45.子猫伯爵と後始末
「教授!!」
シャルルを背負ったままハンスがドアをぶち破る。
何の挨拶もなしに教員室の扉を開けたハンスに、教師たちは揃って目を丸くした。
その後に誰が呼ばれたのかと目配せをし合う。
唯一心当たりのある教師は椅子に座ったままため息を吐き出した。
「そんなに大きい声を出さなくても聞こえています」
暗に煩いと言ってキース・ヴァン・トラスティーナはハンスを教員室の外へとつまみ出した。
ハンスを連れ立って人気のない廊下へと移動する。
「――何があった?」
教師としての口調を崩し、キースは師としてハンスへと話しかける。
いつになく焦った様子と、背中に抱えた生徒を見るに、ただ事じゃない事だけは理解できた。
「シャルルが倒れてしまって……」
「は?僕を何だと思ってるんだ?そういうのは医務室に行け」
思いつめたようにハンスは口を開くが、見たままの答えを返されたキースは顔を顰めた。
何一つ返しようのない正論に、ハンスはぐっと言葉を詰まらせる。
とはいえ、キースも教師であり元騎士だ。
文句を言いながらも、目を閉じるシャルルの顔をじっと覗き込んだ。
顔色を見定め、鼻の前に手をかざし呼吸を確認すると、慣れた手付きで脈拍を診る。
(……神力による負荷のようだな)
少し遅いながらも問題になる範囲ではなく、外傷も見られない。
取り急ぎ医者や司祭を呼ぶ必要はないだろうと、キースはハンスに大丈夫だと頷いた。
「気を失っているだけだ。だがかなり疲弊しているな。何があったか正確に話せ」
「はい…!俺も詳しい事は分かりませんが……」
キースの診断にハンスは胸を撫でおろす。
そして聞かれるままに庭園での出来事を口にした。
ハンスの口から語られる内容に、キースはうんざりとした面持ちで長く深いため息を吐く。
「……バロッドには別途教育が必要そうだな」
「そうして頂けると助かります」
「はぁ…。お前はこのままミオンと一緒に帰れ。馬車までは僕もついて行こう」
「ですが……」
「こういう時には教師の説明がいるものです。つべこべ言わずついて来なさい」
キースが面倒くさそうに教師としての口調で言い放った。
何から何まで正論のキースに返す言葉はなく、ハンスは黙ってその背中を追いかける。
学院の外へ出ると、入口で待っていてくれたスミレたちが合流した。
両手の埋まったハンスを気遣ってか、子猫たちは脱線しながらも自分の足でスミレにくっついて行く。
「僕に持てとは言うなよ?」
ミーミーと鳴く子猫たちに一瞥もくれず、キースはぼそりと呟く。
片腕が不自由なキースに持ってもらう気など端からなかったが、キースが口を開いたのを機に、ハンスは師たる男に話しかけた。
「猫は嫌いですか?」
「猫というより動物全般だな。匂いが着くのは射手として致命的だ」
「……なるほど」
嫌いのベクトルが違う気がするが、そういう考えもあるのかとハンスは単純に納得する。
好奇心旺盛なモモが翻るキースのマントで遊んでいるが、寸でのところで届かないのは猫に触る気のないキースの手腕なのだろうか。
一向に掴める気配のないモモを尻目に、あっさりと会話が途切れた二人は静かに馬車置き場への道を歩いて行った。
生徒から恐れられる教師と弾きものの庶民と猫の群れという奇特な組み合わせだが、終業から時間が経っているせいか、幸いにも鉢会う生徒はほとんどいない。
ハンスたちは奇異の目を向けられる事なく、目的の場所へと到着した。
「シャルル坊ちゃん…!!」
馬車置き場へと着くと、シャルルに気が付いた老人が駆け寄ってきた。
ハンチ帽を被ったその老人にキースが教師の口調で話しかける。
「ミオン様の家の方ですね。加護術を教えているトラスティーナです。少々お話を――」
「坊ちゃんがお世話になっております。ああ、坊ちゃんはこちらに――」
御者を務める老人が開けてくれた馬車にシャルルを運び込む。
(……初めて見る顔だな)
クリスティアンかナサニエルだったら話は早かったが、そう都合の良い事はないようだ。
『知啓の祝福』のような一大行事でもなければランド・スチュワートのクリスティアンが出てくるわけもなく、ナサニエルは個人的に会いたくない。
むしろこれで良かったのかもしれないと、ハンスは寝息をたてるシャルルを座席に座らせる。
キースの説明のおかげか話はすんなりと進み、スミレたちを乗せる事にも成功した。
「ウィルフレッド様の話も、猫ちゃんたちの話も坊ちゃんからよく聞いていますよ」
馬車に乗り込んだスミレたちに、御者の老人は優しく笑いかける。
駄目だと突っぱねられる事を心配していたハンスだったが、シャルルの望み通りに事が進み胸を撫でおろした。
そして別れを惜しむようにシャルルの髪を撫でる。
傷は癒えど、土を被り傷んだ髪はそのままだ。
疲労の色が浮かぶ寝顔に心が痛み、容易に離れる事が出来なかった。
そうこうしている間にキースの手によって馬車の扉が閉じられる。
「教授…!?」
「一緒に行けと言ったはずだ。ミオンの家族にどう伝えるかはお前に任せる。決めかねるならミオンが目を覚ますまで待てば良い」
窓越しに少しくぐもったキースの声が届く。
「こっちの事は任せておけ。バロッドも僕が回収しておく」
それだけ伝えると、ハンスの返事も待たずに踵を返す。
ハンスは馬車の中から会釈をし、その後ろ姿を見送った。
間もなくして馬車が出発する。
揺られること3時間近く――その間もシャルルは目を覚ます事なくずっと眠り続けていた。
閉鎖的な馬車の中が暇だったのか、スミレたちも体を寄せ合って眠っている。
その様子を微笑ましく見つめ、ハンスはシャルルの手を握りしめた。
「……またお前に救われてしまったな」
眠ったままのシャルルを見つめ一人言ちる。
少しとはいえ傍を離れるべきではなかった。
もっと早くシャルルの元へ向かえば良かった。
あらゆる後悔が押し寄せ――けれどその全てはシャルルによって掃われた。
「せめてお前にふさわしい存在になるまでは……」
この想いは仕舞っておこう、そう思って口を噤む。
自分でも整理のつかない感情をぶつけるわけにはいかないと、ハンスは握っていた手を離した。
程なくしてミオン邸に馬車が着くと、停まった勢いで子猫たちが転がっていく。
「んみー!?」
「にゃうん!」
意地で踏ん張るスミレを残し、三匹はコロコロと座席を転げ落ちていった。
良くも悪くも目を覚ました猫を引き連れて、ハンスは馬車を飛び降りる。
「今そちらに――」
「構わない。見れば分かる」
御者台を降りようとする老人を制し、ハンスは足早に正門を目指した。
見れば分かると言ったように門からエントランスまでは一本道だ。
一向に目を覚ます気配のないシャルルを背負い、石張りの道を踏みしめる。
「にゃにゃ~!」
「みゃ~ん!」
険しい眼差しを浮かべるハンスの足元を子猫たちが走り回る。
庭園とは比べ物にならない見渡しの良い景色に子猫たちは大興奮の様子だった。
甲高い声を上げ、あっちこっちへ駆け出そうとする。
それを阻もうとするスミレも、あっちへ行ってはこっちへ行ってを繰り返した。
「ウィルフレッド君じゃないですかぁ」
半分程進んだところで、薄がりの中を一人の男が近づいて来る。
ハンスに気が付いたその男はツカツカと距離を詰め、にっこりと笑みを浮かべた。
黒と白がないまぜになった髪を揺らし、ハンスよりも一つ背の高いナサニエルが目を見開く。
やはり黒と白が半分ずつになった目が覗き、ハンスは思わずたじろいだ。
「シャルル様に何をした?返答次第じゃぶっ殺すぞ」
裏社会顔負けの柄の悪さにハンスも返す言葉がない。
何を言っても手を出しそうな空気に、反射的に足を後ろに引く。
「やめなさい、ナサニエル」
ナサニエルの殺気に勘づいたのか、同じくシャルルの出迎えに現れたクリスティアンが割って入る。
シャルルの様子を見ると、すぐに屋敷へと案内してくれた。
「ナサニエル、シャルル様を部屋へ。ウィルフレッド様はこちらへどうぞ」
「……どーぞごゆっくり」
奪うようにシャルルを抱きかかえ、ナサニエルは屋敷の二階へと上がっていく。
スミレたちはというと一先ず庭へ放されたようだ。
物分かりの良いスミレは、不服そうにしながらも子猫たちを連れだだっ広い庭の散策を開始した。
手持無沙汰になったハンスは無言でクリスティアンの背中を追う。
クリスティアンもシャルルの状況に思うところがあるのか、今日に限ってはにこやかに世間話をする事はなかった。
「若旦那様を呼んで参ります。こちらでお待ちください」
客間に通されたハンスは、促されるままソファに腰かける。
汚れも落とさないまま高級感溢れるソファに座るのは気が引けたが、勧めに乗らないのも場持ちが悪い。
落ち着かない気持ちで肩肘を張っていると、すぐにシャルルに似た青年がやって来た。
「シャルルが倒れたって……あ、いや、すまない!」
ゴホンと咳き込んで、彼はハンスの正面に立つ。
「いつもシャルルが世話になっているね、ウィルフレッド君。僕はスコール。シャルルの兄で、父が不在の間はミオンの領地を預かっている者だ」
「……お初にお目にかかります。ハンス・ウィルフレッドです」
「まずは感謝するよ。シャルルをここまで連れ帰ってきてくれてありがとう」
ハンスが立ち上がって頭を下げると、スコールも礼を述べ頭を下げた。
そしてハンスに座るように手振りを添えながら、自身もソファに腰を下ろす。
「本題だが――話してもらえるだろうか?」
腰を落ち着ける間もなく、スコールは柔和な顔つきを厳しいものへと変えた。
普段とは様子の違うシャルルにただならぬ何かを感じたのだろう。
言うかどうかを迷い、やがてハンスはゆっくりと口を開いた。
「詳しい事はいずれ耳に入るかと思いますが――」
キースに伝えた以上、何もなかったでは済まないだろう。
いつかは耳に入る事ならば、今ここで話してしまってもさして違いはないはずだ。
ハンスはそう判断し、庭園での出来事をスコールに話した。
これまで庭園で可愛がっていた猫の一家がいた事。
自分をよく思わない相手が猫を利用しようとした事。
それを止めようとしたシャルルが返り討ちにあった事。
シャルルが猫の傷を治すために加護を使い倒れた事。
知りうる限りを簡潔にまとめていく。
ただ一つ、キースに話したものとは違いサマルの名前は出さなかった。
「――以上が、自分の知るところです」
事のあらましを伝えると、スコールはどこか寂しげな笑みを浮かべる。
「……そうか。知らぬ間にあの子は随分と立派になったのだね」
「はい。俺もそう思います」
「だがそれとこれは話は別だ。いずれという事は我々のよく知る相手という事だろう?もちろん僕らの意思はシャルル次第ではあるが……その相手には覚悟して貰わなければならないかもしれないね」
真剣な目付きでスコールは呟く。
シャルルを愛する彼らは、たとえ相手が侯爵家だとしても引く事はないだろう。
それに――
(バロッドにデルホークという後ろ盾はない)
日頃の行いを見ていても、カイトはサマルに対して不干渉を貫いていた。
これだけの事をしでかしたサマルを庇う理由もないだろうし、デルホーク公爵家が動かなければ他の貴族も積極的にバロッド侯爵家に手を貸すとは思えない。
ミオンの家が行動を起こせば、それ相応の報いを受けるだろう事は予見できた。
それを知ってか知らずか、スコールは優しく微笑む。
「君が心配する事はない。伯爵位とは言ってもミオンも歴史は長いからね。勝てぬ戦いに臨むほど馬鹿ではないよ」
貴族社会では子供の喧嘩が家同士の喧嘩に発展するのもけして珍しい話ではない。
これ以上自分に出来る事はないと言われた気がして、ハンスは複雑な気持ちになる。
気落ちするハンスを見兼ねたように、スコールは〝そうだ〟と手を叩いた。
「たしか……住まいはカルバと言っていたね。ここからでは遠いし、今日は泊まっていってはどうだろうか?」
「えっ!!?」
ガチャンと食器と食器がぶつかる音が響く。
ハンスが返事をするよりも早く、お茶を持ってきたナサニエルが素っ頓狂な声を上げた。
「おや、ナサニエル。何か不満が?」
「いえ?少々手が滑っただけですのでどうぞお構いなく」
テーブルに紅茶を出しながら、ナサニエルはぎこちなく笑う。
ハンスを見る顔には帰れと書いてあったが、スコールはそれに気づく事なく一人頷いた。
「うん、それが良い。シャルルも目が覚めた時に君がいてくれたら安心するだろう。ウィルフレッド君さえ良ければ、ぜひそうしてくれ!」
ほんのりと湯気の上がる紅茶を一口。
口を潤すようにお茶を含み、にこにことハンスとナサニエルの顔を見る。
「ええと、では…お言葉に甘えて……」
「僕は仕事に戻るが遠慮せず寛いでいってくれ。ナサニエル、彼を頼むよ」
「……かしこまりました」
不服そうな表情を隠す事もなくナサニエルはハンスを睨む。
突き刺さる視線が痛いが、スコールの好意を無下にするわけにもいかない。
ハンスは複雑な心境を押し込め、愛想笑いを浮かべるのだった。




