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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
OP.シャルル・ミオンの長い一日
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4.子猫伯爵とひとまずの決着

もう限界だ――表情筋(ひょうじょうきん)が死にかけたその時、救いの手が差し伸べられた。

(かば)うように差し出された日に焼けた腕。

怒りか、侮蔑(ぶべつ)か、見るだけで相手を威圧する青い瞳。

「席に戻れ。シャルルが困っている」

けして大きい声ではなかったが、その声は腹の底に響く力強さを持っていた。

(なんで……)

驚きを隠しきれず右隣に顔を向ける。

立ち上がったハンスが、ただ真っ直ぐにカイトを(とら)え続けていた。

「困っている、だと?」

ぼそりと呟くカイトの顔に笑みはない。

ハンスがオレとカイトの間に割って入ったと理解できたのは、冷淡に光る深緑(しんりょく)に気が付いてからの事だった。

(は?え?なんで?)

たしかに助けを求めてはいたが頭に浮かぶのはまさしく〝(ハテナ)〟だ。

自分で言うのも難だが、散々無視してきた相手を(かば)う奴がいるだろうか。

正義感が強いにしたって人が()過ぎるとしか思えない。

そもそも勝手に人の名前を呼ぶな。

いつからオレとお前は名前を呼び合うような仲になったんだ。

考えれば考える程に〝(ハテナ)〟である。

「貴様…!!」

ぽかんとしたオレをよそに、カイトの後ろにいた男が声を荒げる。

身を乗り出し、ハンスに掴みかからんといった勢いだ。

カイトはそれを(あご)だけで制すと、わざとらしく口角を吊り上げた。

「フッ…ハハ!おかしいな、俺にはお前のせいで困っているように見えたが?」

「……何だと?」

「自覚もなしか。随分な厚顔無恥(こうがんむち)がいたようだな」

余裕の笑みは絶やさず、〝やれやれ、困ったものだ〟と大袈裟(おおげさ)嘆息(たんそく)する。

ハンスが立ち上がった時点で二人は注目の的だった。

カイトはそれすらも利用し、ハンスを(さら)しものにしようとしているのだろう。

案の定ハンスに向けられるのは、カイトに楯突(たてつ)いた事への憐憫(れんびん)嘲笑(ちょうしょう)、冷ややかな視線だけだった。

圧倒的に貴族の多いこの場で、ハンスの味方をする者は見当たらない。

「おっと、いささか声が大きかったな。皆も騒々(そうぞう)しくしてすまない。今日という日を楽しみにしたあまり気が()いてしまったようだ。黒髪の彼も誤解しているだけのようだし、大目に見てやってくれ」

他の貴族をたしなめるように見回す姿は、もはや歌劇か何かの一幕だ。

舞台に立っているのは確実にカイト・デルホークただ一人だった。

(おえっ、よくやるよ)

見ているだけで虫唾(むしず)が走る光景に、顔を(しかめ)めそうになる。

だがこれがカイトのやり方だ。

大衆心理を操り、自らが〝正義〟となる環境を作り出す――小説の中でも何度となく描写されるカイトの特技だった。

ハンスが剛だとするならば、カイトは顔に似合わず柔軟に立ち回る男なのである。

「そういえば……見たことのない顔だな?」

オレを始め多くの人が見守る中、仁王立ちのままのカイトが鼻で笑う。

ハンスに向けられたその言葉が〝初めまして〟なんて可愛らしい挨拶(あいさつ)じゃない事は、誰にだって理解できた事だろう。

深緑の瞳は分かりやすく侮蔑(ぶべつ)の色を映し、平民は引っ込んでいろと物語っていた。

その下卑(げび)た笑みに臆する事なく、ハンスは慄然(りつぜん)とした態度でカイトに立ち向かう。

「ハンス・ウィルフレッドだ」

険しい顔つきでカイトを見据(みす)えるハンス。

次はお前が名乗る番だとでも言うように、ハンスは短く名乗りを上げた。

カイトの方も狼狽(うろた)える様子はない。


流石(さすが)は主人公とそのライバル。

でも喧嘩(ケンカ)は別の場所でやって欲しい――口に出せないオレの思いは虚空(こくう)彼方(かなた)だ。


ハンスでさえ手一杯だというのに、カイトまで現れては成す術がない。

いらぬ注目まで浴びる事になったオレの心は物理的にハチ切れそうだった。

そんなにもオレを〝悪役令息シャルル・ミオン〟にしたいのか。

女神との邂逅(かいこう)イベントなんてものはなかったが、この世界の女神は性格が悪いに違いない。

大慌てのオレを見て楽しんでいるのだ、きっと。


「聞いてもいないのにご丁寧(ていねい)な事だ」

カイトの後ろで沈黙に喫していた男が身を乗り出した。

どうやら固唾(かたず)を呑んで見守る気でいるのはオレだけらしい。

「しかもカイト様に向けてその口の利き方、まるでなってないな。どんな教育を受ければそんな無作法(ぶさほう)に育つのか…親の顔が見てみたいものだよ」

嫌味ったらしい口調。

ひとまとめにした長い黒髪に細長い瞳。

体躯(たいく)の良いカイトと並ぶと目立たないが、その背丈はかなりのものだ。

(あ、こいつバロッドか!)

小説通りの特徴に、この男が侯爵令息サマル・バロッドであると確信する。

カイトの右腕とも呼べるサマルはシャルルと同じ名前付きの悪役だ。

この様子からすると、サマルはすでにカイトの取り巻きをやっているらしい。

「ブレッドなんて家名も聞いた事がない。近年平民が恐れ多くも勝手に家名を名乗ってるというしね。君もその口かな、恥知らずのブレッド君?」

ニタニタと笑ってサマルはハンスを侮辱(ぶじょく)する。

陰湿でねちっこい事に定評のあるサマルは、カイトを筆頭にした悪役令息トリオの中でも1番の嫌われ者だった。

実物を目の当たりにしても、好きになれそうな要素は1つも見当たらない。

(誰がブレッドだよ!そんなだからお前バーローって呼ばれてるんだぞ、このバカロッド!!)

現実では絶対に無理だが、心の中ではキッチリつっこみを入れておく。

チラリとハンスの顔を覗き込めば、白んだ表情で二人を睨んでいた。

タコ野郎とバカ野郎を相手にすればそんな顔にもなるだろう。

(これ怒ってるだろ…!?飛び火したらどうしてくれんだよ!!?)

内心ヒヤヒヤしながらもオレはその様子を見守り続ける。

薄情者と(さげす)まれようが、この中に割って入る勇気は微塵(みじん)にも湧かなかった。

この状況で〝オレのために争わないで!〟なんて言える人間は、頭の中に花畑が詰まっているとしか思えない。

(……男に言い寄られても嬉しくないしな)

もし生まれ変わったのが女だったら、この状況も少しは楽しめたのだろうか。

何せ性格に難のあるイケメンと性格最低のハンサムだ。

(やっぱねーわ)

どっちも中身に問題がありすぎる。

オレが女だったとしても、この二人から選びたくはない。

必ずどちらかを選べ――そう言われたらハンスを選ぶが、オレはアイリスのような寛大な心でハンスを見守れる気がしない。

すぐに不興(ふきょう)を買って殴られるのがオチだ。

「だいたい君はこの方が誰かも、私が誰なのかも分かってないんだろう?その時点で里が知れるというものだよ。曲がりなりにも学院に来る事を決めたのなら、名のある家門を覚えてくるのが最低限としての礼儀なのではいかな。その当然の配慮(はいりょ)に頭が回らないような奴がよく試験を合格できたものだ。まあ…下賤(げせん)な連中の手癖(てぐせ)の悪さは一級品と言うしね、不正をしていてもおかしくはないという事かな?」

現実逃避するオレを置いてけぼりに、サマルの悪口は過熱する。

ねちねち、ぐちぐちと、良くもまあ口が回るものだ。

しかし放っておけばいつまでも喋り続けそうなサマルの熱弁にもハンスは動じない。

それどころかハンスは笑ったようだった。

見間違いかもしれないが、1㎜くらい口角が上がったように見えた。

「名のある方とは知らず失礼しました。ですがシャルルの顔色が悪いように見えたのは事実です。気を落ち着かせるためにも、一度引いてはもらえませんか?」

気分良く(まく)し立てていたところを(さえぎ)られ、サマルは笑顔のまま動きを止める。

人をダシにするなという感じだが、事を荒立てるのはサマルにとっても得策ではないのだろう。

貴族に対しても礼節に欠くと思われるのを避けたかったのかもしれない。

「……少しは…気が利くようだね」

「感謝します」

軽く頭を下げるハンスを見下し、サマルが面白くなさそうに鼻を鳴らす。

その後は悔しさを(にじま)ませながらもハンスを睨むに留まった。

だが一連の流れに驚いたのはオレの方だ。

(ハンスが謝った?しかもバロッドに?)

ハンスが素直に頭を下げるなんて何かの見間違いだろうか。

『ラブデス』を読む限り、どこまでも真っ直ぐを地で良くハンスが、今のような対応を取れた試しはなかったはずだ。

相手が失礼極まりないバロッドともなれば猶更(なおさら)だ。

どうしてか肩透かしを食らったような気分になってしまう。

「ミオン」

気が散漫としたところに名前を呼ばれ、図らずも肩が跳ねる。

変な声が出そうになるからやめて欲しい。

恐る恐るカイトを見上げると、カイトは目を細めて笑った。

「急な事で驚かせてしまったようだな」

目の前に差し出されるカイトの手。

気遣いにも握手の催促にも見えるその手を取りかけて――やめる。

「どうした?こいつに付きまとわれて困ってるんじゃないのか?」

「そんなんじゃない、です」

「遠慮する事はない。礼儀知らずか怖いもの知らずか知らないが、立場もわきまえないような奴の肩を持ってやる必要なんかないんだからな。ハッキリと身分の違いを教えてやるのが優しさだとは思わないか?」

一瞬、一瞬だけカイトが良い奴に見えたが、やはり違う。

これは好意でも何でもない、自分の傘下(さんか)に入れという提案だ。

「オレは……」

カイトの取り巻きになるのは絶対に嫌だ。

その気持ちは変わらない。

そもそもオレがハンスと関わらないと決意したのも、カイトと衝突(しょうとつ)したくなかったからだ。

ハンスに肩入れしようものなら、いずれカイトと敵対する事は避けられないだろう。

だが今カイトの機嫌を損ねてしまえば結局――それを考えると言葉に詰まってしまった。

「……シャルル」

迷うオレを見てハンスの目の色が変わる。

あからさまに怒りの浮かんだ青がオレを見下ろしていた。

(何だよ、その目)

とてもではないが会ってすぐの相手に向ける目ではない。

カイトの手をとった瞬間殴られる――そんな予感に(とら)われた。

(それにはまだ早いだろ……)

何故そう思ったかは分からない。

だが嫌な想像に息が止まってしまいそうだった。

折角引きかけた汗がまたどっと(あふ)れ、気持ちの悪さが広がっていく。

(どのみちオレはタコ野郎とはつるまない。だから平気だ。怖くなんかない)

言い聞かせ、ニコリと笑う。

「気持ちだけ受け取っておきます。自分の身くらい自分で守れるので」

差し出された手は握り返さなかった。

ハンスの事は多少恨むかもしれないが、カイトに目をつけられたならそれまでだ。

〝シャルル・ミオン〟には破滅の未来が運命づけられていると。

都合良く変えられる未来なんてないのだと。

死ぬほど嫌だが、そう割り切るしかない。

「……噂通りか」

「えっ?」

「まあいい、気が変わったらいつでも来い。その時には歓迎する」

カイトは嘆息気味に笑って(きびす)を返す。

こんなにもあっさり引くとは思わず、再び肩透かしを食らった気分になった。

サマルが恨めしそうに見ていたが無視だ、無視。

カイトに逆らえないサマルは陰湿な空気だけを残し、カイトに続いて行った。

ギャラリーと化した人たちさえ、カイトの撤退(てったい)を合図にそれぞれの輪へと戻っていく。


(お、終わったぁ…………!!)


安堵(あんど)に力が抜け、へにゃりとイスの背にもたれ掛かった。

見守るだけでこれなのだ。

やはりハンスにもカイトにも関わらないに限る。

当のハンスは、カイトとサマルが席に着いたのを確認してから、ようやく腰を下ろした。

(そういえばオレ座ったままだったな)

如何(いかん)せん気がつくのが遅いが、カイトの様子からいってもたぶん大丈夫だろう。

今は危機を一つ乗り越えたという事実の方が大切だ。

「その、シャルル」

そうして一人浮かれているとハンスに尋ねられる。

「……迷惑、だっただろうか?」

オレにだけ聞こえるかどうかといった、小さな声だった。

先程の凛々しさをどこに捨ててきたのだろう。

気まずそうに唇をつぐむ姿は随分なしおらしさである。

「いや、別に」

「迷惑だったなら言ってくれ。嫌な思いをさせたなら――」

「気にしてないからお前も気にすんな」

長くなりそうな言葉を遮ってそっぽを向く。

ハンスには悪いがオレはこのスタンスを崩すつもりはない。

「シャルル、俺は」

「それ」

「それ?」

「勝手に名前呼ぶのやめた方が良いぞ。あと貴族には敬語な。オレは気にしないけど、下手な奴につかまったら後がめんどくさいからな」

「…………肝に銘じておく」

今の忠告はちょっとした礼だ。

カイトのように――とは言わなかったが、その意図(いと)は伝わったのではないだろうか。

未来を考えればハンスに嫌われ過ぎても得にはならないのだ。

助けられた事に変わりはないし、これくらいなら相手をしても大丈夫だろう。

(オレがシャルルじゃなければ――)

不毛な事を考えそうになってすぐにやめた。

(ひと眠りするか)

窓の外は変わらず穏やかで、暖かな日差しを感じればすぐにでも眠気がやってくる。

自分の腕を枕に目を閉じれば、ハンスもそれ以上声をかけてくる事はなかった。

(これでカイトの仲間じゃないってのは伝わっただろ)

カイトの誘いを断った瞬間、ハンスの顔が得意げに見えたのは何だったのだろうか。

考えるべき事は多いが、睡魔(すいま)はもうすぐそこにいる。

初日から睡眠学習もどうかとは思うが、オレの人生を賭けたいざこざに比べれば何てことはないものだ。

少しくらい寝過ごしても問題はないだろう。

ふわぁ…と大きな欠伸をひとつ、オレは夢の世界へと旅立った。

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