を訪れる。
食いしん坊な子猫たちは即座に餌に群がり、戦利品を銜えて庭の奥へと散っていった。
ほとんど面識のないクリスティアンが嫌なのか、それとも先程まで殺気立ったハンスが怖いのか、スミレも餌を頬張りそそくさと低木の下へといなくなる。
「――時にウィルフレッド様」
一仕事終えたクリスティアンが目を細める。
「この老いぼれの胸で宜しければお貸し致しましょうか?」
それはにこやかには程遠い、獲物を見つめる獣の瞳だった。
・
・
・
「あークソ、痛ってぇ」
腹を押さえ、ナサニエルは壁にもたれかかる。
咄嗟に防御したが、それでも最後の拳は全身を痺れさせる重い一撃だった。
「本気で殴りやがって……。絶対痣になるだろコレ……」
ハンスの前では余裕ぶっていたが内心かなりの冷や汗ものだ。
持久戦を持ち込まれでもすれば、まず勝ち目はなかっただろう。
痛む腹をさすりながら、ナサニエルは額に浮かんだ脂汗を乱暴に拭う。
「悪役ってのもつらいもんだ」
思わず声に出して自嘲する。
この家がシャルルを中心に回っている事はナサニエルもよく知るところだ。
そしてナサニエルもそれを悪いとは思わない。
ただ一つ、揃いも揃ってシャルルが白と言えば白と信じる神経には呆れるものがあるだけで。
(ほんと、お人好しばっかで困るな)
せめて自分だけは全てを疑う人間であろうと思う。
シャルル以外の全てを否定する人間であろうと思う。
「……はは、俺も大概か」
もう一度声に出して自嘲する。
それでもこの生き方が気に入っているのだからしかたがない。
ナサニエルは息を吐き出すと、何事もなかったような涼しい顔で仕事に戻った。




